草木がやさしい風に心地よくゆれる。
日差しもだいぶ強くなり肌に心地よい。
何日か前まで続いていたあの忌々しい梅雨がうそのようだ。
「ざりがに取りにいってくるよ!」
少年は、玄関で大声で言った。
「気をつけて行ってきなさいよ。それと、早く帰ってきなさいよ。」
母親の声が少年の耳元に届いた。
「わかったよ。」
少年は、そう言うと玄関の戸を閉め外へ出た。
この少年、名前を六日市 拓といった。
拓がざりがにを取りに行こうとしている池は家から約1キロメートルのところ
にあった。池と言う
より巨大な水たまりと言った感じのところだ。
拓は、自転車を七分間ほどこぎ池についた。
池の周りには、すでに何人かの子供がざりがに取りに興じていた。
拓には、自分のざりがにの取り場所があった。
それは、余り人の近づかない池の裏にあった。そこは、はっきり言ってごみ溜
め場である。
テレビやガステーブル、机、タンスなど粗大ゴミがそこには散らがっていて数
十センチメートル程の水が浸っている。
拓は、そこでゴミの隙間に先にスルメのついた凧糸を垂らした。
おかしい、
拓は、糸を上げた。
いつもなら、もう二、三匹は取れている頃なのだが今日はまだ一匹も取れてい
ない。
結局、今日は小さなざりがにが一匹しか取れないまま日が西に傾いてしまっ
た。
他の場所でざりがを取っていた子供達もほとんど帰ってしまっていた。
拓も帰ろうと思い腰を上げた。
拓が、ふと足元を見ると十四型のテレビが画面を上に向け水に浸っていた。
拓は、そのテレビがつくとは思っていなかったが腰をかがめスイッチを摘んで
みた。
キュイーン・・・・・・・・・・・
「まじかよ!ついたぜ!」
まさかのことに、思わず拓は声をあげた。
画面はただ白く光を放っていた。
なぜこのテレビはついたんだ変なの。
拓は、そう思いながら画面を見ていた。
画面いっぱいの白い光は徐々に狭まりついに一点に収束した。
そして、その光点は画面を飛び出し拓の方へ向かってきた。
「わーーーーーーーーーーーーーー」
ガガガガアアアアアアアーーーーーーー
「おい、あっちのゴミ溜め場の方で凄い音したぞ。」
帰ろうとした少年の一人が言った。
「自然にゴミが崩れたんだよ。」
一緒にいた少年が言った。
「でもさあ、たまにあそこでざりがに取ってる奴いるじゃん。」
「そうだな、ちょっと様子見に行ってみよう。」
二人の少年はゴミ溜め場へと向かった。
「おい、足元暗いから気をつけろよ。」
「わかってるさ。」
二人はゴミ溜め場の前まで来た。そして、あたりを見渡す。
「おい、あそこで誰か倒れてるみたいだぞ。」
少年の一人がゴミ溜め場の真ん中あたりを指した。
「おお、やばいぞあれは、」
「どおする?」
少年は泣きそうな顔で言った。
「お巡りさんに言おうよ。」
「そうだね、交番に行こう。」
少年達は、池の縁にとめた自分達の自転車で交番へ向かった。
日はすでに西に沈んでいた。
空にはいくつかの星が見えていた。夜雲の透き間から。
仕事帰りの中年の男が家の門をくぐった。
”六日市”
門の表札。
ガシャ!
玄関を開ける音。
「ただいま!」
男は六日市 拓の父親であった。
父親が家に上がろうとすると奥から哲の母親が心配そうな顔をしてやってきた。
「おい、どうしたんだよ。」
父親は、彼女の顔を見て何かあったことを察し訪ねた。
「拓がまだ帰って来ないのよ。」
母親は言った。
父親は、左腕の時計を見た。
七時十三分。
「どこ行ったんだ、あいつは。」
「池よ。」
「池?・・・・・・ああ、ざりがにのか。」
「そうなのよ。」
「わかった。俺がちょっと見に行ってくる。」
父親はそう言うと背広の上着を脱ぎ母親に渡し外に出ようとした。
そのとき、 ジリリリーン!
