ヨーロッパにおけるダットサン・フェアレディー
ロブ・ベディントン
e-mail:RoadsterRob@aol.com
1969年ダットサン2000フェアレディー・ロードスター (SRL311-08486)
一般的にヨーロッパにおいては販売されなかったと思われていますが、特定の市場に対して小台数のダットサン・ロードスターは輸出されていました。それら初期におけるダットサン/ニッサンのヨーロッパにおける歴史と、その中におけるロードスターの存在をお話いたしましょう。
歴史上、最初にイギリスの土を踏んだ日本車は1934年ハーバート・オースチンによって輸入された”ダット91”でした。彼は、その ”ダット”があまりにも”オースチン7”に類似している事に懸念を抱いたのです(ダットはオーストラリア市場でオースチンの半額で販売されており、これが懸念の元となりました)。元はグリーンであった車体は、黒に塗り替えられてはいるものの、ハンプシャーBeaulieuにある自動車博物館に、その展示車の一台として今なお現存しています。スタイルの持つ雰囲気やグリルのデザインなどオースチン・ルビーに酷似してはいるものの、ダットは実際にはルビーより一年早く発表されていたのです。オースチンはダットの影響を受けていたのか? そして、30年近く後の事にはなるが、MGBはフェアレディー・ロードスターの影響を受けていたのであろうか?
ダットサン/ニッサンとしてのヨーロッパ市場最初の正規輸入は、1960年にノールウエーに仕向けられた、ある程度まとまった台数のダットサン・ブルーバード311であった。これもまた驚くなかれ、その内の最初の車両が生存しており、それも完動状態に保たれています。その後、最初のフェアレディーがヨーロッパに渡ってきました、それは数少ない1200cc 4シーターのSP213フェアレディーの一台で、オーストリアのインスブルックに居を構えるHorst Sommerという会社が輸入した物でした。
このSPL213はドイツの自動車雑誌Revueにロードテスト記事として、同じ会社が輸入したブルーバード1200と共に取り上げられました。これは、ドイツでの初めてのダットサン、また、たぶんヨーロッパで最初のフェアレディーのロードテスト記事であったと考えられます。そのSPL213には6500ドイツマルク、そしてブルーバードには5200ドイツマルクの値札が付けられていました。しかしながら、その車は既に現存せず、また、実際に売却されたのかは知られておりません。世界の市場全体でたったの297台しか販売されなかったのです。
その後ニッサンが最初の出荷としての3シーターフェアレディー・ロードスター1500(モデルSPL310)をヨーロッパに導入するまでに大して時間はかかりませんでした。それらはシングルキャブモデルで1962年に最初にフィンランドに輸出されました、それは1500が発表されたその年の事です。ニッサンが最初にスカンジナビアを選んだ背景には、寒冷地における性能検証があったのではと考えられています。
その後、1600ロードスターがニッサン・シルビア(ベルギーにおいてはダットサン1600クーペとして知られている)と共にベルギーにて広告宣伝されています。現在殆どの書籍や評論などに述べられているのは、デザイナーであるAlberecht Goertz とKazuo Kimuraによってテストされているプロトタイプモデルの情景を除外視すれば、シルビアにおいて左ハンドル車は決して生産されなかったとされているが、ヨーロッパの中心地に現に現われいる事実には興味があります。ベルギーはニッサンにとって辺ぴな一風かわった市場と目されるかも知れませんが、1960年代において日本車はとても好評で日野コンテッサ・サルーンとクーペ共々1965-1966-1967と三年連続でベルギーの生産品質とデザインにおいて受賞しています。
また、ニッサン・シルビアは1967年のパリ・サロンに出展されています。尚、同サロンにおいて、ジェームス・ボンドのトヨタ2000GTコンバーチブルが紹介されました。その後240Zが登場するまでの間、フェアレディー2000はいくつものフランス、スイス、ベルギーのセールスカタログに登場し、さらにそれらの国々をデモとして巡りまわりました。ロードスターはスカンジナビアの国々とオランダでも販売され、続いて1968年にはモンテカルロ・ラリーでの9位をHannu Mikkolaの運転で獲得しています。更にフェアレディーを販売していないにもかかわらず、2000は1968年にドイツの新聞Der Bildに取り上げられています。ニッサンの公式記録によると、ユーゴスラビアにて一台販売されています。ヨーロッパにおけるフェアレディーの宣伝広告においては、すべてミクニ・ソレックスのツインキャブレターとなっていました。ヨーロッパにおける1967年の2000(ローウインドシールド型)について言えば、私はこの初期型はフランスのカタログにおいてのみしか見た事がありません。
