第七章   再会


第七章   再会

 龍華院邸。
何だか騒がしい。
「巌様、巌様。」
龍華院家の運転手、麻生 誠が夕暮れの庭を縁側からながめていた龍華院 巌
を呼んだ。
「どうしたんじゃ。」
巌が落ちついた声で答える。
「弘摩様を大学にお迎えに行ったのですが学校にいらしゃらないのです。」
麻生は汗をたらしながら言った。
「ははは、」
巌は笑った。
「何がおかしいのです。大変な事です。今まで無断でいなくなるような事はなか
ったのですよ。」
「弘坊はもう二十二の男だ。そんな事の一つや二つ無い方がおかしかったのじゃ。
ははは、」
「しかし、何かあったのでは。」
「おまえ、気づかなかったのか。朝の弘坊の様子を。そわそわしておったわい。」
「はあ、確かにいつもと様子が違ったようにも。」
麻生は汗を拭いた。
「女でもできおったんじゃよ。」
「まさか」
「まさかじゃと、弘坊はわしの孫じゃもてないとでも思うか。」
「いえ、めっそうもありません。」
麻生は汗を吹いた。
「麗一がヨーロッパから帰ってくるのは明日だ。この事は、麗一には言うな。あ
いつはうるさいからな。」
「わかっております。でも、おぼっちゃまに彼女ができたとなればおめでたい事
ですね。」
「あったりめっえじゃ!」
「奥様にはどう申しましょう。」
「尋子さんにはわしから適当に言っておく。尋子さんは麗一と違って物わかりも
いいし、弘坊が今遊びたいざかりだという事もわかっておるじゃろうしな。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「おまえも、弘坊のように女でも作れ。」
巌はうれしそうな顔で麻生に言った。
「いえ、私には妻がいます。」
「おお、そうじゃったな。失礼。」
麻生は巌に一礼してその場を去った。
巌は、夕日を見ていた。赤く大きな夕日を。
朝、弘摩がよそよそしかった。巌はそれを弘摩が隠し事をしているように考え
た。だが、事はもっと深刻であった。弘摩はすでに弘摩でなかったのだ。
弘摩は、弘摩ではなく六日市 拓であった。
では、弘摩はどこに、
夢、
昨晩、弘摩が見た夢の中に置いて行かれてしまったのだった。
朝、巌たちが会った弘摩は姿こそ弘摩ではあるが本質は六日市 拓なのであっ
た。

薄暗い。
今は昼間である。天候も晴天である。だが、ここは薄暗い。
雑木林の中の一本道である。
そこを、一人の男が歩いている。
島村 明である。
この一本道は砂利道である。車のタイヤの轍ができていて道の中央は盛り上が
っている。 明はこの道を五分ほど歩いた。そこには、門があった。
[帝真医科大学校付属精神病院]
門柱にはこのように刻まれた青銅板が埋め込まれていた。
明はなぜこのようなところに来たのか?それは、ここに葉月
 美香がいるから
だ。六日市 拓の実母がここにいるからだ。
明は拓の母、つまり育ての母に拓の実母美香を会わせたいと思っていた。それ
で拓の育ての母が拓の死に決着をつけられると思ったからだ。また、明自身もそ
れで決着をつけてほしかったからだ。
病院の門は閉まっていた。その横に警備員の小屋があった。明は警備員に話を
しようと窓口から中を見た。誰もいない。明は不思議に思ったが門の横の通用門
が開いていたのでそこから病院の敷地へ入った。
門から十メートルほど歩くと病院の玄関があった。明はそこから中に入った。
人がいない。受付の窓口から中をのぞいたが人がいない。病院の中の蛍光灯は
ついているのだが人がいる気配がない。
明はおかしいと思いながらも病院内を歩き回った。
ガタッ
ある部屋の前を通ったとき音がした。
明はその音のなった部屋の方を見た。そこには[会議室B]と書かれたドアが
あった。明はそおっとそのドアを開けた。
ぞぞぞぉ・・・
明は背筋に何かが奔るようなきがした。そのような光景がそこにはあった。
その会議室の中には人が整列していたのであった。五列に整列していたのだ。
会議室なのに机や椅子は無かった。人が五列に整列しているのだ。一列に十人位
づつ並んできちんと整列しているのだ。白衣を着ている者が何人もいる。つまり、
