日記 index

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3月1日(金)
▼会社帰りにですぺら行きました。グレンフィデック12年飲みました。
 それから銀座へ。(22)

3月2日(土)
▼無為無策の日が過ぎゆく。

3月3日(日)
▼ひなまちゅり。男の子じゃくて立派なおっさんなので願っていない。着物を着た女の子は好きだ。ってこういうところがおっさん。
▼添田さんにつきあってもらって午後8時から銀座で飲み。(23)
 添田さんの独壇場で、こちらはただ頷くばかりでした。それに付け加えれば、我が記憶力の悪さ。社会人になってパソコンを買い、記憶は全部デジタルの倉庫に深く埋める癖がついていると、アルコールの巡りのごとく流れる会話の端々を逃してしまう。これからは飲み会にテレコを持っていって、乾杯と同時に録音状態にしておこう。(嘘。テレコなんて持ってない)

3月4日(月)
▼武富士強盗殺人・放火犯人の似顔絵、捜査が難航していたのは、やはり「そっくり」とは言いがたかったからなのだろう。犯人の自宅の近所に住んでいる人が「似顔絵と写真を並べてみると、そっくりなので驚いた」とかなんとか語っていたそうじゃないか。つまりそれまで同一人物だと思っていなかったってことだ。(犯人は近所づきあいが薄い傾向にあったから尚更)
 確かに顔の輪郭は似通っているが、目つきが能面のような似顔絵(似顔絵だから感情の入った顔つきにできなかった、というのはあるのだろうが)と、憂鬱を両肩に背負い込んだような目つきだけ比べてみても「同じ人」だとは思わないだろう。
 感情のない似顔絵の顔つきは、感情をすっ飛ばして強盗を働いた、本性の顔だったってことか。
▼てな具合で書いてみて、時事ネタをまとめるのは難しいと察する。

3月5日(火)
▼今週の週刊SPA!は(ってまた雑誌ネタかよ)の表紙は、笑ってる鬼束ちひろ。(新作発売のプロモーションの一環なのでしょう)
 ぱっと見た限りでは、別の人かと思った。この人が笑っている顔はテレビで見たことはあっても写真では少なかった。きっと「笑っちゃだめ」という方針なのだろうと思っていたのだが、いや可愛い。可愛い、という形容詞を使ってもよさそうな若さだし。80年代生まれなんだし。こういう普通の写真でいいじゃん、と主張してみる。何でこの人の写真は毛穴まで見えるようなリアルさと物憂げさばかりでまとめられているのか不思議だったんで。
 昨日、武富士の強盗殺人放火犯の似顔絵を「感情をすっ飛ばした瞬間」と書いたが、そういう意味で鬼束、表情を持たない顔(『infection』では髪で顔を隠していたし)を持つことで音楽に意味を持たせていたのだな。
▼『音楽と人』復刊。待ち望んでいたわけではないけれど、自分が興味ある人が出ていればやはり買う。今月号から(ロッキングオンジャパンと絶縁状態にある、らしい)浅井健一がゲストと対談するらしい。(今月は中村達也。来月は永作博美)
 あらゆる分野で「自分と同じ世代の人が働き盛りに入ってる」と気づかされる昨今なのですが、やはり編集者といえども第一線で活躍している人物は自分と同世代であることを思わされました。巻末の編集部員雑記に「堀ちえみ」「シブガキ隊」などという固有名詞が出てきたりすると。二十代前半以下の人はこの固有名詞に感慨を持たないでしょう。(って、同世代だろうとその上だろうと持たない人はいっぱいいるだろうが)
 それは連載している人も同様だった。花村萬月に続いて文芸畑から出てきた人のエッセイ。今月号から嶽本野ばら。お題はチェッカーズ。

3月6日(水)
佐藤正午『ジャンプ』(光文社)
 読み終わったときの後味の悪さ。
 失踪してしまう自分の彼女。そしてその真相を知るのが事件発生から五年後。
 ミステリの構造を持ち合わせておきながら、「自分」「他人」「人生の巡り合わせ」について深く考えさせられる。純文学畑から出てきた人なので、物的状況をただ重ね合わせているだけでなく、「運命を変えてしまった何か」という部分に焦点を当て(この小説の場合はカクテル)その何かに対して翻弄されてしまった自分の人生の儚さが、ひ弱そうな主人公(佐藤正午の小説はたいてい男子の一人称形式で「僕」が喋り、しかも現実に対してあまり積極的でない言動を時折、あるいは頻繁に行う。村上春樹の主人公とはまたちょっと違う)が彼女を探し続けて求めたひとつの結論が、二十代後半の僕をまた大人にさせている過程を文面から吸収できる。