これはフランスからの物であって、ヨーロッパにおける最も古いフェアレディーのセールスカタログです(1967)。
不幸にも、フェアレディー・ロードスターはイギリスにおいては正式に販売される事はありませんでした。ニッサンのイギリス上陸は遅く1968年なって始まり、他のヨーロッパ諸国への進出から8年後の事でした。イギリスにおける当初の品揃えは、サニー1000サルーン(B10)、ブルーバード1300/1600 4ドアーサルーン(510)、そして2000サルーンとエステート(セドリック)となっていました。ポピュラー・クラッシック・マガジンにフェアレディー対MGBの比較記事を書いたMark Dixonによれば、「我々はダットサンがフェアレディーを1960年代にイギリスで販売しなかった事に感謝しなければならない。さもなくば、今日のクラッシックカー・マガジンの全てにおいてダットサンが前半の紙面を占拠していた事であろう。賞賛を述べると共に、たぶんダットサンUK社は当時その評価と政策を見違えたのであろう。」
イギリスにおけるロードスター
最初にイギリスにもたらされたフェアレディーは1500の1台で、これはスタンダード・トライアンフ社がテスト目的で1964年にアメリカから持ち込んだ車であった。この車は最近になって、もともとトライアンフ社が1960年代の中頃に転売した二代目オーナーのその息子によって探し当てられました。それまでは、最後にこの車が見られたのはトライアンフ社の有名なテストグラウンドのMiraのかたすみで、前両輪を含めフロント周りにダメージを負って惨めに放置されていた姿であった。このいきさつは、ある好き者の見習いがフロント両輪タイヤーにエアーを入れ過ぎていた結果、コースを走行中に事もあろうに両フロントが同時にバーストに見舞われたアクシデントによる物であった。
最初の1600がイギリスに上陸したのは1965年型のSPL311であった。この車は、とある女性がカリフォルニアからニューヨーク間を横断し、そして1967年にイギリスに持ち帰ったものであった。なにを隠そうこの車は今、錆穴だらけの姿で我が家の車寄せに鎮座しております。いつの日か、彼女はふたたび往年の新車当時の輝きを甦らすでしょう。
最初の2000が輸入されたのは、ロースクリーンでミクニ・ソレックスを備えた1967年型SRL311で、1980年代にヒストリックレース用にアメリカから入った車です。ところが、一度もレースに出る事もなく、シャシーはシルバーストーンにあるレーシングエンジニアーの元で座りこみ、方やボディーはCheshireにあるダットサンZのスペシャリストの手元に保管されました。その後、両者は再びボルトにて一体化されたのかは不明であります。 現在、フェアレディー/スポーツー・ロードスター シリーズが生息しているヨーロッパの国々としては:ベルギー、イギリス、フィンランド、ドイツ、オランダ、北アイルランド、ノールウエー、ポルトガル、そしてスイスです。そして、それらには1500、1600 そして2000が含まれています。
ヨーロッパにおけるもっとも高価な売出し価格は、1990年におけるベルギーでのロースクリーンSPL311 1600で15,750 Sterling。
また、ヨーロッパで最も廉価なロードスターとして見かけたのは、1988年ドイツにてのハイスクリーンSPL311 1600の30 Sterlingというものがありました。
Popular Classic誌での掲載をはじめ、イギリスにおける各誌にもよく記事が載っています。私の2000もPractical Classicsマガジンに登場し、1600の方はThe Ultimate Classic Car Bookという本のページを飾っています。Keith Purdonは、彼の美しいレッドのフェアレディー1600を各種のショーや旧車走行会に参加させています。嬉しい事にこちらではかってより多くのフェアレディーが生息しており、ロードスターに対する興味が確実に増している事が覗われます。
この写真は、Practical Classicsマガジンの表紙を飾っている私の2000です。
Rob Beddington
公式記録係
クラッシック・フェアレディー・ロードスター 保存会
(フェアレディー・ロードスターへの5年に渡る貢献を祝して)
(e-mail:RoadsterRob@aol.com)
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平成12年5月28日
訳:中道 稔 (nakamich@mxq.mesh.ne.jp)
所有車両 1968 SRL311 - 02287
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