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「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/200105nikki_2.htm#2001/05/XX」
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5月11日(金)晴れ
▼仕事帰りに秋葉原へ。
 末広町から降りてゆっくり歩いていくと、以前より小売店や中古販売店が増えてきたように思えました。さすがにこの時期は派手にお金を使わないせいか、PCの中古や新品の在庫処分がかなり残っていたようだけど。

5月12日(土)晴れ
▼一日力が入らない日でした。ぐったりしているうちに午後五時になって、銀行からお金をおろさずに渋谷へ。マサトクさん他行きつけの「non」へ。その前に添田さんとはる名さんと待ち合わせ。「午後6時にハチ公前」と聞いて不安になったのですが、改札を出たときに的中していました。人の渦で前が見えない動けない。ハチ公の近くまで近寄ると、女子高生だかおっさんだか大勢でハチ公の足をつかんだり台座にさわったりしている。そうでもしないと目印にならないのか。交番を探しているうちに添田さんから着信あり。やっと合流。
 その後nonと109を言ったり来たり。ほとんど黙っていたり。風邪が完治していないようで、喋るごとに鼻水がたまってきて、はる名さんやお店の人からティッシュをもらったりしていました。

5月13日(日)晴れ 暑くなってきた
▼午後二時ぐらいまで寝てました。
 起きてから間もないうちに渋谷へ。nonで添田さんとひろさんを待つことに。
 ひろさんが来て美薔樹(みらーじゅ)へ。詩人浦野玲子さんの朗読会。
 終わってから添田さんに如月さんを紹介される。その後に美薔樹前あたりの料理屋へ。
 澁澤龍彦と矢川澄子(字あってるかな?)の話が中心でしたが、両者とも無知な私は、ただ頷いているばかりでした。
 nonに戻る途中で、「ちょっとパルコブックセンターに寄ってきます」とお二人に言付けて、斜め向かいの道へ。久しぶりに翻訳本のコーナーに来たもんだから。ここでボリス・ヴィアンの全集を買い集めていたのが途中で中断していたことを思い出したので。
 迷ったあげく、サリンジャー選書「若者たち」「倒錯の森」(荒地出版社)買う。
 nonの二階は、さきほど美薔樹に居た人のほとんどが移動してきた。添田さんが席を空けてくれたけど、遠慮して引き上げることにする。
 そしてまたPBCに戻って、本を物色していた。今度は何も買わなかったけど。

5月14日(月)晴れ
▼昨日、一昨日と出会った人にも言いまくってましたが、風邪のせいかテンションが下がりまくってます。寒くなったり暑くなったりで体調が変動しているのでしょうか。
 こういうときには意味もなく雑誌が読みたくなったりします。今日だったら週刊プレイボーイとか週刊アスキーとかです。火曜発売とはいえ月曜の夜遅くにコンビニへ行ってわざわざ確かめてきたりして。入ってくるとしても深夜なんだからこれを書いている時間(午前0時ごろ)にはないのだから。意味もなく情報ジャンキーになってます。雑誌の情報なんてネットより遅いというのに。

5月15日(火)晴れ 地下鉄はクーラーじゃない
オフコース「as close as possible」
「出来る限りなんちゃらかんちゃら」という英語の構文を思い出してしまいますわな。
 タイトル曲「もっと近くに」を英訳しているのでわかるように、英語の歌詞の比率がおそらく、オフコースの全作品の中で最も大きいだろうと思われる作品。1987年発売。なにせ、全部が英語の歌詞である「Love Evarlasting」なんて曲もあるし。
 オフコースはバンドであって「小田和正とそのバックバンド」ではない。すでに鈴木康博は抜けているにせよ、他のメンバーの詞曲ボーカルの曲が半分ぐらいある。松本一起や秋元康作詞の曲もある。秋元の歌詞を歌う小田和正、ってこのアルバムぐらいしかったんじゃないの。
 改めてクレジットを見て驚いたが、このアルバムのラストを飾る「嘘と噂」という曲の女性ヴォーカルが大貫妙子で、ピアノソロが坂本龍一だった。どういう繋がりなんだ?
「もっと近くに」がセルフカバーアルバム「LOOKING BACK」で歌い直されたとき、英語の歌詞はみんな日本語に代わっていた。コーラスがオフコースのメンバーではなく小田和正の多重録音なので違和感ありまくり。
▼てなわけで、今日はタワーレコードで「LOOKING BACK 2」と今月のロッキングオンジャパンをそれぞれフライング購入してきました。レビューは明日書く予定。
▼ここまで書いて思ったけど↑「英語の歌詞の比率が」いちばん大きいのは「Back Streets of Tokyo」だったな。全曲英歌詞なんだから。

