無名草子
金子彦二郎 校註
(尾上八郎 解題『竹取物語・伊勢物語・大和物語・濱松中納言物語・無名草子・とりか
へばや物語・堤中納言物語』
〈校註日本文學大系〉2 國民圖書株式會社 1925.6.23)
※ 適宜、段落を改め、見出しを付けた。
※ 句読点・鈎括弧等、原文を改めた箇所がある。また、(*原文頭注)・(*入力者注)を適宜加え、検索の便のため、和歌の読みを書き加えた。
東山の麓
檜皮葺の家
尼の出自
世の中の哀れにめでたきものの数々
源氏物語の各巻短評
源氏物語の女性短評
源氏物語の男性短評
源氏物語の印象的場面
東山の麓
八十餘り三歳の春秋、徒らにて過ぎぬる事を思へばいと悲しく、たま\/人と生れたる思ひ出に、浮世のかたみにすばかりの事無くてやみなむ悲しさに、髪を剃り心を染めて、僅に姿ばかりは道に入りぬれど、心はたゞそのかみに變ることなし。
歳月の積りに添へて愈昔は忘れがたく、ふりにし人は戀しきまゝに、人知れぬ忍び音のみ泣かれて、苔の袂も乾く夜なき慰めには、花籠を臂に掛けて、朝毎に露を拂ひつゝ、野邊の草むらに交りて花を摘みつゝ、佛にたてまつるわざをのみして、數多年經ぬれば、いよいよ頭の雪積り、面の浪も疊みて、いとゞ見ま憂くなり行く鏡の影も、我ながら疎ましければ、人に見えむこともいとゞつゝましければ、みちのまゝに花を摘みつゝ、東山わたりをとかくかゝづらひ歩く(*物につかまって歩く)程に、やう\/日も暮れ方になり、たち歸るべき住所も遙けければ、「何處にても行き止まらむ所に寄りなむ。」と思ひて、「三界無安猶如火宅。(*法華經譬喩品にある語で、「…衆苦充滴(*充滿か。)甚可2畏怖1。」とつづく。さて三界とは、欲界・色界・無色界のこと。(*迷界))」と口誦みて歩み行く程に、最勝光院(*建春門院平滋子の願で後白河天皇が創建。承安三年(1173)建立、嘉禄二年(1226)焼失。東山の今熊野又は南禅寺境内という。)(*藤原定家「明月記」に「土木の壯麗、莊嚴の華美、天下第一の佛閣なり。」とあり。)の大門あきたり。嬉しくて歩み入るまゝに、御堂のかざり佛の御樣などいとめでたくて、「淨土もかくこそ。」といよ\/そなたにすゝむ心催さるゝ心地して(*愈々佛道修行に專心する。信心の心が深くなる)、昔よりふるき御願ども(*御願寺)多く拜み奉れど、かばかり御心に入りたりけるほど見えで、かねの柱・たまの幡を始め(*佛殿内の裝飾のきらびやかさをいふ。かねは金銀、たまは珠玉のことであるが、こゝでは美稱)、障子の繪まで見どころあるを見はべるにつけても、まづ、「(*建春門院〔平時信女、後白河天皇女御、高倉天皇生母。嘉応元年(1169)院号宣下。藤原俊成女建春門院中納言(健御前)が仕え、「建春門院中納言日記(健寿御前日記・たまきはる)」を著した。〕は)此の世の御さいはひも極め、後の世もめでたくおはしましけるよ。」と、羨しく伏し拜み、たち出でて、西ざまにおもむきて、京の方へ歩み行くに、都のうちなれど、こなたざまは無下に山里めきていとをかし。
檜皮葺の家
(*この)五月十日宵の程、日頃ふりつる五月雨の霽間待ち出で、夕日きはやかにさし出で給ふ(*夕日を阿弥陀仏の光明と見て敬語を用いているか。)もめづらしきに、杜鵑さへ伴ひがほに語らふ(*来世へ人を誘うかという風情で囀り啼くさま)も、死出の山路の友と思へば(*時鳥には「死出の田長」の異名がある。)、耳とまりて、
おちかへりかたらふ(*繰り返し泣き続ける。若返って交際する意を掛けるか。)ならば時鳥死出の山路のしるべともなれ
おちかへり かたらふならば ほととぎす しでのやまぢの しるべともなれ
とうち思ひ續けられて、「こなたざまには人里もなきにや。」と、はる\〃/見渡せば、稻葉そよがむ秋風(*「そよぐ」は自動詞だが。)思ひやらるゝ早苗(*古今集秋上に「きのふこそ早苗とりしかいつの間に稻葉そよぎて秋風の吹く。」)、青やかに生ひわたりなど、無下に都遠き心地するに、いとふるらかなる檜皮の棟遠きより見ゆ。