電話のベルが鳴った。
電話は玄関のげた箱の上にあった。
「はい、」
母親は即座に受話器を取った。
「・・・・・・・・・・・」
相手が、一方的に話しているらしい。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
顔色が変わった。
「わかりました。すぐ行きます。」
受話器をおいた。
「どうしたんだ、おまえ。」
父親が心配そうに聞く。
「拓が大学病院に・・早く行きましょう。」
「どういうことなんだ。いったい。」
「車の中で説明しますから、車を出して下さい。」
「おう、わかった。」
二人の乗った車は、赤い信号の前で止まった。
「拓にいったい何があったんだ。」
父、鉄也が言った。
「わからないけど、あの池の縁で倒れてたらしいのよ。」
母、久実は言った。
「でも、大したことは無いみたいなことを電話では言ってたわ。」
「そうか、」
その時、信号が青へと変わった。
鉄也は、アクセルを踏んだ。
車は、五分程で病院へついた。
車を駐車場へ止め二人は、急患受付へと走った。
急患受付の前に制服を着た警官がたっていた。彼は、二人を見て、
「拓君のご両親ですか。」
と、言った。
「はい、そうですが拓は大丈夫なんでしょうか。」
鉄也が不安げに訪ねた。
「大丈夫ですよ。早く拓君に会ってあげてください。」
二人は、看護婦に案内され拓のいる病室に言った。
その部屋は、四人部屋だが今は患者が少ないらしく拓だけがベッドに寝ていた。
二人が病室に入ると拓の寝ているベッドの前に白衣を着た男が座っていた。
「あ、こんばんわ。私、外科部長の山田です。拓君は今寝てます。症状ですが貧
血を起こしたらしいですね。原因については、明日、拓君が起きてから検査などを
して調べます。」
山田は、ここで一息入れ、
「えーと、今日はお父さんかお母さんどちらか泊まっていただけますか。」
「じゃ、私が泊まるわ。」
久実がそう言った。
「それじゃ、俺は明日の朝こいつの着替えとか持ってくるから。」
拓は、次の日に精密検査をしたが結局異常はなく退院した。
しかし、倒れた時の記憶がまったくないのだ。
病院では、それは健忘症でそのうち記憶が戻るだろうと言っていた。もし、戻
らないとしても身体に異常がないので心配ないとも言っていた。
時は過ぎ、季節は落ち葉散る晩秋。
拓は、最近夢を見る。奇妙な夢を。
拓は、テレビを見ていた。小学生だけあって見ている番組はロボットの出てく
るアニメーションである。
突然、テレビの画面が真っ白になった。
「なんだよ、いいところなのに。」
拓は、テレビに向かいそう言うとチャンネルをかえた。
しかし、どこのチャンネルを見ても画面は真っ白であった。
「テレビ壊れちゃったのかよ!」
拓は、テレビを消そうとした。何か言っている。
テレビは何か言っていたのだ。
「タククン、タククン・・・・・・・・・」
なんと、テレビが拓を呼んでいるではないか。
拓は、驚き一歩たじろいだ。
画面の白い光は徐々に狭まり一点に収束した。
どこかでみた光景?
どこで?
拓は、思いだした。
夏、あの倒れた日にざりがにを取りに行ったあの時と同じだ!
