ハラキリ医者

症例その1

 彼女は29歳。結婚2年目でようやく待望の子供を授かった。何とか20代のうちに出産したいと思っていたので、ご主人と二人で抱きあって喜ぶほどうれしかった。

 市販の妊娠検出薬で確認した3日後、ご主人に休みをとってもらって近所の産婦人科へ出向いた。無理を言ってご主人も診察室へ引き込んで、二人で超音波に映る胎児の姿を確認して有頂天になっていた。

 しかし、医師の診断はうれしいものばかりではなかった。卵巣が腫れているようだというのだ。医師は、妊娠初期によくある事なので心配は無用であるとつげた。

 帰りの道すがら二人の不安はどんどんふくらんできた。ついに、ご主人が、心配を隠し切れずにこんな提案をした。「明日、別の病院に行って見よう。そこでも、心配ないものだと言われたら安心じゃないか。」

 次の日、彼女は一人で近所の病院へ出向いた。その病院は隣の世話好きの奥さんから聞いたところで、この辺では一番手術の上手な先生がいるということでうわさの病院らしかった。受け付けで彼女はほかの病院へ言ったことは伏せておいた。何となく、先生に悪い様な気がしたのだ。

 医者は前の病院より髄分高飛車な感じだった。医者は診察した後こういった。「こんな卵巣が腫れているのに放っておいたら、大変だ!腐ってしまって胎児にも影響することもある。すぐに入院して手術だ!!」彼女はびっくりして、とにかくご主人に連絡をとった。ご主人もびっくりして、とにかく医者の言うことにしたがうよういった。

 次の日、手術を受けた。麻酔が覚めてから、医者は、自分のおかげで助かったのだという様なことを言いながら、とれた卵巣の腫物を見せた。腫物は直径5センチ位の水のつまったふうせんのようなものであった。彼女は、ご主人とともに、胎児の命を救ってくれた医者に感謝した。

ルテインのう胞

 もし、このページを産婦人科の関係者が見ていたら、そんなばかなことあるはずがないと、思うでしょう。でも、実際に私はそういう病院を知っています。上の症例は、事実をもとにしたフィクションですけれども、その病院は、手術の上手な病院として結構流行っていたのです。(ああ、恐ろしい。)

 なにが恐ろしいかですって?では、ルテインのう胞のお話しをしましょう。

 卵巣が卵を放出する(排卵)と、黄体という組織ができます。この組織は妊娠を継続させるための黄体ホルモンを出します。妊娠が成立すると、約14週頃までこの黄体ホルモンによって妊娠を継続するわけです。この時、黄体はホルモンを放出するためにフル回転するので、出血を起こすことがあります。この出血が吸収されると中に水が残り、ルテインのう胞となるわけです。

 普通は2〜3センチのものが多いのですが、時に5〜6センチ、大きいときには10センチ以上になることがあるのです。しかし、たいていは妊娠14週を過ぎて、その役目を終わるとしぼんでしまうのが常なので、痛みがでなければ経過観察するのが一般的です。

 で、上の症例ですが、要するに手術をするとコストが取れるので、うまくだまして手術してしまったといったところでしょう。まぁ、取ったところで、大抵はなにも起こらないので問題がおおやけにならないのが普通ですが・・・。

 ちなみに、私の知っているその病院は、必要もない手術をしている疑いがあると言う事で医師会から何度も勧告が出ているような病院でした。もっとも、一般の方がしる由もなく、周りの医師たちからは、よく、あんな病院に行くものだと苦い思いで見られていたようですが・・・。(ちなみに、刑事事件にでもならないと、証拠がないためにそういった病院を告発するのは難しいので、なかなかおおやけにならない事も多いのです。)

 ね、恐ろしいでしょ。かつて、問題になった富士見病院ばりの病院は結構少なくないのです。なんせ、患者さんの間での病院の評価と、医者の間での病院の評価ほど違うものはないのですから。病院にかかりたいなら、近所の評判より、知り合いの医者のひとことを信じたほうがいいと思いますよ。 

症例その2

 彼女は妊娠21週であった。ほかの病院で妊娠の診断を受けたが子宮筋腫があるため、総合病院に紹介された。妊娠初期から腹痛、出血が続いていたが、最近特にひどくなってきたために、入院することになった。

 入院したときの主治医は、まだ少し若い先生で、とにかく、点滴をして安静を保って、がんばれるところまでがんばるしかないと説明してくれた。

 ところが、部長回診の時、部長が、「これは放っておいてはいけない。手術をするべきだ。」と主治医につげた。その日から主治医は大慌てで、検査を始め、先輩の先生たちに相談を持ちかけた。部長以外のほとんどの意見は、手術をすることは危険であるということであった。

 しかし、部長は、次の回診の時、主治医に次の手術日に手術を行うと、彼女の前でつげた。主治医は、反対したけれども、部長の言う事に抗し切れずに遂に、手術をすることになった。

