▼室井佑月「熱帯植物園」(新潮文庫)
うっかりしていると女流作家ってのは、(だいたい「女流作家があって何で男流作家がないのか」と、文章に通じている人なら誰でも揶揄するほど、この言い方自体が変てこ)ビジュアルとライフスタイルが当人の作品という存在を圧倒しているケースが多くないのか。愛に恋に性に貪欲な(この場合は作品や当人を含めて)作家だったら。
こういう人だと、広告ばかりの女性雑誌の片隅などにエッセイをちょこっと書いているだけで「あの人が書いている」というだけでしか認知されず、書いている内容のダシの深いところまで噛みしめられていないという気がするのだ。当人のファンと名乗っている人は別にして。
というわけで、若い女流作家ほど損している。そんな気がする。大きなお世話か。
この本の表題作にしろ、現在の、女子高生から女性に至るまでに周囲を取り巻く小物の単語が、そこかしこに溢れている。その表層だけ切り取られると「現代の女の子の感性をするどく切り取っている。はい終わり」的な書評でくくられてしまうことが多そうだ。もっと深いところでのポテンシャルもいっぱいありそうなのに。
たとえば、この小説の主人公「由美という本名なのに、リエと名乗ることを要求されて、受け入れた女の子」を男の子に置き換えれば、現代の男の子の生理や感情をそのまま映し出してくれそうだ。この人には、男の子の一人称で書いた文章を期待したいなあ。考え方が「男子より男子っぽい女子」というか。
ビジュアルが男の子みたいな短髪だから言うのではないが。(2000/12/01)
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