日記 index

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(200201)

千と千尋の神隠し
 やっぱり『もののけ姫』の小難しいテーマに対していろいろ言われたのでしょうか。今回はシンプル。『魔女の宅急便』のような自立をテーマにしながら、現代日本と昔の日本(江戸時代やら昭和時代やら)を交錯させた異世界、そしてへんてこな生物たちがうごめく世界は健在。空を飛ぶのも健在。 「宮崎映画」がひとつのブランドになって、大人も子供も観るようになって、子供の側で満足させなければならない位置と、大人の側から納得させなければならない位置の両方を背負わされることになった。例えばカオナシひとつにとっても「現代日本人を象徴している存在」などと言われてしまうのだろうけど、本当はその程度の批評を持つことで満足できる人間が複数いるのだということ。そしてその程度の「大人の目」で悪魔の辞典片手に批評する浅はかさから、もっと上によじ登らなければならないこと。宮崎駿が数々の「飛翔」のイメージを具現化するのは、子供の視点に立ち戻る、という部分を拡大解釈しないように戒めていると言えるのか。と、これもまた浅はかな大人の視点ということで。(2002/01/02)

玩具修理者
監督 はくぶん
出演 田中麗奈 忍成修吾 姿月あさと 美輪明宏

 一時間に満たない中で楽しませる要素は持っていた気がする。あっさり目で、ホラーの舞台装置である「子供の頃の出来事もしくは記憶」を使っていた。ちなみに田中麗奈の名前が主役になっていますが、本当の主役は子供の頃の自分を演じた子役の方では。出演時間のほとんどは子役の子だったし。
 その中で、「機械と生き物の境目はどこにある?」とストーリーの骨子になるキーワードを投げかけていましたが、忍成修吾に投げかけるときの言葉に媚態が混じっていました。ぜひ次は「誘う女」役をお願いします(って誰に言ってるの)。(2002/01/03)

息子の部屋
監督 ナンニ・モレッティ
出演 ナンニ・モレッティ ラウラ・モランテ ジャスミン・トリンカ ジュゼッペ・サンフェリーチェ ソフィア・ビリジア

(一応ネタバレ注意)
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の次はこれ、などというキャッチコピーを随所で見かけましたが、カンヌ映画祭パルムドール賞最優秀作品賞を続いて受賞した、ってだけなんですね。『ダンサー〜』があれだけ大味な作品なだけにこの小品(質が落ちるって意味ではないが)にこのコピーは無理ってものがあるぞ。
 それに『親愛なる日記』(95年作品)のようなとぼけた皮肉とペーソスを期待しなくもなかった人間にとっては、真っ正面から家族愛を扱っていたのが、ちょっと観る側にとって荷が重くて。
 とにかく人がよく泣きます。彼らの嗚咽が穏やかな画面に添えられると、イタリア人は何かにつけて情熱的だというのがよくわかります。息子とつきあうところまでいったという例の彼女が出てきて、二転三転してあのラストで本当によかった。(2002/01/27)

(200203)

アメリ
監督 ジャン=ピエール・ジュネ
出演 オドレイ・トトゥ/マチュー・カソヴィッツ/ヨランド・モロー/ジャメル・ドゥブーズ/イザベル・ナンティ/ドミニク・ピノン

●公式サイトはここ●

 早くに母親を亡くして、娘が心臓病だと思い込んで慎重になった父親に育てられるという複雑な家庭(それほどでもないか)に育ったアメリは、二十代になっても空想の世界で暮らしているも同然だった。ある日自室にかつて四十年前に住んでいた人物に贈り物をしたことからアメリの生活は一転し――。
 空想の世界が主体になっているということなので、一部分の論旨が破綻したままラストまで続く。ラストまでの目的は、自分探し、彼氏探し。
 映像も美術も凝りまくるだけ凝りまくっている。ちりばめられているのは、十代〜二十代前半の女の子がおもちゃ箱をひっくり返しては独り遊びを続ける、好き/嫌いの価値観。
 それは映画冒頭で、アメリの父母・少女のアメリ、そして1997年9月1日ダイアナ元妃が事故死したニュースが駆け巡った頃の、仕事先でのアメリの周囲にいる人々が、それぞれ好きなもの・嫌いなものが列挙されている。「人生」という単語を直截に口頭で放つのもフランス映画の王道。
 この映画はカップルで来た客が多かったようですが、ひょっとすると彼氏の方は、彼女の脳をスキャンして出力された、カラフルでサイケデリックな世界を大画面で見たことにはならないのでしょうか。(2002/03/27)

