第3章 旅する男


   第3章   旅する男

彼は最近夢を見る。子どもの頃の夢を。
その時、彼は小学生であった。十一か十二の子供であった。夢の中で。
公園で遊んでいた。泥まみれになって。
川で遊んでいた。びしょぬれになって。
とても楽しい。
こんなに楽しい思いをするのは、はじめてである。
夢とはわかっている。
この夢が永遠であってほしい。
彼はそう思った。
だが、夢は現実ではない。やがて覚める。
無情にも夢は覚めた。
楽しいゆめだった。
彼は思う。
ああ、僕は子供の頃から家庭教師や習い事の先生がいつも家にいた。あんなに
楽しく友達と遊んだ事はない。友達と遊ぶといえば夏と春、別荘で僕と同じよう
な子と遊ぶだけだ。
あんな泥まみれになることなんか無かった。

龍華院 弘摩、彼はいつも車で大学へいく。子どもの頃からそうであった。運
転手つきの黒塗りの高級外車で。
大学の構内を彼は歩いていた。まわりにいる学生も彼と同じように家柄が良さ
そうであったり、どこかの大会社の社長の御曹司、令嬢というような気品の漂う
者がほとんどであった。
「弘摩!」
誰かが彼の名を呼ぶ。
弘摩は声のする方を向いた。
そこには一人の男子学生がいた。
彼の姿はまわりの光景とかみ合っていなかった。何が、彼の服装である。彼は
薄汚れたジーンズに色あせたデニムシャツを着ているからだ。普通の大学なら目
だたないであろうが、この帝都大学の異様な気品の中では彼はういていた。
「おお、明。」
弘摩はジーンズの男をそう呼び手を振った。
弘摩は、明の方に歩いて言った。
「明、久しぶり。どこ行ってたんだ。」
「一人旅さ。」
「どこにさ。」
「北海道一周の旅だ。」
「へー、いいなあ。でも、単位の方だいじょうぶか、こんなに休んで。」
「弘摩ちゃーん。そりゃないよ。」
「はは、ちゃんと代返はしといたよ。」
「ありがとうございます、御曹司殿。」
 明は自分の胸に手を当て軽く会釈をし、戯けてみせた。
 そんな明の姿に苦笑しながら、弘摩は言った。
「こんどさ、一緒にどっか旅行しようぜ。」
 その言葉に、明は少し驚いたようだ。
「ああ、でもおまえの家が許してくれるか?」
「なんとかなるさ。」
「それじゃ、考えておくぜ。どこ行くかをな。」
「ところでさ・・・・」
二人は楽しそうに語りながら校舎の中に消えた。

午後七時。
龍華院家の夕食がはじまる。
今日は何かの記念日なのか、一般家庭の食卓には見ることの無いような豪勢な
料理が並べられていた。しかし、これがこの家のいつもの夕食なのだ。
テーブルの一番奥には八十を越すと思われる老人が座っている。
龍華院 巌。ロン・コーポレションの総帥。それが、この老人である。
その左脇には弘摩の父、麗壱が座っている。彼は、もともと法務省の役人であ
ったが巌がロン・コーポレションの総帥になったとき社長の座を譲られたのであ
る。
そして、巌の右脇には弘摩が座っている。
この、テーブルについているのはこの三人だけである。龍華院家では代々夕食
は,男と女は共にしないという風習がある。接客などをし,何か特別な行事があ
るときは別であるが。
「弘坊。」
巌が弘摩を呼ぶ。巌は弘摩のことを昔からこう呼んでいた。
「はい、おじいちゃん。」
「大学は、どうだった。」
「今日も、真面目に勉強してきましたよ。」
「そうか、弘坊は昔から真面目だからな。勉強の他には何かあったのか。」
「ああ、そういえば明君に会ったよ。」
「うむ、」
麗壱は顔をしかめた。
「おまえ、まだあの不良とつき合ってるのか!」
今まで静かに食事をしていた父が急に怒鳴った。
「お父さん、明は不良じゃないよ。」
弘摩も怒鳴りかえした。
「あいつは、くずだ。」
「ちがうよ!会ったこともないのに,なんでそんなこと言うんだよ!」
「静かにせんか、馬鹿者!」
巌までが怒鳴った。
「・・・」
「弘坊、思いだしたよ。おまえが、まえに話してくれた天真爛漫な奴のことだ
な。」
「そうだよ。いい奴なんだよ。」
「うむ、弘坊がいい奴と言うんだ。とてもいい奴だろう。わしも会いたいの。」
 巌がしわの顔をくっしゃっとし微笑んだ。
「今度、連れてこようか。」
「そうじゃな、連れてくるとよいのう。」
「だめですよ、父さんあんな不良は。」
麗壱が苦い顔で言う。
「弘坊の友達が不良のはずがなかろうが。わしは、明君に会ってみたいのじゃ。」
「しかし、・・・」
「うるさいのう、めしがまずくなる。」
巌はそう言うと食堂を出ていってしまった。
「弘摩!おまえはこの家が普通の家と違うのがわからないのか!我々は下民と違
うのだぞ。」
麗壱は、顔を赤くして怒った。
「お父さんはわかってないよ。日本には貴族も下民も無いんだ。みんな平等なん
だよ。僕は、普通がいいんだよ。それに、この家はおじいちゃんの物なんだ。お
父さんは何も苦労してないくせに。」
弘摩はそう言うと食堂を出ていった。
「なにが、平等だ。やつらと俺たちは違う!」
一人残された麗壱はそう叫びテーブルを叩いた。握られた拳で。
テーブルの上に倒れたワインの瓶から紅い液体が悲しく無がれ続けていた。

