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2月1日(金)
柴田元幸『愛の見切り発車』(新潮社)
――と、この本を出したのは、本書の内容の話ではなく。
 僕はこの本をハードカバーで買いましたが、ハードなのはカバーだけで、肝心の中身の紙は、藁半紙のような質の悪いやつを使用している。よって雨ざらしにでも遭えば水分を含んだままへこんで凹凹に(変換まま)なるのが予想できる。「価格を抑えるためにわざと質の悪い紙を使ったのか」と思ったのですが、アメリカ文学の翻訳を主体としている氏の本であるからに「ペーパーバッグ(洋書コーナーに置いてある長方形型の判型の本です)並の紙質を狙ったのかも」という考え方もできる。考えすぎだろうけど。柴田氏はまえがきで、「なぜ、『愛の見切り発車』というタイトルにしたのか」については長々と述懐していますが、本の紙の質については何も書いてません。ちなみに文庫版は普通の紙です。
▼午後7時半に会社を出て銀座へ。(9)

2月2日(土)
▼紙質の話。続き。
 ミステリやSFなど、ペーパーバッグの模倣でわざと紙質の悪いのを使ってますが、ネット社会において、『バトル・ロワイアル』が大流行りという現象を目の当たりにしたが、そろそろ紙質が変色していませんか。映画公開前よりずっと前に単行本を買った方々。
▼昼間はガスの点検を待って眠いのに起きていた。午後二時に担当の方が帰ってからまた寝て、6時ぐらいに起きて銀座へ。(10)

2月3日(日)
▼なんだか最近、いつも見ているところが閉鎖になるのを目にする。そして「忙しい」「土日が出勤」というのもよく目にする。自分の感知しないところでシンクロニシティが働いているのか、それともただの偶然か。
▼今日もお呼びがかかって銀座へ。(11) 5時ぐらいは頻繁に雨が降っていたのに、7時ぐらいになって止んだりして。まったくもう。
 店内は有線がビートルズのチャンネルに合わせられていたのか、四時間ぐらい続けてビートルズ聴いてました。一通り聴きかじった身としてはしみじみと。95年発売の「Free As A Bird」(ジョン・レノンの残した音源に他のメンバーが多重録音でビートルズの曲として完成させた)まで流れて、この曲の間奏部分の声も、出だしの泣いてるギターもみんな、先頃亡くなったジョージだったことを知って、さらにしみじみ。

2月4日(月)
▼昨日の帰りに電車の中で、海老一染太郎の訃報を携帯で受け取った。(しかし、普段この人の姓なんか変換しないから、最初に出てきたのは「エビ市」でした)
 おそらく僕と同じようにネットから彼の死を知った人は思ったはずだ。――「どっちだっけ?」携帯のブラウザでは容量の大きい写真を見ることができない。
「染之助・染太郎」としてテレビの前に(生の姿を見た人もたくさんいるだろうが、一般的にはテレビが多いと思う、ということでこういう一般化した文にする)出てくる時は、必ず二人一緒に出る。どちらか片方が出る、ということは今回のニュースまでの病欠ぐらいしかありえなかった。(正月に染之助氏は単独出演だったらしい)
「お互いが似たようなキャラである」コンビの常として、どっちがどっちかわからなくなる。曰く、
・「頭脳労働」「肉体労働」という発言と、二人の容貌がかなり特徴的でありながら、芸自体が二人一組であることに慣れすぎていて、見る側ははっきりとそれぞれを認識し、特定することが少ない。(だいたい正月ぐらいしか見ない上に、テレビだからぼおーっ、と見てるでしょう)
・「弟は肉体労働」という発言で、発言している方が兄であることは認識しても、さてもうひとつの罠(大げさ)、どっちが「染之助」でどっちが「染太郎」なんだ、という認識もあやふや。自己紹介は出演の初めにちらっとしか言わないから。「太郎、と付くから染太郎が兄なんだろう」「とはいえ染之助・染太郎、という名前の順番からして、兄貴の名前が通常先に来るんじゃないのだろうか。とすると染之助の方が兄なのか」と、さらなる混乱に陥ることになる。
▼と、まあ、偶然にも彼の死の半年前にこのような統計を取っていたというのもすごい。見事にみんな間違うか「知らない」の回答ばかり。

2月5日(火)
▼自己内銀座祭りもそろそろ一段落して、平日はなるべく飲まないようにと自制していた(本当か?)矢先に、添田さんからですぺら誕生日会のお誘いを受けてしまいました。しかもメールを読んだのがその当日である今日。
 珍しく定時で会社を出て、しかも数分ぐらいで赤坂見附駅まで来たので、付近のマックで時間をつぶし、浜松町から会社帰りの添田さんを待って7時半前ぐらいだったか。それからですぺらへ。
 店内は入り口前のテーブル席がすでにいっぱいで、カウンターの中央が三席ぐらい空いていたので、とりあえず座って他の人を待ちつつお喋り。マスターが誕生日であるので、如月さんや二階堂奥歯さんなどがカウンター内や厨房へ入って手伝いをしていた。葡萄酒かウィスキーを、という話だったけど、隣のカウンター席の人が白玉(発砲酒)をグラスにあけて飲んでいたので思わず「白玉あります?」と聞いてみて、マスターがわざわざ出してくださった。どうもすいません。
 その白玉以外はほとんどワイン三昧。注がれるので明日は平日であるのにもかかわらず飲みっぱなし。っていつものことなんですが。「パーティーなんだから付近の人に声かけたら?」と添田さんに指図されるも、何を話せばいいのかわからないのでずっと座りっぱなしで飲んでいました。中にはこちらに声をかけてきた方も何人かおられて、それが柏書房の社長さんだったりして、やっぱり何を話せばいいのかわからず「柏書房の辞書買ったことがありますっ」とだけ、そこだけ声を荒げて言いました。いや、ほんとのことですけど。
 9時ぐらいに、ですぺらまでの道がわからず迷っていたレイハルさんを添田さんが引率してくる。レイハルさんは皆様に挨拶して10時で去っていかれた。そのため今回はほとんど会話してなかったです。「兎でまた会おう」と言葉を残して手をふっていく。
 誕生日会のもう一人の主役である歌人須永朝彦さんはハンチング帽をかぶった文学者、といったお姿。というより周りの参加者全員が文学者然としていて、俺がいちばん余所者っぽかったなあ。10時をまわっての自己紹介タイムの盛り上がりを後目に、葡萄酒を飲むピッチを再び上げることにしました。(後でわかったのですが、総勢33人にもなっていたそうです)
 レイハルさんが帰って、仕事が佳境で疲れている添田さんと、体の中を巡るワインの勢いでトーク。11時半前に出る。添田さん他皆様ありがとう。

