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今物語

藤原信実
(藤井乙男 校訂『宇治拾遺物語』全 有朋堂文庫 有朋堂書店 1926.10.15
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(目次)

(*原文には目次なし。)
                            一〇   一一   一二   一三   一四   一五   一六   一七   一八   一九   二〇   二一   二二   二三   二四   二五   二六   二七   二八   二九   三〇   三一   三二   三三   三四   三五   三六   三七   三八   三九   四〇   四一   四二   四三   四四   四五   四六   四七   四八   四九   五〇   五一   五二   五三  (勘文)


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〔一〕 大納言なりける人、内へまゐりて女房あまた物語しける所にやすらひければ、此人の扇を手ごとにとりて見けるに、辨の姿したりける人を書きたりけるを見て、此女房ども、鳴く音なそへそ野邊の松蟲と、口々にひとりごちあへるを、此人聞きてをかしと思ひたるに、奧のかたより只今人の來たるなめりと覺ゆるに、是はいかに鳴く音なそへそと覺ゆるはと、したり顔にいふ音のするを、この今きたる人しばしためらひて、いと人にくゝいうなるけしきにて、源氏の下襲したがさねのしりは短かゝるべきかはとばかり、忍びやかに答ふるを、このをとこあはれに心にくゝ覺えて、ぬしゆかしきものかな、誰ならんとうちつけに浮きたちけり。堪ふべくも覺えざりければ、後にえさらぬ人に尋ねければ、近衞院の御母ひが事かうのとのの御つぼねときければ、いでやことわりなるべし。その後はたぐひなき物思ひになりにけり。
源氏榊 大かたの秋の別れもかなしきに鳴くねなそへそ野邊の松蟲

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〔二〕 薩摩守忠度といふ人ありき。ある宮腹の女房に物申さんとて、局のうへざまにてためらひけるが、ことの外に夜ふけにければ、扇をはら/\と使ひ鳴らして聞き知らせければ、此局の心しりの女房、野もせにすだく蟲の音やと、ながめけるを聞きて、扇を使ひやみにけり。人しづまりて出あひたりけるに、この女房扇をばなどや使ひ給はざりつるぞと言ひければ、いさかしがましとかや聞えつればと言ひたりける、やさしかりけり。
(*新撰朗詠) かしがまし野もせにすだく蟲の音よ我だに物はいはでこそ思へ
〔○此話著聞集・十訓抄にも出づ。〕

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〔三〕 或殿上人さるべき所へ參りたりけるに、折しも雪降りて月朧なりけるに、中門のいたにさぶらひて、寢殿なる女房にあひしらひけるが、此朧月はいかゞし候ふべきと言ひたりければ、女房返事はなくて、取りあへず内より疊を推し出だしたりける心早さ、いみじかりけり。
新古今 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
〔○此話十訓抄及び悦目抄に見ゆ。〕

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〔四〕 ある殿上人ふるき宮腹へ夜ふくる程に參りて、北のたい馬道めんだうにたゝずみ(*原文「たゞずみ」)けるに、局におるゝ人の氣色あまたしければ、ひき隱れてのぞきけるに、御局の遣水やりみづに螢の多くすだきけるを見て、さきに立ちたる女房の、螢火みだれ飛びて(*元、和漢朗詠集)と打ちながめたるに、つぎなる人、夕殿に螢飛んで(*長恨歌)とくちずさむ。しりに立ちたる人、かくれぬものは夏蟲の(*後撰集、大和物語)と、花やかにひとりごちたり。とり/〃\にやさしくも面白くて、此男何となくふしなからんも本意なくて、ねずなきをし出でたりける。さきなる女房、ものおそろしや、螢にも聲のありけるよとて、つや/\騷ぎたるけしきなく、うち靜まりたりける、あまりに色深く悲しく覺えけるに、今ひとり鳴く蟲よりもとこそと、取り成したりけり。是もおもひ入りたるほど奧ゆかしくて、すべてとり/〃\にやさしかりける。
(*後拾遺集) 音もせでみさをに燃ゆる〔後拾遺には「おもひにもゆる」とあり。〕螢こそ鳴く蟲よりもあはれなりけれ
螢火亂飛秋已近  辰星早沒夜初長
夕殿螢飛思悄然
後撰 つゝめどもかくれぬ物は夏蟲の身よりあまれる思ひなりけり