ここにいる者はこの病院で働いている者たちらしい。この者達は皆、目がうつろ
であった。
「どうしたんですか!」
明は部屋に入り叫んだ。
「・・・・・・」
誰も返事をしない。誰も動かない。立ったままである。
明はドアの一番近くに立っていた白衣の男の肩をゆすった。
「何があったのですか!」
「・・・・・・」
だが、男は答えなかった。
明は何人かの人に同じことをやったが皆、同じであった。明はしかたなく部屋
を出た。 明は病院中を見て回った。開いている部屋は中を調べた。だが、誰も
いなかった。何かが起こっている。明はそう思うと恐怖がこみあげてきた。
歩いていると案内板があった。
[↓一般病棟][↑特別病棟]
美香の病状は相当ひどいという事を明は聞いていた。明は右の方へ進んだ。
うおぉぉぉーーーーー
ひぃひっ・・・・
う゛べぇーーーーーーー
るぎぃぃぃぃぃぃぃぃ
不気味な奇声が混ざった声が明の進んでいく方から聞こえていた。
ゴンゴン
ゲゴングゲオン
ヴォンヴオン
壁や扉をたたく音も混ざって不気味な音色を出している。
明が歩いていくとドアがあった。電子ロックの扉だ。そのドアの横に暗唱番号
を打ち込むテンキーとIDカードの挿入口があった。だが、明はそこで暗唱番号
を考える必要もIDカードをどうするか悩む必要はなかった。電子ロックの扉は
開いていたのだ。
明はドアから中に入った。そこには幅三メートルほどの通路があった。その通
路の両わきに約二メートル間隔で鉄の扉が並んでいた。扉は片側五個づつ計十個
であった。特別病室は十個あったのだ。奇声はその扉の中から聞こえてくる。扉
をたたく音もだ。明はふと目を止めた一番奥の左側の扉が開いているのだ。明は
恐る恐るその開いている扉に近づき中を見た。
葉月 美香。
そこには、葉月 美香がいた。歳はとっているが確かに葉月 美香である。明
にもそれがわかった。
もう一人の人物がそこにはいた。明の方に背を向けていて顔はわからない。
明は声をかけた。その人物に。
「あの、すいません。」
その人物は振り返った。
「えっ、なんで」 明は思わず声をあげた。その人物は明の知っている人物であった。
しかし、なぜその人物がここにいるのか明には想像すらつかなかった。
なぜなら、その人物が
龍華院 弘摩であったからだ。
「ひ、弘摩、な、なぜ、お前ここに」
明は驚きのあまりどもりながら言った。
「明こそ、なんでここに来たんだい。」
弘摩は落ちついていた。
「お、俺はこの前おまえに電話しただろ、旅に出るって、人に会う旅にでるって。
俺はそこにいる葉月先生に会いに来たんだ。」
興奮しながら明は言った。
「旅、ずいぶん近い旅じゃないか都心からここまでは三時間もあれば来れるんだ
ぜ。」
「俺は、葉月先生がもっと遠くの病院に入院してると思ったから、あの時は病院
がどこなのかもわかってなかったんだ。」
まだ興奮気味だ。
「まあ、それはいいよ。なぜ、葉月 美香に会いに来たんだ。」
「話すと長くなるが、・・・・」
明は、六日市 拓の実母が美香であることを言った。その事実をつきとめた経
緯も話した。そして、拓の母親と美香を会わせたいことも。
「そうか、そこまで知っているとはね。」
弘摩は明を見ながら言った。
「弘摩、なぜおまえはここに。それに、お前は今、拓の実母が葉月先生である事
を知っていたような口調だったが、」
「知っていたよ。この人が拓の母親だという事は。」
「しかし、なぜ弘摩がそんな事を知っているんだ、そしてなぜ、ここにいるんだ。」
「ははは、教えてやろうか。」
弘摩の口調が変わる。
「お前、本当に弘摩なのか?」
明は弘摩の態度が変わったのに驚き聞いた。
「僕は、弘摩の姿をしているが弘摩ではない。このことを知っているのは僕と君
と葉月先生だけだよ。まあ君はいま知ったんだがね。さあて、僕はいったい誰だ
とおもうかね。」
弘摩は、うれしそうに明に質問をした。
「弘摩の姿をしているが弘摩ではない、そんな事が有り得るのか、二重人格か。」
「ふふふ、おしいね、でも、二重人格ではないんだよ。僕は弘摩の人格をのっと
