寝ていた。
良い寝顔である。
夢を見ていた。
龍華院弘摩は、夢を見ていた。彼にとってとても楽しい夢を見ていた。
そこでは、小学校五、六年の少年達が遊んでいる。広い広場で遊んでいる。
拳銃で撃ち合って遊んでいる。エアーガン、そんな高価な物ではない。おもちゃ
の拳銃、俗に銀玉鉄砲と呼ばれている物である。
楽しそうである。
自由である。
弘摩はそう思って見ていた。遠くからその光景を見ていた。
昭和43年から48年頃に生まれた男子なら何度かこのような遊びはした事が
あるだろう。だが、弘摩はなかった。缶蹴り、かくれんぼ、鬼ごっこ、それらの
遊びもした事がなかった。泥まみれになるような遊びは許してくれなかった。誰
が、父や母がである。物心付く前から習い事、礼儀作法などを習わされていた。
遊ぶ友達も上品、見た目だけかもしれぬが上品、気品のある者とだけ遊んだ。遊
ばされた。
弘摩は遊びたかった。この子供達と一緒に心行くまで遊びたかった。
だが、自分の姿は大人だ。遠くから見ているしかない。別世界のように。
何時間経ったのだろう。日は西に沈みかけていた。子供は一人二人と帰って言
った。最後に一人の少年が残った。
少年が近づいてきた。弘摩の方へ近づいてきた。そして、しゃべった。
「君も、一緒に遊びたかったんだろ。」
少年は、まるで同い年の子供に話しかけるように弘摩に話した。
弘摩は少し驚いたが答えた。
「僕は、もう大人だし。君達とは遊べないよ。」
少年は、少し怒った顔をした。そして、言った。
「俺は、君が大人かなんて聞いてないよ。俺達と遊びたかったのか聞いているん
だよ。」 弘摩は困った顔をした。だが、意を決して言った。
「遊びたかったよ。君達と友達になりたいよ。」
少年は、ニッコと笑った。
「君が大人だなんて関係ないよ。君は見かけは大人だけど、俺達と同じ子供なん
だよ。同じ、眼と心をもっているんだよ。」
普通、「見かけは大人だが子供と同じ。」などと言われれば頭にくる。だが、
弘摩は嬉しかった。
少年は、続けて言った。
「明日、ここに来なよ。一緒に遊ぼうよ。」
ドックン、心臓がなった。弘摩の心臓がなった。嬉しい、本当に嬉しい。弘摩
は、こんなに嬉しいのはどのくらい振りだろうかと考えた。だが、答は出てこな
かった。初めてかもしれなかった。
弘摩は、眼を覚ました。
夢、夢の事はまるで現実のように覚えていた。いますぐにでも、また同じ夢を
見たい。そう思った。
しかし、今日は大学に行かなければならなかった。ゼミの日である。
運転手つきの車に乗り、弘摩は家の裏手の地下駐車場を出た。大学までは三十
分程である。
大学に着き、弘摩はゼミのある教室へ向かった。まわりの学生は相変わらず異
様な気品を漂わせていた。弘摩も本来ならばこのような連中と同じ種類の気品を
偽りの気品を漂わせているはずであった。だが、彼にはこのような気品は漂って
いない。それは、彼が大学に入学したとき初めて友人になったのが島村明であっ
たからだ。明の粗野さが弘摩の着せられていた偽りの気品をはぎ取ったのだ。ま
た、弘摩もそれを望んでいた。望んでいたからこそ偽りの気品から逃れる事がで
きたのだ。だが、この事で弘摩は父麗一との確執は始まった。麗一のかわいい人
形であった弘摩は意志という魂をもってしまったのだ。
弘摩はゼミをつまらなそうに受けていた。確かにつまらないゼミだが、弘摩を
そのような気分にさせている事がもう一つあった。島村 明が来ていないと言う
事であった。
明は、ここのところ一か月大学に来ていない。来ていたとしても弘摩とは会っ
ていない。
つまらないゼミやいくつかの講義も終わり、弘摩は上辺だけの友達に別れを告
げ迎えにきていた車で帰路についた。
夕食はいつもの通り午後七時から食べた。相変わらず豪勢な食事である。父麗
一は、食卓にいなかった。麗一の食事も食卓には置かれていなかった。麗一は海
外へ欧州方面に仕事で出ていたのだ。
食卓には祖父巌と二人であった。弘摩は、巌に最近明が大学にこない事を話し
