あとがき

  ──キリストも孔子も思想のウイルス(似て非なるもの)を憎んでいた──

(1)今後のウイルス

 これまで、6〜8種類の「思想のウイルス」について論じてきた。だが、未発見の思想のウイルスがあるかもしれないし、これからも新種のウイルスが登場することが十分予想される。たとえば、次に登場すると予想されているのは「ジェンダーフリーウイルス」である。さらには、この思想のウイルスという考え方がメジャーになれば、『「思想のウイルス」というウイルス』というが出てくるかもしれない。だが、冷静に“CATS‘ME構造”を解析すれば、「思想のウイルス」を検出することが出来るであろう。

【現在研究中のウイルス】
 ・労働観のウイルス……労働とは苦しみか??労働観を狂わせる思想のウイルス
 ・反省・自虐のウイルス……自分をうじうじと責めてはいませんか?自分自身を差別する思想のウイルス


(2)聖人は「思想のウイルス」を憎んでいた

 このように書くと語弊があるかもしれないが、孔子やキリストが憎んでいたものがあるのである。孔子は「郷愿は徳の賊なり」(論語 陽貨篇)と言って、攻撃している。郷愿とは、「世間に迎合して、汚れた世の中と調子を合わせ、いかにも忠信らしく身を処し、廉潔らしくふるまう者」である。本当の道徳と“似て非なる道徳”なのである。孔子は、郷愿を「本当の道徳を破壊するもの」(徳の賊)として、これを心から憎んでいたのである。孔子は、魯の国の宰相代理となった時、少正卯という人物(郷愿)を誅殺したほどである。一方、キリストは、「パリサイ人」を口を極めてののしっている。「パリサイ人」とは、ユダヤ教の有力な分派で、律法の厳格な遵守を行っていた集団である。パリサイ人は、聖書に基づいた厳格な生活し、道徳的な行為もしているが、心づかいが高慢であった。「盲目なパリサイ人よ、まず、杯の内側を清めるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう」(マタイ23章26節)とキリストは、パリサイ人の信仰を“似て非なる信仰”として攻撃しているのである。 このように、真理に「似て非なるもの」は、真理を破壊するのである。「思想のウイルス」は、普遍的な真理に似て非なるのものである。孔子やキリストといった聖人は、「思想のウイルス」を憎んでいたといえよう。

(3)思想のウイルス教育論

 思想のウイルスの一番恐ろしい点は何か?それは、人の心の中の利己心を引き出し、増大させる点にある。エジュケーション(教育)の語源である、エジュカーレは、「引き出す」という意味である。教育の本質論になるが、教育において一番大切なこと、それは、人の心の中の慈悲心(真の愛情)を引き出すことであろう。しかしながら、思想のウイルスはその逆をやってしまうのである。学校現場で、教材に思想のウイルスが混入していたらどうであろうか、教師は、生徒の心の中から、不平不満や怒り・憎しみ・妬みなどを引き出すことになろう。「神なき知育は、知恵ある悪魔を作る」と言ったのはガリレイ・ガリレオであるが、「ウイルス入り知育」が、教育現場で、知らず知らず行われているとしたら、由々しきことであるといえよう。

 社会全体を見て、「不平不満や怒り・憎しみ・妬み」が多いか、「感謝・反省・愛情」が多いか、それが、社会全体の良さや住みやすさを決めているのではなかろうか。小学校1年生の娘が、道徳の時間に、この「感謝・反省・愛情」などの暖かい心のことを“オレンジ色の心”と習ってきた。まさに、オレンジ色の心が、どのくらいの量、社会全体にあるか、そして子供たちの心の中にあるか──教育に携わっている我々にとって一番の関心事ではなかろうか。

 ヨーロッパ人が、移民をした時、まず最初に作るのは、教会である。我々日本人が、国外に移民をしたとき、最初に作るのが、学校である。学校を思想のウイルスの温床にしてはいけない。