2月6日(水)
▼レコファンのような、中古盤がひしめきあっている中で、ほとんど最新に近い盤を探したとしても、お目当てのものなんか見つからずに、たいていは二、三枚、たいして欲しいとも思っていなかった余計なのを買ってしまうものです。
 今日はひょいと、その他大勢に紛れるように入っていたLOVE PSYCHEDELICO「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」を買いました。
村上龍『タナトス』(集英社)
 この小説の表記として、
・語り手であるカメラマンの男がキューバ滞在中に、女優サクライレイコと出会ってどこへ行って何をしたのか一部始終。
・女優サクライレイコの独白。
に分かれ、しかも独白の方は始まりだすと止まらないので、この本の途中からページをめくると、いったいどういう展開にあるのかさっぱり把握できないでしょう。村上龍お得意の、言語によるノイズの洪水。
 この狂気の沙汰にある独白態の洪水は、村上龍が好きな人ならもう慣れっこになっているだろうし、慣れていない人は「だから村上龍は独りよがりで嫌いだ」と思うことでしょう。ここ最近の村上龍の中では、いちばん彼らしい小説ではありますが。

2月7日(木)
▼ラブ・サイケデリコ、本当にみんな「デリコ」って略してんですか。誰もそんな言い方してないんだけどなあ。例によって俺の周囲だけ?

2月8日(金)
▼7時半ぐらいに会社を出て銀座へ。(12)
 やはり一人席が混んでいて、この方と隣り合う格好になって、とりとめもなく話をしていたのが、いつのまにやらお店の昔話へと。
 そして兎さんがくると「オヤジは昔話が多いから」と弁解するように言ういとうさんだったけど、「昔話」=「オヤジ(=年寄り)」という図式になるのはなんとも……って五年も通っていれば当然オヤジと呼ばれても仕方ないんですけど。しかもいつの時代のことを知っているかである程度の年齢までよくわかる、ってのも含めて。
 いとうさんは途中で帰りましたがこちらは閉店まで。

2月9日(土)
藤沢周『奇蹟のようなこと』(幻冬舎)
 舞台は新潟県内野の町から新潟大学周辺を経た新潟市内、そして弥彦、角田の山々。
 柔道部員にしてクラシックギターを習っている、明訓高校生のゲン。彼らは仲間のヒロ、ケイジ、タケ、ノンタと一緒につるんでいる。彼の興味といえばセックスのことしかない――はずなのだが、部活動、先生、父親、そして彼を取り巻く茫洋とした世界について、屋上から上を仰ぎ下を眺めては憂鬱になる――。
 藤沢周の小説世界は、どこか設定からして用意周到なのが多い中で、これは珍しく直球で、おそらく彼の高校時代をモチーフにしているのだろうと推測できる。(藤沢周は新潟県出身)会話分はすべて新潟弁。肌の感触と色合いを大事にする作者らしさに、各短編のラストまで引き込まれる。「積もったばかりの雪を他人に踏まれるのが嫌」という一節があるが、誰かに踏まれるのを拒む時期が確かにあったのだと気づかされる一瞬。
▼――と、ここまでは書評であとは感想。
 とにかく、懐かしい単語が頻出していました。新潟市内に暮らしたことがあれば絶対に引っかかってくるものばかりだよ。「越後線」「新川排水機場」「新潟大学五十嵐キャンパス」「がんセンター」「月岡温泉動物園」「敬和学園」「鳥屋野」「北越商業高校(=現北越高校)」「古町の西堀」「弥彦神社」「南プラザ」――ってな単語が顔を出すごとに「あうあうあうあう」と頭をかかえてのたうち回ったりしてました。
▼白山駅には今でも新潟高校や新潟中央高校や南高の生徒が乗るし、小針や寺尾を抜けて内野駅まで行きます。(私の実家は反対方向なんですけど)「ジョンノビ」は地ビールの名前に採用されて三田村邦彦が万代橋でCM撮影してました。――って際限ないのでこのへんでやめますか。

2月10日(日)
藤原道綱母『蜻蛉日記』(角川文庫ビギナーズクラシックス)
 『嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る』
という一首の後にもしも英語の台詞をくっつけたら、『FUCK YOU』か、それとも『I LOVE YOU』か。
 いずれにしても『YOU(=あなた)』が紛れこんでいるのは間違いないところ。「あなた」という意味の代名詞がこの歌の中のどこにも入らないところで、あなたの不在を証明している。
▼などと、高校生じゃない今ならこんな戯言を書いていられるのですが。
 藤原兼家の寵愛を受けて、その後に藤原道綱を産んだ作者の恋の恨みつらみの一部始終。平成の世の中に生きていたらシングルマザーという選択肢があったのに。
▼家にいても冷え込むので銀座へ。(13)

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