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高倉院嚴島御幸記

源通親
新校 羣書類從15 <卷第329・紀行部三> 内外書籍株式會社 1929.7.15
※ 人物名注記等は『中世日記紀行集』(新日本古典文学大系)、辞書類を参照した。
※ 適宜、見出しを施した。 異本〔原注〕(*入力者注記)

 1 高倉天皇退位  2 御幸始め  3 門出、恋人との別れ  4 上船、桂川下向  5 石清水奉幣、御禊  6 船出、邦綱別荘の行宮、福原へ  7 福原別業の舞楽  8 須磨・明石・高砂の湊  9 室の湊  10 児島の行宮  11 宮島到着、御禊・参拝  12 御所巡覧、夜楽、神の憑依、島巡り  13 有浦遊覧・三月尽の詠詩  14 還幸  15 福原再遊、平家報賞  16 帰京

高倉院嚴島御幸記  通親嚴島記〕

土御門内大臣 通親公
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1 高倉天皇退位

はかなくて年もかへりて、治承四年(*1180)にもなりぬ。春のはじめにめづらしきことども、かきつくしがたし。
くらゐおりさせ給ひて、「いつくしまの御幸あるべし。」などさゞめきあひたるも、夢のうき橋をわたる心地するに、きさらぎの廿日あまりにや、春宮安徳に位ゆづり奉り給ひて、内侍所・神璽・寶劍わたしたてまつられし夜こそ、日ごろ思召しとりしことなれど、心ぼそき御けしき見えしか。宮人も限りなくあはれつきせざりしが、空のけしきもかき曇り、殘りの雪、庭もまだらにうちそそぎて、くれがたになりしほど、かんだちべ め〕ぢんに集りて、あるべきことども、古きあとに任せて行はれしに、宣旨うけたまはりて、ぢんにいでて、御位ゆづりのこと、左大臣(*藤原経宗)仰せしをきゝて、心ある人袖をうるほして、なにとなく思ひつゞくる事色にいでたる。その中に、とりわき心ざしふかき人にや、かくぞ思ひつゞけける。
かきくらし 降る春雨や 白雲の おるゝなごりを 空に惜める [01]
「時よくなりぬ。」とて、何となくひしめきあひたり。辨内侍御はかしとりて歩みいづ。せいりやう殿の西おもてに、やすみちの中將(*藤原泰通)うけとる。備中の内侍 に〕しるしの筥とりいづ。隆房中將(*藤原隆房)とりて、近きまも ぼ〕りの司(*近衛司の官人)たちそひていづ。「年ごろちかく候ひて、もち扱ひし御はかし、しるしのはこ、今宵ばかりこそ手をもふれめ。」と思ひつゞけけむ内侍の心のうち、思ひやられてあはれなり。「まうけの君に位ゆづり奉りて、はこやの山(*藐怙射の山。仙洞)のうちもしづかに。」など、おぼしめすまゝなるべきだにあはれもおほかるに、まして心ならずあはれなるらむさき\〃/のありさま、思ひやらる。
内裏のことどもはてて、夜もあけがたになりしほどに、人々歸りまゐりて、なにとなく火のかげもかすかに、人めまれなるさまになりて、涙とゞまらぬ心地するに、院號おほせられて、殿上はじめ、なにくれさだめらる。鷄人(*暁の時を知らせる役人)のこゑもとゞまり、瀧口のもんじやく(*問籍。名対面に同じ。)もたえて、もんちかくくるまのおりのりせしも、ひがごとのやうにぞおぼえける。そのころ、閑院(*高倉天皇御所)の池のほとりの櫻はじめてさきたるを見て、
九重の 匂ひなりせば 櫻花 春しりそむる かひやあらまし [02]

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2 御幸始め

かくて、「いつくしまの御幸あるべし。」とて、やよひの三日、神ほう(*神宝〔の奉献か。〕)はじめらるべき日次のさたあり。「位おりさせ給ひては、賀茂・八はた(*石清水八幡宮)などへこそいつしか御幸あるに、思ひもかけぬ海のはてへ、浪をしのぎていかなるべき御幸ぞ。」と、なげきおもへども、あらき波の氣色、風もやまねば、口より外にいだす人もなし。
四日、よき日とて、「御幸はじめあるべし。」とて定めらる。そのあしたより雨ふりて、夕べにぞはれたる。そんかう(*尊号〔を上皇に奉ること〕)などせさせ給て、實國大納言(*藤原実国)使にてまゐる。
夜に入りて、土御門高倉邦つなの大納言(*藤原邦綱)の家に御幸あり。殿(*藤原基通)より、からの御車・うつしの馬、なにくれと殿へまゐらせさせ給ふ。御車奉るよそひもいとめづらし。御隨身ども、さま\〃/ふるまひて、御前まゐる。上達部、殿上人のこりなくつかうまつる。ひきさがりて中宮建禮行けいあり。今宵ぞいつくしまの神ぱうはじめらる。御供の人さだめらる。「わづらひなく無下にしのびたるやうに。」とぞさたある。

