2月21日(水) 晴れ |
▼さっそく目の特訓をしています。右目半分を隠して左目だけで女子の生足を拝む――ってネタとしてこうやって書いて、本当に来年の健康診断で左目の視力が上がっていたら、「性欲に左右される水晶体」「生命力の強い網膜」とでも罵ってください。 ▼ダニエル・ヒリス「思考する機械 コンピュータ」(倉骨彰訳/草思社) お勉強本。前半部分は仕事で運用しているからなんとなく理解していたけど、「アルゴリズムとヒューリスティック」「メモリ」「並列コンピュータ」の辺りはもう一度読み直さないとな。 ▼定時で会社を出て銀座へ。(25) |
2月22日(木) 晴れ 4月中旬の気温だって |
▼野口悠紀雄「インターネットは情報ユートピアを作るか?」(新潮文庫) お勉強本その2。よく誤解されるのが「経済のプロであっても情報工学やPCのプロとは限らない」という基本原則。書店のビジネス本の棚に並ぶITトンデモ本はこうして量産される。 それから比べるとこの人の提言する内容は、情報工学の基本から離れていないような気がする。ただ、この人の考えることを受け売りして、もっともらしい意見みたいにして言いそうな、そんな自分が嫌いだ。(「超」整理法も毀誉褒貶あるし) ▼定時で会社を出て銀座へ。(26) お湯割りをひさしぶりに頼んだ。 |
2月23日(金) 曇り 夜になって雨 |
▼4月の新作発売で活動中止って、「中止解除」という可能性はないのかねえ。筒井康隆みたいに。 バンドの解散とちがって、個人が活動をしないってのは、もうアーティストの存在が息の根を止められてしまったもんだから……って去年からこんな話ばっかり。自分の好きな人がこぞって終わっていくのを見るのがつらい。 ▼花柄・水玉のiMacを考案した人、そして購入する人は、ベッドやら便座やら、いたるところにカバーをかけていそう。 やっぱり豹柄にしなきゃ。ギャルのハートをガッチリとキャッチだ。(カタカナ多過ぎ) ▼新語に登録。諸説って何。 |
2月24日(土) 雨 休みの日だってのに寒くなった |
▼ねえねえ、なんか知らんけど、昨日はテレビで「ラピュタを観た」って内容の日記が、あちこちの日記系、テキスト系で出てくるんですけど、過去にあれだけ放送してビデオも流通しているような作品を、わざわざ観ようというのですか。実はネットではラピュタがおしゃれなんですか。……わからん。俺をひとりにしないでくれ。(ひょっとして「空から女の子が降ってきてほしい」というネタをやりたかっただけですか) ▼数学が得意な人はたいてい「解答がはっきりとわかるので好き」という。 その解答に至るまでのプロセスを導き出すところで、すでに混乱している人間にとっては、解答まで出せるなんざうらやましいと思っていたんだが。 ところで、この世の中、すっきりはっきり解答を出せないことばかりが増えてきましたが、その空気のまっただ中に生きていて、隔靴掻痒ではないですか。かつての数学得意の友や知り合いに問うてみたい。 ▼今月の「SWITCH」は桑田佳祐特集。昨年末の年越しライブで歌われた「私の世紀末カルテ」の世紀末バージョンの歌詞が掲載されています。 |
2月25日(日) 晴れ 冷えるよう |
▼「もう首都圏に住んで10年くらいなんですか? じゃあこの辺のおいしいお店知ってますよね」ってそう短絡的に受け取られても困る。馴染みの店というものができてしまうとそう他の店にわざわざ足を延ばそうとは思わない。激戦地区に構えているお店など、すぐ閉店してしまうのも珍しいことではないし。 ついでに言えば、こちらの味覚というやつも一般的かどうかわからない。甘党辛党と偏っているつもりではないと思うが、甘党の人にエスニック料理店を、辛党の人にケーキ屋を紹介するのもどうかと思うし。(極端な例えだが) だから、正直に自分もよく知らないことを告白した上で、お店を紹介している。今の時代なら雑誌やテレビでたいていのところは、すでに穴場として紹介されているし。 ▼市長選挙の葉書が届いた。8年前の2月にこの地へ越して来たときも市長選だった。あのときは住民になって間もないので選挙権がありませんでしたが。 入社したのも2月だし、いろいろと2月は自分として節目の月である。 |
2月26日(月) 晴れ |
