日記 index

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3月11日(土)
▼9時に起きるつもりだったのが、実際目が覚めてみると「うわーなぜよりによって土曜はこんなに冷え込む?」よって布団から出られない。やっとの起床は12時前。
 近所の図書館へ。蔵書整理のためにしばらく休館していたのが今週になってやっと開館。しかも今日明日は不要図書の配布。なんでもCDは開館五分後にすべてなくなったそう。
 住処と図書館を二回往復する。なにせ10冊以上もらって、しかもほとんど単行本ばかりだったから。
 その中でいちばん大きさのでかい本は、通常の図鑑・百科事典ぐらいある「キリンビールの歴史[新戦後編]」(キリンビール株式会社)……なぜに読む人を制限しそうなこの本が蔵書されているのか。それをもらって来る俺も俺。
コブラツイスターズ「サクラサクラ」
 このバンド名にして、ごっつい風貌。ハードコアかと思ったらものすげえポップな音にして、ヴォーカルの男性の声より幾分高めのキーで奏でられるキーボードの音と規則正しく刻まれる旋律。つられて「さくらさくらさくらさくよさくらっ」と歌ってしまいそうなサビ。
▼夕方から秋葉原へ。新年度をひかえた買い物が多くなってきているのでしょうか、いつもたむろしている顔ぶれの他に、カップル・家族連れ多し。
 ソフマップ・モバイル中古店にはペルソナ・モバイルギアの旧型が多数展示。それだけ新型に買い換えた人が多かったのでしょうか。身近にユーザーがいないのでようわからん。(今だったらリブレットもモビオもあるから、わざわざモバイルギア使わないでしょうねー)
 末広駅前のマックで書き物をしてから銀座へ。

3月12日(日)
「高天原なリアル」(霜越かほる/集英社スーパーファンタジー文庫)/「地上八階の海」(角田光代/新潮社)「むくどり最終便」(池澤夏樹/朝日新聞社)「三角宇宙」(谷川俊太郎・高田宏・吉本ばなな/清龍社)
▼霜越かほる「高天原なリアル」
 99年のロマン大賞を受賞――なのになぜかコバルトではなくスーパーファンタジーからの発売。
 99年10月発売なもんだから、どこの本屋を探しても見つからなかったんだが、まさか地元の図書館にあるとは思わなんだ。灯台下暗し。
 書き出しが、

「あたしは、
 某女子大付属の女子高に通う二年生。
 名前は毒島(ぶすじま)かれん、十六歳。
 いきなりのけぞったでしょ?
 (後略)」


 女の子の一人称で「あたしは」から始めて自己紹介をするパターンって、新井素子の専売特許だと思っていたのだが……、本家の新井素子も、数年に一作しか新作を発表してないし、本人がこの作風から離れているし若い読者も知らないだろうしで、いつのまにかまかり通ってしまったのかな……と考えてみたり。
 かようにして、本書はあまり活字に親しんでない人、読むのは電撃や朝日ソノラマや富士見ファンタジア(あとコバルトにスーパーファンタジーもか)ぐらいだという人が読んでも突っ込みそうなギミックが多数含まれている。これをやり出すと際限なくなるのでこの辺でとどめて。
 本書の根底にあるのはギャルゲー業界や十八禁ソフト、声優業界、そしてバーチャルアイドル業界の、おじさん側から見れば奇妙としか言いようのない、それでも90年代からミレニアムにかけて確実に現代社会へと根を張った産業をつぶさに見つめている。
 おそらく、ギャルゲーやアニメに親しんでいるならば、この本に書かれている程度の知識を持ち得ている人はごまんといるだろう。(先に挙げたジュブナイル系文庫の読者など特に)本書は同人誌的な空間構成に陥らず、バランスよくまとまったエンターテイメントとして作り上げている。こういうのこそ、「誰にでもできそう」と言われながらなかなかできないんだけどね。