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3 門出、恋人との別れ

宮の鶯こゑしづかにさへづりて、よもの山邊もかすみこめ、春ふかきけしきにも、たびの空、なにとなく世の中さま\〃/あやなく、わかれををしむともがら多くきこゆ。
永き春日もはかなく暮れて、十七日に都を出でさせ給ふべきにてありしに、「山の大しゆなにくれと申す。」ときこえて、靜かならざりしかば、「けふは八條殿へ御門出あるべし。」とて、八條大宮二位殿 「の」ナシ〕許へ御幸あり。
「なにとなく波のうきす(*「鳰の浮巣」との連想)にゆられありきて、『夢か夢にあらざるか。』とのみ、おほやけわたくし思ひあひたるなごりも、いかに。」と「あらぬわかれも。」など、あながちげに申したりける人のわりなさに、「内裏へいとま申さむ。」とて參りしたよりに(*途次にその人の許に)たち入りて、定めなき世のおくれさきだつためしも、旅の空のあはれさなど申しあはせつゝ、おぼろなる月影ほのかにさし入りて、窓の梅のちりすぎたる、梢にとまるなごりばかりに、風のたよりにほのめかしたる、いひつくしがたし。程もなく夜もやゝふけぬるよし、いさむる聲にもよほされて、たちいづるとてかきつけける、
めの前に 止らぬものは 今はとて 立ち出づる程の 泪なりけり [03]
思ひやれ 都の空を 詠めても(*ママ) 八重の潮ぢの 旅のあはれさ [04]
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4 上船、桂川下向

八條殿へ「御幸いそがるべし。」ときこゆる御使まゐりなどしつつ、「ならはせ給はぬ旅の空、おぼつかなき。」など申させ給ひける。隆季大納言(*藤原隆季。後出「帥大納言」)まゐりて、「御幸もよほしかくして候。」などすゝめ申す。
あはれに、「御供すべき人みな舟に參るべし。」とて、草津といふ處にひらばりうちてまゐらせたり まゐりまうけたり〕。隋帝の錦のともづなにてつなぎたりけむ舟にはかはりたれども、心ことにひきつくろひたり。御舟ども、峯のあらしに色々のこのは汀に散りしきたるやうに、うち散らしたり。おほかたこゑどもは、こずゑのせみの夏ふかき心ちして、御供の女房たち御舟にまゐる。立ちよりてさたしのせても、「いかなるべき旅の御遊びぞ。」と、こといみもせず歎きあはれたるを、「御かど出でに。」などいさむる心地 「地」ナシ〕の中にもたゞならず。
日さしいづるほどに御幸なる。殿上人十よ人、上達部七八人ばかりにて、御なほしにてぞおはします。御車さしよせて御舟に奉る。「閑院の池の舟などこそ奉りならひしか、いつかはかゝる道にも御らんぜむ。」とぞおぼゆる。御舟にたちさるまじきよしおほせごとありしかば、御まへには御送りの人もきしになみゐたり。公卿には 「公卿には」ナシ〕帥大納言隆季藤大納言實國五條大納言邦綱土御門宰相中將通親(*源通親。高倉院別当。「高倉院厳島御幸記」作者)、殿上人には中將隆房辨兼光(*藤原兼光)、御幸の事うけたまはり行ふ。むくのかみ宗のり(*平棟範、後出「宗教」)、この外は前右大將宗盛頭亮重衡さぬきの中將時實(*平時実)などは、女房四五人ばかりさりがたき人々ぞまゐる。
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5 石清水奉幣、御禊