「いかなる人のすみ給ふにか。」と、あはれに目とまりて、やう\/歩み寄りて見れば、築土も所々崩れ、門の上などもあばれて、人住むらむとも見えず、たゞ寢殿・對・渡殿などやうの屋ども(*原文「宿も」)少々、いとことすみたるさま(*殊に澄みたる様〔人少なでひっそりとした様子〕の意か。)なり。庭の草もいと深くて、光源氏の露わけ給ひけむ蓬も所得顔なる中をわけつゝ、中門(*中門廊から寝殿の南庭に通じる門)より歩み入りて見れば、南面の庭いと廣くて、呉竹(*淡竹)植ゑわたし、卯の花垣根など、まことに、杜鵑かげに隱れぬべし(*新古今夏歌に柿本人丸「鳴く聲をえやは忍ばぬ郭公はつ卯の花のかげにかくれて。」)。山里めきて見ゆ。前栽むら\/いと多く見ゆれど、まだ咲かぬ夏草の繁みいとむつかしげなる中に、撫子・ちやう春花(*長春花=庚申薔薇〔四季咲き薔薇〕・金盞花)ばかりぞいと心よげに盛りと見ゆる。軒近き若木の櫻なども、花盛り思ひやらるゝ木立をかし。南おもてのなか二間ばかりは、持佛堂などにやと見えて、紙障子(*明り障子)白らかに閉てわたしたり。ふだんかうの煙氣高き(*「けぶたき」とする本もある由。あるいは「気・高き」か。)まで燻り滿ちて、妙香の香など芳し。「まづ佛の坐しける。」と思ふもいと嬉しくて、花籠を臂に掛け、檜笠(*原文「日傘」。以下同じ。)を頸につらされながら(*花籠を腕に掛けているのでおのずから吊り下げた格好のままで)、縁に歩み寄りたれば、寢殿の南東とすみ二間計りあがりたる御簾の内に、箏の琴(*十三絃の琴)の音ほの\〃/聞ゆ。いとすゞろ(*に)、にくく(*「心にくく」ともいう。)床しきに、若やかなる女聲にて、
「いと哀れなる人のさまかな。さほどの年に如何計りの心にて見苦しげなるわざ(*見るにもつらい〔外歩きなどの〕行い)をし給ふぞ。小野小町がひぢにかけけむ筐(*後の『卒塔婆小町』の元になる説話があったものか。)よりはめでたく。」
などいふ人あり。
「阿祿仙(*釈迦が出家後、最初に問法した仙人の名という。)の(*「に」か。)仕へけむ太子(*悉達太子=釈迦)の御心よりも、有りがたくこそ覺ゆれ。」
など言ふよりうち始め、同じ程なる若き人三四人ばかり、色々の生絹の衣・練緯など、萎えばみたるを著て、縁に出でたり。「ところのさま、神さび古めかしかりつる程よりは、めやすきさまなるかな。」と見る。(*人々、)
「昔の身の有樣如何なりし人の果てぞ。」
など懷しくとひ尋ねあへれば、
「いとうとましげなる有樣を、遠地にて(*遠く避けて)見などもし給はで(*原文はこの次から会話とする)、無下に若き程に、慈悲深くものし給ひけるも、かゝる佛の御あたりにものせさせ給ふ御故にや侍らむ。」
などいひ初めて、
「若くこの(*「若くての」か。)身の有樣、人々しくぞ物など語り聞えむ、聞き所ありと思し召さるべきものにも侍らず。たゞ年の積りには、哀れにも、をかしくも、珍しくも、さま\〃/思し召されぬべき事を聞きつめて(*聞き集めて)侍りしかども、その久しくなりてはか\〃/しくも覺えねば、いとかひなしや。」
と聞ゆれば、
「それこそは聞かまほしけれ。さて\/昔より身にありけむ事も、聞きつめけむ世の事も、露殘らずこの佛の御前にて懺悔(*「さんげ」。昔語を仏教語にとりなしたもの。)し給へ。」
といへば、昔語は實にせまほしくて、花籠・檜笠など縁(*板敷)に打ち置きて、勾欄に凭りかゝりぬ。
尼の出自
「人竝々の事には侍らざりしかども、恥ぢながら十六七に侍りしより、皇嘉門院と申し侍りしが御母の北の政所に侍ひて、讚岐院・近衞院など位の御時、百々敷の内も時々見侍りき。さて、失せさせ給ひしかば、女院にこそ侍ひぬべく侍りしかども、猶九重の霞の迷ひに花を弄び、雲の上にて月をも眺めまほしき心あながちに侍り。後白河院位に坐し、二條院東宮と申し侍りし頃、その人數に侍らざりしかど、おのづから立ち馴れ侍りし程に、さるかたに人にも許されたるなれ者になりて、六條院・高倉院などの御世まで時々仕うまつりしかども、つくもがみ苦しき程になり侍りしかば、頭おろして山里に籠りゐ侍りて、一部讀み奉ること怠り侍らず。今朝疾く出で侍りて、とかく惑ひ侍りつる程に、今まで懈怠し侍りにけり。」
