契 沖


1640−1701
寛永17年−元禄14年

契沖は法号、姓は下川、字は空心。幼少より出家、和書を研鑚して、下河辺長流の推挙によって徳川光圀の援助を受け『万葉集代匠記』以下、多くの古歌・古典の注釈、国語研究に没頭した。その研究態度は、中世的な儒仏思想の附会的解釈から離れて、和漢の典拠を引証し帰納的な文献学的方法を探り、国文学研究史上の新時代を画するものであったとされる。


歌学から出発した国学は上代中古の歌のうちに人間の性情の偽らざる流露を見、それが後世の道学的精神によって、歪曲ないし隠蔽されるに至った経路を知りえた。儒仏の説く道徳の反人間性=偽善性の暴露は、かくて国学の主要なる任務となった。(中略)つとに契沖は『勢語臆断』に業平臨終の歌、「つひに行く道とはかねてききしかど昨日今日とはおもはざりしを」を注釈して曰く、「これ人のまことの心にて教へにも善き歌なり、後々の人は、死なんとするきはに到りてことごとしき歌を詠み、あるいは道をさとれるよしなど詠める、まことしからずしていと憎し。ただある時こそ狂言綺語をもまじへめ、いまはとあらん時にだに、心の誠にかへれかし。此朝臣は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬるなり」となしたが、これに対し、更に宣長は、「やまとだましひなるひとは、法師ながら、かくこそ有けれ」(玉かつま、五)として、まさにかかる内面的心情の尊重のうちにやまとだましひの本質を見たのである。

(『日本政治思想史講義録』1948年 211頁 第十章 国学思想の発展)