伴 信友

1773−1846
安永2年−弘化3年

若狭国小浜藩士山岸惟智の四男として生れる。一四歳のとき同藩伴信当の養子となり、藩主酒井忠貫・忠進に仕え、江戸・京都に勤仕。1821年(文政4)致仕して学問に専念。本居宣長の学風を慕い、村田春門を介したが、宣長の生前に会えなかった。

宣長以後において次第に顕著となった国学の道学的性格を排して、国学本来の文献学的方法を重視し、考証学的方法を強化することを努めた。そのため親交のあった平田篤胤とも後年研究方法論上の違いから絶交するに至る。その業績は、特に古代史において卓越しており、『蕃神考』ではきわめて精緻な考証を成している。国学考証家の第一人者でありながら、師弟関係を好まず、生涯弟子を持たず。

『比古婆衣』が代表作。他に『神社私考』『中外経緯伝』など著述300巻、校定した古典260巻。