3月7日(木)
▼ディアス、休刊ですか――週刊宝石を辞めてせっかくここまできたのに、記事も悪くないような気がしていたのですが……かくも新参の雑誌運営は難しいようで。あの価格やレイアウトなら、アエラと対抗して欲しかったのですが、って俺が単にアエラが大嫌いなだけなんですけどね。
 最近は変にこじゃれ化が進んだ雑誌が多くなりましたが、そうした中で「週刊ポスト」「週刊現代」のオヤジ路線は偉大なのか、とちょっと思ってみたりする。あの雑誌は何歳から何歳ぐらいまで、という年齢想定はあるのでしょうか。やっぱり「サラリーマンでいられる期間」なのか?

3月8日(金)
ボブ・グリーン『DUTY――我が父、そして原爆を落とした男の物語』(山本光伸訳/光文社)
 ボブ・グリーンの父親が死の床についていた頃、彼は一人の男との接触に成功した。ポール・ティベッツ八十三歳。エノラ・ゲイという戦闘機に乗ったかつての軍人。特命を受けて、1945年8月6日の広島上空へ飛んだこともある――。
 やがて迎えた父親の死。彼の父親もまた軍人だった。ティベッツは彼の父親と一度も出会うことはなかったが、インタビューを受ける最中に、彼の父親に興味を持ったようだ。ボブ・グリーンもまた、今まで考えてもみなかった父親自身に隠れていた信条に惹かれ、またティベッツの語るアメリカ軍人としての人生について、対比しながら考えていく――。
「暴力とヌードと卑猥な言葉がなければもっとましな国になった」と語るティベッツ、「現代アメリカの若者たちより当時の日本の軍人たちに共感できそうな気がする」と語るティベッツ、「戦争当時の日本の体制に対しては敵意があっても一般の日本人に敵意などない、よって私もトヨタ車を買う」と語るティベッツ。
 ビジネスやスポーツの比喩の中にしばしば「戦争」に関する単語が用いられることに激しい嫌悪感を抱き、「戦争によって勝ち取った自由というものが存在することを、この国(アメリカ)の若者たちは知らない」と嘆く。
 ティベッツは真っ当な軍人であり、老いを重ねて戦争時代を賛美することもない。自分の信条に反するものを批判し、静かに死ぬことだけを願っている。
 こうやってティベッツの言葉ひとつひとつを拾っていくと、それだけで名言集になってしまいますが、その言葉の断片だけで何かを評したり、演説のネタにするのもまた危険な気がします。ひとりの軍人が生きた内容の、それ以上でも以下でもないのだから。安易に「戦争」や「原爆」の事実を語り、悲しみを共有したように思いこみ、わかったような気になる以前に読んでおきたい本です。

3月9日(土)
▼iMODE日記、休止します。(間が空きすぎるてるので)
▼図書館で古本を配布しているフロアで、過去十年くらいに廃れてしまった人物や事象やキーワードが、ところ狭しとひしめきあっているのを見て、過ぎ去っていった季節がこの場所に押し込められているという無常を感じる。
 役に立つ、という観点で言えば、たとえばパソコン通信ソフトの使用法や旧式モデムの使用法など、2002年3月の現時点で必要とされる場は限られている。バブル崩壊直後にどこかの経済学者が挙げた予測(というよりオカルト発言)や、今はどこでどうしているのかわからないアイドルや俳優、ミュージシャンの本など、必要としている人は限られている。
 限られているのは、発売された当時も同じ。ただ、部数として多いか少ないか。
滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』(角川書店)
 地方の高校の寮で独り暮らしをしている高校二年生、山本陽介は、深夜営業のスーパーから高級霜降り和牛二キログラムを万引きした帰りに、女子高生野崎理絵と出会う。理絵が正体不明のチェーンソー男と対決している姿を見て、「俺も仲間に入れて」と陽介は強引に頼み込んで仲間に入ってしまう。
 音楽や小説や美術など、芸術分野にあれこれ手を出しては「俺には才能がある」と吹聴する万引き仲間の渡辺。夭折して思い出の中にしか生きていないけど、大切な親友能登。退屈な高校生活でも、陽介にはいつだって仲間がいる、そして理絵も――。
 理絵がなぜチェーンソー男と戦っているのか、そして凶暴なチェーンソー男と互角に対抗できるだけの体力・技量・超能力がなぜ備わっているのか、文中で明確な説明はされない。理絵の「あたしにもうまく説明できない」という一言で終わってしまう。「朝、起きたら毒虫になっていた」のカフカ『変身』の設定と同じ。
 それでも文体や設定の乱暴さをうまく包み込んでしまうくらいの激しさがあるので、展開が支離滅裂でも引き込まれてしまう。装幀がアニメ絵でなかったら、まったく純粋な青春小説として売り出せたかも知れない。
 文中で「お前が本当に何を考えているかわからない」と、家庭訪問で陽介の担任、加藤が嘆くシーンがある。正攻方で躾られることへの苛立ちを、叱られる側からの気まずい思惟が見事に描かれている。(寮のお姉さんが陽介の無断外出を見つけて、自分が彼をどう叱ったらいいかわからず、戸惑い、照れている様がかわいい。理絵との掛け合いよりも生き生きしていた)
▼夜は添田さんのお誘いで、desperaの須永朝彦『美少年日本史』発刊パーティーへ。

