思いやりの実践が人生を成功に導く


●周利槃特(しゅりはんどく)の物語

 釈迦の弟子の一人であった周利槃特の話を紹介しましょう。周利槃特はたった一つの心を持ちつづけることによってついに悟りを開いた人です。
 周利槃特は自分の名前さえしばしば忘れるほど記憶力が悪かったので、背中に名札をはっておいたくらいでした。
 あるとき釈迦が周利槃特を呼んで言いました。
「おまえにはむずかしいことを教えても覚えられぬであろう。だから、つぎの言葉のみかみしめよ。『三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし』(身と口と心に悪いことをせず、生き物を害せず、正しい思いに徹すれば悩みはない)」
 釈迦の前からひきさがった周利槃特は、「三業に悪を造らず……」とやり出したのですが、さてそのあとが出てきません。再び釈迦のもとにひきかえして聞き直しました。
「今度は忘れぬぞ。今度こそ忘れぬぞ」
 そして暗誦するのですが、一日たつとすっかり忘れてしまうのです。また釈迦のところへ行って聞く、暗誦する、忘れる、のくり返しでした。数か月たちましたが、同じことです。彼は、悩んで、釈迦のもとにやってきました。
「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かなのでしょうか。自分ながらあきれるくらいです。私はとても仏弟子たることはできません」
 釈迦は周利槃特の肩にやさしく手をかけ、さとすようなまなざしで言いました。
「何を言うか。おまえは愚者ではない。愚者でありながら自分が愚者たることを知らぬのが、ほんとうの愚者である。おまえはおのれを知っている。だから真の愚者ではない」

●人を偉大にさせるもの

 そして釈迦は周利槃特に一本の箒(ほうき)を与え、あらた改めてつぎの一句を教えました。
「塵を払い、垢を除かん」
それからというもの、周利槃特は多くのお坊さんのはきもののチリを払い、箒で各所を掃除しつつ、一心にこの旬の意味を考え、唱えました。
「塵を払い、垢を除かん」
やがて人々から“愚者の周利槃特”と言われる代わりに、“箒の周利槃特”とあだ名されるようになりました。
 こうして何か月かたち、何年かすぎ、何十年という歳月が流れました。周利槃特は自分の心の塵、心の垢をすっかり除くことができ、ついに阿羅漢(聖者の位)とまでなったのです。
 ある日、釈迦は、大衆を前にしてこう言いました。
「悟りを開くということはたくさん覚えることでは決してない。たとえわずかなことでも、徹底しさえすればそれでよいのである。見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」。

●思いやりの訓練を

 周利槃特のように自分の名前を忘れるほど記憶力の悪い人はいないでしょう。その周利槃特でさえ一つのことを根気よくつづけて高い境地に到達しえたのです。私たちにもできないことはないでしょう。
 周利槃特は「塵を払い、垢を除かん」の一句を心にかけ、実践したわけですが、私たちの現代社会においては、
「人のことを思いやろう」
という一言を心にかけ、徹底して実践することを提唱したいと思います。
 この思いやりの訓練を何日も何か月も、何年も、いや、生涯つづけることができれば、周利槃特が阿羅漢になったように、だれでも人をひきつける立派な人格を身につけることができるでしょう。
「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場から物ごとを見ることのできる能力である」
自動車王ヘンリー・フォードの言葉です。思いやりこそ人生を成功に導くカギなのです。



出典 『ニューモラルG 新しい自分を育てる』 広池学園出版部 編集発行 pp.84-87