とて、頸にかけたる經袋より、さうし經取り出でて讀みゐたれば、
「暗うてはいかに。」
などあれば、
「今は口なれて、夜も辿る\/は讀まれ侍り。」
とて、一の卷の末つかた、方便品比丘偈などよりやう\/忍びて打ちあげなどすれば、いと思はずに淺ましがりて、
「いま少し(*原文「今少し」)近くてこそ聞かめ。」
とて、縁へ呼びのぼすれば、
「いと見苦しくかたはらいたく侍れど、法華經にところをおき奉りたまはむを、強ひて否び聞えむも罪え侍りぬべし。」
とて、縁に上りたれば、
「同じくは、これに。」
と中門の廊に呼びのぼせて、疊などしかせて居ゑられたり。
「十羅刹の御徳に殿上ゆるされ侍りにたり。況して後の世もいとゞ頼もしや。」
など聞えて、ところ\〃/打ちあげつゝ讀み奉る。いと思はずに、僧などにかばかりそひて、七八人と居竝みて、
「今宵は御伽して、やがて居明さむ。月もめづらし。」
などいひて集ひあはれたり。
世の中の哀れにめでたきものの数々
一部よみ果てて、
「滅罪生善。」
など、數珠おし擦りて、
「今は休み侍りなむ。」
とて、より臥しぬれど、このひと\〃/は漫言ども言ひ、經のよきあしきなどほめそしり、花・紅葉・月・雪につけても、心々とり\〃/に言ひあへるも、いとをかしければ、つく\〃/と聞き臥したるに、三四人はなほ居つゝ、物をしめ\〃/と打しつゝ、
「さても\/、何事かこの世にとりて第一に捨て難きふしある。おの\/心に思されむこと宣へ。」
といふ人あるに、
「花・紅葉を弄び、月・雪に戲るゝにつけても、この世は捨て難きものなり。情けなきをも、あるをも嫌はず、心なきをも、數ならぬをも分かねば、斯樣の道許りにこそ侍らめ。
それにとりて、夕月夜仄かなるより、有明の心細き折も嫌はず、所もわかぬものは、月の光ばかりこそ侍らめ。夏も、まして秋・冬など、月明き夜は、そゞろなる心も澄み、情けなき姿も忘られて、知らぬ昔・今・行くさきもまだ見ぬ高麗・唐土も殘る所なく、遙かに思ひやらるゝ事は、たゞこの月に向ひてのみあれ。
されば、王子猷は戴安道を尋ね、蕭史が妻の月に心を澄まして雪に入りけむも理とぞ覺え侍る。この世にも月に心を深くしめたる例、昔も今も多く侍るめり。勢至菩薩にてさへ坐すなれば、暗きより暗きに迷はむしるべまでもとこそ、頼みをかけ奉るべき身にて侍れ。」
といふ人あり。又、
「かばかりひとり多かる末の世まで、いかでかゝる光の止まりけむと、昔の契りも忝く思ひ知らるゝことは、この月の光ばかりこそ侍るを、同じ心なるともなくて、只一人眺むるは、いみじき月の光もいとすさまじく、見るにつけても、戀しきこと多かるこそいと侘しけれ。」
「また此の世にいかで斯かることありけむとめでたく覺ゆることは、文にこそ侍るなれ。枕草紙に返す\/申して侍るめれば、事新しく申すに及ばねど、なほいとめでたきものなり。遙かなる世界にかき離れて、幾歳逢ひ見ぬ人なれど、文といふものだに見つれば、ただ今さし向ひたる心地して、なか\/打ち向ひては、思ふ程もつゞけやらぬ心の色もあらはし、言はまほしき事をもこま\〃/と書きつくしたるを見る心は、珍しく、嬉しく、相向ひたるに劣りてやはある。つれ\〃/なる折、昔の人のふみ見出でたるは、たゞ其の折の心地して、いみじく嬉しくこそ覺ゆれ。況して、亡き人などの書きたる物など見るは、いみじく哀れに、年月の多く積りたるも、たゞ今筆打ちぬらして書きたるやうなるこそ、返す\/めでたけれ。たゞさし向ひたる程のなさけばかりにてこそ侍れ。これは昔ながら露變ることなきもめでたき事なり。」
「『いみじかりける延喜・天暦の御時の舊事も、唐土・天竺の知らぬ事も、此の文字といふもの無からましかば(*原文「無からしかば」)、今の世の我らが片端もいかでか書き傳へまし。』など思ふにも、なほかばかりめでたきことはよも侍らじ。」
と言へば、また、
