笑い方を忘れてしまった女性の物語


 自分の問題に対する見方、考え方を変え、人生をいきいきと生きるようになった実例として、かとうみちこさんのことをご紹介しましよう。

●入・退院をくリ返す日々

 埼玉県川口市に住むみちこさんは現在三十五歳。職業は結婚披露宴などの司会を請け負う司会業です。また、ミニコミ誌の編集委員、埼玉情勢判断学会主宰であり、美しい詩を書く詩人でもあります。電話でお会いしたい旨お話しすると、明るく澄んだ声で、「はーい。お待ちしてまーす」。面会中も終始いきいきと応じてくれて、そのあまりの明るさに、この人はほんとうに無腐性壊死━━骨が腐る病気)と闘っているんだろうか、と思いました。
 みちこさんが心臓発作を起こして倒れたのは、高校二年、十六歳のときでした。高校三年のときに再び倒れ、入院生活が始まりました。その三学期はついに一日も登校できず、卒業式は母親が出席して卒業証書をもらいました。入院中に受験、短大の国文科に入学したものの、卒業を目前にして病気が再発し、病院にもどりました。以後、大学病院等を転々として、入・退院をくり返しました。病名はなかなかはっきりせず、無腐性壊死と診断されたのは、いまから数年前のことでした。

●コンプレックスから自閉症に

 「私ね、細胞が死んでいく病気でしょ。最初かみはツメが壊死して、髪の毛がぬけて、片足がダメになって、歯がポロポロ欠けて……」
 二十歳の春、代謝不能のために、一時は体重が二十二キロ、血圧が六○−三〇と最悪の状態になり、三〇〇〇tの輸血によってようやく一命をとりとめました。二十二歳のとき、歯は全部欠けて、総入れ歯にしました。
「多感な思春期に発病して、二十二歳で総入れ歯でしょ。命がどうのこうのというより、すごいコンプレックスに陥って、自閉症になっちゃったんです。自閉症になると、何か話そうと思っても、言葉がパッと出なくなるんですね。物をぶつけること以外に自分を表現する方法がなくて、まわりへの反抗ももっとひどくなりました」
 ある小冊子にみちこさんの写真が二枚、上下して載っています。ムスッとした上の写真は昭和四十六年のもの、明るい笑顔の下の写真は十年後のものです。
「上の写真は、兄が、ハイ笑って、と言ってとってくれたものです。自分ではニコーッと笑っているつもりなんですよ。でも、ダメ。人間って、何年も笑わないでいると、笑い方、忘れちゃうんですね。……ほんとうにうらみつらみの人生だったんです」
 それがどうして明るい人に生まれ変わることができたのか━━。


“生かされているかぎり生きてみよう”

●人生を変えた出会い

 昭和五十二年、みちこさんは友人に誘われてある出版記念パーティーに出席、そこで城野宏氏(城野経済研究所所長)と出会いました。みちこさんにとって、これは決定的な出会いとなりました。
 なにより共感を覚えたのは、城野氏の体験でした。氏は戦後も中国に残り、政治犯として禁固十五年の刑に服しました。長い監房生活を送ったわけですが、何一つとしてすがれるもののない獄中にあって、氏は、だれもうらむことなく、同じ運命の多くの人々と積極的にまじわり、国内外の情報収集ということに大きな楽しみ━━城野氏の言葉を借りれば“ロマン”━━を見いだしたのでした。ロマンがあれば、人はどんな条件の中でも、その条件を生かし、いきいきと生きることができるということを、氏は身をもって証明したのです。
 みちこさんは言います。
「それまでの私は、自分ほど不幸な者はないと思い、病気をうらみ、両親を責め、生きること全部を否定していました。でも、城野先生のお話を聞いて、医師の治療を受けられることを幸せに思いました。両親をはじめ、多くの人々に育てられてきたことに感謝しました。そして、とにかく生かされているかぎり生きてみよう、と決心したんです」

●マイナスをプラスに

「城野先生から、『病気をもっているというけれど、目も見えるじゃないか、片足も使えるじゃないか』といわれ、再認識してみると、九〇パーセントは健全なんですね(下のリスト参照)。私たちは、何か問題があると、悪いほうへ、悪いほうへとしが考えないでしょ。いいところと悪いところとをセットにして考えようとはしないんです。私も、病気という一部分だけを見て、うらんだり、望みをなくしたりしていたんですね。それが九〇パーセントは健全━━すごい発見でした」
 生きてみよう、と決心したみちこさんは、他人や周囲の条件にすべての原因を求めていた“人頼みの姿勢”を反省し、これからの人生をつくる“主因”は自分自身の心の中にあること、そしてそれ以外は単なる“条件”にすぎないことを自覚しました。
 そこで、みちこさんは、自分の全体をしめる“健金”のほうに着目し、病という“条件”を生かしてしまおうと決意しました。すると、@病気や健康についての知識、情報に詳しくなれる、A痛みを持つ患者の心理、臨床心理を学ぶには絶好の条件にある、B生命力、自然治癒力のすばらしさを学ぶことができ、生きている感動をつねに持続することができる、というように、それまでマイナスの条件だったことをプラスの条件として見ることができるようになったのです。
「どのような条件でも生かすことができる
し、殺すこともできます。それは、心一つでできるんですね」
 みちこさんが目の不自由な方々への朗読奉仕を始めたのも、この条件を生かそうとする心の現われです。

