木下順庵

1621−1698
元和7年−元禄11年


木下秀里の次男として京都の錦小路に生まれる。名は貞幹で順庵は号である。松永尺五の門下で朱子学を学ぶ。万治3年加賀藩主前田綱紀に仕え、金沢、江戸、京都を往来、貝原益軒と深く親交。天和2年、幕府に仕えることになり江戸に定住、林家以外の民間学者登用の道を開いた。人格高潔な教育者として、後に「木門十哲」と呼ばれる室鳩巣、新井白石、柳川震沢、榊原篁州など俊秀を多く育成した。元禄11年没。木門の興隆は官学林家にとって大きな脅威となる。

著書はないが、死後『錦里文集』が刊行。

木下順庵邸跡
京都市 錦小路通り烏丸西入る