“喜びの遊び”のすすめ 少女パレアナ物語

感謝の心が思いやりを大きくはぐくむ

●少女パレアナの遊び

 ここで、パレアナという名の少女の話を紹介しましよう。
 パレアナは、アメリカの女流作家エレナ・ポーターが書いた小説『少女パレアナ』の主人公です。
 パレアナは十一歳のときに両親を亡くし、孤児になってしまいます。そして、おばのパレーにひきとられます。
 パレーの家にひきとられたパレアナは、何もない屋根裏の部屋を与えられ、ガックリします。しかし、すぐに、「鏡のないのもうれしいわ。鏡がなければ、ソバカスも見えませんものね」
と言います。このようにパレアナは、どんなことのなかにも喜びのタネを見つけだし、感謝に結びつけていくのです。
 それを彼女は“喜びの遊び”と名づけています。苦しいことでも、悲しいことでも、つらいことでも、なんでも喜びにしてしまうのです。この“喜びの遊び”は、神父であった父から教わったものでした。
 おばのパレーは突然舞いこんだパレアナをうとんじ、何かにつけていじわるをします。パレアナは時にくじけそうになりながらも、“喜びの遊び”をつづけます。苦しいこと、悲しいこと、つらいことを喜びに転化するよう努力し、“喜びの遊び”の仲間を一人ずつふやしていきます。やがて大人も子どもも、村中の人が、喜びの遊び。に夢中になります。その遊びは村がら町へと広がっていきます。パレアナの周りは喜びでいっぱいになります。

●“喜びの遊び”のすすめ

 ところがある日、パレアナは交通事故にあい、片足を切断しました。失意のどん底に沈んだパレアナは、喜びを見つけることができず、病床で悩みぬきます。
そんなとき、最後まで“喜びの遊び”の仲間に入らなかったおばのパレーが、ついに仲間になります。そして、病床に横たわるパレアナに向かって言いました。
「町中の人がこの遊びをして、町中が前よりもおどろくほど幸せになっている━━これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた、たった一人の小さな女の子のおかげなのだよ」
 パレーおばさんも仲間だとわかったとき、バレアナは病床で手をたたき、
「ああ、あたし、うれしいわ」
と叫んだかと思うと、突然その顔にすばらしい輝きがあらわれました。
「あら、おばさん、やっぱり、あたし喜べることがあるわ━━とにかく、前には足があったということよ━━そうでなかったら、そんなことが━━とてもできなかったでしょうからね!」(『少女パレアナ』村岡花子訳、角川書店刊)
 たった十一歳の少女が町中の人を幸せにしてしまったのです。実際、パレアナの心づかいはすばらしいと思います。
 パレアナはすべての物事の中に喜びのタネを見つけ、感謝に結びつけていきました。
 喜びの発見→感謝→明るい生活━━一人がこの“喜びの遊び”を楽しんでつづけていれば、家族、友人、職場の仲間へとその輪が広がり、幸福な人がたくさんできてくるでしょう。

●すべての人々に感謝を

 また、感謝→喜びの発見→明るい生活━━という図式も成り立つと思います。直接接する人、心に思い浮かぶ人々に対して、何よりも先に感謝の念をささげるのです。
   「ありがとう」と言ってしまうのです。
   「お父さん、ありがとう」
   「お母さん、ありがとう」
   「友人のA君、ありがとう」
   「職場のBさん、ありがとう」
というように。
 感謝の念を持って父や母を見つめれば、自分を守り育ててくれた深い愛が感得できるでしょうし、友人や職場の同僚・上司への感謝は、その人々の自分への好意を再認識させることにもなるでしょう。愛や好意を実感でれば、その人々に対する思いやりの心も増大するでしょう。思いやりが明るい人間関係の基であることはいうまでもありません。
 ぜひつけ加えておきたいことは、感謝の心はまた私たちの健康維持にも有効である、ということです。
 医学博士の杉靖三郎氏が、あるときカナダのハンス・セリエ博士(内分泌学者)を訪問し、つぎのようにたずねたことがあります。
「現代人をストレスから救う方法はないでしようか」
 セリエ博士は答えました。
「その原理は東洋にあるでしょう。それはプリンシプル・オブ・グラティチュード(感謝の原理)です
思いやりを増大して快適な人間関係を築くために、また現代社会のストレスから身を守るために、“喜びの遊び”とともに、“感謝の実践”をすすめてみようではありませんか。



出典 『ニューモラルG 新しい自分を育てる』 広池学園出版部 編集発行 pp.79-84