3月10日(日)
▼図書館開館30分前に出向く。おそらく一時間前から待っているのであろう人が十数人くらい。
 本日は古本・古雑誌配布に加えて、CD・カセットテープの配布。いつもバーゲンセールのつかみ取り大会・血みどろの荒れ模様……まではいかないにしても、あっという間に品切れになる。開館前から並んでいるのは珍しいことではない。  まさか整理券まで配ったりはしないだろうなと思っていたら、私を含めて並んでいるうち前方ぐらいの人たちにに整理券が配られた。
 時刻は9時30分を迎える。「押し合わないでください」と図書館員の声。
 整理券を持った人のみがCDの部屋に入れる。「時間は15分とします」そんな短期間に大量のCDを見ろと。しかも持ちかえりは5点までだというし。
 あちこちの人にぶつかりあいながら手持ちの5点を入れ替えつつ、その場を去る。会場を出る時も図書館員から、5点以上持っていないかのチェックを受けつつ。
 実はそれから1時間ぐらい図書館内をうろついていたので、会場に再び入ることもできたので、もう一回探し回って余分にCDをゲットしようかと考えたが、さもしいのでやめた。
 戦利品は以下の通り。
●岡村靖幸『禁じられた生きがい』
●東京スカパラダイスオーケストラ『グランプリ』
●細野晴臣『HOSONO HOUSE』
●PSY-S『EMOTIONAL ENGINE』
●todd rundgren『faithful』
滝本竜彦『NHKにようこそ!』(角川書店)
『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』の刊行時に「1978年北海道生まれ・大学中退・引きこもり」という、決して輝かしいとは言えないプロフィールを明かした著者の二作目。それも自らの引きこもり体験を生かした作品だという。
 ここには文系男子の大半が体感しているであろう、やるせなさの世界がある。主人公と後輩山崎の、己の不甲斐なさ加減をクスリと自己肥大妄想で無理矢理盛り上げていく、どうしようもない姿によって、読む人を自己嫌悪の渦に巻き込んでいく。この渦は強力だ。ロリコンにはまろうが、エロゲーで一攫千金を狙おうが、それはすべて無慈悲な青春の断片でしかない。それでも語り口調が熱い。本当に酒やクスリでトリップした瞬間に書いているんじゃないか。そうなのか?
「このやるせなさは自分のせいじゃない。誰かが自分をはめようとしているんだ」という手前勝手な理論によってNHK(ニホン・ヒキコモリ・キョウカイ)の陰謀である、という理屈をでっちあげるところは、「自分が哀しくて退屈なのは敵がいるから」という理屈の元に世界が回転している前作と同じ。
 前作と違うのは、今回のヒロインがお人形さんでしかなかったのに対して、「育ての親が新興宗教にはまっているのを嫌々ながらにつきあっている」ヒロイン岬には躍動感がある。ただ主人公にべったりの関係になるだけでなく、心の闇を持ちながら宗教にもライフスタイルにも一家言を持つ。「あたしよりも惨めな人」と常に主人公を格下の視点で見つめる。サディスティックな言いようは最後の最後まで変わらない。小説世界の中で、不思議少女の概観を備えながらも生き生きしている。そして主人公の泣き所を攻め続ける。著者の卑屈な感覚がヒロインのリアル感を、主人公との対峙から浮かび上がらせている。
 大きなお世話ながら、三作目がどうなるか楽しみです。

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