たりした。巌は、あの男は友人の死がまだ忘れられないのだろう。あの男はいろ
んな事を自分でしょいこんでしまう様なところがある。など得意の易でこの前、
明が来たときに見えたとを言った。あの男の友人、つまり拓が死んだ事をなぜ知
っているか、それは明が九州への旅をやめると弘摩に連絡してきたからだ。その
連絡以来、弘摩は明と会っていない。電話もかけたが、母親が出てどこに行って
いるのか分からないと言う。そのうち、帰ってきたら連絡させると言っていたが
何週間も連絡がない。母親が忘れているのか、本当に明はまだ帰って来ていない
のか。
食事が終わり、部屋に戻った弘摩は明の家へ電話をかけた。
「はい、島村ですが。」
明の声が受話器のむこうからした。
「あ、龍華院ですが。」
弘摩が緊張気味に受話器に話した。
「おお、弘摩か、久しぶり。おふくろから、電話があったのは聞いてたがすっか
り忘れてた。わるい、わるい。」
明がすまなそうに行った。
「いったい大学こないで何してたんだよ。」
「いや、ちょっとな。今度、大学で会ったら話すよ。」
「いつ、来るんだ。」
「うーん、俺また旅に出るから二週間後位かな。」
「え!旅!僕も行きたいな。」
弘摩は連れてってくれと言うように話した。
「うん、悪いけど、これは人に会う旅なんだ。冬休みにでも一緒に行こう。」
「そうだな。でも、明が元気そうで安心したよ。」
「俺も、弘摩の声が久しぶりに聞けて良かったぜ。」
「それじゃ、二週間後。」
「それじゃ。」
弘摩は電話を切った。
ベッドの上に弘摩は座った。そして昨晩の夢の事を思いだした。
弘摩はベッドに横たわり目をつむった。
睡魔はすぐにやってきた。弘摩は誘われるままに深い眠りへと沈んで行った。
同じだ、昨晩と同じ広場で少年達は遊んでいた。今日は、銀玉鉄砲で遊んでい
るのではない。少年達は缶蹴りをしていた。昨日は気がつかなかったがこの広場
には意外と隠れる場所がある。木が生い茂っている場所。古タイヤの山、直径1
メートル位のコンクリートの下水管。ほかにもいろいろ隠れられるような場所が
ある。
弘摩は昨日と同じ場所で少年達を見ていた。昨日とは違う。何が?
体だ。
自分の体が違う。
弘摩は自分の掌を見てそれに気づいた。
明らかに小さい。掌が小さい。
服を見た。子供服、それも最近の子供が着ているそれとは違う。十年以上前の
子供達が着ていたような服だ。ズボンは半ズボン。
弘摩が自分の姿に驚いていると一人の少年が近づいてきた。昨日の少年だ。少
年が弘摩の前まできた。目線がほぼ同じ高さだ。昨日は確か見おろしていたはず
の少年の目線が同じ高さにあるのだ。その事にまた驚いた。
「驚く事はないよ。君はもう大人じゃないんだよ。僕たちと一緒の子供なんだよ。」
少年の目は微笑んでいた。
「僕は、君達と友達になれるのかい。」
弘摩は聞いた。
「何言っているんだ。もう、友達だよ。」
少年が答えた。
「それじゃ、仲間にいれてくれるんだね。」
弘摩は嬉しそうに言った。
「あたりまえさ。そうだ、俺、和也っていうんだ。君はなんて言う名前。」
少年、和也は名前を聞いてきた。
「僕、弘摩っていうんだ。」
「そうか、ヒロマか。弘摩、あいつが真治であそこのやつが・・・・・」
和也は一緒に遊んでいた仲間四人の名前を教えてくれた。だが、弘摩はすぐに
は覚えられなかった。遊んでいるうちに覚えればいいやと思った。
缶蹴り[カンケリ] 鬼ごっこ、かくれんぼの一種である。ジャンケンで鬼を
一人きめる。広場の中央に直径1メートル程の円を描きその中に空き缶を立てる。
そして、鬼で無い者(ここでは子と呼ぶ。)が、その缶を蹴る。鬼は、缶を円の
中に持ってきて立てる。しかしこの時、手を使ってはいけない。足で缶を円の所
まで運び足で缶を立てるのだ。その作業を、鬼がしているうちに子は隠れる。あ
とは、かくれんぼの要領で鬼が子を探す。鬼は子を見つけたら、子の名を呼ぶ。
そうしたら、鬼は急いで缶の所まで戻り缶の頭を足で押さえる。これで子は、鬼
に捕まった事になり円の所に待機していなくてはならなくなる。もし、子が鬼よ