「人おほからず。」とおぼしめせど、さすがに船數おびたゞしく、程なくみつの濱(*山城国綴喜郡美豆の河岸)につかせ給ふ。八はたの御へいたてまつらせ給ふ。御舟ながら、濱のうへ錦のあくをば、こもをしきてぞ御へいよせたつる。御あがもの(*贖物)隆房中將とりて御船にまゐらす。宗教役送(*供物の取次役)はつかうまつる。かもんのかみすゑひろ(*安倍季弘)、ごけいにまゐる。
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6 船出、邦綱別荘の行宮、福原へ

かくて御舟いだして、こち風をおひてくだらせ給ふ。さるの時に、川じりのてら江(*摂津国河辺郡大河尻付近)といふ所につかせ給ふ。邦綱の大納言御所つくりて(*寺江には藤原邦綱の山荘があったという。〔光雅卿記〕−大日本地名辞書)御まうけ心をつくして、御舟ながらにさしいれて、つりどのよりおりさせ給ふ。御障子どもも、からの大和の畫どもかきちらしたり。廏にあしげの馬ども二疋たてて、めづらしき鞍どもかけたり。御よそひの物ども數しらず。上達部、殿上人の居所ども、みなその用意あり。
福原より、「けふよき日。」とて「舟にめしそむべし。」とて、唐の舟まゐらせたり。まことにおどろ\/しく、畫にかきたるにたがはず。たうじんぞつきて參りたる。「こまうどにはあだには見えさせ給はじ。」とかや、なにがしの御時にさたありけむに(*「寛平御遺誡」)、むげに近く候はむまでぞかはゆくおぼゆる。御舟にめしそめて、江のうちをさしめぐりてのぼらせ給ひぬ。夕べの雨靜かにそぼちて、旅のとまり、いつしか都戀しく、心ぼそきありさまなり。「雨かくふらば、あすはこれにや泊らせたまふべき。またかちよりや福原までつかせ給ふべき。御舟にてやあるべき。」など、右大將(*平宗盛)におほせあはせらる。
あくるあした、雨なほはれやらで、「日ついでかぎりあれば、とまらせたまふべきにあらず。」とて、いでさせたまふ。「雨の空は風さだまらず。」とて、かちより御幸なる。西の宮(*西宮戎神社)のへい奉らせ給ふ。にはにて御拜あり。むねのり御使にてまゐりぬ。御こしにていでさせ給ふ。人々馬にてみなつかうまつる。おとに聞きつるなるを(*鳴尾)の松・聞きもならはぬ波の音、いそべちかくいつしかなれぬる心地しつゝ、いづくともわかず山川をうちすぎ、はる\〃/とゆきける。
西の宮の前にて、ほつせ(*法施)奉りてたひらかに都へ歸るべきよしぞ祈り申さるゝ。ひつじのときはとが(*都賀)の山さかにつかせ給ふ。よもの海を池に見なして、「なにかは三千世界ものこらむ。」と見えたり。これにてひるのくごまゐりて、やがて出でさせたまひぬ。いくた(*生田)の森などうち過ぎて、さるのくだりに福原(*平清盛の別業「福原荘」があった。)につかせ給ふ。
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7 福原別業の舞楽

入道大きおほいまうち君(*入道相国)、心をつくして、御まうけども、心ことばもおよばず。天のしたを心にまかせたるよそほひのほど、いとなまれたるあり 「あり」ナシ〕ありさま思ひやるべし。まことに三 六〕十六のほら(*仙人の住む三十六の洞天)に入りたらむ心地す。こだち・庭のありさま、畫にかきとめたし。おとに聞きしにもやゝすぎて、めづらかに見ゆ。
つかせ給ひてのち、いつしかいつく島の内侍ども(*厳島神社の巫女)まゐりて、あそびあひたり。御所の南おもてに、錦のきぬや(*絹屋)うちて、こまぼこ(*高麗鉾。雅楽の曲名。高麗の貢船の船棹を使い、船遊びに演ずる。)のさをたてわたしたり。内侍八人ぞある。皆からの女のよそほひぞしたる。はなかづらの色よりはじめて、「天人のおりくだりたらむも、かくや。」とぞ見ゆる。萬歳樂などさま\〃/まひたり。左右にめぐりてつかるゝことをしらず。朝夕しつきたるまひ人にはまさりてぞ見ゆる。「利曾のがくの聲も限りあれば、これにはいかでか。」とぞ覺ゆる。まひはてぬれば、うへにめしあげて、御まへにて神樂をぞうたはせらるゝ。近く候ふかんだちべ殿上人もてなしあひたり。
山かげくらう日もくれしかば、庭にかゞりをともして、「もろこしの魯陽入日を返しけむ程もかくや。」とぞ覺ゆる。夜もふけしかばいらせ給ひぬ。なにのなごりもなくぞ、うち\/はおぼしける。「世のありさまにだにもてなしまゐらせば、堯舜のひじりの御代には劣らせたまはじ。」とぞみゆる。か あ〕の天ぽうのすゑに、『とき變らむ。』とて(*ということがあって)、時の人この舞(*長恨歌に取材した雅楽の曲か。)をまなびけり。大眞(*太真=楊貴妃)といふもの、ほかにはあんろく山といふもの。うちには(*舞を学ぶ者・舞う者〔または「この舞」を観る者〕の心の中には)おもふ所ありけむ。(*「かの天宝の」からここまで、筆者の心中思惟と考える。)その心には似たまはざりけむ、君(*院)の御心にかはりたれど、「いかに。」と申す人もなし(*この場合、〔院の心中とは別であるにせよ〕自分なりの考えを伝えて話し合うべき人もいない)。げにぞおもふにかひなき。
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8 須磨・明石・高砂の湊