「何のすぢと定めて、いみじといふべきにもあらず。あだにはかなき事に言ひ慣はしてあれど、夢こそ哀れにいみじく覺ゆれ。遙かに跡絶えにし中なれど、夢には關守も強からで、もと來し道も立ち歸る事多かり。昔の人も在りしながらの面影をさだかに見ることは、たゞ此の道ばかり侍り。上東門院の、『今はなきねの夢ならで。』と詠ませ給へるも、いと哀れに侍れ。」
などいふ人あり。
また、
「あまた世にとりていみじき事など申すべきにはあらねど、涙こそいと哀れなる物にて侍れ。情なき武士の柔ぐことも侍り。いろならぬ心のうちあらはすもの、涙に侍り。いみじくまめだち、哀れなるよしをすれば、少しも思はぬことには、かりにもこぼれず。殊にはかなき事なれど、うち涙ぐみなどするは、心に沁みて思ふらんほど推し量られて、哀れに、心深くこそ思ひしられ侍れ。亭子の帝の御使にて、公忠の辨の、『なくを見るこそ哀れなりけれ。』と詠みけむ、理にぞ侍るや。」
といふ人あれば、また、
「事新しく申すにはあれど、此の世に入りて第一にめでたく覺ゆることは、阿彌陀佛こそおはしませ。念佛の功徳のやうなど、初めて申すべきならず。『南無阿彌陀佛。』と申すは、返す\/めでたく覺え侍るなり。人の怨めしきにも、世の業の侘しきにも、ものの羨しきにも、めでたきにも、たゞ如何なる方につけても、強ひて心にしみて物の覺ゆる慰めにも、『南無阿彌陀佛。』とだに申しつれば、如何なる事もこそ、疾く消失せて慰む心地する事にて侍れ。人はいかゞ思さるらむ。身にとりては斯く覺え侍れば、人のうへにもたゞ『南無阿彌陀佛。』と申す人は思ふならむと、心にくく奧床しく、哀れにいみじくこそ侍れ。
左衞門督公光と聞えし人、本みなれたる宮仕へ人の、こと心などつかひけると聞きて後、『たま\/行き逢ひて、(*原文の引用符は、左衛門督公光から。)今はその筋の事など露かけず、大方世の物語・内裏わたりの事ばかり、言少なにて、「南無阿彌陀佛。南無阿彌陀佛。」といはれて侍りけるこそ、來しかた行く先の事言はむよりも恥しく、汗も流れていみじかりしか。』と語る人侍りしか。
況して後の世のため、いかばかり功徳の中に、何事をか愚なると申すなかに、思へど\/めでたく覺えさせ給ふは、法華經こそおはしませ。いかに面白くめでたき繪物語といへど、二三べんも見つれば、うるさきものなるを、これは千部を千部ながら聞くたびに珍しく、文字ごとに始めて聞きつけたらむ事のやうに覺ゆるこそ、あさましくめでたけれ。『無二無三。』と仰せられたるのみならず、『法華最第一。』と有めれば、こと新しく斯樣に申すべきにはあらねど、さこそは昔より言ひ傳へたる事も必ずさしも覺えぬ事も侍るを、これは『たま\/生れあひたる思ひ出に、たゞあひ奉りたるばかり。』とこそ思ふに、など『源氏』とてさばかりめでたきものに、此の經の文字の一偈一句おはせざるらむ。何事か作り殘し、書き洩したること一言も侍る。これのみなむ第一の難と覺ゆる。」
といふなれば、
源氏物語の各巻短評
あるが中に若き聲にて、
「紫式部が法華經をよみ奉らざりけるにや。」
といふなれば、
「いさや(*原文「いざや」)。それにつけても、いと口惜しくこそあれ。あやしの我が歌に、後の世のためは然るものにて、人のうち聞かむもなさけおくれて覺えぬべきわざなれば、あながちにしても見奉らまほしくこそあるに、然ばかりなりけむ人、いかでかさる事あらむ。」
などいへば、又、
「さるは、『いみじく道心あり、後世の恐れを思ひて朝夕おこなひをのみしつゝ、なべて世には心もとまらぬさまなりける人にや。』とこそ見えためれ。」
などいひ始めて、
「さても、此の『源氏』作り出でたることとこそ、思へど\/此の世一つならず珍かに思ほゆれ。誠に、『佛に申し請ひたりける驗にや。』とこそ覺ゆれ。それより後の物語は、思へばやすかりぬべきものなり。かれを才覺にて作らむに、『源氏』に勝りたらむ事を作り出す人ありなむ。わづかに宇津保・竹取・住吉などばかりを物語とて見けむ心地、然ばかりに作り出でけん、凡夫のしわざとも覺えぬことなり。」
などいへば、またありつる若き聲にて、