 手術の結果は、危険なので手術不能と言う事だった。つまり、麻酔をしてお腹は切ったものの、なにもせずお腹を閉めてきたのである。部長は、それ以後ほとんど彼女の前に姿を見せず、主治医だけが、一生懸命取り繕っていた。

 しかし、手術後数日後、不幸は起こった。彼女が起き上がろうとしたとき、血管に詰まっていた血栓が肺動脈に移動して詰まってしまったため、そのまま帰らぬ人となってしまったのである。

 主治医と周りの医師たちは、必死になって、何時間も、汗だくになって人工呼吸を、心マッサージを行い彼女を助けようとした。しかし、部長は、会議があるということで、彼女の前にはほとんど姿を表わさなかった。

 部長はあくまで私の手術にミスはなかった言い張っているらしい。 そして、やおもてに立たされているのは、部長に翻弄された主治医である。

部長ってそんなにえらいのか?

 ぼやきにも書きましたけれど、教授とか部長とかそんなに偉いんですかね。いろんな先生にお聞きすると、結構、**教授にはめられたとか、**病院の部長に失敗をなすり付けられたとか、あるんですよ。これが。政治家や、やくざの世界と同じで、上の者が失敗すると、下っ端が責任とらされるような世界なんですよね。(どこの世界も似たようなものか。)特に、手術とかは密室で行われるだけになすりつけやすい。部長が誤診して手術してしまったのを、下っ端の診断ミスにするなんて朝飯前ですよ。

 ただし、本当に立派な教授や部長もいらっしゃいます。私の言いたいのは、教授や部長なんて肩書きがついているから偉い分けじゃないということです。立派な先生は、そんな肩書きがなくたって立派なのです。偉くもないのに、偉そうにしている奴がいるから腹がたつ。教授だ助教授だ部長だ院長だ講師だ医局長だと、まったく考えるだけでむかつくようなやつらが多いのはなぜだ!!

 なのに、患者さんの中には、私は部長にしか診てもらいませんのよなんて人がいるんです。びっくりしたことに。まぁ、そう言う風にしか物を見られない人は、そういう次元の人だから、しょうがないんですけどね。せいぜい、普通なら輸血しなくてすむような手術で輸血でもしてもらってくださいな。(本当にそういうことあるんだからぁ。)

 上の症例も、実際にあった話を元にしたフィクションです。でも、分かる人にはすぐ分かってしまいますね。でも分かってしまう人はもう分かっているのだから問題ないわけだ

 どちらかというと、先生を選ぶ場合、中堅どころのバリバリの先生がいいと思います。大抵の場合、部長や教授にお願いしたって、実際の仕事をしてるのは、中堅どころの先生ですからね。お礼だって、部長や教授に大金わたすより、中堅や若い先生にビール券でもあげたほうがどれほど喜ばれることか。

ハラキリ医者の恐怖 

 皆さんは、手術というと、どう言うときにするものだと思いますか?普通は、手術をしないと病気がひどくなって命にかかわるような事になってしまうとき。と、思いますよね。もちろん、心臓の手術や、ガンの手術、けがや事故の際の手術は、まさにそうです。しかし、今まで、手術が必要だと思われたのに、いろいろな症例を重ねた結果、手術をするのも、他の治療を行うのも大きな違いは無いとされる手術もあります。また、手術をした方が良いかもしれないけれど、少し不便なのをガマンすれば、手術を受けるほどでもないという場合もあります。それに、美容整形など、本当は必要無いけれど、本人の希望で手術をするという場合もあります。

 私は、婦人科なので、他の科の手術はあまり分かりませんが、婦人科の手術に関して言えば、必要な手術は、帝王切開術、子宮外妊娠の手術、ガンの手術、などがあります。病気の状態によっては必要なものは、子宮筋腫や卵巣のう腫の手術があげられるでしょう。また、本当は必要無いけれど、本人の希望によってというのは、卵管結紮手術などです。

 必要な手術は、やらないわけに行きませんから、必要性に応じて行われます。問題は、やっても良いけど、やらなくてもなんとかなる手術です。この手の手術は、患者の必要性に応じてされるわけでなくて、病院の必要性に応じてされることがあるのです。

 かなり大きな病院でも、病棟の空きが多くなると、病棟を埋めろという指示が上から出ます。そうすると、外来の担当医は、忙しいときには「少し、様子を見て、状態が悪くなるようなら手術しましょう。」なんて言っていたものが、突然、「これは手術をした方が良いですねぇ。」という話しになってしまうのです。かくて、手術の患者さんが沢山入院し、病室は満床となるわけです。