廿一日、夜をこめて出でさせ給ふ。都をいでさせ給ふより、かんだちべ め〕・殿上人みなじやうえをぞきたる。音に聞きし和田のみさき(*大輪田泊〔兵庫港〕の南界をなす砂嘴)、須磨の浦などいふ所々、うらづたひはる\〃/荒き磯べをこぎゆく舟は、帆うちひきて波の上に走りあひたり。福原の入道は、からの舟にてぞうみよりまゐらるゝ。播磨の國まで き〕こえけるにや、いなみの(*印南野。「万葉集」以来の歌枕。)などきこゆるにぞ、あはれにおぼゆる。御こし近く候ひて、ところ\〃/とはせ給ふ。八瀬どうじ(*京都八瀬の里人。大礼・行幸の際の駕輿丁を務めた。)をぞざす(*座主。後出「宮島の座主」か。)のめして、御こしつかうまつる。
播磨の國山田(*播磨国明石郡山田)といふところにひるの御まうけあり。心ことにつくりたり。庭にはKき白きいしにて、あられのかた(*織物の霰地)にいしだゝみにし、松をふき、さま\〃/のかざりどもをぞしわたしたる。御まうけ、海のいろくづをつくし、山の木の實をひろひていとなめる。
とばかりありてぞいでさせ給ふ。風少しあらだちて、波の音もけあしくきこゆる。うかべる舟どもすこし騷ぎあひたり。明石の浦などすぐるにも、なにがしの昔しほたれけむ(*「源氏物語」を踏まえる。)もおもひいでらる。
さるのときに高砂のとまり(*播磨国加古郡高砂。加古川河口の三角州にある。「高砂の松」〔高砂の尾の上の松〕で知られる。)につかせたまふ。よもの舟ども碇おろしつゝ、浦々につきたり。御舟のあし深くて湊へかゝりしかば、はしぶね(*〔端舟〕小舟・艀)三ぞうをあみて御輿かきすゑて、上達部ばかりにて御舟に奉りし。聞きもならはぬ波のおと、いつしかおどろ\/しく、浦人の聲も耳にとまりたり。これよりぞ、國々へめされたる夫(*〔ぶ〕近隣の国々から徴発された人夫。)など返しつかはさるゝ。たよりにつけて、都なる人におとづれける、
思ひやれ 心もすまに 寢覺して 明しかねたる よゝの恨みを [05]
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9 室の湊