「未だ見侍らぬこそ口惜しけれ。それを語らせたまへかし。聞き侍らむ。」
といへば、
「さばかり多かるものを、諳にはいかゞ語り聞えむ。本を見てこそいひ聞かせ奉らめ。」
といへば、
「たゞ先づ今宵仰せられよ。」
とゆかしげに思ひたれば、
「げに斯樣の宵、徒然慰めぬべきわざ。」
など口々いひて、
「卷々のなかに何れが勝れて心に沁みてめでたく覺ゆる。」
といへば、
「『桐壺』に過ぎたる卷やは侍るべき。『いづれの御時にか、』とうち始めたるより、源氏初元結の程まで、言葉つゞき有樣を始め、哀れに悲しきこと此の卷にこもりて侍るぞかし。」
「『帚木』の雨夜の品さだめ、いと見どころ多く侍るめる。」
「『夕顔』、一筋に哀れに、心苦しき卷にて侍るめり。」
「『紅葉の賀』『花の宴』、とり\〃/艷に面白し。えもいはぬ卷々に侍るべし。」
「『葵』、いと哀れに面白き卷なり。」
「『榊』、伊勢の御出立の程も艷にいみじ。院かくれさせ給ひて後、藤壺の宮、樣かへ給ふ程など哀れなり。」
「『須磨』、哀れにいみじき卷なり。京を出で給ふ程の事ども、旅のすまひの程、いと哀れにこそ侍れ。」
「『明石』は、浦より浦に浦傳ひ給ふほど、又、浦をはなれて京へ赴き給ふほど、
『都出でし春のなげきに劣らめや年ふる浦を別れぬる秋』
みやこいでし はるのなげきに おとらめや としふるうらを わかれぬるあき
などある程に、都を出で給ひしは、いかにもかくてやむべき事ならねば、また立ち歸るべきものと思されけむに、思し慰み給ひけむ、
(*また)此の浦は、または『なにしにかは。』と、限りに思しとぢめけむ程、ものごとに目とまり給ひけむ、ことわりなりかし。」
「『蓬生』、いと艷ある卷にて侍る。槿・紫の上の物思へるがいとほしきなり。」
「十七の竝びのなかに、『初音』『胡蝶』などは、面白く、めでたし。『野分』のあしたこそ、さま\〃/見所ありて、艷にをかしきこと多かれ。」
「『藤の裏葉』、いと心ゆき、嬉しき卷なり。」
「『若菜』の上・下ともに、うるさきことどもあれど、いと多く見所ある卷なり。柏木の右衞門督のうせ、いと哀れなり。」
「『御法』『幻』、いと哀れなる事ばかりなり。」
「宇治のゆかりは、こじまに樣かはりて、言葉づかひも何事もあれど、姉宮の失せを始め、中の君などいと\/(*哀れなり)。」
など、口々にいへば、
源氏物語の女性短評
此の若き人、
「めでたき女は、誰々か侍る。」
といへば、
「桐壺の更衣、□の宮、葵の上のわれから心をもちゐ、紫の上さらなり。明石も心にくく、いみじといふなり。また、いみじく女は朧月夜の内侍のかみ。源氏流され給ふも、この人のゆゑと思へば、いみじきなり。『如何なる方に落つる涙にか。』など、みかどの仰せられたるほどもいといみじ。槿の宮、さばかり心強き人なめり。世にさしも思ひとめられながら、心づよくてやみ給へる程、いみじくこそ覺ゆれ。空蝉も、そのかたはむげに人わろき。後に尼姿にてまじらひゐたる、また心づきなし。」
などいへば、
「空蝉は、源氏にはまことに打解けず。『打解けたり。』と、とりどりに人の申すは、いかなることにか。」
といふ人あれば、
「『帚木』にいふ、『なにとて打解けざりけり。(*■)』とは見え侍る者を、惡しく心得て、さ申す人々も、とき\〃/侍るなめり。」
といふ。
「宇治のあね宮こそ返す\/いみじけれ。六條の御息所の中將こそ、宮仕へ人の中にいみじけれ。好もしき人は、花散里。なにばかりまほならぬ形・有樣ながら、めでたき人々に立交りて、をさ\/劣らぬ世の覺えにて、まめ人の大將子にしなどせられたるが、好もしういみじきなり。」
といへば、また、
「まめ人をば養ひ君にして侍らむ。さばかりめでたかりし葵の上の御腹の君も、など人わろき後の親をばまうけ給ふべき。」
とて、いと腹立たしげなめれば、誰もうち笑ひぬ。また、
「末摘花、好もしといふとて、にくみ合せ給へど、大貳の誘ふにも心づよく靡かでしにかへり、昔ながらの住ひ改めず、終に待ちつけて、『深き蓬のもとの心を。』とて、わけいり給ふを見る程は、誰よりもめでたくぞ覺ゆる。みめより始めて、何事も