*みちこさんのリスト*

不健全なところ 健全なところ
通風 目も見える
体温調節ができない 耳も聞こえる
じん臓肥大 口もきける
左股関節の壊死
(痛みはさまざまだが
進行はとどまっている)
手も使える
右ひざ軟骨障害 指も使える
歩くこともできる
心臓もよくなった
思考することもできる



“嘆きの人生”から“楽しみの人生”へ

●ロマンがあれば疲れない

 さらにみちこさんは言います。
「要するに、現状維持か現状打破か、嘆きの人生か楽しみの人生か、この二つに一つしかありません。二者択一です。このどちらを選ぶかはそれぞれの自由です。私はうらみつらみの毎日を送っていましたが、ここから脱け出たい、なんとかして変わりたいという強烈な願望を持っていました。それで、嘆きの人生を捨て、楽しみの人生を選んだんです」
「嘆きの人生も、楽しみの人生も、使うエネルギーは同じです。人をうらみ、そして嘆いていたときは、あまりエネルギーを使っていないようですが、消耗というエネルギーがすごいんですね。その同じエネルギーでいまは普通の人以上に行動していると思うけど、心にロマンを持っていますから、疲れません」
 みちこさんのロマン━━それは、司会業、ミニコミ誌の編集、詩作、埼玉情勢判断学会の活動などを通じて、人々の幸せのために献身するということです。
「確かに痛みはあるんですが、ずいぶん和らいできています。病気は進行性のものですが、とどまっているんですね。人間は、生きることを拒否すると、体の細胞は死ぬ方向にいくんです。希望やロマンに向かっていくと、細胞はみるみる生きてきます」
「私は自分の生命力を信じています。一生懸命に生きていて、世の中に必要とされる人間であるなら、神が生かしていてくれると思います。毎朝毎朝、起きたとき、確かに不安があります。今日一日、無事に生きられるだろうか、と。前の晩に足の痛みがあって、朝その痛みがないときは、すごくうれしい。私は、生きていることに慣れることができないんですね。慣れることはこわいことだと思います。発見も感動もなくなって。慣れないでいられて、幸せだと思います」
 みちこさんは、昭和五十八年七月に『しあわせのかくしあじ』(地湧社刊)という本を出しました。その中に表題となっている詩があります。

    しあわせのかくしあじ
    からいお塩は
    おいしい おしるこのかくしあじ
    からい くるしみ かなしみ
    そして わかれ
    みいんな しあわせのかくしあじ
    ひとふり ふたふり
    ほら!
    しあわせが とっても
    おいしくなったでしょ


人生をいきいきと生きるための考え方

 かとうみちこさんの生き方からはたくさんのことを学ぶことができます。中でもとくに重要と思われる考え方を列記してみましょう。
@まだ生きているうちから死を考えることなどはまったく無意味である。生かされている間は精いっぱい生きることだけを考えればよい。
A希望やロマンをもっていれば、どんな状況の中にあっても、いきいきと生きることができる。人の幸せのために献身しようとすることは大きなロマンである。
B人生をつくる“主因”は自分自身の心の中にある。このことを自覚して、“人頼だみの姿勢”から脱却することが大切である。
Cつらいこと、苦しいことなどは一部分的なことである場合が多い。もっと大きな、全体的な視点から見てみれば、幸いなこと、恵まれていることがたくさん発見できて、生きる意欲がわいてくる。
D悪い条件があっても、それを生かしてしまおうと決意すれば、悪条件はかえって自分を成長させる好条件となる。
E人生には、嘆きの人生と楽しみの人生の二つしかない。どちらを歩くかは各人の選択の問題である。どちらを歩くにせよ、使うエネルギーは同じである。ならば、楽しみの人生を選び、ロマンをもって生きよう。
F悲しみや苦しみは幸せをいっそう深く感じさせるための“かくしあじ”である。
これらはみな、だれにでも役立つ考え方であり、人生を積極的に、いきいきと生きぬくための秘訣であるといえるでしょう。


出典 『ニューモラルG 新しい自分を育てる』 広池学園出版部 編集発行 pp.43−53