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〔五〕 近き御代に五節のころ、ゆかりにふれてたれとかやの御局へ、或女のやんごとなき忍びて參りたりける事ありけるを、ちと〔「みかど」の衍なるべし。〕聞召きこしめしていかで御覽ぜんと、おぼしけるまゝに、俄に推し入らせ給ひけり。取りあへずともし火を人の消ちたりければ、御ふところより櫛をいくらも取りいでて、火櫃ひびつの火にうち入れ給ひたりければ、奧まで見えて、よく/\御覽じけり。御心の風情ふぜい興ありて、いとやさしかりけり。
〔○此話十訓抄にいづ。〕

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〔六〕 此比の事とかや、ある田舍人いうなる女をかたらひて、キに住みわたりけるが、とみの事ありて田舍へ下りなんとしける其夜となりて、此女例ならずうちしめりて、うしろむきて寢たりけるを、男いたう恨みてけり。いつまでかかくも厭はれまゐらせん、只今ばかり向き給ひてあれかしと言ひけるに、この女、
今さらに背くにはあらず君なくてありぬべきかと習ふばかりぞ
と言ひたりければ、男めで惑ひて、田舍下りとまりにけるとかや。いとやさしくこそ。

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〔七〕 大納言なりける人、日比ひごろ心をつくされける女房のもとにおはして、物語などせられけるが、世に思ふやうならで、明けゆく空も猶心もとなかりければ、あからさまのやうにて立ち出でて、隨身に心を合せて、今しばしありて、まことや今宵は内裏の番にて候ふものを、もしおぼしめし忘れてやと、おとなへとヘへて、うちへ入りぬ。その儘にしばしありて、無骨こちなげに隨身いさめ申しければ、さる事あり、今夜はげに心おくれしにけりとて、とりあへず急ぎ出でんとせられける氣色けしきを見て、この女房心得て、やがていと恨しげなるに、をりふし雨のはら/\と降りたりければ、
ふれや雨雲のかよひぢ見えぬまでこゝろ空なる人やとまると
いうなる氣色にて、わざとならず打ちいでたりけるに、此大納言なにかのことはなくて、其夜とまりにけり。後までも絶えず音づれられけるはいとやさしくこそ。かく申すは後コ大寺左大臣〔實定〕ときこえし人の事とかや。

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〔八〕 粟田口の別當入道といひける人、わかくて人を思ひけるに、やう/\かれ/〃\になりて、後におもひ出でて、絲の有りけるをやりたりければ、絲をば返して、歌をなんよみたりける。
わすられて思ふばかりのあらばこそかけても知らめ夏引の絲
(*「かく」は「絲」の縁語。
類想歌—「夏引きの手引きの糸の年経ても絶えぬ思ひにむすぼほれつつ」〔新古今集〕)

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〔九〕 或藏人の五位の月くまなかりける夜、革堂(*行願寺)へ參りけるに、いと美しげなる女房の、ひとり參りあひたりける、見すてがたく覺えけるまゝに、言ひよりてかたらひければ、大方さやうの道には叶ひがたき身にてなんと、やう/\に言ひしろひけるを、猶堪へがたく覺えて、歸りけるにつきて行きければ、一條河原になりにけり。女房見かへりて、
玉みくり〔水草の名。三稜草。〕うきにしもなどねをとめて引きあげどころなき身なるらん
とひとりごちて、きよめ(*河原等に住み、清掃を業とした民。)が家の有りけるに入りにけり。男それしもいとあはれに不思議と覺えけり。

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〔一〇〕 大納言なりける人、小侍從(*後出小大進女、実賢母。)と聞えし歌よみに通はれけり。ある夜物いひて曉かへられけるに、女の家の門をやりいだされけるが、きと見かへりたりければ、此女名殘を思ふかとおぼしくて、車寄くるまよせすだれにすきて、ひとり殘りたりけるが、心にかゝり覺えてければ、供なりける藏人〔藤經尹〕に、いまだ入りやらで見送りたるが、ふり棄てがたきに、何とまれ言ひてことの給ひければ、ゆゝしき大事かなと思へども、程べき事ならねば、やがて走り入りぬ。車寄のえんのきはにかしこまりて、申せと候ふとは、左右さうなくいひ出でたれど、何といふべきことの葉も覺えぬに、折しもゆふつけ鳥聲々に鳴き出でたりけるに、あかぬ別れの〔新古戀三、小侍從、「待つよひに更け行くかねの聲きけばあかぬわかれの鳥はものかは」〕といひける事の、きと思ひいでられければ、
新拾遺 物かはと君がいひけん鳥の音のけさしもなどか悲しかるらん
とばかり言ひかけて、やがて走りつきて、車の尻にのりぬ。家に歸りて中門におりて後、さても何とか言ひたりつると問ひ給ひければ、かくこそと申しければ、いみじくめでたがられけり。さればこと使つかひにははからひつれとて、感のあまりにしる所〔領地〕などたびたりけるとなん。此藏人は内裏の六位など經て、やさし藏人といはれけるものなりけり。この大納言も後コ大寺左大臣の御事なり。
〔○此話十訓抄、及び平家物語七に見ゆ。〕