一点に収束した光は、画面から飛び出し拓の目の前で止まった。点はそこで直
径二十センチメートル位の円になった。実際には球である。
それには、目、鼻、口が現れた。
「タククン、オモイダシマシタネ。」
「池のテレビからでてきた顔だ!」
拓は、恐怖に悲鳴をあげた。
「オット、コンドハ、キゼツシナイデクダサイ。」
「いったいなんなんだ!ぼくに何をする気なんだ。」
「キミハ、コウケイシャナンダ。」
「後継者?いったい何の。」
「コノヨノ、ソウゾウシュ、コウケイシャナンダヨ。」
「創造主?なんだかわからないよ。」
「ワカラナイノハ、アタリマエデス。ワタシハ、アナタヲ、キョウイクスルタメ
ニ、アノオカタカラ、オクラレテキタモノデス。」
「あのお方、創造主ってなんだ、なんでぼくが後継者なんかにならなくちゃいけ
ないんだ。」
「ソノコトニツイテハ、スコシヅツ、オシエテイキマス。ワタシハ、ソノタメ
ニ、オクラレテキタノデスカラ。ヒトツダケ、オシエテオキマショウ。アノオカ
タ、ツマリ、ソウゾウシュハ、アナタタチヒトガ、カミトヨブモノニ、イチバン
チカイ。ソレイジョウノモノデス。」
ジリリリリーン!
「うわっ!」
拓は、目覚まし時計の音に目を覚ました。
「夢か、何か凄い夢だったんだけど思い出せないな。」
拓は、夢が気になって思いだそうと考えた。
だが、糸口さえ思い出せない。
「拓くん、ごはんよ。起きてらっしゃい!」
母親の声と共に拓の鼻に目玉焼きの焼けた香ばしい臭いが届いた。
「わかったよ。」
拓は、登校途中も夢の事を考えながら歩いていた。
「おーっす、拓。」
そんな拓に後ろから声をかけてくる奴がいた。
拓は、振り返った。
「おー、島ちゃん。」
拓に声をかけてきた少年、名前は島村明と言い拓と同じ六年三組の同級生であ
る。そして、親友でもある。
拓の通うT県T市立稲陵小学校は全校生徒五百人弱、創立十三年というどこに
でもある小学校であ
る。拓の家からは徒歩八分とさほど遠くない距離である。
「拓、なに深刻な顔して歩いてたんだよ。」
「なんだか、今日見た夢が思い出せなくて気になってね。」
「よくあることだな、そんなこと忘れちまうさ。それに、思い出してもたいした
夢じゃないさ。」
「そうだな、朝からこんな暗い顔してたら一日がだいなしだね。」
「そうだそうだ、もっと明るくいこう。」
それから二人は、きのうのテレビはどうだったとか、あのマンガは読んだかな
ど話ながら学校へ向かった。
拓の頭にはもう夢の事はなかった。
午後の授業、五時間目は国語であった。
拓は、教室の窓の外に見える銀杏の色づいた葉を見ていた。
風が吹くといくつかの葉が落ちる。
拓は、夢のことを考えていた。
いったい、何の夢だったのかな気になるな。
「六日市君。」
誰かが拓を呼ぶ。
国語の教師、城鳥敏江の声だ。
拓の耳には、その声が入っていなかった。
「六日市君。」
もう一度呼ばれた。
「はい。」
今度は拓も気づき返事をして立った。
「次の行から読んで。」
敏江は言った。
拓は、教科書を見ながらまごまごしていた。
「ここからよ。」
となりの席の女生徒が小声で自分の教科書を指さした。
拓は、顔を赤らめながら教科書を読み始めた。
教科書を一ページほど読むと
「はいそこまででいいわ。」
敏江が言い拓は座ろうとした。
ガッタン!
