この町もあの頃とほとんど変わってないな。
暑い夏の盛りの日の午後、近くの電気街に買い物に来たついでに、再び、
この街にただ何となく来てしまったのだが・・・男は思う。
ほんの数ヶ月だけだったが、この街の小さな建築設計事務所に勤めていた
5年前のあの頃と、何も変わってない。確かに、よく行っていた定食屋がイ
タリア料理レストランになってたり、事務所の近くの某都市銀行支店が不況
のあおりで他支店に吸収統合されたりと街の風景はめまぐるしく変わった。
が、根本的な物は全然変わっていない。
立派なオフィスビルが立ち並び、その近くには、昔からの個人商店や小さ
な雑居ビルが立ち並ぶ光景も共存するこの街では、外回り中の営業マンや買
い物中の主婦達が歩道上をあわただしく行き来している。道路わきの店に入
ると、店員と常連の客が雑談してるそんな光景も珍しくない。そんな情緒溢
れる、昔ながらの街並みだ。そう、何も変わってないんだ・・・
と、感慨にふける男だが、
「おい、鈴木君じゃないか!」
ふと、そばから呼ぶ声がしたが、何と、その声の主は彼の建築設計事務所
での先輩で、元上司の山下一郎だった。
「山下さんじゃないですか。お久しぶりです。」
男はすかさず挨拶を返す。そして、2人のやりとりが始まった。
「鈴木君、高橋設計事務所を辞めてもう5年になるな。どうだ、今、元気
にやっているか?」
「えぇ、その後、色々ありましたが、現在は設備管理の仕事に就き、それ
なりに頑張ってます。しかし、社長の方は相変わらず、お元気ですか?仕事
では社員にいつも、的確な指示を与え続けていたし、休日も良く山登りに行
ったりするなど、とてもパワフルな方でしたから、今もさぞ、お元気なんで
しょうね。」
「それが、実はな・・・」
しかし、山下の反応は意外にも歯切れの悪い物だった。
何故だ?
実は、俺はすっかり安心しきっていたのだ。俺が事務所の経営難もあって
設計事務所を辞めた後は、風の噂だが、事務所も何とか経営を立て直し、社
長も後任に社長職を譲り、自らは会長として、悠悠自適の生活を送っている
と聞いたからである。だから、それが何故・・・
「そんな馬鹿な!社長は聞く所によると、あの後、事務所の経営も立て直
し、後任の佐々木部長に社長職を譲り、自らは会長として、とても悠々自適
な生活を送っていたそうじゃないですか?それが何故・・・」
男が驚いて山下に聞くが、その時、初めて彼は驚愕の事実を知ることにな
るのであった・・・山下は言った。
「あの後、確かに事務所の経営も一時的に良くなったさ・・・そして、社
長も後任の佐々木さんに社長職を譲り、一時は会長として、悠悠自適の生活
を送っていたさ・・・だが、間もなく、後任の社長に就いた佐々木さんが都
合で事務所を辞めた後は、高橋社長も社長にカムバックし、自ら事務所の陣
頭指揮をしていたんだが、そんなある日、無理が祟ったんだろうねぇ。急性
心不全でお亡くなりに・・・・・」
「ええっ!!」
聞き返す俺だったが、最期は壮絶だったらしい。満員の通勤電車の中で元
来、心臓が弱かったのもあってか、突然の心臓発作に見舞われ、救急車で病
院に運ばれたものの、もう既に息絶えていて、そして、帰らぬ人になったら
しい・・・そんなわけで、設計事務所も社長の死と共に、1度は別な人が受
け継いだが、結局は解散し、社員は散り散りばらばら・・・山下さんもじき
にこの街を去るそうだ。
しかし、俺は思った。
何故だ!
あんなに元気だったじゃないか?それが何故?
俺が勤めていた頃、もう少し俺が頑張ってたら、事務所も経営危機に陥ら
ず、社長ももう少し楽が出来ただろうに・・・俺がもう少し頑張ってたら・
・・・・いや、俺の責任じゃない。あの人がまた、社長職に復帰し、体に無
理を強いらなければならなかったのも、後任の佐々木さんが社長を辞めたた
めであって、俺の責任じゃない。いや、やはり、違う。
佐々木さんのせいじゃない。佐々木さんも何か、理由があって事務所を辞
めざるを得なかったのだ。仕方なかったのだ・・・
やはり、俺が勤めていたとき、もっと頑張っていれば良かったのだ・・・
思えば、酷かったものだ・・・社長に入社時に「君はこの仕事をするために
生まれて来たようなものだ。」などと、かなりの期待を受けたのだが、仕事
では納期までに図面が仕上がらないことも多く、社長を含め、事務所のみな
さんに、そのフォローでさんざん迷惑を与えた挙句、クビになったのだか
ら・・・
やはり、俺がもう少し頑張っていれば良かったのだ。俺がもう少し頑張っ
ていたら、社長ももう少し楽が出来、そんなに無理をする必要も無かったの
だから・・・
そう思うと、俺の心はやりきれなさと後悔の気持ちで一杯になっていた・
・・
とそんな時、山下が言った。
「社長のお墓が近くのお寺の墓地にあるけど、これから行くか?」
「えぇ」
俺は答えた・・・
その後、俺達、2人は近くにあるお寺のわきの墓地に向かった。敷地内の
水道の蛇口から、墓地に備え付けの木の桶に水を汲み、手桶で社長のお墓に
水を掛ける。そして、2人は社長のお墓に向かい合い、手を合わせて冥福を
祈った。そして、そこで俺は、
「社長、あの時は私も期待されたにも関わらず、ほとんどお役にも立てず、
申し訳ありませんでした。でも、私もその後、色々ありましたが、現在、設
備管理の会社に勤め、それなりに頑張っています。しかし、社長、今はとも
かく、ただ安らかに眠って下さい。」
そう社長に向かって心の中で話し掛け、自ら、今、勤めている会社では、
他人に迷惑を掛けることもなく、これから頑張って行くことが迷惑を掛けた
社長へのせめてもの報いであると思い、
「これから、今勤めている会社で頑張らないといけないな。」
そう心に誓うのだった。
その後、2人はその場を後にしたが、
ミーンミーンミーン・・・
何処からか、セミの鳴く声が聞こえる。
「山下さん、もうすっかり真夏日よりですね。」
「あぁ、そうだな・・・」
そんなある真夏の日の出来事です。