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〔一一〕 能登前司橘長政といひしは、今は世を背きて法名寂縁とかや申すなんめり。和歌の道をたしなみて、其名きこゆる人(*好士)也。新勅撰えらばれし時、三首とかや入りたりけるを、すくなしとてきりて出でたりける(*選歌を外させたこと)、すこしはげしきには似たれども、道を立てたる程はいとやさしくこそ。其人此比このころあるやんごとなき大臣家に、和歌の會せられけるに(*十月二十日の歌会)、述懷の歌をよみたりける。
あふげども我身たすくる~なつきさてやはつかの空を眺めん
と詠みたりければ、滿座感歎して此歌よみためて、主も稱美のあまりに、國の所ひとつやがて賜はせたりけり。道の面目、世の繁昌(*もてはやされること)、不思議の事也。末代にもさすがかゝるやさしき事の殘りたるにこそ。此事を聞きて侍從〔家驪ィの男〕いひやりける歌、
みがきける君に逢ひてぞ和歌の浦の玉も光をいとゞ添ふらん

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〔一二〕 吉水前大僧正と聞えしは、今は慈鎭和尚と申すにや、天王寺の別當に成りて拜堂ありけるに、上童おほく具せられたりける中に、たれがしとかやいひける兒を、天王寺にありける女、堪へがたう思ひかけて、紅梅の檀紙に、心も及ばず葦手あしでを書きて、この兒のもとへおこせたりける、ぬしも餘所よそながらもつや/\見知りたる人もなくて、むげに恥がましくありぬべかりけるに、此兒うち案ずるけしきなりければ、何とすべきにかと、人々まばゆく(*瞠目して)思ひたりけるに、やがてその葦手のうへに、
おぼつかななにはにかける言の葉ぞキにすめば知らぬあしでを
と書きてやりたりける、取りあへずいとあしからずや。

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〔一三〕 宇治の左のおとゞ〔ョ長〕の御前に、銀を桐火桶きりびをけにつませられて、ョ政卿のいまだ若かりける時、召ありてきり火桶とわが名を、かくし題(*隠題)にて歌つかうまつりて、是をたまはれと仰事おほせごとありければ、とりもあへず、
宇治川のP々の白浪おちたぎりひを(*氷魚)けさいかによりまさるらん
とよみたりけり。めでさせ給ひけるとなん。
(*源平盛衰記)

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〔一四〕 秦公春といひける隨身、宇治の左大臣殿につかうまつりけるが、御沓おんくつをまゐらせけるが、御沓のしきに千鳥を書かれたりけるを見て、
菟玖波 沓のうらにも飛ぶ千鳥かな
といひでたりけるを、取次ぐ殿上人も物もいはざりけるに、大殿おほいどのしばし御沓をはき給はで、
 難波なるあしの入江をおもひ出て
と仰せられたりける、いとやさしかりけり。

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〔一五〕 待賢門院の堀川、上西門院の兵衞おとゞひ(*兄弟姉妹)なりけり。夜深くなるまでさうしを見けるに、ともし火のつきたりけるに、油綿あぶらわた〔和名鈔、「容飾具云、澤。釋名云、人髪恒枯悴、以此令濡澤也。俗用脂緜二字(阿布良/和太)」〕をさしたりければ、よにかうばしく匂ひけるを、堀川、
菟玖波 ともし火はたきものにこそ似たりけれ
といひたりければ、兵衞とりもあへず、
 ちやうじがしら(*灯心の先にできる燃え滓のかたまり・灯火)の香やにほふらん
とつけたりける、いと面白かりけり。〔此連歌の作者、菟玖波集と反對になれり。〕

