▼北村薫「スキップ」(新潮文庫)
 まず私が思うのはこの小説は「タイムスリップ」という「嘘」を突き通すには全体の中身が長すぎる、ということ。ここまで「昭和42年の17歳の女の子」と「平成時代の17歳の女の子」のそれぞれの風俗を調べて、そのギャップを楽しませるまでに至らしめたエンターテイメント性は敬服に値するのだけど……。
 彼らの作品は子供(……ってのも何歳から何歳までを相手にしているのか、一口に言って難しくなってきている時代だ)を相手にしているからその矛盾も救われる要素があるのだけど(それに彼らが甘んじていないというのはご存じの通り)これはあきらかにかつて少女(少年)だった人を対象にしている小説のはず。(余談だけど、私はぷうたろう時代に印刷工場のバイトやってて、そこで女性誌を担当してましたが、そこで20代〜ミセスの年代の雑誌の本特集に必ず載っていたな)単純にその「品行方正」な一ノ瀬まりこっていうキャラクターで押していくにはストーリーが脆弱すぎる。というより最初言ったように長すぎて、冗長で退屈な方向に持っていく危険性もあるということ、これはエンターテイメントには命取り。
 うーん、救いは娘の美也子だったかな(これも「スキップ」刊行時頃、10代の女性アイドル向け雑誌などで、「スキップ」をドラマ化したらキャストは誰がいいだろうなんてネタをよくみかけた。結局酒井美紀になったってことか)「いわゆる平成時代の女子高生」というところから外れた人格形成をしている(当たり前といえば当たり前の作り方だろうけど。やはり「携帯」とか「ブルセラ」などという言葉が関連したら変だもの)つまり自分で小説書くときにはこういう女性キャラクター使いたいっていう憧れみたいなものがあるのかなーってことだけど。
 ただ「美也子」も「桜木さん」も結局いい人で、主人公の行く手を阻む性質を持っていないこと、というより登場人物全員そうだっていうことで、そのへんも好みの別れそうなところかな、と思う。(私は決してそういうのは嫌いではない。ただし、「全員いい人」だということによって、その小説の物語性が低くなってしまうことにも目をつぶるほどおとなしいわけでもない)いろいろごちゃごちゃ書いてますけど、枠組みとかは悪くない、という結論です。(1997/12/07)
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