斜ならむ人のためには、さばかりの事のいみじかるべきにも侍らず。其の人がらには、佛にならむよりも有難き宿世には侍らずや。六條の
御息所は、餘りに物怪に出でらるるこそ怖しけれど、人ざまいみじく心にくく、好もしく侍るなり。御子の中宮も我から心もちゐなど、いみじく心憎き人の中にも、ませ聞えつべきかなどやらむとねましき
(*「ねたましき」の誤脱か。)は、源氏の大臣の、餘りにもてなし給ふが心づきなかるべし。
玉鬘(*ママ)の姫君こそ好もしき人とも聞えつべけれ。みめかたちを始め、人ざま・心ばへなど、いと思ふやうによき人にておはする上に、よにとりてとり\〃/におはする。大臣達二人ながら左右におやにて、何れも愚ならず數まへられたる程、いとあらまほしきを、その身にては唯内侍のかみにて、冷泉院などに思し時めかされ、さらずば年頃心深く思しわたる兵部卿の宮の北の方などにてもあらばよかりぬべきを、いと心づきなき髯Kの大將の北の方になりて、隙間もなくまもりいさめられて、さばかりめでたかりし後の親も、見奉ることは絶えて過すほどに、いといぶせく、心やましき。又、ものはかなかりし夕顔の、ゆかりともなく、餘りに誇りかにさが\〃/しくて、『この世にかゝる親の心は。』などいへるぞ、あの人の御さまには、ふさはしからず覺ゆる。又、筑紫下りも餘り品くだりて覺ゆる。されど、大かたの人ざまは好もしき人なり。
いとほしき人。紫の上、限りなくかたひしく、いとほしく、あたりの人の心ばへもいとにくき、父宮を初め、おほぢの僧に至るまで、思はしからぬ人々なり。繼母などの心ばへさるべき仲なれど、さばかりになりぬる人の爲に、いと然しもやはあるべき。夕顔こそいといとほしけれ。母にも似ず、いみじげなる
女もちたるぞ、その身の有樣にはさらでもありぬべき。斯樣ならむ人は、たゞ跡方もなくやみなむこそ、いま少し
(*原文「今少し」)忍び所もあらめ。まめ人の北の方、藤の裏葉の君、むげに艷ある樣なんどぞ見えざめれど、何となく幼くよりいとほしき人に思ひ初めてし人なり。宇治の中の君こそ、いといとほしけれ。初めはいとさしも覺えざりしかど、兵部卿の宮まめ人の壻になりて、物思はしげなるがいとほしきなり。況して、『かばかりにてやかけ離れなむ。』などいへるは、見るたびに涙
止まらずこそ覺ゆれ。
女三の宮こそいとほしき人とも言ひつべけれど、『袖濡らせとや蜩の』と詠みて、『月待ちてもといふなるものを。』などある程は、いと心苦しきを、餘りにいふ甲斐なきものから、さすがにいろめかしき所の
坐するが心づきなきなり。斯樣の人は、一筋に子めかしく、おほどきたればこそらうたけれ、あさましき文、大臣に見ゆる事も、その御心のしわざぞかし。さることありと思すらむには、とゞまらむをだに、しひてそゝのかしいだしてむとぞ思さる
(*原文「覺さる」)べきを、さかしらに心苦しげなる事どもいひとゞめて、さる大事をばひき出し給へるぞかし。
手習ひの君こそ、憎きものとも言ひつべき人、さま\〃/身を一方ならず思ひ亂れて、
『鐘の音の絶ゆるひゞきに音を添へて我が世つきぬと君に傳へよ』
かねのおとの たゆるひびきに ねをそへて わがよつきぬと きみにつたへよ
と詠みて身を捨てたるこそいとほしけれ。兵部卿の宮の御ことききつけて、薫大將、
『浪越ゆる頃とも知らず末の松まつらむとのみ思ひけるかな』
なみこゆる ころともしらず すゑのまつ まつらむとのみ おもひけるかな
と宣へるを、『所違へならむ。』とて、結びながら返したる程こそ心まさりすれ。」
源氏物語の男性短評
また例の人、
「をとこの中には、誰々か侍る。」
といへば、
「源氏の大臣の御事は、善し惡しなど定めむも、いとあたらしく、傍痛きことなれば、申すに及ばねども、『さらでも』と覺ゆるふしぶし多くぞ侍る。大内山の大臣、若くより
互に隔てなくて、馴れ睦び交して、雨夜の御物語を始め、
『諸共に大内山に出でつれど行くかた見せぬいざよひの月』