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〔一六〕 或者所(*或所か。)の前を春の頃、修行者の不思議なるが通りけるが、檜笠ひがさに梅の花を一枝さしたりけるを、兒ども法師などあまた有りけるが、世にをかしげに思ひて、ある兒の梅の花笠きたる御房よといひて笑ひたりければ、此修行者立ちかへりて、袖をかき合せて、ゑみゑみと笑ひて、
身のうさの隱れざりけるものゆゑに梅の花笠きたる御房よ
と仰せられ候ふやらんと言ひたりければ、この者どもこはいかにと、思はずに思ひて、言ひやりたるかたもなくてぞ有りける。左右さうなく人を笑ふ事あるべくも無きことにや。

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〔一七〕 或所にて此世の連歌の上手と聞ゆる人々より合ひて連歌しけるに、其門のしたに法師のまことに怪しげなるが、かしらはをつかみ〔髪のつかまるゝばかり生ひたる也。〕に生ひて、紙衣かみぎぬのほろ/\とあるうち著たるが、つく/〃\此連歌を聞きて有りければ、何程の事を聞くらんと、をかしと思ひて侍るに、此法師やゝ久しく有りて、うちへ入りて椽のきはにゐたり。人々をかしと思ひてあるに、遙かにありて、賦物ふしもの(*連歌の謎かけ題)は何にてやらんと問ひければ、其中にちと荒涼くわうりやうなる者にて有りけるやらん、餘りにをかしくあなづらはしきまゝに、何となく、
菟玖波 くゝりもとかず足もぬらさず
といふぞと言ひたりければ、此法師打聞きて二三返ばかり詠じて、面白く候ふものかなといひければ、いとゞをかしと思ふに、さらば恐れながら付け候はんとて、
名にしおふ花の白河わたるには
と言ひたりければ、いひ出だしたりける人を初めて、手をうちてあさみけり。さて此僧はいとま申してとてぞ走り出でける。後に此事京極中納言〔定家〕きゝ給ひて、いかなる者にかと、返す/〃\ゆかしくこそ、いかさまにても只者たゞものにてはよもあらじ、當世は是ほどの句などつくる人は有りがたし、あはれ歌よみの名人たちは、たゝ〔そくイ〕かう〔異本の「そくかう」とあるよし。そくかうは辱號にて、俗にいふ恥をかくの意。〕かきたりけるものかな、世の中のやうに恐しきものあらじ、よきもあしきも人を侮る事あるまじき事とぞいはれける。

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〔一八〕 伏見中納言(*源師仲)といひける人のもとへ、西行法師行きて尋ねけるに、あるじはありきたがひたる程に、さぶらひの出でて、何事いふ法師ぞといふに、椽に尻かけて居たるを、けしかる法師のかくしれがましきぞと思ひたる氣色にて、侍共にらみおこせたるに、みすの内に箏の琴にて秋風樂を彈きすましたるを聞きて、西行此侍に物申さんといひければ、にくしとは思ひながら立寄りて、何事ぞといふに、簾のうちへ申させ給へとて、
ことに身にしむ秋の風かな
といひでたりければ、にくき法師のいひごとかなとて、かまち骨〕をはりてけり。西行はふはふ歸りてけり。後に中納言の歸りたるに、かゝるしれ物こそ候ひつれ、はりふせ候ひぬと、かしこ顔に語りければ、西行にこそありつらめ、不思議の事(*怪しからぬ事)なりとて、心うがられけり。此侍をばやがて追ひ出だしてけり。