いづれの里にか、にはとりのほのかに聞えて、いともの哀れなり。よもの浦々かすみわたりて、たゞならぬ春のあけぼのに、旅のそでのうへそのこととなくぞしほたれける。「しほみちぬ。いでさせたまふべし。」とて、我も\/と舟どもいとなみたり。「近く候へ。」などたのもしくおぼし めし〕たる、いとかたじけなし。からの御舟よりつゞみを三たびうつ。もろ\/の舟どもはじめてこのこゑに湊をいづ。いではててぞ一の御舟はいださるゝ。舟こ・かんどり(*楫取・船頭)など心ことにさうぞきたり。はじこかし(*燻したような山梔子色の意か。)の藍ずりに、きなるきぬども重ねて、廿人きたり。なぎたる朝の海に、舟人のゑいや聲(*えい声。掛け声。)めづらしくぞきこゆる。
午の時かたぶきし程に、むろのとまり(*播磨国揖保郡室津。歌枕。遊女で知られる。)につき給ふ。山まはりて、そのなかに池などのやうにぞ見ゆる。舟どもおほくつきたる、そのむかひに、いへしまといふとまり(*播磨国飾磨郡家島。島の東北側に宮浦がある。)あり。筑紫へときこゆる舟どもは、風にしたがひてあれにつくよし申す。むろのとまりに御所つくりたり。御舟よせておりさせ給ふ。御ゆなどめして、このとまりのあそびものども、古きつかの狐の、夕暮にばけたらむやうに、我もわれもと御所近くさしよす。もてなす人もなければまかり出でぬ。
この山のうへに賀茂をぞいはひ奉りける(*室の港埼に加茂神社がある)。御へいまゐらせたまふ。またわたくしにもまゐりてへい奉る。としおいたる神どの守(*神殿守)あり。この社は、かものみくりや(*御厨。神社領)に、このとまりのまかりなりしそのかみふりわけ(*勧請)まゐらせて、御しるしあらたなり。社五六、大やかにてならびつくりたる。つゞみうちて、ひまなく神なぎども集りて遊びあひたり。「これは、御道のほど雨風のわづらひなどの御祈り申す。」とぞきこゆる。「雲わけむ」の御ちかひも、思ひがけぬうらのほとりに、たのもしくぞおぼゆる。
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10 児島の行宮

廿三日に、空もはれ風もしづまりて、有あけの月あはぢ島におちかゝりて、またなくおもしろければ、
あはぢ島 かたぶく月を 詠めても(*ママ) よに有明の 思ひでにせむ [06]
備前の國こじまのとまり(*備前国児島郡児島。古代からの港。)に着かせたまふ。御所つくりたり。御もののぐども新しくとゝのへおきたり。上達部・殿上人どもの宿所どもつくりならべたり。しほすこしひて、御舟つき給ふ。みぎは遠ければ、御輿にてぞのぼらせ給ふ。御所の東の御つぼに樂屋をつくりて、入道、内侍どもぐしてまゐる。さまざまのひたゝれども、錦をたちいれ花をつけたる、八人集りてでんがくをす。女の遊びともみえず。「たゞあらむだにあるべきに、海のほとりに眼おどろかす物やあらむ。」とおぼゆ。田樂はてにしかば、國のずし(*呪師〔じゅし〕。猿楽法師。「呪師走り」と呼ばれる曲芸・早業を演じた。)とて、をかしげなるものどもまゐりて、ずしはしりつかうまつる。
日くれにしかば、皆まかでぬ。浦々御覽じやりて、いる日の空にくれなゐをあらひて、向ひなる島がくれなる山のこだちども、畫にかきたる心地するに、御眼にかゝる所々尋ねさせ給ふ。「この向ひなる山のあなたに、入道おとゞ(*藤原基房〔1144頃−1230〕。松殿摂政。前年、備前国に配流され、この年、恩免。)はおはする。」と申すに、きこしめして、御氣色うち變りにしかば、人々までもあはれに思ふ心の中ともみえたり。「あからさまと思ふとまりだにも物あはれなるに、ましてゑびすがたちにいりぬらむ氣色、いかばかり。」と覺ゆ。「くにつなの大納言御おとづれありし つ〕。」など申しける。なにのはへ(*はえ)も思しめしわかず。「この國にやはたのわか宮(*通生〔かよふ〕八幡宮)おはします。」ときこしめして、へい奉らせ給ふ。
廿四日のとらの時に、つゞみをうちて、び中の國せみと(*沙美門。備中国浅口郡黒崎。玉島近傍。)といふ所につかせ給ふ。國々ふかくなるまゝに、山の木だち・いしのたちやうもきびしく見ゆ。
廿五日のさるの時に、安藝國うま島(*馬島。安藝国賀茂郡内海〔うちのみ〕湾口の島。)といふところにつく。これにて、皆うしほにて髪をあらひ、身をきよむ。「宮じまちかくなりにけり。」と、きよき心をおこす。
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11 宮島到着、御禊、参拝

