弱者のウイルス(複合ウイルス)

━━ニセ弱者があなたの身の回りにたくさんいませんか?━━

"弱者を装う者"が一番強い。弱者を批判する者は、人類の敵である。

 

ウイルスの構造

内    容

カバー〔C部〕

ウイルスの宿主

弱者を保護すべきである

(スタート平等主義の唯一の例外)

アンカー〔A部〕

ウイルスの本体

弱者は正しい。※

強者(権力者など)は弱者を虐げるので悪である

ターゲット〔T部〕

狙われた思考のバグ

弱者を守りたい。   (ならば、お前は強者か?と問いたい)

私は、強者でも弱者でもないが、弱者の側に立ちたい。

            (弱いままでは、弱者は守れないのだが不思議だ)

競争は必要悪だが、弱者保護はせめてもの贖罪である。

弱者に義務や責任はない。

強い者(権力者)には悪い奴が多い。(そして、私は強者ではない。)

権力は悪で、民衆(弱者)は正しい。

私たちが弱者の側に立たない限り、弱者は永遠に弱者である。

強者には、私たち弱者の気持ちはわからない。

セレクション〔S部〕

利己心による選択

「弱者を守る正しい強者」か、それとも「弱者を守る普通の弱者」か

「正しい側に立つ者」か、それとも「弱者の側に立つ者」か

メソッド〔M部〕

ウイルスの発症・強化

強者が弱者を虐げる事例を挙げる。

歴史で、一揆を正義の行動として一面的にとらえる。

弱者を聖なるイメージで粉飾する

(障害者は天使、子供は天使、民衆は歴史において常に正義である等)

エフェクト〔E部〕

ウイルスの症状・効果

否定されるもの

結果平等が拡大解釈され、『スタート平等』の感覚が破壊される

学力や運動能力以外の力(武力・軍隊など)

弱者から強者になろとする努力(弱者の固定化)

本当の弱者保護!

感染時の症状

自称弱者(しかも正義の味方)が大量に出現・跋扈する

強者であることが罪悪視されるので、強くて正しい奴がいなくなる。

(結局、強正↓・強悪↑・弱正(力がない)・弱悪(卑怯)となり、社会全体が、悪と卑怯で満ちあふれる)

強さにあこがれる者は、悪の見本しかない。

ピンチになったら、仮病をつかう。

強者が弱者を装い、『弱者特権』をむさぼる

弱者から強者に努力してなった者が裏切り者のようにいわれる。

弱者の守られているという権利に対する義務が忘れ去られ、自称弱者が無制限に権利を主張する。

 ※ 強者=悪 ならば 弱者=正義 の“強調の虚偽”が用いられている。


 このウイルスは、複合ウイルスであり、これまで紹介した「自由」「平等」「平和」「歴史」「団結」のウイルスの要となっている。《まるで超合金合体ロボじゃ!》こいつは強い!
また、この「弱者のウイルス」は、他のウイルスに相互作用し、お互いを強化している。


(1)弱さの自覚は大切。でも弱さは一種の悪である

 弱者保護は、スタート平等主義の唯一の例外である。身体障害者の社会参加や共生といった問題を考える場合、どうしてもそれは必要である。(だが、弱者特権をむさぼる"ニセ弱者"がいるのである。弱さや無能を装う教師などなど)よく考えると、弱者は必ずしも正しくないのである。弱さを持つと言うことは、他人の弱さを察し、共感できる。だから、弱さの自覚ということは大切である。しかしながら、"弱さ"は一種の"悪"である。なぜならば、強くて悪い奴は、弱い人を言いなりにしてしまい、弱者は自分の正しさすら守れないという場合がある。また、自分の愛する人すら守れない弱い人間を正しいとは言えないだろう。弱い人は強い人を目指さなくてはならない。弱さを弱さのままに放置するとき、それは悪に荷担することになる。

(2)弱者は、市民運動の先頭に立たされている

 いわゆる力がすべて暴力として否定されている現代、正しくて強い者が減っている。(平和のウイルスの影響)強い者はたいてい悪者と相場が決まっていると言ったら言い過ぎであろうか。強者=悪者であるとイメージがどうしてもつきまとうし、定着しているようだ。ならば、弱者=正義なのであろうか。マスコミは、身体障害者=天使、子供=天使、市民の社会運動=正義の運動・・・・のように描いている。そこで、市民運動の先頭に立たされているのがいわゆる社会的弱者である。
 我々は、弱者に向かって、強くモノを言うことができない。さらに、弱者は正義のイメージである。ヒロシマの原爆の日に、暴力革命をめざす過激派が、なんと障害者の車椅子を押しながらデモ行進をしていた。これとおなじような光景を、学校でもよく目にする。弱者が利用されている──私は激しい憤りを感じるのである。

(3)弱者は、強者をめざせ

 弱者は強者になりにくい風土が作られている。つまり、自分が努力して強者になったら、それは裏切り者なのである。しかも競争原理を肯定することになる。だが、それは弱者を固定することにはならないか。弱者は、いつまでも弱者なのか?かくして、いじめの温床がそこにできあがる。