 理由は、空床が目立つというばかりではありません。婦人科の症例が少ない個人開業医などでは、医者の腕自慢のために、手術が行われる事だってあるのです。(へたくそなくせに)妙に手術に自信がある先生や、大学病院では、自分に手術がまわってこなかったような先生が、開業すると、自身満々で手術をしたがるものです。そう言う先生にかかったら大変。必要も無いのに、自分の腕自慢のために手術をされてしまうのです。そう言う医者に限って、近所では手術のうまい先生だと評判だったりします(症例1参照)。

 そう言う症例の困ったことは、よっぽど富士見産婦人科のように、明らかな問題を起こさない限り、それがいんちき手術であるという事を立証できない事です。素人にはもちろん、同じ科の医師でも、一緒に診療に当たったのでなければ、そのときの状況はわかりませんから、それが本当に必要な手術だったかどうかは分からないのです。

 たとえば、子宮筋腫の手術だって、この程度なら、もう少し様子を見ても良いだろうというくらいのものであっても、いや、いずれかは手術が必要になるのだから、早いうちに手を打ったほうが言いのだ。患者もそれを承諾して手術したのだ。といえば、問題ないわけです。

 上記のルテインのう腫にしても、一般には経過観察だけれども、大きくなって破裂や捻転(ねじれて痛くなる)可能性があったので手術した。といえば、それはそれで、理由となるわけです。実際に卵巣のう腫があれば、ひどくなる可能性だってあるわけですから。

 実際に、卵巣のう腫などは、手術をしてみたら消えていたという場合も少なくありません。大体、どこの病院でもそう言う症例はいくつかあるはずです。また、子宮筋腫を手術してみたら、思ったよりも小さかったとか、初期の子宮癌と言う結果が出たので手術をしたが、結果的には何もなかったとか。子宮外妊娠だと思って手術をしたら何もなかった(ただの流産だった)とか。けっこう、手術をしてみたら、必要なかったのではないの?ということが少なくないのです。

 私の知り合いで、胃の摘出をした方がいまして、この方、手術をした後、主治医に「手術したけどなんにもなかった。俺の胃より健康だ!」と言われたそうです。さいわい、胃は半分以下になっていますけれども、今は、食欲旺盛でとても元気でがんばっていますが…。

 ハラキリ医者にかかると、そんな具合に、健康なのに腹を切られてしまう事もあるのです。そういう中には、確かにやむを得ない場合もあります。例えば、癌の結果が出て手術をしたのに、癌病変が見つからないと言う場合など、たしかに、病理検査で癌の診断がついているわけです。結局、初期の小さな病変なので、検査を繰り返しているうちに、癌病変の部分を全部取ってしまったのだろうと言う結果に落ち着きました。

 卵巣のう種の場合なども、慌てて手術を決めると、モノによっては自然に小さくなってしまうので、手術をしてみたらほとんど何もなかったなどということも、珍しくありません。また、手術後ののう種で、偽のう種と言うものは、癒着した中に水がたまってできるので、癒着がうまくはがれると自然に消失してしまいます。私も、それで、手術をドタキャンして、ヒンシュクを買ったことがあります。おはずかしい…。ま、手術する前で良かったんですけど。

 アメリカでは、手術必要性を言われたら、他の病院へ、セコンドオピニオンを聞きに行くのが常識だそうです。それは、主治医に対するいやみと言うわけではなくて、単に、他の治療法がないかを知るためです。もし、その病気に対して他の治療法があるのなら、それから試してみて、最後の手段として手術を行うわけです。

 日本のように、大学の派閥が治療の仕方に大きく関係しているような所では、注意しないと、他の治療でなんとかなるのに、手術をされてしまうというような場合も考えられます。手術をされるのが好きな方は、それで良いのですが、出来れば手術を決めるために複数のドクターに相談するのが、良いのではないでしょうか。ただし、出来るなら、派閥の違う大学を出た先生に聞くのがよいと思います。また、日本のドクターはそう言う事に関してはとても敏感ですから、あまり、他のドクターに聞いたのだがとかは言わない方が良いかもしれません。

 とにかく、手術と言うのは治療の最終手段と考えた方が良いでしょう。自分で納得していないのに手術に同意しないでください。医者の立場から言っても、手術したあとから、こんなはずじゃなかったと言われるのが一番困るのですから。(もちろん、手術が成功しての話し。)そして、手術の合併症から自分を守るのは自分しかいないのですから…。

 そう言えば、私の肉親も、慢性硬膜外血腫で、近所の大きな病院の知り合いの部長に手術してもらったのですが、めったにあるはずのないと言われている、再発を起こして、何故か、その部長が出張でいないときに、若い先生が再手術してました。その肉親は医者で、部長は学生時代の親友でした。それでも、そう言う事は起こりうると言う事で…。となると、どんなに信頼の置ける人がやっても、手術というのは合併症が避けられないのですねぇ。と思ってしまうのです。

おおこわ。

お帰りはこちらへ。