(200205)

害虫
監督 塩田明彦
出演 宮崎あおい 田辺誠一 蒼井優 沢木哲 石川浩司 天宮良 伊勢谷友介 りょう

 少女たちの息づかいと様々な憧憬や協調や諍い、そしてほのかなフェティシズムが随所に出てきて(秘密の場所で寝そべっている宮崎あおいの制服の長いスカートをめくるところを見て、そういえば女子の制服って最近見かけるのが短いやつばっかりなんで、あれはすごく新鮮であり、かつては当たり前に見かけた制服であることを思い起こさせました)、これはそんなときめきに誘い出してくれるのではないか、と錯覚してしまうのですが、そんな気持ちを後半で次々と裏切ってくれるのです。「恐るべき子供たち」ならぬ「恐るべき少女」宮崎あおいの無軌道な青春の行く末は、黒目がちなその瞳を見つめるだけで、すべて肯定してしまいながら、観る者をラストまで悶えさえます。いろんな意味で。(2002/05/05)

ふたりの時、ふたつの時間
監督 葵明亮(ツァイ・ミンリャン)
出演 李康生(リー・カンション)/陳湘h(チェン・シアンチー)/陸奕静(ルー・イーチン)/苗天(ミャオ・ティエン)/葉童(イップ・トン)/ジャン=ピエール・レオー/陳照榮(チェン・チャオロン)/蔡閨(ツァイ・クェイ)


 誰かの死だったり別離だったり、予測不可能な出来事に日々さらされているという事実は、戦争や飢餓が当たり前でない空間に生きていると、つい忘れがちなままである。時の魔法という大きな揺さぶりかけに、出会いと別れの繰り返しという大きなメリーゴーランドの輪の中、あるいはハムスターを遊ばせる輪の中でずっと動き回って、その速さを目で見て確かめようとしている、そんな静かな映像。(2002/05/09)

ハッシュ!
監督 橋口亮輔
出演 田辺誠一 高橋和也 片岡礼子 秋野暢子 冨士眞奈美 光石研 つぐみ 沢木哲

 同棲しているゲイ、そしてその生活にすっと入っていったひとりの恋多き女「結婚する気はないけど子どもが欲しい」
 彼ら三人、そして彼らの肉親や会社の同僚など、みな自分のことだけを語ることで台詞が成立している。相手のことを気遣っているように見える人物も、「相手を気遣っている」ポーズを会話に乗せているだけで、結局は自分のことを語っている。大まかな見地では、「人間って寂しくて哀しい生き物なんだなあ」というところで話が終わってしまうが、ゲイという「世界から遠く離れて疎外感を味わう宿命にある」と当人たちが思いこんでしまう、あるいは哀しいかな、そういう場面に立たされてしまう人々を際立たせることで、「人間の孤独」を深く掘り下げる。
 孤独の映画なら観るにはちょっと辛気くさいのかというとそうではなく、ゲイのカップルなのにヘテロセクシャルさながらの温かく滑稽なバカップルの(あえてこの言葉を使う)会話。そしてそのカップルのうち片方の精子をもらって子どもを「産ませろ」とせがむ女の滑稽さ、そして改めて「子どもを産むこと」に関して真剣に考え行動する三人の滑稽さが、秀逸な台詞運びによって、観る人を深刻にさせない。初めから終わりまで台詞にうけて笑い飛ばしている人も、エンディングの字幕がスクロールする頃に何かいくばくかの、言語化できないものが残るのではないかと。(2002/05/24――2002/06/20改)

(200207)

アイ・アム・サム
脚本・制作・監督 ジェシー・ネルソン
出演 ショーン・ペン ミシェル・ファイアー ダイアン・ウィースト ダグ・ハッチソン スタンリー・デザンティス ブラッド・アラン・シルヴァーマン ジョセフ・ローゼンバーグ リチャード・シフ ローラ・ダーン ロレッタ・ディヴィアン