一週間ほどたったある日曜日。一人の男が龍華院家を訪れた。
その男が門の前まできて独り言。
「すげー家だ。」
男はインターホンを押した。
「はい、どちらさまでしょうか。」
インターホンから女の声がする。
「あ、はい。島村と言う者ですが、弘摩君に御用があって。」
男、島村 明は緊張した声でインターホンにしゃべる。
「はい、承っております。どうぞ。」
インターホンがそう言った。そして
ガラガラガラ・・・
と音をたて江戸時代の武家屋敷のような門が開いた。
明は中にはいる。
今度は自動的に門が閉まる。
中は日本庭園になっていった。
左手には池があり錦鯉が泳いでいる。他に唐松や紅葉などの植木が整って植え
られている。右手の方には茶室のような物もあった。
そして、前方三十メートル程先に御殿のような家がある。そこで、一人の男が
手を振っている。
弘摩だ。
「おーい。明早くこいよ。」
弘摩は手を振る。
「おお、おう。」
明は小さな声で返事をする。
そして、まわりをきょろきょろ見回しながら弘摩の方へ歩いて行った。
「すごい家だな。」
明はほんとに驚いていた。
「ちょっと庭でも見るかい。」
「うん、そうするよ。」
明はさっきから小声だ。
「明にしては元気ないな。」
「いやあ、大声出すとなんか怒られそうで。」
「誰に。」
「誰にって、なんかブルドックかなんか連れた恐い人がでてきてさ。」
「そんなことないよ。」
弘摩は明が「恐い人」と言ったとき父の顔を思い出していた。
二人は十分ほど庭を歩いた。
 明はもっと見ていたい気もしていたが弘摩がそろそろ家の中に入ろうと言った
のでそれにしたがった。
「でも、おまえの家がこんなにすごいとは思っても見なかったよ。」
明が言った。
「そんなことないよ。」
「おおありだよ。俺の家なんか・・・」
「うん、まあいいや。さっきから気になってたんだけど、」
 弘摩はここで一息おいた。
「なにがだ。」
「明の服装さ。」
「おまえの家に来るんだから俺の大事な一丁羅着てきたんだよ。」
「似合わないなあ。」
「えっ!」
「かっこわるいってことじゃなくて、明のイメージじゃないってことだよ。」
「そうかなあ。」
明は頭をかいた。
「俺だっておまえが、じーさん・・・じゃなくておじいさまに会わせたいなんて
言うからかっこつけてきたのにな。」
「悪かった、あまり気にしないで。」
「ところで、なんで俺がおまえのおじいさまに会うことになったんだ。」
「明の話とかよくおじいちゃんにしてあげるんだよ。そしたら会ってみたいって
いいだしてさ。そして、明がよく一人旅に行くんだって話したらすぐ会いたいな
んて言い出してさ。それに、おじいちゃんは明はきっといい奴だなんて言うから
ますます会わせたくなってね。」
「へー、でも緊張するな。」
「なんで、明らしくないな。」
「だってよ、ロン・コーポレーションの総帥様だぜ。」
「おじいちゃんは、そんなに堅物じゃないよ。」
「でもさ・・・」
二人は話をして歩いているうちに玄関についた。
家の中も外ほどにすごい。
明は家の中をどう歩いたのかわからないが弘摩に連れられ弘摩の祖父巌の部屋
の前まできた。
トントン
弘摩が戸をたたく。
「おお、弘摩じゃな。入りなさい。」
部屋の中から低い声が聞こえた。
弘摩は戸を開けて部屋にはいる。明も後から続いた。
部屋の中は意外と質素であった。
八畳程の和室。奥に和ダンス、床の間に何かの書をかいた掛け軸、その前に久
谷焼きらしき壷に生けられた一輪の椿、床の間の斜め左上の神棚には神物はなく
日本刀が置いてある。
そして部屋の中央にお膳が一つその上には湯呑み、眼鏡、インターホンがあっ
た。
そのお膳の前の座椅子に老人が座っている。
龍華院 巌である。
「こんにちわ、島村と言います。」
明が緊張した面もちでしゃべる。
「おお、明君だね。弘坊から聞いているよ。まあ、座って。」
巌は、お膳の蓮向かいの座布団を指して言った。
「座ってよ。」
弘摩も言う。
明は座布団に正座した。
弘摩は隣の座布団にあぐらをかいた。
「足をくずしてくれ。」
巌は明を見て言う。
「はい、お言葉に甘えて。」
明は足をくずした。
「弘坊の話からするともっと無作法な奴かと思っとたが、なかなか礼儀正しい
じゃないか。」
巌は笑顔で言った。
「いえ、そんなことは。」
明は緊張して、頬を紅潮させた。
「まあ、楽にしたまえ。そうだ、お茶でも出すか。」
「おかまいなく。」
明は言う。
「そうだな、お茶よりコーヒーのほうがいいだろう。若いしな。」
そう言うと、巌は右横に置いてあるインターホンを押した。
「はい、なんでございますか。」
インターホンの声。
「コーヒー二つ持ってきてくれ。」
巌は言う。
「はいかしこまりました。」