たんだよ。」「人格を乗っ取った、弘摩の人格と入れ替わったのか。」
「まあ、そういうところだが、ちょっとちがうな。普通、多重人格という奴は精
神的なプレッシャーをかけられた場合に自分の中にほかの人格を形成してしまう
んだ。つまり、自己逃避のために新しい人格を作ってしまうんだ。それは、自分
の中にもともとある意識や潜在意識の相互作用によって作り出された人格なんだ。
その人格は他人ではなく自分自身なんだ。だが、僕は違う。弘摩によって形成さ
れた人格ではない。まったく他の他人の人格なんだ。まあ、正確に言えばまった
くの他人ではないがこのことはおいておこう。」
弘摩はここで話を止めた。
「他人の人格という事はお前は他にその人格を有する肉体をもっているというこ
とか?」
明は聞いた。
「物わかりがいいね。肉体は持っていたよこの弘摩以外にね。でも、いまは無い。
肉体は死んだんだ。」
「つまり、霊魂が弘摩にとりついたってことか。お前は霊魂か。」
「違う。霊魂という物は確かに存在する。だが、霊魂がとりついてもその人の人
格は無くならない。霊魂がとりつきその結果その人の人格が死滅する事はある。
そうなれば、霊魂が肉体を支配する事になる。しかし、霊魂のみで肉体を維持す
る事は長時間は不可能だ。せいぜい、一、二時間しか持たない。僕は違う。弘摩
の肉体を支配したが僕の人格がこの肉体から抜け出さない限りこの肉体は維持さ
れる。つまり、僕は霊魂とは違う。」
「弘摩の人格はいったいどこへ。」
「夢」
「夢とはどういう事だ。」
「夢の中にある。僕の作った夢という世界の中に置いてきてある。その出入口は
僕しか知らないし、鍵は僕しか持っていないよ。」
「お前は、一体誰なんだ。」
明は、怒鳴った。
「怒らないで、君は僕を知っている。」
「知っている?」
「そう、僕がなぜ葉月 美香に会いに来たか考えればすぐわかる。」
「拓か、」
「ほら、わかった。」
「本当に拓なのか。」
明はうれしかった。拓がいるのだ。死んだ拓が姿こそ違え目の前にいるのだ。
「残念だが僕は君との再会を抱き合って喜ぶ暇もないしその気もない。それに、
うれしくもない。悲しい、なぜなら僕は君を殺さなくてはいけないからだ。」
弘摩、いや拓は言った。
「なぜだ、俺はうれしい。拓とまた会えたんだ。普通なら、弘摩の姿をしている
お前の口から[僕は拓だ]なんて聞かされても信じないが、俺は信じる。なのに
なぜ、お前はうれしくないんだ。」
明は目に涙を溜めている。
「君は知りすぎてしまったから殺さなくてはいけない。だが、真の理由はそれで
はない、君は僕にとって脅威となる可能生があると今感じたんだ、君の目の奥を
見て。僕がシャングリラ(楽園)を創るとき君は脅威となる。そう感じたんだ。」
拓の目は悲しみを溜めていた。
「シャングリラとはなんだ、お前は何を考えているのだ。」
「死にゆく君のために教えてあげよう。でも、その前に」
拓はそう言い、左手の拳を明の方に向けた。そして、手を開いた。
一瞬、その開いた手のひらに目のような物が見えた。明はその一瞬の手のひら
の目を見てしまった。
ビリッ
明の体に電撃が奔った。
動かない。体が動かない。金縛り。明は金縛りになった。
「動かない、なぜ。」
「僕が、君の体の自由を奪った。君に逃げられたり、反撃されては困るからね。
口だけは聞けるようにしておいたよ。」
「会議室の人たちもお前が。」
「そうだよ、あの人達がいたんではお母さんに会えないからね。」
「その、お母さん、葉月先生はさっきから壁を見たままだがそれもお前が。」
拓は首をふった。
「お母さんは、一日に何度か壁を見つめたままになるんだ。病気でね。その原因
は僕なんだけど、その事については君に話すつもりはない。君に話すのは僕がこ
れから何をしようとしているかだ。」
「シャングリラってやつか。」
「そうだよ。僕は、この腐った日本、いや世界、地球をシャングリラ、つまり理
想郷に変えるんだ。変えなくてはいけないんだ。」
「理想郷、一体誰のための理想郷だ。お前のための理想郷か」
「違うよ。この地球が存続するために理想郷にするんだ。この世を善の方向に向