廿六日、空のけしきうらゝかにて、「神の心もうけよろこばせ給ふにや。」と、惠みもかねてしるし。日さしいづる程に、いでさせ給ふ。うまの時に宮島につかせ給ふ。神ぱうの舟たづねらる。かねてまゐりまうけたるよし申す。おんやうしの舟しばらくまたるゝ。空のけしき、所のありさま、眼も心もおよばず。「だいたうの湖 怨〕心寺(*も)かくや。」とぞ見え、神がみ 「がみ」ナシ〕山のほらなどにいでたらむ心ちす。
宮じまのありのうら(*安藝国佐伯郡有浦。)に、神ぱうとゝのへたてて御拜あり。社づかさ・狩衣などきたるもの、神ぱうもちてまゐる。おほぬさにはらへ清め申して參らする。ときざねの中將とりつぎてまゐらす。しほひくほどにて、御所へ御舟いらねばはしぶねにてぞ、おりさせ給ふ。上達部御舟にさぶらひて、宮島の南の方三間四面の御所つくりて、障子の畫ども海のかたをぞかきたる。うみのうへなぎさまで廊をつくりつゞけて、しほみたば御舟をさしよせむ ずる〕したくをぞしたる。御湯殿などありて(*入浴なさって)、きぬの御じやうえめしていでさせ給ふ。御所のひんがしの庭に白木の机をたてて、こもをしきて、しろたへのへいをよせたつ。其の東に唐櫃のふたをあけて、こがねのへいをおく。その西にわらざをしきて陰陽師の座とす。神馬一疋たつ。左衞門の尉のぶさだ時むね(*共に未詳)これをひく。北面などもいまだはじめおかれねば、御供には上達部の侍ひをぞめされける。たかふさの中將御前にさぶらふ。宮内少輔むねのり役送をつとむ。
御けいはてぬれば、めしつかひ御沓をもちてさきにまゐる。くわいらうの北のはまをめぐりてまゐるらうを通りてまゐらせ給ふ。「位の御ときは、一二町をだにもえんだうをこそまゐらせしに、めしならはぬ御沓もいかゞ。」とぞおぼゆる。上達部・殿上人御供に候す 「候す」ナシ〕 御〕まらうど(*客人神)の宮にまづ參らせ給ふ。ごんく(*御供〔ごくう〕か。)のへいは二さゝげ、しろたへのへい、神くわんとりてはうぜん(*宝前。神前、広前)に供へならべたつ。拜殿のうちのほど、かうらいのはんでう一疊、御拜の座とす。ごんくのへいは、かねみつの辨つたへとりて、たかすゑの大納言たう(*「〔に〕つたふ」か)大納言つたへ取りて(*院に)まゐらす。御拜をはりて歸らせ給ふ。
のとのし〔祝師〕たまはる。御琴一・御琵琶一・御ひやうし(*笏拍子。神楽・催馬楽で用いる)・横笛うけとりて、はうぜんにならべおく。内侍ども色々さまざまにしやうぞきて、にしきをたちきたり。ぬひ物せし(*は)、めも心も及ばず。御神樂をはりて大宮へ參らせ給ふ。御ほうへいはてて、御きやう供養あり。金でいの法花經一部・壽量品・壽命經、御てづからかゝせたまひける。御導師こうけん僧正(*公顕)參りて、此のよしを申しあげらる。「九重のなかをいでて、やへのしほぢをわけまゐらせたまふ御心ざし」など、きく人も袖をしぼりあへず(*導師は)申上げける。
かづけもの一かさね・一包をぞ給はりける。けんしやう(*勧賞)おほせらる。法げん一人なし給ふ。神ぬしかげひろ(*佐伯景弘)位あげさせ給ふ。宮島の座主阿闍梨になしたぶ。安藝の守ありつね(*菅原在経)加階、一しな(*級)あげさせ給ふ。院の殿上許さる。隆季大納言かねみつ(*勧賞のことを)おほせける。御神樂のやをとめ(*八乙女は神事に奉仕する少女)八人きぬ。一々綿(*綿布〔で裁った衣類〕)などた ま〕はせける。日くれて歸らせ給ふ。
上達部・殿上人のとのゐ所、心をつくしてまうけたり。内侍どもがやかたをしつらひてぞ、おの\/すごしける。月の頃ならましかば、いかにおもしろからまし。月なき空をぞ口をしく思ひあひたる。
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12 御所巡覧、夜楽、神の憑依、島巡り