もろともに おほうちやまに いでつれど ゆくかたみせぬ いざよひのつき
といへる、又、源内侍のすけの許にて、太刀拔きて
脅し聞えし
樣のことは、いひつくすべくもなし。何事よりも、さばかり煩はしかりし世の騷ぎにも
觸らず、須磨の御旅住みの程尋ねまゐり給へりし心深さは、世々を經とも忘るべくやはあると、それ思ひ知らすよしなきとりむすめして、かの大臣の女御といどみきしろはせ給ふ、いと心憂き御心なり。繪合のをり、須磨の繪二卷とり出でて、かの女御負けになし給へるなど、返す\/口をしき御心なり。また須磨へ坐する程、さばかり心苦しげに思ひ入り給へる紫の上も具し聞えず、せめて心澄まして一筋に行ひ勤め給ふべきかと思ふ程に、明石の入道が壻になりて、日ぐらし琵琶の法師と向ひゐて、琴ひきすまして坐する程、むげに思ひ所なし。また、さま\〃/なりし御ことしづまりて、今はさるかたに定まりはて給ふかと思ふ世の末に立ち歸りて、女三の宮まうけて若やぎ給ふだにつきなきに、衞門督のこと見あらはして、然ばかり怖ぢ憚りまうでぬものを、強ひて召し出でてとかく言ひまさぐり、果てには睨み殺し給へる程、むげに怪しからぬ御心なりかし。すべて斯樣のかたに、つしやかなる御心のおくれ給へりけるとぞ覺ゆる。
兵部卿の宮、さして其の事のよしあしなどは覺えぬ人の、源氏の大臣の御
同胞いと多かる中に、とりわき御仲よくて、何事も先づ聞え合せ給ふ、いと心憎きなり。玉かつら
(*ママ)の御事えしえ給はぬ
(*不明。)、むげに心おくれたり。大内山の大臣、いとよき人なり。況して須磨へ尋ねおはしたる程など、返す\/めでたし。まめ人をいたく侘びさせたるこそ怨めしけれど、そも理なりや。名殘なく思ひ弱りてゆるす程などは、いとよくこそせられためれ。
まめ人の大將、若き人ともなく、餘りに
美しだちたるはさう\〃/しけれども
(*原文「騷々しけれども」)、つしやかなる
容姿は大臣にも勝り給へり。樣々聞ゆる事どもにも靡かで、藤の裏葉のうらとけ給ふを、心長く持ちつけ
(*「待ちつけ」か。)たまへる程ありがたし。女だにさる事はいかでかはとぞ覺ゆる。さて、いと思ふやうに住みはて給ひにたる世の末になりて、よしなき落葉の宮まうけて、まめ人の名を改め、さま變り給ふぞ、思はずなるや。
柏木の衞門督、初めよりいとよき人なり。『岩漏る中將』などいはれし程より、藤の裏の葉のうらとけし程なども、いとをかしかりし人の、女三の宮の御事、さしも命に換ふばかり思ひ入りけむぞもどかしき。諸共に見奉り給へりしかど、まめ人はいでやと心劣りしてこそ思へりしに、さしも心にしめけむぞ、いと心劣りする。紫の上はつかに
(*原文「はづかに」)見て、野分の朝眺め入りけむまめ人こそいといみじけれ。風の程いと哀れにいとほしけれど、そも餘り身の程思ひ屈じ、人わろげなるぞさしもあるべきかと覺ゆる。その大臣の紅梅の大納言といふ人、韻塞ぎの折、高砂謠ひしより初め、辨少將などいひて、藤の裏葉にて蘆垣謠ひし程なども、いといたかりし人の、源氏など失せ給ひて、末の世に『鳥なき島の
蝙蝠』とかやして、薫大將の帝の御壻になるを
妬みて、呟きなどし
歩く程こそ心づきなけれ。
匂ふ兵部卿の宮、若き人の
戲れたるはさのみこそといふなるに、怪しからぬ程に色めき、すき給ふこそふさはしからね。紫の上のとりわき給へりしゆゑ、二條院にすみ給ふこそいと哀れなれ。
薫大將、初めより終りまで、さらでもと思ふふし一つ見えず、返す\/
(*原文「返へす\/」)めでたき人なんめり。まことに光源氏の御子にてあらむだに、母宮のものはかなきを思ふにはあるべくもあらず。紫の御腹などならば、さもありなむ。すべて物語の中にも、まして現の中にも、昔も今もかばかりの人は有難くこそ。」
などいへば、又人、
「さはあれど、けぢかく、まめ\/しげなる方はおくれたる人にや、浮舟の君・巣守の中の君などの、兵部卿の宮には思ひおとし侍るこそ口惜しけれ。」
といふなれば、又、
「そは大將の咎にはあらず、女のせめていろなる心の樣よからぬ故にぞ侍る。巣守の君は心憎き人の樣なれば、匂ふ樣に薫る梅と、こよなく立ち勝りてこそ侍るめれ。」
