と、思った事が皆さんにもあるでしょう?私も、医者をやってながら、そう思う事が何度もあります。それは、患者さんのためになることもあるし、ならないこともあるのですけれど、少し、そこのとこ、考えてみてください。
「お医者さま」ってーのは何様だい
?まず、お医者さまだなんて言うのは、やめてください。医者は医者。本当は医学士とでも呼んでいただければ結構です。だってね、医者だからって言って、そんな立派な人ばかりじゃないんですから。医者の中で、立派な人だけが、先生だとか、お医者さまだとか呼ばれれば良いわけで、大した事もしていないのに、先生だなんて呼ばれるのはおこがましい限りなわけです。もちろん、きちんとした専門家ではありますから、きちんと専門家としての意見を聞いていただければ良いわけであって、何も、一から十までが正しいわけじゃないのですから。不正請求をする奴だっていますし、脱税する奴だっていますし、強姦する奴も、人殺しちゃったりする奴までいるのですから、中身は大した事の無い人間なんです。それを、「お医者さま」だとか「先生」などと言って持ち上げちゃうから、いい気になってしまうのですから、医者だとか、医学士とでも呼んでおいていただいた方が、こっちだって気が楽と言うものです。本当に、人間的に尊敬できるなと思う医者だけを「先生」と呼ぶようにしたらどうでしょうか?
もっとも、最近マスコミの影響なんかもあって、最初っから疑ってかかってきたり、半分喧嘩腰だったりする方もあるようで…。まぁ、技術の無い医者なら、そういう態度で来られても仕方が無いわけですが、でも、そういう医者のところには最初っから行かない方が安心と言うものです。一応、医者は専門家ですから、きちんと話しは聞いてやってください。きっと、役に立つはずです。もちろん、役に立たないような事ばっかり言っている医者にはかからない方がマシです。
そりゃァ、金払ってるだろうけど…。
そういえば、少し前、某ニュース番組に出ているコメンテーターが、「医者に行って何故、ありがとうございましたと言って帰ってこなきゃならないのか?こっちは金払ってるんだから、そっちがありがとうといいやがれ。しかも、お大事にとは馬鹿にした言葉だ。お客にはありがとうございましたと言え。」と、言ってました。別に、ありがとうございましたと言っても良いけど、私が病院に行って、医者に「ありがとうございました。」なんていわれたら、何か、実験のための注射でもされたんじゃなかろうかと、疑ってしまうと思うのですが、いかがでしょうか。「お大事に」が馬鹿にした言葉だというのなら、自分が、人を見舞いに行った時、「お大事に」と、声をかけるのはその人を馬鹿にしているからのでしょうか?
私は、レストランに行ったら、お金を払っていたって、「ごちそうさまでした」と言って出てくるし、タクシーやバスに乗ったら、「お世話さまでした。」と言って降りるし、いろいろ相談にのってくれた店員さんには「ありがとうございました。」と、言って帰ってきます。決して、金払ったんだから、それくらいやるのが当たり前だろう。とは思わないのですが、それでも医者に「ありがとう」といって帰るのは、おかしい事ですか?別に、その医者がちゃんとやっていないと思ったら、何も言わなくたって良いわけですし、ちゃんとやってくれない病院にいつまでもかかるほど危ない事はないと思いますけど…。
閑話休題
それでも、やっぱり「お医者さま」だとか、「先生」だとか言って、どの医者も持ち上げると言うのは、おかしいと思うのですよね。でも、なんて呼んだら良いんでしょうね?「山田先生」って言うのを、「山田医者」と呼ぶわけにも行かないしね。まぁ、役職がある場合には、役職で呼ぶのが良いでしょう。「山田院長」とか「山田助教授」とか。でも、何も役職の無い医者はどう呼べば良いのかなぁ。「山田平医者」とか言っとけば良いか。大助さんが医者になると、「大助平医者」で、「だいすけべぇ医者」になってしまうと言うのはいかがでしょうか?ア、およびでない。こりゃまた失礼しました。