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「泣かせる要素」というのが随所に入りこんでいるのがわかる。ちょっとした映画通の人が観たら、それだけで毛嫌いされそうなようそでもある。(と書いても、俺自身そんな重箱の隅をつつくような映画評なんてわざわざ読んでみたいとも思わないんだけどね)音楽から映像から、ビートルズが大好きな人に受ける要素もあるし、だけどビートルズのことなんかまったく知らない人に対する希求力もある。「知識のない人にまで訴えかける能力」という点で、この映画のキャパシティは、こずるい面も加えて巧妙に働きかけている点が多いのではないかと。この映画がもしこれからも多くの賞を受賞して、普段映画なんか観ない人々の話題に上るようになったとしたら、ショーン・ペンの演技含めていろいろ学ぶものも改めて観ることができるようになるのではないかと。「泣かせる要素」に目を眩まされることなしに。(2002/07/07)

(200208)

チョコレート
監督 ジェシー・ネルソン
脚本 ミロ・アディカ ウィル・ロコス

出演 ハル・ベリー ビリー・ボブ・ソーントン ヒース・レジャー ビター・ボイル ショーン・コムズ モス・デフ

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「チョコレート色の肌」というと、どこかの国の婦女子がせっせと顔面やその他を黒くした姿を目にするが、この言い方がほんとシャレにならないくらいに、人種差別というものが横行している都市がある。たとえばアメリカ南部ジョージア州。
 引退した父親の後を継いで刑務所の看守になり、そして息子も同じ職に就いている、主人公のハンク・グロトウスキ。もうひとりの主人公、死刑囚の夫と肥満児の息子を持つ黒人一家の主婦レティシア。彼らの周りには黒人差別がいまだに渦巻き、そして決して安らかな死を迎えない運命が待っている。死刑執行を言い渡される者、その現場を見て苦しみ自殺する者、不慮の事故であっけなく命を失う者――。
 彼らにふりかかる重く哀しい現実と、それをはね除けて幸せになろうとしたハンクとレティシア。人種も不幸もすべて超越して結ばれる愛。
 重たい日常を過ごすために、彼らは愛を語らう時以外はほとんど多くを語らない。レティシアと彼の夫が死刑執行時の同時間帯に煙草を吸うシーンや、ハンクとレティシアが出合う雨の路上シーンなど、交錯する世界を結びつけるカットのつなぎ方も秀逸。そしてやっぱりあちこちにチョコレートが出てくるためにこの邦題になったのだろうけど。(原題は『MONSTER'S BALL』)(2002/08/19)
(200209)

チキン・ハート
監督・脚本 清水浩
出演 池内博之 忌野清志郎 松尾スズキ 馬淵英里何 春木みさよ 尾美としのり 荒木経惟 岸部一徳

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 この映画を評する時に「三人の個性が融合してひとつの作品としてまとまりました」なんてうっかり評しがちになりそうだが。いや、ほんとにそんな映画評を見たことがあるわけじゃないが、もし仮にそんな評論を書いている人がいたら、僕はその人を信じない。だって「運動会では赤組がみんなで一致団結して、優勝を勝ち取りました」「今回の県大会出場は我が校の選手がひとつにまとまったからです」なんて嘘臭さが漂ってくるから。このメインの三人、まったくバラバラでしょ。畑もキャリアもまったく似通ったところがない。でもそれがそれぞれの位置にいることで出来る空気、それがこの映画の大きな力。
 特に「男の友情」なんてまとめられるかもしれないが、実は男の世界を引き立てているのが、彼らに関わる女優たちというのも大きなポイント。松尾スズキ×馬淵英里何、池内博之×春木みさよ(←同人誌などにおける「受け・責め」という意味ではありません)というそれぞれの絡みに加えて、忌野清志郎と絡む女優が居ればよかったような気がする。つうかあくまで「気がする」だけで、あの映画の展開からして孤高の存在でなければいけなかったのかもしれないけれど。
 あと、しょっちゅう屋台でビールを呑んでいるシーンが出てきて、残暑厳しい中ビールが飲みたくなって困った。アラーキーが経営している屋台なんて呑んでみたいぞ。退屈しなさそうで。(2002/09/01)

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