しかし、拓は席にはつかずに床に倒れた。
「六日市君、どうしたの。」
敏江は倒れた拓の所へ行き拓を起こした。
「大丈夫だよ先生。」
拓は、言った。しかし、顔色がよくない。
そのとき
「先生、俺が保健室つれていくよ。」
一人の少年が言った。島村明である。
「そうね、保健室に行って休んでたほうがいいわね。島村君お願いするわ。」
「はい、了解。」
明は、そう言うと拓をつれて保健室へと向かった。
ガラガラ・・
明は、保健室の戸を開けた。
「島村君、また授業さぼったの。」
明の姿を見るなり部屋の奥の机の前に座っている養護教諭の葉月美香は言った。
「ちがうんだよ、こいつが具合悪いから連れてきたんだよ。」
明は戸の陰に隠れていた拓を美香の前まで連れて行った。
「あ、そうだったの。ごめんなさい。」
「早く、拓を診てやってよ。」
明が言うと美香は体温計を机の上から取り拓の熱を計り始めた。
三人に約一分の沈黙が流れた。ピピピ・・。電子体温計が鳴った。
美香が体温計を取り表示を見た。[37.5]と表示が出ていた。
「少し熱があるようね、ベッドで少し寝てたほうがいいようね。」
「それじゃ俺、城鳥先生に言ってくるよ。」
「お願いするわ。」
「放課後、様子見に来るから。」
明は拓にそう言うと保健室を出て行った。
拓は寝ていた。
「タククン、」
声がする。夢、そう夢の中で。
「誰だい。ぼくを呼ぶのは。」
拓の目の前が急に明るくなる。もちろん夢の中で。
「ワタシデス。」
光の中から声がする。どこかで聞いた声が。
光の顔。
そう、池でみた顔、今朝方の夢でみた顔。
「お、おまえは、」
「タククン、キミハ、イマカラ、キミデハ、ナクナル。」
「え!?」
すごい汗。
さわやかではない。病的なそれ。
拓の額から清水のように何本もの線になって流れている。
葉月美香は、拓の唸る声でそれに気づいた。
「どうしたの六日市君。」
美香は拓の額の汗をふきながら言う。
「うぅ・・・」
しかし、拓は唸るばかりである。
美香は拓の額に白く透き通るような手をのせる。
熱い。
その時、拓がむくりと起きあがった。
「起きあがっちゃだめよ。」
美香はそう言って拓の体をベッドにたおそうとした。しかし、硬い。反発して
いるからではない。
まるで拓がその形で銅像にでもなったように硬い。
拓は左手を上げ美香の額にかざした。そして、その手を天井の方へとさらに上
げた。美香の体は中に浮いた。
美香は、自分の身に何が起きたか理解できなかった。
それは、何時間も経ったのか、それとも数秒だったのか?
美香は自分の体が宙に浮いているのだと言うことを理解した。
それが夢か現実
かは別にして。そして、それが拓によってなされていると言うことも。
次に拓は右手の人差し指で美香の首を指した。首の左から右へと指した人差し
指をずらす。美香の首に線が入る。
飛んだ。
首が飛んだ。
ごとっ。
体は中に浮き、首は床に転がった。血は出ていない。
それは、おぞましき光景であった。
自分の体、首から上のない体が宙に浮いている。そして、その浮いている体の
下にはベッドから上半身を起きあがらせ、左手を首なしの体の方に掲げている拓
の姿があった。
自分の眼は、さらに下にある。床の上に。そこから、この地獄絵図を見ている。
宙に浮く体を見ていたベッドの上の少年が床の上の美香に振り向いた。
「十年後、必ず迎えに来るよ・・・」
拓は床の上の美香に言った。
放課後。
保健室の戸が開けられた。
明が保健室へ来たのだ。
「葉月先生。拓は?」
返事がない。
明はベッドの方へ行った。
「あれ、拓がいないぞ。」
その時、明の眼に誰かが倒れているのが映った。
それは、葉月美香だった。
「先生、どうしたんだ。拓はどこだ。」
明は美香の頭を抱え言った。美香の首には紐のようなもので首を締められた痕
があった。
「わたし、首を切られた。六日市君は悪魔ぁ・・・・・」
「なに言ってんだよ先生。」
「いやぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
美香の声は学校中に響きわったった。
警察では、拓の失踪は誘拐事件と断定した。
しかし、身の代金の要求、犯人らしき者からの連絡は一切無かった。
公開捜査もしたが手がかりはほとんど無かった。
葉月美香は、唯一の目撃者とされたが支離滅裂な言動をするため、精神鑑定に
かけられた。
その結果、彼女の精神は回復困難な程に犯されている事がわかった。原因は不
明。
葉月美香は、ある精神病院へ送られた。長い間、彼女はそこで暮らす事になる。
1983年11月6日、六日市拓、失踪。
以後彼の姿を見た者はいない。