りも早く缶の所に来れば缶を蹴る事が出きる。缶を蹴れば子は逃げる事が出きる。
もし、前に捕まっていた子がいればその子も逃げる事が出きる。鬼は、また缶を
取ってきて立てなくてはいけない。そして、ゲームは最初からとなる。他にも、
鬼が子を探している最中に鬼に気づかれないように缶を蹴ってもよい。もちろん、
この時、捕まっている子がいれば一緒に逃げる事が出きる。鬼が、全員の子を捕
まえればゲームは終了する。そして、最初に捕まった子が新しい鬼となりゲーム
は再開される。
(昭和58年頃の稲綾小学校付近のルールを参照)
弘摩は缶蹴りを和也たちと一緒にした。最初はルールを知らないので和也と一
緒に逃げ、隠れた。そのうち、ルールを把握し一人で逃げる様になった。何回か
鬼が変わった。弘摩は仲間の名前を覚えた。ついに、弘摩も鬼になった。
カーン。
和也が缶を蹴った。缶は飛んだ。
弘摩は、缶を取りに走った。
その間に、和也たちは隠れた。
弘摩は、缶を広場中央に描かれた円の中に立てた。
そして、子を探し始める。
木陰に誰かが隠れていた。
そーっと、のぞき込む弘摩。
「真治君、見つけた。」
弘摩はそう言うや否や缶のある方へ走りだした。
見つけられた子、真治も赤い顔をして缶の方へ走る。
弘摩の方が先に缶のあるところへ着き缶の頭を押さえた。
「良一、見つけた。」
・
「和也、みっけ。」
・
「鉄雄、みっけた。」
弘摩は次々と子を捕まえた。
あと一人だ。
あと一人、名前は。
弘摩は名前を覚えていない。忘れている。一番、覚えやすかった名前のはずだ
が。
ガッサッ。
古タイヤの山の方で音がした。
弘摩は、古タイヤの山の方へ走った。
タイヤの山の陰に子はいた。名前を忘れた子。名前を呼ばなくては見つけた事
にならない。顔を見れば思い出す。弘摩はそう思いタイヤの陰をのぞいた。
逃げようとしない。缶の方へ走ろうとしない。
隠れていたその少年は、弘摩に見つけられたのに逃げようとしなかった。
名前を呼ばないからか。
「名前を呼ばないと捕まった事にはならないよ。」
隠れていた少年は言った。
「・・・」
弘摩は名前がわからない。
「わすれちゃったんだ、僕の名前。」
少年は笑みを浮かべた。
「名前なんて言うの。」
弘摩は聞いた。
「教えたら、つかまっちゃうよ。僕、足遅いし。」
少年は困った顔をした。
「じゃあ、僕、わざと転ぶよ。そして君が缶を蹴ればいいんだ。」
弘摩は言った。
「そんなことしたら、君、また最初からだよ。」
少年は言った。
「いいよ、君の名前がわかるんだから。それに、鬼もけっこう楽しいし。」
弘摩は微笑む。
「そうか。僕、拓っていうんだ。」
「拓みっけた!」
弘摩は叫んだ。
弘摩は走った。
拓も走った。
弘摩は転んだ。わざと。
拓は走り続けた。
コーン!
缶は宙に舞った。
拓が蹴ったのだ。
コロロローン。
地面に落ちた缶が鳴った。
「やったぞ!」
「いいぞ、拓!」
捕まっていた子たちが叫びながら逃げて言った。
弘摩は、缶を円の中に戻し、また子を探し始めた。
弘摩の鬼は終わり、今度は良一が鬼になった。
木陰に隠れた。弘摩は。
木陰には誰かがいた。誰かがはじめに隠れていた。
拓。
そう、一番最後まで名前を覚えられなかった少年、拓がそこにはいた。
「拓君もここに隠れてたんだ。」
弘摩はにっこと笑った。
「弘摩君もここに隠れたんだ。」
拓も微笑んだ。そして、
「でも、君ここから消えるんだよもうすぐ。」
拓は奇妙な事を言った。
「え!どうして。」
弘摩は驚く。
「これ、夢だろ。君の夢だろ。」
「そうだ、確かに夢だ。思いだした。」
弘摩はこの缶蹴りが夢だと思いだした。
「もうすぐ、目が覚めるんだ。君の目が覚めるんだ。」
「えー、でももっと遊んでいたいな。」
「一つだけ、もっと遊んでいられる方法があるよ。」
拓は言った。
「ほんと!」
弘摩は、顔がほころんだ。こんな楽しい夢を途中でやめられるか。弘摩はそう
思っていた。
「僕の眼を見て。」
拓は真剣な顔で言った。
「う、うん。」
弘摩は引き込まれるように拓の眼を見た。