もう、何回も何回も書いていますけれども、医者だとか、院長だとか、教授だとか、そんな肩書きを持っているから偉いのではありません。困っている患者さんの為に、労を惜しまず努力してくれるから偉いのです。悩んでいる患者さんの為に、一生懸命答えを探してあげるから、偉いのです。騙されてはいけません。少なくとも、自分で納得できるまでは、医者を先生だなんて呼んではいけません。そんな事するから、いい気になっているのですから。
「先生」とよばれるほどの馬鹿はなし
それにしても、「先生」とか「お医者さま」なんて呼ばれる事は、そんなにも人を尊大ににさせてしまう魔力があるのでしょうか?私の知っている先輩方や後輩達の中にも、学生時代にはとても良い人だったのに、「先生」とよばれるようになったとたんに、尊大になってしまった人が沢山います。皆、蔭で、看護婦から、「あの先生は先生様だから。」などと言われているのを、知ってか知らずか、あごを突き出してふんぞり返ってナースステーションに入ってくるのです。ああ、いやだ、人間てこんなに変わってしまうものなのでしょうか?「先生」とよばれるほどの馬鹿はなし。って言う川柳知らないのかなぁ。
でも、逆に、あの人は「お医者さん」だから、こう言う事はしないだろうとか、こうしなくてはいけないとか、そんな色眼鏡でみられることもあります。典型的なのはマスコミで、普通の商店主なんかがやってもニュースにもならないようなことを、医者がやると大々的にニュースに取り上げたりしています。そういうのを見るにつけ、別に、医者だって、仕事を離れれば、ただのオジさんオバさんなんだけどなぁ。と思うのですけれど、なかなか世間は、そう見てくれないようですね。でも、ホント、多くの医者は、仕事を離れれば、普通のおっさんオバさんなんですから。しかし、そういう扱いをされると言うことは、逆に、やっぱり皆が「お医者さま」だなんて勘違いしている証拠なんでしょうね。
とは言え、やはり、医者というのは特別な世界を作っていると言うのは事実ですね。私としては、そういう狭い世界がいやでしょうがなくて、大学病院を離れてうろうろとしているのですが…。やっぱ、周りにいる沢山の医者が、「お医者さま」だったり、「先生」だったりするのは否めないなぁ。ああ、いやだいやだ。でも、私の知っている先生、仕事以外では医者だと知られたくないと言って、いっつもよれよれのカントリーシャツにビーサンで出歩いています。病院の名前も、普通の医者が、やたらに自分の名前を誇示したがるのに、その先生は、近くの駅の名前をとって自分の病院の名前にしました。そんな先生もたまにいるのですね。
その先生は、手術が嫌いで、お産が嫌いで、ついに病院をやめてクリニックを始めたのです。何故、手術やお産が嫌いか聞いてみたら、「そりゃァ、うまくいったら良いよ。でも、手術やお産をすると、不可抗力でうまく行かない事だって起こるでしょう。そういうときに、例え、誰がやってもうまく行かないという事が明らかだったとしても、自分の目の前で、赤ちゃんやお母さんが死んでしまったとしたら、僕は絶えられないと思う。だから、僕は自分に出来る範囲でやる事にしたんだ。」なるほど、納得できる意見です。もちろん、そういうことを分かっていて、さらに、チャレンジする事も大切なのですけれど、本当に人間としての目で見たとしたなら、目の前で人が死ぬって事はそういうことなんです。でも、医者として訓練を受けているうちにそういう目が麻痺してしまう。人の死を見ても日常になってしまうのです。それが、悪い事だと言うのではありません。そういう、クールな目を持っていなかったら、命が助かるかどうかと言うような、重大な局面にかかわる事は出来ないのです。あらゆるリスクを背負っても、果敢に取り組まなくては行けない事もある。でも、自分には、とてもそこまでクールになることはできない、と、いう事なんです。
医師に求められる人間性と非人間性
