尾 形 亀 之 助

 

      夜がさみしい

   

眠れないので夜がふける

  

私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寝床に入つてゐる

 

電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて

 

その端に電車がゆはへつゐている

      

「雨になる朝」より

  ポラリスの感想

尾形亀之助にはかなわねえ,と思った詩

電車の音って細く(しかも糸のように)消えていく,それを夜とシンクロさせるなんて

しかも糸の端には電車が結ってあるだぜ,言葉がでなかった

この詩を読んだとき,ちょうど電車の音が聞えた,あの人への思いが消えていくようだった,電車とともに

幸い,今は近くに電車は走っていない(地下鉄が走っている),さみしい思いはしなくてすみそうだ

 

でも,ちょっと待てよ,「雨になる朝」の刊行は昭和4年,このころ尾形は新宿上落合に住んでいたと思われるのだけれど,電車が通っていたのかな,中央線か

参考 現代詩手帖11月号(尾形亀之助特集)から

バックナンバー 

「色ガラスの街」此の一巻を父と母とに捧ぐ

9月の詩

明るい夜

   

「雨になる朝」この集を過ぎ去りし頃の人々へおくる

落日

初冬の日

雨日

「障子のある家」あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)

詩人の骨

三月の日

未刊詩篇から

梅雨の中

七月

春は窓いつぱい

 

 尾形亀之助 年譜

   明治33年(1900年)生まれ 生家は莫大な資産家

   大正10年(1921年)森タケと結婚。生家からの仕送りで生活をまかなう。

   大正11年(1922年)第一詩集『色ガラスの街』起稿。絵画の個展開く。

   大正14年(1925年)第一詩集『色ガラスの街』刊行。このころから絵筆を捨て,詩に専念。

   大正15年・昭和元年(1926年)第二詩集『雨になる朝』起稿。

   昭和 3年(1928年)妻タケと離婚。芳本優と同棲,のち結婚。

   昭和 4年(1929年)第二詩集『雨になる朝』刊行

   昭和 5年(1930年)この春頃より,餓死自殺を口にする。第三詩集『障子のある家』を刊行。

   昭和11年(1936年)生家の財政難悪化。仙台市役所に臨時雇として勤めはじめる。

   昭和16年(1941年)妻優,三度目の家出。喘息,痔病,尿道結搾症,腎臓炎に悩まされる。生家ますます逼迫。

   昭和17年(1942年)12月,喘息と長年の無頼な生活からくる全身衰弱のため,誰にもみとられず永眠。42歳

    (現代詩文庫1005『尾形亀之助詩集』 (思潮社)より 上記 詩も同様)

 

 

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