自由のウイルスを例に挙げた、ウイルスの構造の説明


自由のウイルス

━━人間を寄生虫に変えてしまう恐ろしいウイルス━━

(1)カバー
〔C部〕

 ウイルスの宿主

【否定できない】

 自分の行動を自分で決定し自らが責任を負う(自由には義務と責任が伴う)

(2)アンカー
〔A部〕

 ウイルスの本体

 【すりかえ】

人間は無制限に自由である。(放縦)

(3)ターゲット
〔T部〕

 狙われたバグ

 【感情の動物】

強制されたくない・犠牲を払いたくない

(4)セレクション
〔S部〕

 利己心による選択

【真理の廉価版】

 「責任と義務の伴う自由」かそれとも、

  「無制限の自由」か?

(5)メソッド
[M部〕

 ウイルスの活性化

 【感染者を操る】

── ギルの笛 ──

公・国・権力の腐敗を喧伝する

公の力(権力)が、弱者を虐げる実例を挙げる。全体と個人は対立関係と言う。など、公が、個人の自由を制限する例を挙げる。

(6)エフェクト
〔E部〕

ウイルスの効果

【意図された否定】
【社会秩序破壊

公とか国が否定される。

リーダー不在・リーダーは雑用係

責任無き者が責任ある者を責める

寄生虫体質(「ゴネ得」の社会が現出)

極端な反権力指向

 (1)カバー〔C部〕……思想のウイルスが隠れ蓑とする「人類の普遍的な価値」……これは絶対に否定できない  人間は基本的に自由(自分の行動は自分の意志で決定し、その責任と義務を負う)であることは、人類普遍の価値である。これは何人も否定できない。これをあえて否定しようものなら、その人は悪人視され、分が悪い。自由のウイルスは、この人類普遍の価値である『自由』の背後に潜み、ノーチェックで人の頭脳に入り込む。そして、それを自分自身で検出するのも大変難しい。


(2)アンカー〔A部〕……思想のウィルスの核心。思想のウイルスは、「人類の普遍的な価値」を巧みに利己的なものにすり替え。思想のウイルスが深く侵攻した人は、さらにそれを『絶対正義』としてしまう。  『自由のウイルス』は、『自由』という普遍的価値を『放縦』にすり替える。「自由=(無制限に)やりたことができる」といった言動や言論こそが、『自由のウイルス』そのものなのである。
 また、すり替えられた普遍的価値が強く人間の利己的欲求と強く結びつくがゆえに、この変質させられた普遍的価値は自分の中で、『絶対正義』と化す。すなわち、

「普遍的価値」+「利己的欲求」+「思想のウイルス」=(自分たちだけの)「絶対正義」


という図式である。そして、他人の意見に耳を貸さなくなるのである。覚えておいてほしい。「正義が人を殺す」ということを!「絶対正義こそが戦争の原因である」ことを!。戦争で人を殺すとき、宗教紛争で人を殺すとき、かならず「自分たちは正義である」と確信しているときである。相手の立場を簡単に否定するときも、「自分は絶対に正しい」と思っている時である。
 一般に、思想のウイルスに冒された人は、革命や宗教等のイデオロギーの虜になりやすく、変質させらた社会正義をヒステリックに叫びながら、ますます利己的欲求を増大させ、ますます排他的になってゆく傾向がある。


(3)ターゲット〔T部〕……思想のウイルスがターゲットとする、人間の利己心や思考のバグ。すなわち思想のウイルスが狙っている人間の弱点である。
  『自由のウイルス』がターゲットとしているのは、「強制されたくない」「犠牲を払いたくない」という感情である。また、一般に流布されている「権力は悪だ」という考えとも強く結びつく。したがって、『自由のウイルス』は、反権力指向の人をさらに反権力にする。

(4)セレクション〔S部〕
……これは、普遍的な価値(C部)に似せて作った思想のウイルス(A部)を思考のバグ(T部)(ときとして不平不満)と結びつけ、ウイルスの方を選択させる部分である。すなわち、思想のウイルス感染によって導かれる安易な選択である。
  「責任と義務の伴う自由」か「無制限の自由」かと問われれば、建前では、前者を選ぶが、本音では「無制限の自由」を選ぶに決まっている。人間はホンネとタテマエがちがうのである。しかしながら、現代の風潮では、「責任と義務の伴う自由」は教育現場ですら、あまり耳にしない。(教師自身が思想のウイルスにやられている!?)「責任と義務」が強調されることはほとんどない。したがって若者は「責任と義務」という考えにすら接したことがない者が多いのである。ややもすれば、ホンネもタテマエも「無制限の自由」を選ぶことがありうる。


