運命は変えることができる──袁了凡の事跡


 中国の明の時代の大学者に袁了凡(えんりょうぼん)という人があります。わが国の足利時代の終わりから徳川二代将軍秀忠の頃まで生存し、豊臣秀吉が朝鮮を攻めた時は、明の援軍の参謀をつとめたといわれます。
 袁了凡は幼くして父を失い、母に育てられました。青年時代に占師に出会って、いろいろと予言をされ、それらがことごとく的中するので、もう自分の人生は定まってしまっていると、宿命論的な人生観を持っていました。
 しかし、ある機会に仏教の高僧・雲谷禅師に出会い、善行を積むことによって運命は変えられると教わり、発心して善行につとめた結果、合格しないと言われた進士(高級役人)の試験に合格し、子どもはできないと言われたのが男の子を授かり、五十三歳で死ぬと言われたのが、七十四歳まで長命したのです。
 そして六十八歳の時、息子のために自分の体験をありのままに書き残したのが「袁了凡先生四訓」という書物です。その一節を要約してみます。(西沢嘉朗『東洋庶民道徳──了凡四訓の研究』明徳出版社刊、参照)

 ●一切の幸福の源泉は自分の心にあるのです

== 雲谷禅師は次のように言われた。
〔我々の行なうどんなに小さなことでも、すべてわが心を通じて宇宙にその通りに記録され、善因善果、悪因悪果、善悪それぞれの報いを受けるのです。
 運命はその人の善悪次第でどうにでもなり、一切の幸福を生む源泉は自分の心にあります。あなたが真心をつくして善事を行ない、陰徳を積めば、『易』に「善を積むの家には必ず余りの慶(よろこび)あり」と述べてあるように、必ずあなたの運命は改まります〕(そして「功過格」という小冊子をくださり次のように言われた。)
〔日々の善悪のすべてを記録しなさい。例えば善事二つを行なっても悪事一つを行なえば、その日は善事が一つというように差し引きしていき、まず三千の善事を目ざしなさい〕

 そこで私は心から反省して、まず三千の善事を行ない、神様・祖先の恩に報いることを誓った。しかし、過ちも多かったし、善悪を差し引きしてマイナスの日が続いたりしたが、自分を励ましながら続けて、十年かかってようやく三千の善事を完成した。引き続き、また三千の善事を行なうことを誓い、子どもが得られるようにと願を起こした。
 二年ほど経て、まだ三千の善事が完成しなかったのに、息子のお前が生まれたのだ。お前の母は文字が書けなかったので、こよみの日の上に、筆の軸で朱の○印をつけた。貧しい人に食事をさせたり、魚やエビを買ってきて川に逃がしてやったりして、多い日には十以上の○印がついた。こうして夫婦で努力して、ようやく三千の善事を達成した。
 今度は進士の試験に合格したいと考えて、一万の善事を行なうことを誓った。四年目試験に合格して知事になったが、一万の善事は達成できない。お前の母は、私の善事の数の少ないのを見て「役所の仕事が忙しいので、できないのでしょうか。いつになったら完成するのでしょう」と嘆いた。私もどうしたらよいかと苦しんだ。

 ●本当に善い心で行なえば、一つの善事でも一万の善事に相当します

 そうした日のある夜、夢の中で神様に出会い、一万の善事の完成が難しいことを申し上げると「租税を減じなさい」と言われたので、工夫して減税をした。これでも不安に思っていると、ある高僧から「本当に善い心で行なえば、一つの善事でも一万の善事に相当する」と教えられて安心した。こうして努力を続けて、ようやく一万の善事も完成した。
 さて、占師は私が五十三歳の八月十四日に死ぬと予言したが、私は延命のお願いは一度もしていないのに、今年で六十八歳になった。
 わが息子よ、よくよくこのことを考えて、遠くは祖先の徳を輝かすことを思い、近くは父母の過失を補うことを思い、上は国の恩に報いることを思い、下は家族の幸せを思い、外には人々の困難を救うことを思い、内には自分の利己心に克つことを思い、日々反省しつつ精進努力を続けなさい。==
 袁了凡の教訓は、約四百年も前のことですが、現代でも通用する真理ではないでしょうか。



出典 広池学園出版部 編集発行『ニューモラル選集D 幸せへのプラス発想』 pp.113−116