昭和五十九年に開かれたロサンゼルス・オリンピックはスポーツの祭典にふさわしく、多くの名勝負、名場面が見られました。中でも日本人にとって忘れられないのは、柔道の無差別級で、山下泰裕選手が右足を負傷しながらも、ゴールドメダリストの栄誉に輝いたことでしょう。
ところで、このとき山下選手に敗れ、銀メダリストとなったエジプトのモハメド・ラシュワン選手が、今年の六月、ユネスコの国際フェアプレー委員会から、フェアプレー賞を贈られたことをご存じでしょうか。ラシュワン選手は、山下選手の痛む右足を攻めず、そのフェアな試合ぶりが話題になっていましたが、それがフェアプレー賞を受ける理由になったのです。
──もし山下と同じ状態でもう一度対戦する機会があったら、また同じように戦う──
──あのとき、つまらない駆け引き(負傷個所攻撃)は必要ないと思った。その結果、負けたが、私の心には今も満足感が残っている──
ラシュワン選手は、こうきっぱり語っています。(朝日新聞、S60・6・3)
山下選手の負傷した足を攻めれば、金メダルの可能性が増したかもしれないのに、あえてそうしなかったラシュワン選手。彼もまた「小さな欲しかない人」ではありません。勝負の勝ち負けよりも、もっと人間にとって大切なもののあることを知っていて、その道を選んだ「大きな欲」をもった人だといえるでしょう。いわば、勝負には敗れても、人生では勝ち進んでいるのがラシュワン選手の生き方ではないでしょうか。
「小利を見れば、則ち大事成らず」(『論語』)といわれます。私たちは、しばしば手っとり早い利益を追い求めたり、自分のメンツやプライドにこだわりすぎて、人生においてもっとも大きな、もっと大切なことを手に入れそこなっているのではないでしょうか。
もっとも大切なこととは、自分にも相手にも、そして自分の周囲にも、今より少しでも多くの、そして今より少しでも確かな安心、平和、幸福を生み出すことでないでしょうか。いくら大事業をおこし、いくら世の中で名を上げても、それが自分だけの出世、名誉、利益のためであるなら、それは「小さな夢、小さな欲」だといえましょう。
反対に、どれほどささやかであっても、自他の安心、平和、幸福を増やすことに努める人は「大きな夢、大きな欲」をもった人だと思います。
ところで、みなさんにとって「大きな欲」とは何でしょうか。
無敵伝説 山下泰裕(25) 「栄光のためではなく」右攻めていたら・・・
編集特別委員 八木荘司 (産経新聞より)
王者山下は左足一本で戦っていた。軸足の右は肉離れがひどく、相手を投げることなど到底できない。 そんな状態を知っていながら、なぜ挑戦者ラシュワンは山下の右を攻め続けなかったのか。彼が絶対的に信頼する日本人監督、山本信明は得意技、つまり右払い腰で攻めろ、と命じているのである。 ラシュワンはその理由を十二年たった今、私たちがインタビューに訪れた大阪・枚方市の妻の実家の事務所で懸命になって説明しようとした。 「私のベストは、もちろん右払い腰です。ときには右を攻めると見せかけ、左を狙うこともある。でも、普通は左にフェイント(見せかけの技)をかけ、右払い腰で決める。これが私のやり方です」 では、なぜ山下に対して、まず右から攻めようとしたのか。 「あれは左払い腰で勝負するためでした」と、ラシュワンは言った。「右で勝負していたら、もしかしたら勝っていたかもしれない。でも、私は…」あえて王者山下の傷ついた右足を狙わなかった、というのである。 試合はその通りに展開した。ラシュワンは山下の右へフェイントを飛ばしたあと、しばらくして左払い腰に出た。勝つための作戦なら、これほど無謀なことはない。 彼は右、山下は左組みである。右組みの彼が相手に有利な左で勝負しようとしたのである。しかも開始後三十秒と経っていない。「一分待て」と命じた山本の指示を忘れたのか。 ラシュワンが攻めてきた左払い腰を、山下はさっと透かした。「初めて使った透かし技だった」と山下は言う。そのまま押し倒し、寝技の攻めに入った。 「抑え込み!」 主審が宣した。 横四方固めである。 離すものか、絶対に離すものか。山下は運命にしがみつくようにラシュワンを抑え込んでいた。地震があろうと会場がつぶれようと、この手を離すものか。 栄光に向けて、時計はゆっくりと三十秒の時をきざむ。 ブザーが鳴った。山下はまだ抑え込んでいた。ラシュワンが観念したように力を抜き、腕を広げ、やっと勝利に気づいた王者のそのときの顔は、まるで泣きじゃくる子供のようだった。 後は胴上げである。君が代、日の丸である。ラシュワンがやさしく王者を支え、表彰台の中央に上げた。金と銀、二人の胸に輝くメダル。それがこの無敵伝説のフィナーレであるはずだった。 ところがロスの夏のドラマは終わらなかった。翌朝、新聞にこんな見出しが躍っていた。 「フェアだった敗者ラシュワン」 「負傷の右足攻めず」 「称賛のコールやまず」 「右足狙わず堂々と」 以下は、記者団とのやりとりである。 《ラシュワンは「ヤマシタが右足をけがしたのが分かっていたので彼の左側へ技を仕掛けた」と振り返った。「なぜ、痛めた足の方を攻めなかったのか?」の質問にも「それは私の信念に反する。そんなにまで勝ちたくなかった」とさわやかに胸を張った》(産経) 《「ヤマシタが右足を痛めていることは分かっていた。だからこそボクは(山下の)右足を攻撃しなかった。それにヤマシタが強かったから、自分は負けたのだ」−ラシュワン(エジプト)は淡々と語った》(読売) 「涙の金メダル」のドラマの最後に、巧まず演出された世紀の美談が待っていたのだった。 |