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「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/200005nikki_2.htm#2000/05/XX」
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5月11日(木)
▼ブランキーの解散にあたって、メディア内の扱われ方によって、初めてブランキーとはどういうバンドなのか知る。音楽専門誌やサブカル関係でもなければ、それほど大したもんじゃないと思っていることだろう。
 絶対あるだろうと思っていたら、やっぱり椎名林檎からみで説明している新聞もあったようで。
▼以前、佐野元春と浜田省吾の描く「街」は日本に近いか遠いか、ということを書いた。ブランキーはその名前通り、「ある架空の街」である。佐野元春とちがうのは、腕ずくで英語も日本語もビートの渦に巻き込んでしまうことなく、どこかで聞いた言葉、そして今までの日本語のロックになかった言葉(「唾液」なんて言葉は佐野は使わないし「嫌われ者」なんてタイトルもつけないでしょうなあ)ある程度日本のロックが認知され洗練された上での言葉が踊っている。それは日本のヤンキーたちが見ている風景から遠ざかっていない。かといって、日本を意識させるような具体的な地名も出てこない。
 椎名林檎はタイトルからして「歌舞伎町」が出てくるし、根っこはジャパネスク。ベンジーを尊敬しているなら影響も受けたはずだろうけど、私の目には対称的に見えます。

5月12日(金)
▼起きたら10時。青ざめる。――今まで起きられなかったとしてもせいぜい8時か9時ぐらいだったのに。くぅ〜。なぜか5時ぐらいに目覚めてから、二度寝してしまってたから。このパターンだとたいてい決まった時間に起きられない。
 しょうがなく寝ぼけ眼でCDウォークマンに「HERLEM JETS」をセットして出る。この時間帯なら電車も座れるかと思ったんだけど、まだだめですね。降車口に寄りかかって窓の外を見ながら「CAMARO」聴いている。
 ここんとこ、自分でも笑えるが後輩の指導をしている。やっと自分の仕事に取りかかれるのは定時が終わってから。おまけにはまってしまって11時過ぎ。それでも解決策が見えてきているだけありがたい。
▼ヤングアニマルの今号の裏表紙にこんな広告が……頼んだ方がいいのかな、俺。

5月13日(土)
GLAY「HEAVY GAUGE」
 ヒット曲集、っぽくなりすぎているところあり。1曲1曲の濃さはいいとしても 、アルバムにすると一枚の焦点がぼやけている。このバンドの性格ゆえしょうがないところもあるんだろうけど。TAKUROばっかりじゃなくて他の三人も、もっと曲書いたらいいのに。その手のお遊びがほしい。
▼雨粒を気にせずに銀座へ。

5月14日(日)
▼夕方から五反田へ。雷でとどろく濃紺の空を見ながら、傘を振り回し帰宅。  すぐやむ雨は気持ちいい。

5月15日(月)
▼晴天の朝、珍しく傘を持って出かける。片手の煩わしき荷物が帰り際には水よけ風邪よけとなる……とほくそえんでいたら、帰り際にはもう雨は小降りになっているし、ずっと冷房のききすぎた部屋にいたせいで寒いのなんのって。会社を出ると、目と鼻の先の「なか卵」にて天婦羅うどんを胃に。とりあえず体温を取り戻して、10時まで開いている書店にて今月のジャパンを買う。

5月16日(火)
▼「僕は真面目なので」だの「あたしって美人でしょ」だの、明らかに周囲からの客観性によってこそ証明されるような形容を、何のためらいもなく口にする人物は、たまにいる。
 本人だけが尊大なる自身を持っているだけなので、ここはひとつ温かい苦笑でもって迎えてあげるか、右の耳から左の耳に通して風の中に舞い散らせてあげればいいかで。
 ところで、ミュージシャン(以外のアートな人々でもたまにいるかなあ?)のインタビューでよく目にするのが、

「俺って才能あるから」

ってフレーズ。明らかに上の論法に当てはまることになるのだが、あまり馴染みすぎてたいして変だと思われない。
「才能」という、漠然として曖昧な単語が定着する背景には、悶々として遣りどころのない身の上に、せめて自分自身を賭けるべき言い回しにすがろうという一般人の切なる願いが読みとれる。

5月17日(水)
▼今日も傘を持っていった。帰りが11時過ぎでまったく役に立たなかった。遅すぎるので今日は弁当。ファミリーマートで「チキンライス娘。」を買う。そのネーミング以外にモー娘。との関連性が薄い。
 語尾に「娘。」ならぬ「娘」がつく製品だと 、日本酒が多いような気がしたのですがどうですか。

5月18日(木)
▼今号のダカーポの文章講座にて東野圭吾インタビュー。「白夜行」執筆の動機は、主人公の男の子と女の子の特異な生涯を描ききることよりも、高度経済成長期からオイルショックを経てバブル景気とその崩壊までという、時代の厭な空気を描きたかったと語る。

 時代との距離を計ろうという東野に対し、猪突猛進で時代の闇をこじ開けるのが村上龍。「共生虫」はまたしても本人の意図を越えて時代とリンクした。

5月19日(金)
▼昨日寝たのが遅かったのに、6時に起きてしまった。「年寄ですね」と言われる。そうじゃなくて寝つきが悪くてすぐ目覚めてしまうだけなんだけど。疲労困憊で言われるならまだしも。「早起きは年寄」って誰が言い出したんだろうねえ。おかげて昼間は眠い。
 夕方から銀座へ。飲んだら目ぱっちり。

5月20日(土)
「もてない男」(小谷野敦/ちくま新書)/「情報と暗号社会」(辻井重男/文春新書)「思い出づくり」(山田太一作品集12/大和書房)
▼「新書は売れる」と踏んで、今まで新書を出していなかった出版社がやたらめったら新書を創刊している。その中で、ちょっと前から新書を出していたちくまの新書が図書館にあまり入っていないのはなぜ。
▼んで、小谷野敦「もてない男」
 この本の内容に関してあからさまに攻撃してる男性のネット管理者を多数見かけた。「手に取るのも汚らわしい、気持ち悪い」と表明していた女性もいた。
 この本について表層のみで語ろうというのは、実は危険なことではないかと思う。本の作者から編集者から出版社まで、あきらかに上記の感想をねらって書かれているようなふしがあるのだ。芸能界でいえば、バラドル、きわ者芸人と同質のたたずまいが。
 誰だって「あなたはその歳で童貞/処女なんですか」と言われたら怒り出すに決まっている。おおっぴらに語ることが難しい上に、個人の性体験の以上でも以下でもないところに終始するがゆえに、「童貞/処女論」はお互いの意見を出し合って活性化させにくい。
 作者は前書きで「ジェンダー研究やセクシャリティー研究があって童貞研究がないのはなぜだ」という疑問を発端として本書を書いたという。つまり議論や評論がないので自分がやった、というパイオニアとしての表明だ。(「こういうことをさせるソフトがないので自分でプログラミングしてネットで公開しました」みたいなもんか)その内容は「めぞん一刻」などの漫画から村上龍などの小説まで、サブカル的ネタを雑多に集めただけ、といういかにも突っ込みを受けそうな構成だが、この雑さは作者自身も自覚しているのかもしれない。本人が望んでいるのは、言説の妥当性ではなく議論の拡大化だから。
 渋谷や池袋のギャルどもに「こんなややこしいことを考えているからもてない」と一蹴されて終わりにしてもらいたい気もするが。

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