廿七日に、空の氣色うらゝかにはれわたりて、のこりの鶯(*季節外れの鴬)おもはぬみやまの木かげにかたらふこゑす。夜をこめて、「しほ滿つ。」とて御所のまへまでさしいりたる、まことにこの世の有さまとも見えず。供御などはてにしかば、「御宮めぐりあるべし。」とて、みやへまゐらせたまふ。今日はぬのゝ御淨衣をぞめしたる。國々のかみどもまゐらせたる、宮のまへにはこびおく。廊のまへに樂やをつくりて、拜殿をたてたり。内侍ども、老いたる・若きさま\〃/あゆみつらなりて、神供參らす。とりつゞきてがくどもして、御戸ひらきてまゐらす。それはてしかば、宮司・神人まで物をたまはる。ちやうくわん(*庁官〔ちゃうぐゎん〕)などぞわかち給ふ。内侍ども、かねをのべ錦をたちて、さま\〃/の花をつけて、大口をきて、田樂つかうまつる。八人ならびは、「天人のおりあそぶらむもかくや。」とぞおぼゆる。そののちそがう(*蘇合香。雅楽の曲名)・こまぼこなどまふ。さほどなる姿、眼も心もおよばず。日もくれにしかば、たきのみや(*滝宮。弥山〔みせん〕の中腹にあり。)へまゐらせ給ふ。こうけん僧正うたよみて書きつけける。
雲居より 落ちくる瀧の 白糸に 契りを結ぶ ことぞ嬉しき [07]
よに入りにしかば、「こよひ御つや(*徹宵で参籠・祈願すること。)あるべし。」とてまゐらせ給ふ。内侍ども集りて、夜もすがら御神樂あり。ふくる程に、七つになるこ内侍(*小内侍。童女の巫。)あるに、神つかせ給ひて、始めはたふれふして、時中(*半時)ばかりたえいりにし。おとなしき内侍どもかゝへてほどへて生きいづ。(*以下、憑依者の譫言に、)御神樂つかうまつるべきよしおほせられて、神主めしいでて、さま\〃/の事ども申さる。めもあやに(*あまりに意外なことで)「いかに。」と疑ひをなす人もありぬべきに、さしもいふかひなきものの、さま\〃/法文などときて、「御神のはじめてこの島に跡をたれ給ひしことは(*原文「ことば」)」とて申す。きく人泪をのごはずといふことなし。入道めしいでて、おほせらるゝことどもあり。これを人きかず。法華經のじゆりやうぼんをたび\/誦しける。かうべをかたぶ む〕けずといふことなし。(*一座の中より、)あるひは「けだかき女房うしろの障子にうつりて、寶殿に向ひ給へる姿を見たる。」など申す人もあり。常にありとおぼえぬにほひ、神殿のうちよりかうばしくにほひこし。あまたおどろき騷ぎあひき。まことに(*以下、「朝雲暮雨」の故事を引く。)「高唐の神女は、かうやうだい(*高唐の南の台閣という意か。宋玉「高唐賦序」〔『文選』〕には、「妾は巫山の陽〔みなみ〕、高丘の岨に在り。旦には朝雲となり、暮には行雨となり、朝朝暮暮、陽臺の下にあり。」と神女が言ったとする。)におりて、みかど(*楚懐王)の夢にいりて、『あしたに雪(*ママ)となりゆふべには雨とならむ。』と契り奉りけむあともかくや。」とぞおぼゆる。
明方になりしかば、やしろのには鳥こゑ\〃/「あけぬ。」ととなふ。浪の音もたかくみづ垣をあらふは、潮みつるにや。「はくらく天の、『うしほのこゑは來て耳にいる をあらふ〕。』とつくりけるも、きゝては 「は」ナシ〕(*実際に潮の音を聞いてみると)ふぜいもたくみなりけるにや。」と、かた\〃/とりあつめたる折 所〕からのあり樣いひつくしがたし。かくてあけにしかば、御所へかへらせ給ふ。
廿八日、「このわたりの浦々を御覽ずべし。」とて、あまどもかづきせさせ給ふ。からのはなだのかりの御なほし、からあやの白き御ぞ二・御大口たてまつらせ給ふ。御姿いみじうなまめかしう美しうみえさせ給ふ。浦づたひて、さしまはして(*舟を差し向けて)御覽ず。まことに「せんのほら(*仙洞)もかくや。」と、「りゆうぐうともこれをいふにや。」とおぼゆる所々のみおほかり。みるめなどもてまゐる。とばかり御覽じまはりてかへらせたまふ。
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13 有浦遊覧・三月尽の詠詩