▼揺れ動くNapsterですが、インストールしたソフトのアイコンだけ見ると、「電車の座席に座って、ヘッドホンしてうつむき加減でリズムを取り、周囲に音が漏れているのも気づかずにいるヤバい若者」と思ったのは私だけか。 ▼夜10時まで開店しているスーパーで「ミニモニじゃんけんぴょん」を聴いた。今どき携帯電話の着信音だって16和音ぐらいあるのに、あのシンセの単音の安っぽさはすごい。ヒット曲の音が豪華になればなるほど、スーパーで流れてぴったりはまるような音が、逆に新鮮に感じてしまう。 |
2月27日(火) 晴れ ちょっと暖かくなったかな |
▼「クラインの壺」岡嶋二人(新潮文庫) 有名である。有名すぎるほど有名である。 何しろ、「クラインの壺|岡嶋二人」で検索をかけるといっぱい引っかかってくる。 それも「クラインの壺は岡嶋二人の最後の作品で……」という紹介文のみならず「クラインの壺、のような」「クラインの壺に比べるとこの作品はまだまだ」という比喩表現にまでなっている。 困った。非常に書きにくい。 書きにくいのはネタばれしやすいという作品上の特性もあるが……ええい、いっそのことネタばれ注意と言ってしまおう。 冒頭で、主人公である上杉彰彦は、山小屋にこもってノートに自分の体験を綴る。本小説は彰彦の独白体。僕はこの部分だけ読んで「彰彦は今、この段階で窮地に立たされているけど、その窮地から脱出して大団円になるのか」と思っていた。実際はちがっていた。いい意味で裏切られた。 あのエンディングを認めるか認めないかで、この作品の是非まで読者が決めてしまいそうだが、そこは「クラインの壺」、内側と外側が入れ子構造になってしまっているその分岐点を確かめる最良の方法はあれしかない。 場違いかもしれないが、村上春樹「ノルウェイの森」に出てくる「死は生の対極ではなく、その一部である」という言葉を思い出した。 アンゴルモアの大王が降ってくる年からミレニアムを経て21世紀にたどり着いた。その間、現実味の薄れた出来事が大手を振るってまかり通っている。 この小説が予見しているとは言わないが、当時まだなかった言葉「バーチャルリアリティ」の精度があらゆるところで展開されるにつれ、そいつの終焉をおびき出すには、自らの死しかないという、絶望的な結論を作者は導き出した。 いや、本当に絶望的かどうかとも言い難い。主人公に表面的な死を選ばせておいて、実は「内側から外側に出る」再生を選ばせているのかもしれないから。 ところで、ヒロインは高石梨紗ということに(一般的には)なっているが、真のヒロインは真壁七美ではないのかね。探偵並に大活躍しているから。読んでいくうちにこの女性は、実は敵ではないのかとか、いろいろ勘ぐってしまったよ。 新聞社のデータベースを利用できる、という理由に、かつて新聞記者の姫田と恋仲だったという設定が、なんとなく取って付けたようであった。作品発表当時の平成元年の世の中じゃあ、まだまだデータベースの利用は一般的じゃなかったな。今ならわざわざ新聞社に出向かなくてもネットでできるのに。(余談ながら藤原伊織「テロリストのパラソル」では、ヒロインがパソコン通信を使って新聞のデータべースを検索していた) 注:実はこの文章は、ここに書いた分の二倍くらいありましたが、「あまりにベタ」「誰か他の人が書いていそう」という内容を削除しました。 |
2月28日(水) 曇り また雨になるんだってさ |
▼ネットの人の自称は主に統一されている方であると思う。「僕」と称している人は、日記だろうと掲示板だろうと「僕」で統一されているし、「俺」も「あたし」も同様。 いまさらながら、このサイトは、制作者の気分によって「僕」「俺」「私」その他と揺れ動いています。これってうっとうしくなんだろうか。今さら考えてしまった。 ▼角川類語辞典によると、自称として機能する単語には 私(わたし・わたくし・あたし・あたい・わたい・わし・わっし・あっし・わっち・わて)我(われ)僕(ぼく)俺(おれ)・俺等(おいら)・己(おら)・此方人等(こちとら)此方(こちら)・此方(こっち)自分(じぶん)某(それがし)予(よ)我が輩(わがはい)乃公(だいこう)朕(ちん)手前(てまえ・てめえ)小生(しょうせい)愚生(ぐせい)拙者(せっしゃ)不肖(ふしょう)老生(ろうせい)愚老(ぐろう)拙僧(せっそう)愚僧(ぐそう)愚禿(ぐとく)小職(しょうしょく) とある。特定の地位や立場の人しか使わないものもあるな。 ▼今月のウィンドウタイトルはストリート・スライダーズ「のら犬にさえなれない」 改めて日記を読むとほんと遊んでばかり。 ▼会社を出て銀座へ。(27) 雨が心配だったので10時前に出た。 |