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〔一九〕 後白川院の御時、日吉社に御幸ありて一夜御泊りありて、次の日御下向ありけるに、雨の降りければ、御車近うつかうまつりける上達部かんだちめの中に、
菟玖波 きのふ日よしと思ひしものを
といふ連歌の出來たりけるを、おほかた付くる人なくて程へければ、左馬權頭なりける人(*右馬権頭藤原隆信かという。隆信は『今物語』の作者信実の父。)の、はるかに先なりけるを召しかへして、是付けよと仰せごと有りければ、ほどなく
 今日は皆雨ふるさとへかへるかな
と付けたりければ、安かりけることを口惜しくも思ひよらざりけると、人々いひあへりけり。此左馬權頭、加茂の臨時祭の舞人なりけるに、曉つかひなりける人を打具うちぐして歸りたちにまゐりける〔一本「まゐりたる」〕が、雪いたく降りて袖にたまりけるを見て、
 あをずりの竹にも雪はつもりけり
といひたりけるに、使なりける人は付けざりければ、秦兼任人長にんぢやう〔舞人陪從の長〕にて打具うちぐしてけるが、馬を打ちよせ/\氣色ばみければ、兼任が付けたると覺ゆるぞといはれて、下臈はいかでかとはゝしく〔誤字あるにや、不明。〕(*はばしく—憚る様子で)言ひけるを、猶せめ問はれて、
 色はかざしの花にまがひて
と付けたりける、まことに兼久、兼方などが子孫と覺えて、いとやさしかりけり。

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〔二〇〕 やんごとなき人のもとに、今參いままゐりの侍出來にけり。燒繪やきゑをめでたくするよし聞えければ、前によびて檀紙に燒繪をせさせけるに、何をか燒き侍るべきといひければ、水に鴛を燒けといはれけるに、打ちうなづきて、
菟玖波俳諧 水にはをしをいかゞ燒くべき
と口ずさみけるを、あるじ聞き咎めて、同じくは一首になせと言はれければ、かいかしこまりて、
 波の打つ岩より火をば出だすとも
といへりければ、人々皆ほめにけり。

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〔二一〕 京極太政大臣〔宗輔〕と聞えける人、いまだ位あさかりける程に、雲居寺の程を過ぎられけるに、瞻西(*せんせい・せんさい)上人の家を葺きけるを見て、雜色をつかひにて、
菟玖波 ひじりの屋をばめかくし(*目隠し・女隠し)にふけ
といはせて、車を早くやらせけるに、雜色の走りかへるうしろに小法師をはしらせて、
 あめの下にもりて聞ゆることもあり
といはせたりける、その程の早さけしからざりけり。

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〔二二〕 待賢門院の女房加賀といふ歌よみあり。
かねてより思ひしことぞふし柴のこるばかりなる歎きせんとは
といふ歌を、年比としごろよみてもちたりけるを、同じくはさりぬべき人に言ひむつびて、忘られたらんに讀みたらば、集などに入りたらんも優なるべしと思ひて、いかゞありけん、花園の左のおとゞ〔有仁〕に申しそめてけり。其後思ひの如くやありけん、此歌をまゐらせたりければ、大臣殿もいみじくあはれに思しけり。かひ/〃\しく千載集に入りにけり。世の人ふし柴の加賀とぞいひける。

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〔二三〕 松殿〔基房〕の思はせ給ひける女房かれ/〃\になり給ひて後、はかなき御なさけだにも稀なりければ、我ながらあらぬかとのみ辿りわび、人の心の花(*移ろいやすい心)にまかせて、月日を空しく移り行くに、宮の鶯もゝさへづりすれども、思ひあれば聞くことをやめつ、うつばりのつばくらめ並びすめども、身老ゆればねたまず、遲々ちゝたる春の日もひとりすめば、いとゞ暮れやらず、せうせう〔蕭々〕たる秋の夜は空しき床にあかし難くて過ぐしけるに、事のよすがや有りけん、むかへに御車をつかはされたりける、夢現ともわきかねつらん、嬉しとも思ひ定めず、さればとて今更待ちよろこび顔ならんも、いたうつれなく、身ながらもなか/\疎ましかりぬべければ、是にこそ日頃のつきせぬ歎きもあらはさめと思ひつよりて(*強りて)、たけに餘りたりける髪を押し切りて、白き薄樣うすやうにつゝみて、
今さらに再び物を思へとやいつもかはらぬおなじうき身に
と書付けて、御車に入れて參らせたりける、此人は後にはみそのの尼とて、近くまでも聞えしとかや。

