奇跡のSR311

レポート:五嶋 学

1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。

それから早、三年が過ぎようとしていますが、震災の記憶が風化していく中いまだに仮設住宅に住まざるをえない人々、失った財産を回復できない人々が、多くいらっしゃいます。

備えあれば憂いなしという言葉がありますが、今一度、防災を考えてみましょう。という私も当時買い揃えた防災グッズも買ったきりです。早速、メンテナンスをしたいとおもいます。

さて、この42年式SRですが、大きな損害はなく今は別の場所にあるそうです。ここ20年ほど動いていませんが、ロールバー、砲弾型ミラー、ルーカス製ドライビングランプなどオーナーの当時のセンスが光ります。

SROCのロードスター誌26号ではモノクロで発表しましたが、インターネットではカラーで発表できました。


{SROCの機関誌「ロードスター」No.26(1995)から再掲}

阪神大震災:奇跡のSR311

兵庫:五嶋 学

焼け野原の瓦礫のなかにぽつんとたたずむ、いわゆる42(ヨンニー)のSRです。近くで見てもハードトップの一部が熱風で溶けたぐらいしか大きな損害はないようです。

もちろんこの焼け野原は、先の阪神大震災による家屋の破壊、それに伴う火災によるものです。

このSRのオーナーは、私はお会いしたことがありませんが、聞くところによるとワンオーナーでここ十数年は動いてませんが、若い時は六甲で結構飛ばしていた方だそうです。ダットサンが好みらしくこの斜め下には、510のブルーバードがありましたが、残念ながら焼失していました。

友人、知人の安否がはっきりすると、ふとこのSRが気になり、この近くの知人に聞いてみると、「二階建てのガレージの車は、落下しているものが多く、この地区はもしかすると火災が発生したかもしれない」とのこと。

しかし、数年前から、時々様子を伺いに行っていたので他人のSRとは思えず、地震以来10日ぶりに休みをもらうと、たどり着けるかどうか分からないがとりあえず私のSR(本当はバイクで行きたかったが、これしかなかった)で、出発しました。

現地近くになると、車は進入できず、また、火災で風景が一変してしまい、直にたどり着けませんでしたが、視野にSRが入ってきた時には、おおげさですが友人の無事を確認したときと同じ感動がありました。

このSRを将来手に入れたいのは山々ですが、無理なら是非このままでいてほしいと思います。(なんでもかんでもぴかぴかにオールペン・レストアするのは良くないと思いませんか)

話は変わりますが、私は自動車の販売店に勤めてます。地震で愛車がぺったんこになったのなら諦めもつきますが、瓦の落下でボンネット、ルーフ、トランクがべこべこにへっこんだ車(もちろんガラスは割れてます)が数多く入庫してきました。クラブ員の車も万が一に備え保管場所には注意して下さい。

また、私は、縁起とか、げんを担いだりは一切しませんが(ましてや「予言者、占師は被災市民に懺悔しろ!」と言いたい)、これからはこのSRの写真は、車検証入れにお守りの代わりに入れておこうと思います。


五嶋 学 dc582@hotmail.com

ホ−ムペ−ジに戻る