第六章 破壊された村


第六章 破壊された村

T県御僧村。この村の北東部に広大な雑木林がある。この雑木林の中にその建
造物があった。建造物は病院である。
 名称は、帝真医科大学校付属精神病院である。
 御僧村、この村は今や廃村である。なぜ、この村が廃村になったか、それは二
五年前にさかのぼる。

ここは、1968年の御僧村である。
 この村の人々は、ほとんどが農業でなりわいをたてていた。村の人口は五百人
余りである。北東部の雑木林の中には精神病院があった。五年前に建てられたの
だ。建設している当時、反対者もあったがほとんどの村人は反対しなかった。金
をつかまされたからである。病院が建設されてから五年たっているが、今のとこ
ろ何の問題も起こっていない。二年前には村人のために内科外来部が病院に併設
された。今まで、医者に行くとなると一時間以上もかかったが、内科が併設され
たおかげで村はずれの人でも十分もあれば医者にかかれるようになった。おまけ
に、頼めば往診もしてくれるのだ。
だが、惨劇は起こった。今まで平和であったこの村に、戦慄を覚える恐ろしい
事件が起きたのだ。

精神病院の一室に白衣を着た四十近い男がいた。
男は、この精神病院の医師の一人である。この部屋は、彼の部屋、研究室であ
る。
 コンコン。
部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ。」
部屋の中の男が言った。
ドアが開き人影が入ってきた。男である。その男も白衣を着ている。医師であ
るらしい。
「永田君、巡回の時間だ。行こう。」
部屋に入ってきた男が言った。
永田と呼ばれた男は壁に掛けられた時計を見た。十時、午後十時であった。
普通、巡回は警備員がするが午後十時の巡回だけは医師がする事になっていた。
当時のこの病院では。
「もう、十時か。」
永田はそう言い椅子から腰をあげた。そして二人は部屋を出た。
二人は警備員室へ行った。十時の巡回にも警備員は一人ついてくる事になって
いるのだった。
三人は、病棟についた。そこには十の鉄の扉があった。いま、その十の部屋の
内六部屋が使われている。患者は六人いるのだ。
一つづつ部屋を見て回った。
寝ている者。壁を見ている者。奇声をあげている者。いつもと変わりがなかっ
た。そこまでは。
 最後の一つの部屋を見たのは永田だった。
 いない。
 患者がいないのである。
ない。
壁がないのである。
鉄の扉と反対側の壁、屋外に面しているかべが破られているのである。破られ
ていると言うより無いのである。
「永田君、どうした。」
鉄の扉ののぞき窓をのぞいたまま呆然としている永田に気づいたもう一人の医
師、鶴山は、声をかけた。
だが、永田は呆然とそこに立っているばかりである。
鶴山は永田のところまで行き、肩をたたいた。
「どうしたんだ。」
鶴山は言い、のぞき窓から中を見た。
「これは、」
鶴山はこの時はじめて永田がなぜ呆然と立ち尽くしているのか理解した。
永田と鶴山は、すぐにこの事を警察に連絡した。この村には駐在所があったが、
この日は町の方へ出ていて留守であった。町の警察へ連絡した。 時すでに遅く惨劇は始まっていた。

 暗い夜の村道を男が歩いていた。泥で汚れた白いズボンをはいていて靴は、ズ
ック。上半身は裸だ。
男は、一件の家の前で立ち止まった。そして、戸を叩く。
ドンドン。
激しく戸を叩く。
「こんな時間に誰だ。」
その家の中で晩酌をしていた男、この家の主人が言った。
「誰かしら。」
晩酌につき合っていたその男の妻が言う。
「俺がみてこよう。」
男が腰をあげ戸口のほうへいった。
ガラガラ。
家の主人は戸をあける。
目の前に、泥だらけの上半身裸の男が立っていた。
主人はその姿を見て驚いて言った。
「どうしたんだ、大丈夫か。」
上半身裸の男はニヤリと笑った。
「おまえは、だめだ。生娘でないとだめだ。」
上半身裸の男はそう言うと拳を握った。
ボクッ。
鈍い音がした。
上半身裸の男の拳は主人の顔を打っていた。
ドサッ。
主人が倒れた。
顔。主人の顔が陥没していた。鼻はひしゃげ、目は飛び出していた。
死。確実に死んでいた。
上半身裸の男はおもむろに家の中に入った。
そして、主人の妻のいる部屋へ行った。
「あなた、誰だったの。」
妻は部屋に入ってきた男が主人だと思い声をかけた。
返事がない。
妻は、男を見た。
「だ、誰、あなたは。」
妻は、男が主人ではない事に驚き言った。
「おまえ、生娘ではない。」
男は言った。
妻は、恐怖に震え台所の方へ逃げ込んだ。
男はゆっくりと台所へはいる。
「こ、こないでーーーーーーー」
妻は、包丁を構え奇声をあげた。
男はゆっくりと妻に近づく。
グサッ。
妻は男の腹を刺した。
「いでぇなあ。」
男はそう言い、妻の手を払った。そして、腹に刺さった包丁を抜いた。腹から
血が流れ出た。
男は、包丁を振りかざし妻の脳天を刺した。
グブッ。
刃渡り二十センチほどの包丁は脳天を貫き刃先があごの下から少しのぞいていた。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
男の後ろ、台所の入り口で叫び声が聞こえた。女の叫び声が。
男は振り向いた。
そこには、十六、七の少女がいた。少女は顔面蒼白で唇を震わせていた。
この少女、台所での騒ぎを聞きつけて自分の部屋から出てきたこの家の娘であ
った。この家は、三人暮らしであった。
「いた、生娘。」
男は、娘を見て言った。