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〔二四〕 東山の片隅にあはれに〔一本「あばれて」とあり。〕人もかけ見ぬあばらやに、いとやさしくいまだ人馴れぬ女ありけり。庭の萩原招けども、風より外はとふ人もなく、軒端のきばよもぎしげれども、杉村ならねばかひなくて、月にながめ、嵐にかこちても、心をいたましむるたよりは多く、花を見、郭公を聞きても慰むべきかたは稀なることにて、明し暮すに、C水詣きよみづまうでのついでに、思はぬ外のさかしら出來て、至らぬ隈なかりし御心に、たゞ一夜の夢の契を結びまゐらせてける、是も前世を思へばかたじけなかりけれども、さしあたりて歎きに恨をそへて、心のうちリるゝまもなし。甲斐なくありふれど、今一度の言の葉ばかりの御なさけだに待ちかねて、よし是ゆゑ背くべき憂世うきよなりけりと思ひ立ちて、ありし御心知りのもとへつかはしける。
なか/\に問はぬも人の嬉しきはうき世を厭ふたよりなりけり
とばかり、心にくゝをさなびれたる手にて、はなだ〔縹〕の薄樣に書きたるを、折をうかゞひて奏しければ、まことにさる事あり、尋ねざりける心おくれこそと御氣色ありければ、やがて走り向ひて尋ぬるに、さらぬだに荒れたる宿の人住むけしきもなきを、やゝ久しくやすらひて、老いたる女ひとり尋ねえて、事のやうをくはしく問ひければ、何といふ事は知り侍らず、あるじは天王寺へ參り給ひぬといへば、やがてそれより天王寺へまゐり、寺々をたづぬるに、龜井のあたりにおとなしき尼ひとり、女房二三人ある中に、いと若き尼の殊にたど/\しげなるがあり。此心しりを見付けて淺ましと思ひげにて、只やがてうつぶして泣くより外の事なし。かたへの者ども聲を立てぬばかりにて、劣る袖なくしぼりければ、御使も見捨てて歸るべき心地もせず。おとなしき尼は此人の母なりければ、事のやうに(*を)こまかに尋ねけれども、もとより是は思ひつる事なり、何しにかは君の御ゆゑにてさふらふべき、かしこくと言ひもあへず泣きて、其後は答へざりければ、よしなき御使をしてかはゆき事を見つるよと悲しくて、さりとても爰にて世をつくすべきならねば、立ちかへりぬ。此由を奏するに、はしたなの心の立てざまや、心おくれがとがに成りつるよとて、甲斐なかりけり。あはれにもやさしくも、長き世の物語にぞなりぬる。みそ野の尼の心といづれか深からん。

[目次]
〔二五〕 或人事ありて遠き國へ流されけるに、年頃心ざし深かりける女の、はらみたるを見捨てて行きければ、いかばかりの別れにかありけん、其後此女尋ねゆかんとしけれども、父母ありける故にて、ゆるさゞりければ、只一人出て行きけるに、漸く其國までかゝぐり〔辿り〕つきにけり。腹なる子の生れんとしければ、片山かたやまに生みおとして、著たりける物にひきつつみて捨て置きて、血つきたる物など洗はんとて、人の家のありけるかたへ、漸うよろぼひ行きけるに、此家にはしを集むる音して、流され人の死にたるを葬らんとするなどいふ。殊に怪しく胸つぶれて、くはしく尋ねければ、京なる人を戀ひ悲みて、けさ失せ給ひたるなどいふに、たゞ此人なりけり。言葉もたゝず、わなゝかれけれど、からくして此死人のもとに行きて見れば、我男なりけり。悲しきこと限りなくて、枕がみにゐて、かく參りたるなり、今一度目見あはせ給へと泣きもまれて、此男いき出でて目を見合せて、此世にては今はいかにも叶ふまじきぞとばかり言ひて、やがて又死にけり。さてのみあるべきならねば、はふりけるに、その火に此女飛び入りて燒け死ににけり。腹の中の子を生みおとしけるは、罪の淺かりけるにやとぞ言ひあへりける。一人具したりける女のわらはも共に火に入らんとしけれども、取りとめて此人の有樣をくはしく尋ね、生みおとしつる子などをも取りて、村の者の養ひけるとぞ。此事は近き程の事なり。

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〔二六〕 小式部内侍、大二條殿〔ヘ通〕におぼしめされける比、久しく仰せごとなかりける夕暮に、あながちに戀ひ奉りて、端近はしちかくながめ居たるに、御車の音などもなくて、ふと入らせ給ひたりければ、待ちえて夜もすがら語らひ申しける曉がたに、いさゝかまどろみたる夢に、絲の付きたる針を御直衣おんなほしの袖にさすと見て夢さめぬ。さて歸らせ給ひにけるあしたに御名殘を思ひ出でて、例の端近くながめ居たるに、前なる櫻の木に絲のさがりたるを怪しと思ひて見ければ〔一本「見れば」〕、夢に御直衣の袖にさしつる針なりけり。いと不思議なり。あながちに物を思ふ折には、木草なれどもかやうなることの侍るにや。其夜御渡りあること、誠にはなかりけり。

