桜の木の思い出


 いつからこうなってしまったんだろう。
 何故、自分ばかりこんな目に遭うのだろう。
 男は今、考えていた。というのも、彼は実は、先日まである小さな不動産
会社に勤めていたが、会社でなかなか営業成績が出せず、クビになってい
た。そして、それからも、それに輪を掛けて、何をやっても、うまく行かな
い。例えば、会社をクビになってからも、仕事を探すため、何回も職安に通
うのだが、いつも、
「申し訳ありませんが、今回は採用を見送らせて頂きます。」
会社側のきつい一発である。そして、男はその時、何をやっても、うまく行
かず、正直言って、疲れ果てていた。そして、自暴自棄になっていた。昼に
なっても起きないで、怠惰な生活を送っていた。そんなある日のことであ
る。
 男はその日も真っ昼間から、家でごろごろしていたのだが、そんなことば
かりしていても、面白いわけでもない。おまけにテレビも面白そうな番組も
やっていない。仕方ないので、男は、
 暇つぶしにいっちょ散歩でもしてみるかぁ。
 そう思い、家を後にした。
 そんな彼なのだが、家を出た後、しばらくして、桜並木のある砂利道まで
来ていた。そこには季節は、春なので、当然、桜の花が咲いていた。そし
て、何気なく、桜の花を見て、男は思った。
 何だ、もう桜の咲く季節かぁ。
 そう思った彼なのだが、その時である!何故だか、ある記憶が急に彼の頭
の中によぎってきた・・・・・


 春と言えば、卒業と入学の季節だ。別れがある代わりに出会いがある。今
までの生活が終わる代わりに、新しい生活が始まる希望に満ちあふれた季節
だ。そういうわけでその少年もその年、小学校に入学して、希望に満ちあふ
れていた。そんな彼が入学して、数日後、いつものように学校から家に帰っ
て来ていた。
「母さん、ただいまぁ、僕、友達の所に遊びに行ってくるね。」
そして、友達の所に遊びに行って、帰ってきたのだが、その頃はもう辺り
は暗くなっていた。帰ってきた彼に母親が言う。
「おやおや、こんなに暗くまで遊んできて・・・もうご飯も出来ているか
ら、早く手を洗って食べにいらっしゃい。」
少年はそういう母親に言われたように洗面台で手を洗い、居間で家族と卓
袱台を挟んで食卓に着く。その日の献立はカレーだった。そして、スプーン
でカレーを食べる彼に少し厳格な父が言う。
「おい、お前は大人になったら、何になるつもりだ。」
「んーとね、おもちゃ屋なんか、いいな。あっ、漫画家や小説家もいい
ね。」
少年が得意そうに答える。そして・・・・・


 そうだよな。俺にも桜の木の咲く頃、あんな夢あふれていた時代があった
んだな。しかし、あの頃は夢があって良かったよな。だけど、今の俺のざま
は一体、何だ。少しくらい、仕事がうまく行かないからといって、それで腐
って、すぐに諦めやがって、このざまとは・・・・・
 白昼夢からはっと今、我に返った男はそう思った。そして、何事もうまく
行かないからといってすぐに諦めちゃいけないな。だから、今は厳しいけ
ど、明日から、頑張らないといけないな。そう思った。そして、そう思う
と、彼の目からは何故だか、妙に涙がこぼれ落ちてきた。
 何故だろう。こんなに綺麗な花を見ているのに、何故だか、妙に切なく
て、何だか、涙がこぼれ落ちてくる。何故だろう・・・そして、
「さぁ、今は頑張らなくちゃいけないときなんだ。ここでこんなに泣いてい
ても、仕方ないな。頑張らなくちゃ。」
そう言って、彼は桜並木を後にするのだった・・・・・


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