けるための理想郷を創るんだ。」
「お前は、神にでもなったのか。」
明がその言葉を言うと拓の表情が変わった。
「そう、僕は神になるのだ。そう運命づけられているんだ。」
「神になるか、立派だ。」
「僕は十年前、失踪したとき肉体を離れた。そして、十年の間別の世界にいたの
だ。そこで地球の未来のヴィジョンを見た。そこは百鬼夜行する惨嘆たる世界だ
った。地球がこのまま進めばヨハネの黙示録は現実のものとなる。僕はそれを止
めなくてはいけない。僕は別の世界である意識体に教育を受けた。地球の悪への
進行の止め方の技法を学んだ。僕がさっき君にかけた金縛りもそれの一つだ。」
「さっき言っていたがなぜ俺がお前の脅威なんだ。」
「君はこれから何かとてつもない力を得る。そんな気がするんだ。それは、僕と
は逆の方向の力のような気がするんだ。ただそれだけだ。そう、もうそろそろお
別れだ。僕は君を直接殺さない。十年前、君は僕の最高の友だったからね。そん
な君の死ぬところを僕は見たくない。君はここから動けない。もし、誰かがこの
病院にはいって君を見つけたとしても君を助ける事はできない。この敷地に入っ
たときからその人も捕らわれ人となるからだ。この敷地には結界を張ってあり中
から外に出る事は不可能だ。僕が結界を破るか、とてつもないパワーがこの地を
おそうかしない限りは誰も出る事はできない。まあ、とてつもないパワーとは人
間がその場にいれば消滅してしまうような力の事だ。君は残念だがこの地から生
きては出られない。さようなら、僕のたった一人の友よ。」
 拓はうつろな目で壁を見ている美香を抱き上げ部屋から出た。
「教えてくれ、お前はどうやって地球の悪への進行を止めるんだ。」
 動けない明は部屋の外に出た拓に向かって叫んだ。
「まずは、この国の破壊。」
その一言が外の通路の壁に反響しながら返ってきた。

龍華院邸の縁側、昨日と同じように巌が庭をながめている。そこに、昨日と同
じように麻生がやってきた。
「これから空港へ麗一様をお迎えに行くのですが、弘摩様の事は。」
麻生が言った。
 弘摩は昨日帰って来なかった。そして今日もまだ帰ってきていない。昨日はよ
かったが今日は麗一がヨーロッパから戻って来る。弘摩がいないとなればうるさ
い。その事を心配し麻生は巌に話していたのである。
「うむ、麗一が戻っても、弘坊が帰ってなかったら、わしがなんとか言うからだ
いじょうぶじゃ。空港では弘摩がいない事を言わないでいいからな。」
「はい、わかりました。」
麻生はそう言うと駐車場へと向かった。
この家の者は弘摩がすでに弘摩ではなく拓だということを誰も知らない。

黒のリムジンが高級住宅街を走っている。
運転しているのは、麻生 誠。龍華院家の運転手である。
後部座席に座りジタンを吸っている男、龍華院 麗一である。
車が住宅街のまだ入居者の無い家の立ち並ぶ地帯を通りかかった。この場所は
人が余り通らない場所である。麻生はよくこの道を通って空港方面へは行く。
キィー
麻生がブレーキを踏んだ。
「どうした、麻生。」
麗一が言う。
「いえ、道の中央に人がいてどかないものですから」
「まったく、」
麗一は苛立っていた。
麻生はその人陰を見て、あれっと思った。そこにはふたつの人影があったがそ
のうちの一人が弘摩だったのだ。
「弘摩様ですよ。」
「なんだって、なぜこんなところに。」
麗一は怒りっぽく言った。
麻生は本当に弘摩かフロントガラス越しによく見た。確かに弘摩だった。しか
し、となりにいる中年の婦人は誰だろうと麻生は思った。
麻生がそのような事を考えながら弘摩の方を見ているとき、その時間は二、三
秒だが、弘摩は麻生の首を指さし首の右端から左端に指をはしらせた。
ゴロッ
麻生の首に線が入り首は落ちた。
ヴジュゥーーーーーーー
切れた首から車の天井に向かい噴水のように血が吹き出た。
「うわぁーーーーーーー」
麗一は叫びながらドアをあけ外に転がり出た。一体何が起こったのか麗一には
わからなかった。


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