(5)メソッド〔M部〕……これは、ウイルスの外部にあって、ウイルスを発症・強化するものである。
 自由を妨げる存在(=「公」「権力」「国」)を憎み、これらは個人の自由と対立関係にあるという雰囲気を、感染者に与えれば、自由のウイルスはますます、強化され、ついに発症。心の中は怒りに満ちてくる。


  @ 公・国・権力の腐敗を喧伝する
    これは、マスコミに大いにやってほしいことであるが、同時に政治の功績や、隠れたファインプレーも報じてほしい。マスコミの世界では、「政治家=悪人」となっているのは、なぜかよく考えてほしい。「国民が選んだ代表=悪人」と言って良いものだろうか?


 
 A 形式的なものは無意味であると否定する
    形式(型)は、その意味が分からなかったら、これほど苦痛なものはない。式典などに出席するとそう思う。しかし、形式(型)には、そうなった理由と歴史がある。それを知ることが文化を継承するではなからろうか?この形式をなくし、「解放した」と満足げな教師がなんと多いことか。ところで、学校の先生中で、「なぜ、学校で制服を着なくてはならないか?」を説明できる人がいるだろうか?「規則だから」では生徒は納得しない。

  B 公の力(権力)が、弱者を虐げる実例を挙げる。
    この手は、過激派が得意。大学に見られる過激派の立て看板やビラにはこの手の宣伝であふれている。

 これらの、言論を繰り返し聞かされると、ウイルス保因者は発症し、心の中は怒りと不平・不満でいっぱいになるのである。



(6)エフェクト〔E部〕
……ウイルスにはターゲットがあるように、ウイルスによって否定されるものおよび、それによって発症する症状がある。つまり、思想のウイルスの「ねらい」である。
 自由のウイルスが感染すると、「強制されたくない」「犠牲を払いたくない」という感情が著しく刺激され、「無制限の自由」を叫ぶようになることは、上述したとおりである。その結果、「公」というものが否定される。公というものは、個人個人の自由を少しずつ犠牲にして成り立っているものである。(その犠牲を義務という)公というものは、個人の自由の一部を義務や責任として拘束する性質を持っているのである。そこで、「無制限の自由」を叫ぶとどうなるか……。権利は主張するが義務や責任を果たさない人間が生まれてくる。公の持つ力(=権力)を否定する一方、公からいかにして利益を得ようとする、まるで寄生虫である。自由のウイルスは、人間を寄生虫にしてしまうのである。このウイルスが蔓延すると、「ゴネ得」の社会が現出する。また、「責任のない立場の者が、責任のある立場の者を無責任に責める」ことが横行するので、誰もリーダーになりたがらなくなり、リーダー不在となる。たとえリーダーがいたとしても、それは、「雑用係」となる。
 自由のウイルスが感染すると、「公と個人が対立関係にある」ような言動がみられるようになる。たとえば、国会賠償の訴訟などがあると、ニュースのコメンテーターなどが「そうだそうだ、○○(個人)がかわいそうだ、国が払えばいいのだ」と、まるで他人事である。国が払うということは、国民が金を出し合って税金で払うということなのに、そのことには触れない。まさに、国と個人を対立関係にあるように、言論を誘導している。
 思想のウ
イルスが感染して、最も損なわれるものは、その人の人徳である。人徳は陰徳すなわち、義務以上のことを見えない所で積み重ねることによって培われるものであるが、思想のウイルスに感染すると、権利主張が先行し、常に口に不平を唱え、時には正義を振りかざし、相手を批判し、心に怒りが満ちあふれる。
 思想のウイルスに一度感染すれば、あとは、外部からウイルスを強化する要素(M部)が加えれば加わるほど、心の中の不平不満はますますかき立てられ、他人の意見に耳を貸さなくなり、特定のイデオロギーに傾倒しやすくなる。