5月16日(水)雨のち曇り
小田和正「LOOKING BACK 2」
 昨日も書いているんだけど、オフコースってのは「小田和正とそのバックバンド」じゃないのよね。小田和正以外のヴォーカル曲で「オフコース」と銘打ってある曲は多数ある。それこそデビューしての数年は鈴木康博と半々だったはず。どうしても小田和正の曲ばかりシングルヒットしてしまうために、鈴木康博の曲は目立たなくなってしまった。他のメンバーの曲も然り。
 そして、オフコースとしての曲を小田和正だけで歌い直した時の弱点は、オリジナルの時にはメンバー全員で迫力あるコーラスワークをしていたものを、すべて一人で行うことにある。
 ゲストミュージシャンが何人か参加しているが、明らかに「オフコースのコーラス」ではないし、まったく別のものになっている。
 オリジナルに迎合せず潔くコーラスなしで、あの「さよなら」は小田和正ひとりの声が響いてくる。
 原曲との違いばかりあげつらっても仕方ないことなのだけど。
「夏の別れ」はオフコース最後のシングルで、原曲は夏の陽炎のごとく曖昧だったけど、今回のリニューアルで輪郭がはっきりしてきた。「言葉にできない」「君住む街へ」はピアノの音が心地よい。「もう歌は作れない」って曲をわざわざ選んだのは、やはりいろいろ思うところがあるからか。

5月17日(木)晴れ
▼急死した團伊玖磨という人を、作曲家というよりはエッセイストだという認識でいるのは僕だけなのか。この人の卓抜な文章を、入試の小論文の問題なんかでよく目にしたんだけど。
▼夕方から新宿へ。(21) 埼京線が事故って山手線と西武新宿線が混雑していた。

5月18日(金)晴れ
▼定説として「ガキの頃には二十代、それも三十歳近くなんてすごく大人になってるもんだと思っていた」と言われるものだが、確かにその通りとはいえ、「大人になっているはず」という根拠がどこにあるというのだろう。「立派な大人になることを、子どもの頃から努めて考えるようにしていた」というのならわかるんだけど。なぜかそういう人に限って実際の子どもの時分には「大人になりたくない」と思っていたに違いないような人や、「少年の頃の気持ちを大切に」というフレーズを拡大解釈していそうな人が、冒頭のような懐古をするんである。
▼だったら自分はどうなのかと言えば「二十代とは無軌道な言動をするもの」というとんでもない固定観念があった。それにはわけがある。
 小学校から中学校まで西村京太郎の作品を読みあさった。世間一般では「列車内で殺人が起こるような二時間ワイド劇場の原作を書いている人」という認識があるが、本当はもっとこの人の書ける幅は広い。
 最近の作品はどうなのかわからないが、昭和三十八年にデビューしてから十五〜二十年ぐらいの間の作品に出てくる二十代の人物像が、そろいもそろって、エゴが強く向こう見ずで色情狂で社会性に乏しい人間ばかり出てきて、三十代以上から呆れられているというパターンが多い。(ちなみにあの十津川警部は、初登場でも三十代前半という設定だった)確かに殺人を犯しそうな人物像を作るときには、そういった画一的な性格にする必要があるんだろうが、何人も出てきてしまうと、知らず識らずのうちにおのれの中の「二十代のイメージ」が凝り固まってきたらしい。
▼今年発表の高額納税者番付の作家部門で西村京太郎が一位になっていた。今ではこの僕も彼の作品以外を読むようになって、二十代の人間が、彼が多く描くような人間像ほど単純ではないことも知っている。
 自分の二十代が、彼の描くような類型的なものかどうかはわからないし、もっともっと陰影を含んでいるんじゃないかと思っているのですが。自分にも、他人にも。だって殺人を犯すほど身の回りの人も僕も単純な発想の持ち主ではない、はずだから。

5月19日(土)晴れ 結局一日寝てたな……
▼「だって殺人を犯すほど身の回りの人も僕も単純な発想の持ち主ではない、はずだから」という発言で昨日は締めて、今日はそこから「メル友殺人」の話に持っていこうと思ったんだが、うまく文章をまとめられなかったので保留。そのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。もし書いてほしいというリクエストでもあれば掲示板にください。(って、あるわけないだろうが)
▼最近では、更新してないコンテンツやサイト自体を「放置プレイ」と称しているのをよく見かけるのですが、では本家のSMプレイの中に「放置プレイ」という分野があるのだろうか、とYahooでとりあえず検索して調べてみると、10700件もひっかかってきたくせに、「放置プレイ」の正確な理由はわかりませんでした。

5月20日(日)晴れ
▼夕方から銀座へ。(52)
松本隆「成層圏紳士」
 バリバリの作詞家時代であった八十年代から、西暦2000年の「僕は微熱少年を経て成層圏紳士となった」と実感できた五十代までの、エッセイ文集大成。
 八十年代の文には、大瀧詠一から細野晴臣までのかつての同胞や、松田聖子・薬師丸ひろ子・斉藤由貴などの担当するアイドルまで、世間から憧憬の目で見られる人物の真実の姿を描く、といった気配りの向こうで、段落の最後の一文に、世の中の事物や人物に対する辛辣な批判という形式が多かった。これが「作詞家だと思ってちゃらちゃらとした人間だと思うなよ」という反骨精神が現れていると思うのですが。
それが八十年代後半から自分で小説を書き、他のジャンルの芸術に大きくかかわることによって、「芸能人ご用達の作詞家」の呪縛から逃れられたようだ。元は、初めて日本語でロックをやった「はっぴいえんどの作詞家」なんだし。
 年齢を経ることによって、再び世間に対する小言が増えているような文章が多めなのは気のせいか。
 ところで、この人はPCの自作マシンにまで手を出しているのですね。自作マシンにうんざりしている身からすれば、遊び心を失わないでいられるのは尊敬に値します。

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