3月13日(月)
「俺たちには共通の目的がある、それはお前たちの金だ!」
というフレーズで、やむにやまれず皺だらけの顔の上に逆立てた髪をのっけて、突発性と破壊を美学にしていた四人(プラス一人の残像)が、ふたたびステージに立って、かつて若者だった者と、風評をわずかな音源と写真と映像のみで伝え聞いた若者たちの金を奪うことになった――奪ったというより慰問金をいただいたというのが正確なところなのかな。
セックス・ピストルズ「勝手に来やがれ」
 なんかもう、何も考えてないタイトル。(原題は「FILTHY LuCRE LIVE」)
▼会社を出てから銀座へ。

3月14日(火)
▼一ヶ月たってから言うのもなんですが――涼風さん、かずみさん、入籍おめでとうございます。

3月15日(水)
▼モスで新しくなったつくねライスバーガーを食う――というより、モスの中でこれを記しているのですが。
 ただいま席につくねライスバーガーが運ばれてきました。おっ、口を近づけただけでガーリックのにおいがしてくる。(食べる)ちょっとたれが濃いかな?
▼夕方から銀座へ。

3月16日(木)
▼またしてもモスでつくねライスバーガーを食べている。「つくねは売れないから販売のメニューから外されたんだよ」「あたし好きだったのにー」「モスフードサービスに手紙書けば? 『なぜつくねをやめたんですか』って」などというやり取りを半年前にしたので。
 つくねが復活したのは手紙を書いたからでしょう。
▼などという冗談は別にして、ライスバーガーはよく英語テキストやリーダー試験ののネタにされる。「あんぱん」「寿司」など、日本独自の文化から生まれた品物は、日本の風土を客観的な観点に照らし合わせて見るための素材だからだろう。
▼「日本語のロック」なんてのはどうだろう。ビートは舶来でありながら乗っける言葉がアジア独自の音韻を響かせているってのは無理がないのか。「アジア人だからアジアっぽく歌う」という観念もひとつの潔さではないか。
▼強引に引っ張ってますがTHE BOOMです。その首謀者宮沢和史のファーストソロアルバム「Sixteenth Moon」のレビューを……しようと思ったけど明日にします。まだよく聴き込んでないので。
▼食べてから銀座へ。

3月17日(金)
▼ 宮沢和史のソロのレビューを今日やろうと思ったら、うっかりCD入れ替えて持ってきたので書けません。んでまたそのうちに。
▼ コギャルからギャル、アイドルから果てはAV女優(←つまりはいっぱい観てんだよな)まで、こぞって将来の夢を「お嫁さん」と言い放っているな。(しかも現在彼氏持ちのくせにぬけぬけと「結婚は別の人と♪」なんてな!)なんかうさんくさ〜〜、って気がして。
 だってよ、みんな、そんなに専業主婦になりたいの?
「お嫁さん」をひとつの肩書きと見るなら、言い換えれば家で家事全般を担当する人のことになってしまうのではないの?
 少なくとも俺らの同年代の女の子なら、もっと具体的な職業を挙げていたような気がするんだけど。「お嫁さん」なんて漠然とした言い回しじゃなく「○○くんのお嫁さんになりたい」などと具体的に言えないとだめな雰囲気があった。少なくとも「お嫁さん」じゃあ幼稚園児ぽいでしょ。それだけ考え方が低年齢化したとも言えるのか。「お嫁さんになりたい」という響きの裏側には、経済的・社会的な後ろ盾となる男性の保護が欲しいという焦燥が見え隠れしてんですけど。
「専業主婦になるかなんてどうてもいいわ。とにかくあたしは愛に生きるのっ!」と鼻息荒い方もおられるでしょうが、「愛に生きる」ことと「結婚」の関係については明日(に書く予定、は未定)
▼今日もやっぱり銀座だ。

