91年作「ゴッドファーザー3」より


製作・監督・脚本


FRANCIS FORD COPPLA
フランシス・フォード・コッポラ


1939年、ミシガン州デトロイトに生まれ、ニューヨーク市郊外に育つ。父は、作曲家兼指揮者のカーマイン・コッポラ。幼いころから父の音楽教育はもちろんだが、映画についても早熟児で、8歳の時には8ミリを取り、18歳でエイゼンシュタインに熱をあげる。その後、ホフストラ大学で演劇の学位を取得後、UCLA演劇科に進む。
在学中から、ロジャー・コーマンの低予算映画に、音響、台詞監督、アソシエイト・プロデューサーといった立場で携わる。
62年「死霊の棲む家(ディメンシャ13)」で監督デビューを果たし、
66年に第2作“You’er A Blg Boy Now”を発表、批評家に絶賛された。また同年、UCLAを芸術博士の学位を取得して卒業。やがて「フィニアンの虹」、
「雨の中の女」(サン・セバスチャン国際映画祭グランプリ受賞)
を監督した後、79年にジョージ・ルーカスを監督に迎えた「アメリカン・グラフティ」で興行的にも成功を収めた。
そしてついに、映画史上に輝く作品「ゴッドファーザー」を発表。同作品はアカデミー作品賞、脚本賞などを受賞する。
「華麗なるギャッビー」の脚本を手掛けた後、
「カンバセーション…盗聴」でカンヌ映画祭グランプリを受賞、続く「ゴッドファーザーPART2」は、全作以上の成功を収め、アカデミー賞6部門受賞の栄誉に輝いた。
次にコッポラは、ジョセフ・コンラッドの原作に刺激を受け、ベトナム戦争を題材にした大作「地獄の黙示録」に着手する。79年に公開されたこの映画は、批評家に絶賛され、カンヌ映画祭グランプリと、アカデミー賞2部門を受賞する。
80年代に入っても、コッポラの映画に対する情熱は変わらず、ゾーエトロープ・スタジオの設立や
「ワン・フロム・ザ・ハート」、
「コットンクラブ」、
「ペギー・スーの結婚」、
「アウトサイダー」、
「友よ、風に抱かれて」、
「タッカー」、
「ニューヨーク・ストーリー」(第2話)
といった話題作をたて続けに監督している。
またルーカスと共に、黒澤明の「影武者」と、三島由紀夫の生涯と文学作品をもとに描いた“MISHIMA”の製作総指揮を務める他、ディズニーのために、M・ジャクソン主演「キャプテンEO」を監督。その他、コッポラが総指揮を努めた映画に、「マジックボーイ」、
「ハメット」、
「少年の黒い馬」、
「バーフライ」
などがある。