警察が精神病院に来るまでには連絡してから三十分近くかかった。
まず、逃げた患者の部屋の現場検証が行われた。それと平行して患者の捜索も
行われた。
 患者の部屋。壁が破られている。壁の厚さは、三十センチ程もあった。鉄筋コ
ンクリート製である。それが一メートル四方にきれいに破られているのだ。破片
はない。人間の力ではこんな風に破壊できるはずがない。かといって機械を使え
ば音が響かないはずがない。一体どのようにしてこの壁は破られたのだろう。
患者の捜索。これには、三人の警官があたった。捜索の前に患者の特徴などが
質問された。これに答えたのは患者の担当医、永田であった。
患者の氏名は鬼川 春雄。 生年月日 は1940年1月7日。年齢は当時28
才。入院日、1963年。鬼川は、当病院開設後一か月目に入院してきた。病状
は錯迷狂及び誇大妄想であった。鬼川は、二十歳前後から自分は神だと言い出し
た。最初、まわりの人間はそんなに気にしていなかった。しかし、日が立つにつ
れ自分は破壊の神「スサノオノミコト」だと言い出した。そして、家族に暴力を
ふるうようになった。その暴力で彼の母親はノイローゼになった。それが、原因
で鬼川はこの精神病院へ投獄された。
病院でも鬼川は「俺は、神だ。スサノオノミコトだ。」とか「いつか、この日
出づる国を破壊してやる。」とか言っていた。だが、暴れはしなかった。妄想は
日を増すにつれ大きくなっていったが暴れはしなかった。今日までは。
警官、病院の警備員はまず、病院のまわりに広がる雑木林を捜索した。夜なの
であまり踏み込んだ捜索はできなかったので詳しい捜索は翌日行う事になった。
同じ頃、別の警官たちが村落を捜索にいっていた。
警官たちが雑木林の一本道を抜けるとそこには左に抜ける道があった。この道
は隣町まで続いている。隣町までは約五キロある。隣町に行くまでは荒れ地や廃
屋があるばかりで人は住んでいない。一方、雑木林の一本道を抜けまっすぐ続く
道を五百メートル程行くと村落が現れる。
雑木林を抜けた警官たちは、五、六分歩き村落についた。
村落に入ると何人かの村人が一件の家の前にたむろして騒いでいるのが警官た
ちの目にはいった。
「どうしたんだ!」
警官たちがその家に近づきその内の一人の警官が言った。
「たいへんだぁ。」
一人の村人が青い顔をして警官に近づきながら言った。
「何があったんだ。」
警官が言う。
「雅さんが死んでんだよ。」
「なに!」
警官はその家の戸口をのぞいた。
そこには、体格の良い一人の男がうつ伏せになって倒れていた。その男の顔の
下から赤黒い血が流れていた。
 警官たち(三人いる)は、戸口にはいり村人に声をかけた警官が倒れている男
の身体を仰向けにさせた。 「う゛ごぉえーーーーー」
何人かいた村人の一人が嗚咽をした。他の村人も顔をそむけた。
倒れていた男の顔は見る陰もなく無惨にひしゃげていたのだ。鼻はつぶれ、目
は飛び出し、つぶれた鼻の穴と口からは得体の知れない物がはみ出していた。
「誰か家の中には入ったのか。」
警官が村人に尋ねた。
「いやまだ入ってねえ。」
さっき答えた村人が口を押さえながら言った。
「そうか、」
さっきから村人に話しかけている警官がそう言い、腰のホルダーから拳銃を手
にした。この警官は三人の中で一番歳をとっている。と言っても三十代半ばだ。
他の二人は二十代後半である。
「おまえは、戸口を見張っていてくれ。」
拳銃を手にした警官は残り二人の警官のうち痩せている方に言った。
「わかりました。」
その警官は言った。
「おまえは、私と一緒に来てくれ。」
一番年上の警官は残りの一人の警官に言った。
「うっす。」
呼ばれた警官はそう答え戸口から中にはいった。
二人の警官はこの家の中を捜索した。
この家は平屋だ。
戸口を入ると廊下があった。その両わきに部屋がふたつづつある。まず右の部
屋の戸を開けた。明かりはついていなく暗い部屋だ。若い方の警官が腰から懐中
電灯をとり照らした。寝室であるらしかった。誰もいなく荒らされた形跡もなか
った。この部屋からは廊下以外に出口は無かった。次に廊下を挟んで左の部屋を
開けた。明かりがついている。部屋の中央に茶ぶ台がありそれが倒れていた。畳
にはトックリとおちょこ、それに何かつまみをのせてあったような小皿が落ちて
いた。
「これは、」
若い方の警官が言う。
「うむ、誰かが侵入したらしいな。まだいるかもしらん、気をつけろ。」
その部屋は入って右手にもう一つ部屋があった。
「そこの部屋にいってみよう。」
年上の警官が言う。
右手の戸を開けた。そこは台所だった。明かりは消えている。若い方の警官が
中を照らす。
荒らされていた。いろいろ照らすうちに警官の手が止まった。その照らされた
先にあった物。
顔。
女の顔があった。
目を見開いた血塗れの女の顔。脳天から包丁を刺されて絶命している恐怖にひ
きつったこの世の物とは思えない顔がそこにはあった。
さすが、警官ではある。手はふるえているが奇声をあげたりはしなかった。
「こ、これはひどい。」
若い方の警官が泣きそうに言った。
「むごいことを。」
年上の警官は顔にしわを寄せた。
この後二人は廊下に戻り奥の部屋をみた。一つは今見た台所が廊下と通じてい
る戸であった。そして、もう一つの部屋は子供の勉強部屋のようであった。だが、
この家を捜索した限りでは子供部屋の持ち主らしい人物も遺体も発見されなかっ
た。
二人の警官は戸口に戻った。そして、精神病院と町の警察署に戸口にあった電
話から電話をした。
「この家はの家族構成は?」
年上の警官はまだ戸口に残っていた村人に聞いた。
「雅さんと奥さんの富さんと娘の路子ちゃんです。」
村人が言った。
「娘がいるのか、娘はどっかに遊びに行っているってことはあるかな。」
警官が言う。
「あの子は、まじめな子だからこんな夜遅くどっか行くことはめったにないが。」
「そうか、」
「あの、お巡りさん。路子ちゃんのこと聞いたが、奥さんは家の中にいたのかい。」
村人が心配そうに尋ねた。
「ああ、中年の女の人がいたがたぶんあれが・・・」
警官はうなだれながら言った。
「まさか、奥さんも・・・」
村人もうなだれた。