何分か三人は雑談をしていた。大学の話、最近のニュースなど。
トントン
部屋の戸をたたく音。
「コーヒーをお持ちしました。」
三十位の女性。この家のメイドの一人である。
彼女はコーヒーカップを明と弘摩の前に置いた。
「どうぞ。」
彼女が言う。優しい声だ。
「しつれいします。」
彼女は優しく戸をしめ部屋を出て言った。
「さー、冷めないうちに飲んでくれ。」
巌が言う。
「いただきます。」
二人がコーヒーを飲む。
「ところでだ、明君。」
「はい、」
明はコーヒーカップをお膳に置き巌の方を向く。
「君は、よく一人旅をするそうじゃな。」
「はい、」
「いつ頃からかな。」
「中学の頃からです。」
「えー、そんな頃からしてたの。」
弘摩が思わず言う。
「でも、学校はどうしていたんじゃ。」
「中学の頃は夏休みや、冬休みにおもに行ってました。」
「なぜ、一人旅を始めたんじゃ。」
巌は興味深そうに訪ねる。
弘摩も真剣な顔をしていた。
「最初は、強い奴になりたいとかワイルドな奴になりたいとかという、かこいい
ものへの憧れからです。しかし、何回か一人旅をしていると、それが楽しくなり
まして。それに、自分かってに自由に行動できますしね。今ではもう趣味です
よ。」
明は笑顔で語った。
「僕も今度一緒に旅にいくつもりなんだよ。おじいちゃん。」
弘摩も笑顔で言う。
だが、巌は苦い顔をしている。
そして、
「うそじゃな。」
巌はポツリと言った。
「うそじゃないよ、ほんとに一緒に行くんだよ。」
弘摩が勘違いをして言った。
「いや、弘坊のことじゃない。明君の旅の理由じゃよ。」
「うそなんていってませんが。」
明は言う。
「嘘は顔に出る。わしは昔な、易を学んだ事があってな。普通の人が見てもわか
らぬような表情の変化でその人物の考えている事が多少はわかるのじゃ。易とは
別に心霊がかったものじゃないんじゃ。表情、人相、手相、性格などの統計学が
易なんじゃ。わしが見たところ、おまえさんは深い悲しみかなにかを背負って旅
に出ているようじゃな。」
巌は、明の目を見る。
「すみません。」
明はあやまった。
「もしよければ、本当の旅の理由を聞かせてくれないか。」
 しばらく沈黙がよぎった。
「はい、わかりました。」

明は話始めた。
「旅の理由、率直に言いますと人探しです。俺の友人を探しているのです。その
友人とは俺が小学校の時の友人です。彼の名前は六日市 拓といいます。彼は、
小学校六年生の時、今から十年前の十一月六日忽然と姿を消したのです。学校の
保健室から白昼堂々と消えたのです。」
明はその時の状況を克明に話した。
「俺は、日本中を旅しました。彼を探して。しかし、何の手がかりもありませ
ん。俺は、これから九州を旅して彼の手がかりをつかもうと思っています。も
し、九州、沖縄で手がかりがなければ、俺の旅は終わります。」 明は話をやめた。
「すまんな、話したくない事を聞いてしまって。」
巌は悲しげに言った。
「いえ、弘摩のおじいさんだから話したのですよ。弘摩は拓に似ているんです
よ。おじいさん、今度の旅、弘摩も連れて行っていいですか。弘摩が一緒にくれ
ば拓が見つかるような気がするんです。」
明は深々と頭を垂れた。
「弘坊、おまえは行きたいのか。」
巌は弘摩の方を見る。
「うん、こんな話を聞かされたんだ誰が反対しようと行くさ。」
「弘坊、わしはこんなに勇ましいおまえを見たのははじめてじゃ。いい友達を
持ったな。麗壱の事は心配ないぞわしが説得しとこう。」
「ありがとう、おじいちゃん。」
しかし、この二人が九州へ行く事は無かった。


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