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〔二七〕 小大進(*待宵小侍従母)と聞えし歌よみ、いとまづしくて太秦うづまさへ參りて、御前の柱に書き付けける歌、
なも藥師あはれみたまへ世の中にありわづらふも同じやまひを
とよみたりければ、程なく八幡の別當光Cに相具して、たのしく(*裕福に)成りにけり。子などいできて後、もろともに居たりける所近き所に、いものつるの這ひかゝりて、零餘子ぬかごなどのなりたりけるを見て、光C、
菟玖波俳諧 這ふほどにいも(*芋・妹)がぬかごはなりにけり
といひたりければ、程なく小大進、
 今はもり(*傅)もや取るべかるらん
と付けたりける、おもしろかりけり。

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〔二八〕 ある女房の加茂のたゞすに七日こもりて、まかり出づるとて、物に書きつけける。
鳥の子のたゞすの中にこもりゐてかへらん時はとはざらめやは
とよめりければ、あはれとや思召しけん、やがてめでたき人に思はれて、さいはひ人といはれけり。

[目次]
〔二九〕 加茂に常につかうまつりける女房の、久しくまゐらざりける夢に、ゆふしでのきれに書きたりけるものを、直衣きたりける人の給はせけるを見れば、
おもひいづや思ひぞいづる春雨に涙とりそへ濡れし姿を
とありけるを見て、夢さめにけり。あはれと思ふ程に、手に物の握られたりけるを見ければ、ゆふしでのきれに墨三十一付きたるにて有り。ことにあはれにめでたく、涙もとどまらずぞありける。

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〔三〇〕 嘉寺僧キ海惠といひける人の、いまだ若くて病大事にて限りなりける比、寢入りたる人俄に起きて、そこなるふみなど取り入れぬぞと、嚴しく言はれけれども、さる文なかりければ、うつゝならず覺えて、前なる者ども呆れ怪みけるに、みづから立ち走りて明障子あかりしやうじをあけて、立文たてぶみをとりて見ければ、ものども誠に不思議におぼえて見る程に、是をひろげて見て、しばし打案じて返事書きてさし置きて、又やがて寢入りにけり。起臥おきふしもたやすからずなりたる人の、いかなりける事にかと怪みける程に、しばし寢入りて汗おびたゞしく流れて起き上りて、不思議の夢を見たりつるとて語られける。大きなる猿の藍摺あゐずりの水干きたるが、立文たてぶみたる文〔「たる文」の三字は衍文にて不用なるべし。〕て來つるを、人の遲く取り入れつるに、自ら是を取りて見つれば、歌一首あり。
新拾遺 たのめつゝこぬ年月を重ぬれば朽ちせぬ契いかゞむすばん
とありつれば、御返事には、
こゝろをばかけてぞョむゆふだすき七のやしろの玉のいがきに
と書きて參らせつる也、是は山王よりの御歌を給はりて侍る也と語られければ、前なる人淺ましく不思議に覺えて、是は只今うつゝに侍ること也、是こそ御文おんふみよ、又かゝせ給へる御返事よといひければ、正念に住して〔正氣になりて〕前なる文どもを廣げて見けるに、露たがふことなし。其後病怠りにけり。いと不思議なり。

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〔三一〕 延應元年(*一二三九年)正月十九日の曉、或人の夢にC水の地主(*じしゅ)よりとて御文ありけるを見ければ、
月日のみ杉の板戸のあけくれて過ぎにしかたは夢かうつゝか
と有りけり。いとあはれにめでたかりけり。

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〔三二〕 八幡の袈裟御子がさいはひののち、打ちつゞき人に思はれて、大菩薩の御事をしり〔司り扱ふ〕まゐらせざりければ、若宮の御祟おんたゝりにてひとり持ちたりけるむすめ大事に病みて、目のつぶれたりけるを、こと祈りをせず、むすめを若宮の御前に具して參りて、膝のうへに横ざまにかき伏せて、
奧山にしをるしをりは誰がため身をかきわけて生める子のため
といふ歌を、~哥〔「~前」の衍なるべし。〕に泣く/\あまたゝび歌ひたりければ、やがて御前にて病やみ、目もさはさはとあきにけり。

