全責任を負う決意

『天皇研究 天皇存在の意義をさぐる 美和信夫著 昭和56年 広池出版(pp.75-77)より引用

 この「自分はいかになろうとも万民を助けたい」という天皇の気持ちは戦後も一貫している。そしてご自分一身で戦争の全責任をとろうとされていた。例えば、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥との会見で、天皇がその気持ちを伝えられたということは有名な話として広く知られている。両者の会見は全部で十一回行われたが、特に天皇がこの気持ちを申し出られた昭和二十年九月二十七目の第一回会見が最も注目される。実はこうした会見内容は互いに他言しないことになっていた。それでも通訳のメモを侍従長が目を通して天皇に提出したとか、あるいはマッカーサー元帥のほうが日本人にもらしたり、回想記に書いたりして、いろいろな形でその一部がわかってきた。『天皇語録』には次の三つの内容で、第一回のマッカーサー元帥との会見での天皇の発言が掲載されている。

(1)敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼等に責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい(『侍従長の回想』一七三ぺージ)。


(2)私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私白身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした(『マッカーサー回想記』(下)一四二ぺージ)。

(3)自分は今度の戦争に関して重大なる責任を感じている。従って絞首刑も覚悟している……又皇室財産は司令部の処置に任せる……自分の一身はどうなってもよいから、どうか目本国民をこの上苦しめないで貰いたい……(『天皇秘録』一一七ぺージ)。

 それぞれニュアンスは違うが、主旨はほぼ一致している。また、この内容は、昭和三十年に、当時の外相重光葵氏がマッカーサー元帥から直接聞いて、読売新聞に掲載した内容とほぼ一致する。さらに昭和二十三年十一月に、極東軍事法廷のキーナン検事が天皇の不起訴理由を発表した中で次のように述べている。

 証拠の示すところによれば、……天皇が終始、平和を望んでいたことは、はっきり証明されている。……マ元帥が余に語ったところでは、天皇は、証人に出廷したら、我々が証拠によって見出した天皇に有利な事実をすべて無視し、目本政府のとった行動について、自ら全責任を引受ける決心があったという。

 マッカーサー元帥がキーナン検事に、天皇は自ら全責任を引き受ける決心だと語っていて、やはり右記のような天皇の申し出の内容を裏付けている。
 このように天皇はマッカーサー元帥に、一身を投げ出して自ら全責任をとることを申し出られた。しかもそのときでも「この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」と申し出られるなど、国民のために最善の努力を尽くしておられたのである。
 こうして結局天皇は、ポツダム宣言にもとづいて連合国の意向と日本国民の意思に、身をゆだねられたのである。



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