あくるたつの時に又御宮めぐりありて、やがて御舟にたてまつる。しまのうちにもおどろ\/しく騷ぎあひたり。内侍どもみぎはにいでて、なにとなくひごろのなごりしのびおもひたる氣色なり。「なごりおほきよしの歌つかうまつれ。」とありしかば、
立ち返り 名殘もありの 浦なれば 神もあはれを かくる白波 [08]
風もしづかに、物のあはれも春ふかくなりにけるけしき、おもひがけぬ島のうへに、櫻のちりがたになりたる見ゆ。いみじくをかしくおぼえしに、三月盡になりにけり。「けふ〔廿九日〕(*30日という。)はいかで旅のとまりとても春を惜まざらむ。」とて、人々ふみ(*漢詩)つくる。もてなし興ぜさせ給ふべきにもあらず。なにのはえもおぼしめされず。ことわりとぞみたてまつる。
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14 還幸

四月一日になりぬれば、「けふは衣がへなどいふことぞかし。」とおもひやらる。まだ(*原文「また」)くもりたれど、雨やみにたれば、舟どもみなとをいだしたりしかば、浦々とまり\〃/うちすぎつゝやう\/都ちかくなる心地して、旅のなごりもおぼえず、「とく、とく。」とすぎさせ給ふ。むかへの岸に、色ふかきふぢ、松の緑にさきかゝりたるを御覽じて、「あれとりにつかはせ。」とおほせられしかば、ちやう官やすさだ(*未詳)はし舟にてとほりしを、めしとゞめてつかはす。をかのうへにのぼりて、松の枝にかけてもてまゐる。「心ばせあり。」とおほせられて、「そのよしの歌つかうまつれ。」とおほせありしかば、
千歳へむ 君がかざしの 藤浪は 松の枝にも かゝるなりけり [09]
空はれて日さしあがるほどに、我も\/と船ども帆うちあげて、雲の波・けぶりの波をわけて(*慣用句)走りあひたり。備前の國うちうみとほらせ給ふ。日いりかたにこじまにつかせたまふ。
四日の曉、御舟いださる。夜舟こぐこゑまことにうら悲しげにきこゆ。
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15 福原再遊、平家報賞

五日、雨ふりしかば、たかさごのとまりにつかせ給ふ。「都人のくだるにこそ、なにごとか。」と上下たづねける。さるの時に福原につかせ給ふ。「いま一日も都へ、とく。」と、上下心のうちには思ひける。「福原の中御覽ぜむ。」とて、御輿にてこゝかしこ御幸あり。所のさまつくりたる所々、「こまうどの拜しけるもことわり。」とぞみゆる。あしたといふ(*荒田の誤りという。あるいは「明日といふ〔日〕に」か。)よりもり(*平頼盛)の家 ま〕(*平頼盛邸は摂津国武庫郡荒田にあった。後に福原遷都の際に一時皇居となる。)にて、かさがけ・やぶさめなどつかうまつらせて、御覽ぜさす。日くれてかへらせ給ふ。
八日、家のしやう行はる。かゝいどもたまはせけり。かねみつの辨承はりておほせける。左少將すけもり(*平資盛)丹波のかみきよくに(*藤原清邦)ぞ加階しける。
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16 帰京

都近くなるまゝにやはた山の見えしも頼しく嬉しくぞおぼゆる。「ひえの山みゆる。」など申せしかば、女房達もたちさはぎ見あひ給ふ。さるの時に御車にめして、八條どのへいらせ給ふ。二ゐどののもとへかへらせ給ふ。都のうちもめづらしくぞおぼしめさるゝ。かくて「御やせもたゞならず。」などきこえて、くすしども申しすゝめて、御きう治などぞきこえし。

高倉院嚴島御幸記扶桑拾葉集校合了

高倉院嚴島御幸記内閣文庫所藏古寫本を以て校勘す
昭和三年六月)


(*「高倉院厳島御幸記」<了>)

 1 高倉天皇退位  2 御幸始め  3 門出、恋人との別れ  4 上船、桂川下向  5 石清水奉幣、御禊  6 船出、邦綱別荘の行宮、福原へ  7 福原別業の舞楽  8 須磨・明石・高砂の湊  9 室の湊  10 児島の行宮  11 宮島到着、御禊・参拝  12 御所巡覧、夜楽、神の憑依、島巡り  13 有浦遊覧・三月尽の詠詩  14 還幸  15 福原再遊、平家報賞  16 帰京
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