などいへば、
源氏物語の印象的場面
又、例の人、
「人々の有樣はおろ\/聞きて侍りぬ。哀れにもめでたくも、心に沁みて覺えさせ給ふらむふし\〃/仰せられよ。」
と言へば、
「いとうるさき慾深さかな。」
なんど、笑ふ\/、
「哀れなることは、桐壺の更衣の失せの程、帝の歎かせ給ふ程のこと、長恨歌の女も思ひし限りあれば、筆及ばざりけむ。『尾花の風に靡きたるよりもなよびかに、撫子の露に濡れたるよりもらうたく、懷しかりし御樣は、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。
尋ね行く幻もがな傳(*原文「傳へ」)にても魂の在所を其處と知るべく。』
たづねゆく まぼろしもがな つてにても たまのありかを そことしるべく
とて、燈火をかゝげつくして、
眠る事なく眺め坐すなどあるに、何事も殘りの六十卷はみな推量られ侍りぬ。
また、夕顔の失せの程のことも、『空に打ち曇りて風冷やかなるに、いたく眺めて、
見し人の煙を雲と眺むれば夕の空もむつまじきかな』
みしひとの けぶりをくもと ながむれば ゆふべのそらも むつまじきかな
と詠みて、『まさに長き夜。』など
打誦し給ふところ、
葵の上の失せの程の事も哀れなり。御わざの夜、父大臣の闇に迷ひ給へるなど、ことわりに哀れなり。にばめる
御衣を奉り換ふとて、『我先立たましかば、深くそめ給はまし。』など思して、
『限りあればうす墨衣淺けれど涙ぞ袖を淵となしける』
かぎりあれば うすずみごろも あさけれど なみだぞそでを ふちとなしける
とよみ給ふ所、又、風荒らかに吹き、時雨うちしける程に、涙も爭ふ心地して、『雨となり雲とやなりにけむ。今は知らず。』とひとりごち給ふに、頭の中將參りて、
『見し人の雨となりにし雲ゐさへいとゞ時雨にかきくらすかな』
みしひとの あめとなりにし くもゐさへ いとどしぐれに かきくらすかな
とあるところ、又、らうたくし給ふ童の、かざみの
裝束なべてよりも濃くて、いみじくくんじ濕りて候を、いと哀れに思して、とりわきらうたくし給ひしかば、『われを然なむ思ふべき。』と慰め給へば、いみじく泣きて御前に候ふ所など、いと哀れなり。又、御忌果てて君も出で給ひ、日頃さぶらひつる女房ども、おの\/『あからさまに。』などとて
(*■)、おのがじゝ別れ惜むところ、いたく哀れなり。又、かき給へる
御手習ども、大臣見て泣き給ひなどするも、すべて哀れなるなり。
須磨の別れの程の事も、葵の上の古里に、まかり申しにおはして、
『鳥部山燃えし煙にまがふやと蜑の鹽やくうらみにぞゆく』
とりべやま もえしけぶりに まがふやと あまのしほやく うらみにぞゆく
とある所、又、鏡臺に
御鬢掻き給ふとて見給へば、いと面痩せたる影の、我ながら清らなるも哀れに覺えて、『此の影のやうに痩せ侍る。』とて、
『身はかくてさすらへぬとも君があたりさらぬ鏡の影ははなれじ』
みはかくて さすらへぬとも きみがあたり さらぬかがみの かげははなれじ
と聞え給へば、紫の上涙をひとめうけて見おこせて、
『別るとも影だに留るものならば鏡を見ても慰みなまし』
わかるとも かげだにとまる ものならば かがみをみても なぐさみなまし
とある所。
また、賀茂の下の御社の程にて、神にまかり申し給ふとて、
『うき世をば今ぞ別るゝとゞむらむ名をばたゞすの神に任せて』
うきよをば いまぞわかるる とどむらむ なをばただすの かみにまかせて
とある所。
又、出で給ふ曉、紫の上、
『惜しからぬ命にかへて目のまへの別れをしばしとゞめてしがな』
をしからぬ いのちにかへて めのまへの わかれをしばし とどめてしがな
」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
「」
東山の麓
檜皮葺の家
尼の出自
世の中の哀れにめでたきものの数々
源氏物語の各巻短評
源氏物語の女性短評
源氏物語の男性短評
源氏物語の印象的場面