3月18日(土)
▼ そもそも、さまざまフェミニズム論で指摘されているが「結婚」そのものの枠組みは「旧弊化した男性優位の制度」であるという事実。それは具体的に頭の中で論理付けしなくても、たとえば「家同士のつきあい」などでなんとなく生理的にしちめんどうくささを感じたりして、従来の「結婚」制度に関する疑問を持った人がたくさんいたはずなんだよ。(偉そうな口調)
▼ 「お嫁さんになりたい」という発言は明らかに古くさい「結婚制度」に身体ごと浸かっていく可能性があって、とてもじゃないけど愛になんか生きられないくらいの、さまざまな「生活といううすのろ((c)佐野元春)」が待ちかまえているのよ。
▼ 私ぐらいに歳になるとさまざまな人がいて、入籍した人に同居のみ続けている人に「子どもできちゃったから周囲の反対もあるけど仕方なく……」「……あの女にハメられて」などといろいろなケースがある。(最後の例は嘘)愛ってものが実体ないから。ぶっちゃけた話、反町隆史と松嶋奈々子だろうとギャルゲーのヒロインだろうと新潟監禁男だろうと、愛というものを形づける要素として挙げられるし。(微笑ましいのとイッちゃっているのと両極端)「愛に生きる」のわかりやすい例として結婚を挙げる以外に、もっといろんな選択肢ってものがあるんだってことをわきまえないと、恋愛観も結婚観も四角四面のままで人生楽しめないぞ。(アブノーマル礼賛ではありません)
▼夜からフジタさんと待ち合わせて銀座へ。
 お店の方がお忙しそうなので、フジタさんを気遣っていつもよりよけいに話し続けていたような気が。バースデイのときの従業員の拍手に一言「リズムが狂っている」さすが元ドラマー。それに加えてかのお方について「モーニング娘。の中澤のような存在」という比喩は的確すぎて天晴れ。本人にゃ怖くて言えませんが。

3月19日(日)
ホフディラン「多摩川レコード」を聴いている。
ベイビーの声は日曜の午後に合っている。ビートルズ(に限らずリバプールサウンド全般か)のシニカルさをいい形で吸収しているような。
 ロッキングオンジャパンのスタッフが多数参加している(とは「ホフディランのテーマ」で山崎洋一郎のコーラス、「恋の年賀ハガキ」で元バイトの小口早苗が掛け声、って全然「多数」じゃないな)このファーストから、ジャパンを始めとしてかなりの音楽雑誌が、彼らを「大物新人」扱いしていた。
「大物新人」ってのも変な言い方だけど、言わば安っぽく「かつてない感性を持った天才!」なんてフレーズで丸め込まれているタイプってことです。その割にかんばしいセールスに結びついていない。
 似たようなタイプで中村一義が挙げられる。雑誌が妙な形で持ち上げるもんだから、かえって一般リスナーとの格差を作っていないか? ちょっと心配。

3月20日(祝)
▼浜田省吾「青空の扉」
 96年11月発売なので、もうまる三年以上前の発売。
▼浜田省吾の歌はカタルシス。
 カラオケに行ったりなんかすると誰かしらが「MONEY」や「J BOY」を歌う。その歌詞をたどると、言ってることが大変わかりやすい。昨今のエイベックス関連者の、単語を無理矢理詰め込んだような重箱ではなく、起承転結まで含めて、聴き手(それがカラオケで歌ってる奴の声であっても)に届いてくる。
 んで、即物的なカタルシスを求めるのは、だいたい十代。「J BOY」など明らかに賃金生活者の空虚感を歌っているはずなのに就職前の若者が平気で歌う。(などと他人事みたいに言ってますが、私も歌いました、はい)
 浜省は、自らの年齢に加えて、もっと大人にも聴いてほしくて、歌の中の登場人物の年齢をた高めに設定し、十代の若者にはちょっとわからない、大人の苦さをテーマにするようになった。
「青空の扉」はタイトルが示すように、ちょっとそのへんのテーマも突き抜けた、比較的明るいラブソングが多い。
 聴けば聴くほど、この人は佐野元春のように、十代のための音楽を作り続けるべきではないかと思いました。

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