医者は、一方で、ヒューマニズムを求められながら、一方では、ヒューマニズムを捨てる事を強いられる。その、矛盾の隙間を縫って、ヒューマニズムを逆手にとった金儲けにはしる医者がいる。その隙間を生めるのは、医者の個人の裁量であって、法律がそこに立ち入ろうとすれば、たちまち、ヒューマニズムが崩れ去る。その矛盾点が、今、保険制度にしわ寄せとして表れているのです。だからこそ、医者に人間性を求められると言うのも納得できる話しです。しかし、その人間性を評価するのは、結局は法律ではありません。それを評価するのは、それぞれの患者さんだと思います。もし、患者さんが、医者を、表向きの優しさや、病院の出来の良さなんかで評価しないで、本当に自分に必要な事をしてくれるかどうかで判断するならば、昨今話題になるような馬鹿医者は、とっくに職を失っていたでしょう。
ある地方の公共の診療所に、正義感に燃えた若い先生が着任したそうです。その先生は、前にいた高齢の先生がやっていた医療を、自分の信念に基いて改革しました。いらない薬はいらない。必要のない検査は必要ない。そうして、その地域の病院への受診率は下がっていったのです。病院への受診率が下がるということは、病人が少なくなったと言う事ですから、地方自治体としては喜ぶべき結果と言えるでしょう。ところが、ある日、その先生は役場に呼ばれました。先生は、病人が減って、必要のない医療費を削減できたことを評価してもらえると思っていたのです。しかし、話しは逆でした。突然その先生は解雇されたのです。なぜなら、その診療所への受診率が減ったために、診療所の運営が赤字になってしまったこと。そして、住民が、あの先生は薬をくれないし、検査もしてくれないといって苦情を言ってきたと言う理由からです。その先生は、まったく解せないまま、別の病院へ移ることになりました。その後に来た先生は、しっかり(必要の無い)薬を出してくれるし、(意味の無い)検査もしてくれて、役場も住民も安心して暮らせるようになりました。めでたし、めでたし。
と、言うのは実際にあった話しです。皆さんは、どう思いますか?一体、何が、今の社会保険制度を破綻させているのでしょう?何を医者に求めているのですか?何を医療に求めているのですか?いま、私は、この地域で一番流行っている産科医院に勤めています。そして、上の先生のようなジレンマに陥っているのです。私に言わせれば、何が院長だ。何されるかわからんぞ!と思うのですが、私が、説明したって、聞きゃァしない。まぁ、そういうことに気がつかない人は、どうぞご勝手に。と思うのですが、それにしても、そういう患者さんが多いですねぇ。少しは、目を覚まして欲しいものです。まるで、新興宗教のようだ。今度、院長をグルと呼んでみようかな。
「良い医者」とは、決して「先生」ではない!
医者が、仕事でやっている事なんて、とても「お医者さま」だなんて評価されるようなものでは無いのです。それは、技術の問題であって、人格の問題ではありません。逆に言えば、たとえ、優しい言葉をかけてくれなくたって、技術があって、病気を今の医学水準で考えられる程度に治してくれるなら、あなたは助かりますし、無駄なお金を使わずに済みます。そういう医者は、医者であってそれ以上でもそれ以下でもないのです。けれども、きちんと治療してくれるのですから「良い医者」なのです。そういう医者の中に、本当に献身的に患者さんのためを思ってくれる先生がいたり、非常に人間性の高い先生がいたりします。その、一握りの医者が「先生」であり、「お医者さま」だと思います。
だから、めったやたらに医者を「先生」だなんて呼ばないでください。そんなこといっちゃうから、エセ「先生」が威張り散らしてしまうのです。私なんか、「先生」だなんておこがましくって…。まぁ、せいぜい「良い医者」になるように努力させていただきます。ハイ。だから、とりあえずは、Cap.TAKAと呼んでいてください。
おー、帰るぞぉ。