町の警察だけでは手に終えない事件だと見た町の警察は県警に捜査の応援を頼
みその夜から大規模な捜査が開始された。
そして朝方、犯人が少女路子と一緒に発見された。犯人はもちろん鬼川春雄で
あった。発見された場所は村の南西を流れる六宋川の崖の上であった。
そこで鬼川は身の毛もよだつおぞましい諸業を行っていたのだ。
鬼川を発見したのは県警から応援に駆けつけた警官の内の二人であった。そこ
で警官たちが目にした物は・・・
鬼川は食べていた。
喰らっていたのだ。
少女。
少女の臓腑を。
口を真っ赤にして少女の臓腑をむさぼっていたのだ。
鬼川は、警官の来た事に気づき警官を見た。そして、ニヤリと赤い口を歪ませ
た。
「やめろ!何をしている!気違いが!」
警官は叫んだ。
「俺は、神になる。スサノオノミコト、破壊神になるのだぁぁぁぁ。」
鬼川は警官たちに向かい叫んだ。いや、吠えた。
ドカッ、ドカッ
鬼川の胸から赤いしぶきが上がった。
血だ。
恐ろしくなった警官が思わず発砲したのだ。
鬼川は胸を押さえ二、三歩後ずさった。
そこには、踏みつける物がすでになかった。
崖から落ちた。
鬼川は崖から落ちたのだ。
十数メートルある川へと転落していったのだ。
「ぐぎぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
そう吠えながら落ちていった。
人間のそれではなく、獣のそれを吠えながら。

その後、川の捜索が行われたが鬼川は死体すら発見されなかった。
これが、二十五年前に起きた御僧村の惨劇である。これ以後、村人はこの村を
去り今では廃村となってしまったのだ。

いま、この御僧村に向かい歩いている者があった。この地にある精神病院へと
向かって歩く者があった。
その者の名は島村 明。


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