江戸時代の絵師、司馬江漢は「西遊旅譚」で鳳来寺から御油の道のりを次のようにつづっている。
門谷を出て沢づたいに一里ばかりで追分茶屋があり、さらに7,8丁で豊川を船で渡ると滝川村、銭亀村と続く。 さらに大海村、信玄村、設楽の古戦場を抜けて3里ほど歩くと、新城の街並みに入る。山の湊「郷が原」は人家が多くて豪商が軒を連ねている。これより野田へは2里16丁、大木村へ3里、豊川を左に見て原を2つと本野が原まで木立ないススキの原を抜けて、ようやく松原道を行くと一里余りで東海道御油の往来にでる。掛川より50丁を1里にして総距離27里(役100KM余)。脇参道、秋葉街道鳳来寺みちは「起状深く、曲がり多くして大難所なり。」
 司馬江漢の書いた文章を辿って鳳来寺の門谷をで沢道を下り、追分に出、7,8丁で豊川に掛かる橋を渡り、滝川村、銭亀村を通り、大海村から信玄村に道を辿った。バイパスからはずれた旧道は、今も江戸時代の風景,史跡が残り、当時の風景が目に浮かぶ。旧道には今も秋葉燈籠が残り、当時の村人の秋葉信仰の強さが、旅人の道を守った秋葉燈籠(秋葉山とは大変離れている)を建て、今も残っていることにつくずく感心する。
 

 
A点門谷から沢道にいく
 
B点 追分茶屋があった所
 
沢道途中の地蔵
 
D点 銭亀村集落
 
E点 大海村の古い家
 
F点 信玄村の地蔵(元禄に作られた)
 
信玄村の秋葉燈籠(秋葉山が横)
 
大海村、信玄村の境の秋葉燈籠(新東名に掛かる寸前)
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