思ったことは、その思想家の生誕地や活躍した場所が東京から遠く離れた地方であればあるほ
ど、彼がインタ−ネット上で生き生きと登場する機会が多いことである。サイバ−スペ−スと
呼ばれるインタ−ネット空間は、ある意味で実存している一つの社会である。その社会空間の
中で近世の思想家たちが生きている。もう少し言えば、生きている思想家と生きていない思想
家とがある。元気で生きてわれわれに顔を見せ、その思想を語りかけている思想家たちは、み
な地方在住の思想家ばかりである。
滋賀県安曇川町のホ−ムペ−ジには「近江聖人・中江藤樹」という堂々たるメインサイトが設
えられてあり、そこでは単に藤樹の生涯や思想や史料が紹介されるのみならず、藤樹の「孝行」
についてフォ−ラムで討論を呼びかけ、それに対して奨学金まで出すというほど力が入れられ
ている。安曇川町全体にとって中江藤樹の歴史は自己同一性をあらわす象徴的存在であり、貴
重な文化的教育的資産であり、また重要な観光資源でもあるのである。このペ−ジを閲読する
と、どうしても一度は安曇川町に足を運んでみたくなる。どのような町なのか、自分の目で見
て散策せずにはいられない衝動にかきたてられてくる。そこに行けば、司馬遼太郎の『街道を
ゆく』のような感動と出会えるのではないかという期待が膨らんでくるのである。
生きているのは安曇川町の中江藤樹だけではない。福岡市の学校法人中村学園図書館が設営す
る「貝原益軒ア−カイブ」、大分市在住の北林達也氏が設営している「三浦梅園研究所」など、
素晴らしいサイトが地方にはたくさんある。頼山陽のバ−チャルミュ−ジアムをインタ−ネッ
トで見ることができるのも、山陽が広島出身の思想家であり、広島市と広島市民にとって重要
な歴史的文化的観光的資産であるからだろう。本居宣長と松阪市も同様である。地方の思想家
は、地方の人々にこのように大事にしてもらえるのであり、インタ−ネット上で生かされるの
である。
一方、江戸や京都や大坂で活躍した思想家はインタ−ネットでほとんど生きていない。江戸の
思想家の代表格である荻生徂徠は何処にもいない。新井白石もない。京都で活躍した伊藤仁斎
や山崎闇斎の姿も全く見えない。(懐徳堂そのものは阪大の中にあるのけれど)富永仲基や山
片播桃の姿もない。つまり彼らを研究して情報発信を試みている自治体職員や民間研究者がい
ないということであり、彼らの思想や生涯がその町の文化的資産となって日々生かされるよう
な(規模と纏りの)社会的基盤がないということである。
東京都中央区にはあまりに多くの史跡や文化財がありすぎて、そして職員はあまりに忙しすぎ
てとても徂徠の私塾などに構っている暇は無さそうである。中央区や東京都の職員に言わせれ
ば、それは東京大学の仕事だろうということになるのかも知れない。江戸東京博物館のような
巨大なハコモノの建設と維持のために湯水の如く税金を浪費する暇があるのなら、徂徠や白石
のウェブサイトを拵えて日英韓中四文で情報発信した方が、(彼らが大義名分としてすぐに口
にする)住民貢献としても、国際化事業としても、情報化事業としても、はるかに意義と効果
が大きいように思われるのだが、そういうことをやろうとする人間は一人もいないようである。
江戸や京都の歴史的文化は、実際のところは日々詳しく研究され、新しい情報が発見され蓄積
されながら、それが地域住民の文化的資産として広く共有されることなく、専門研究機関(ア
カデミ−)と媒体企業(放送出版ビジネス)の間で、「個人の業績」として、また「会社の商
品」としてやり取りされているだけである。だから、商品は市場(神田)に流れて消費者市民
の手に届くのだけれど、例えば安曇川町の中江藤樹や美濃加茂市の津田左右吉のように、自分
たちの生きた文化的財産として、必須の思想的栄養源として、真摯に対面され吸収されること
がないのである。
八○年代後半からのバブルとポストモダンの十年間は、まさに空前の近世江戸ブ−ムの時代で
あった。得体の知れない有象無象の人と企業が、そのビッグインダストリ−とビッグマ−ケッ
トを扇動・回転させることによって莫大な富を築き上げた十年間であった。東京に住んでいた
人間なら誰でも目撃者としてその事実を証言することができる。今でもその残滓はNHK総合
テレビに見ることができるし、インタ−ネットの中にも残骸を確認することができる。ポスト
モダン江戸バブリズムの腐臭漂う醜い残骸がそこにある。
切絵趣味の専門家になった人間もたくさんいることだろう。しかし残念なことに、荻生徂徠や
新井白石や徳川思想史のウェブを作ろうと一念発起する人間を一人も作り出すことはなかった。
「江戸文化」はわれわれ(首都圏生活者)にとっていまだに商品であり、官僚機構の塀の向こ
うにあるアンタッチャブルな秘密のリソ−スであり、そして渇いた心の喉に流し込む清涼飲料
水のような反復的なショット売りの消費財である。東京の住民が、商品としての江戸ではなく
(都官僚が退職金と天下りの言い訳のためにするアリバイ住民サ−ビスとしての江戸でもなく)
歴史文化としての本来の江戸を手に入れるのは一体何時のことだろうか。
[1998/06/24 21:18:34]