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〔三三〕 讚岐三位俊盛と聞えし人、春日の月まうでをしけるに、定まりたる事にて、夜泊よどまりにまゐりて曉下向しけるに、夜深かりけるたび雨降りていと所せかりける(*厄介だ)に、後生の事をかくほどに信を致して、佛にもつかうまつらば、いかばかりめでたかりなん、現世の事のみ思ひて、此宮にのみつかうまつることと思ひて、春日山を通りけるに、高き梢より、菩提の道も我山の道といふ御聲の聞えけるに、限りなく信おこりて、尊く覺えける。

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〔三四〕 比叡の山横河よかはに住みける僧のもとに、小法師のありけるが、坊の前にの木のありけるを切りて焚かんとて、いちのきれ〔「のきれ」の衍か(柿—市—いち)〕を割りたりける中に、Kみのありけるが、文字に似たりけるを、怪しと思ひて坊主に見せたりければ、南無阿彌陀佛と云ふ文字にて有りける。不思議なども云ふばかりなくて、横河の長吏に法印〔一本「長吏乙法印」〕といひける人に見せたりければ、上西門院をりふし御社に御こもり有りけるに、て參りて御覽ぜさせければ、取らせ給ひて後白川院にまゐらせさせ給ひてけり。蓮華王院(*後白河院が開基。天台宗。)の寶藏に納まりけるを、我所にこそ置くべけれとて、憤り申しけるとなん。

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〔三五〕 安貞(*一二二七年〜二九年)のころ河内國に百姓ありけるが、子に蓮花王といひけるわらはありけり。七つなりける年死にけるが、念佛申して西に向ひて、かたはらなる人に、我死にたらば七月〔一本「七日」〕といはんにあけて見よと、言ひて死にけり。其後人の夢に必ずあけよといふと見てあけてければ、舍利に成りにけり。是を取りて人にをがませんとて、かりそめにちやうをして入れたりけるに、此帳を程なく蟲のくひたりけるを見ければ、
歸命蓮花王  大聖觀自在  廣度衆生界  父母善知識
とくひて、はての文字の所に蟲の死にてありける、いと不思議にめでたき事也。

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〔三六〕 鎌倉武士入道して、高野山〔一本山の字なし。〕の蓮花谷に行ふありけり。此者がぬる所にて、夜な/\女と物語をしける音のしければ、具したりける弟子ども、大方心得がたくて、便宜びんぎ〔ついで〕のありけるに、或弟子此入道に尋ねたりければ、さる事あり、吾女の鎌倉にありしが、夜な/\是へ來るなり、それに何事もいひあはせ、又古里の事の覺束なさも語り、世間の事もはからひなどしてある也といひければ、弟子いふばかりなく不思議に覺えて、不思議の餘りに、空阿彌陀佛〔僧の名〕にありのまゝに申しければ、空阿彌陀佛うち案じて、さることも多くあり、此女のいたく戀しく思ふによりて、魂などの通ふにこそ、此定このぢやうならば臨終の妨にも成りなんず、急ぎ祈るべきぞとて祈られけり。或時に念佛にて祈りて見んとて、蓮花谷のひじり三四十人ばかりめぐりゐて、此入道を中にすゑて、念佛をせめふせて申したるに、入道同じく申しけるが、空阿彌陀佛の祕藏の本尊の帳に入りたるがおはしましける、そのかたをつく/〃\とまもりて、恐しげに思ひて、わな/\と震ひければ、空阿彌陀佛寄りて、など恐しげには思ひたるぞと問へば、其御本尊の御前に、かの女房がまうで來て、我を世に恨しげに見て候ふが、などやらん餘りにおそろしくと申しければ、其時空阿彌陀佛、門々不同八萬四、爲滅無明果業因、利劒即是彌陀號、一聲稱念罪皆除と、高く誦せられたりければ、此女の顔の中より二つにわれて散るやうに見えて失せにけり。是をば人は見ず、只入道ばかり見ていとゞ恐しくて、つん/\とかみへ躍りたるが、其後はもとの心になりて行ひけり。念佛の力のたふとき事、いとゞ人々たふとび合ひけり。本體ほんたいの女はつやつやさることなくて、元のやうに鎌倉にありけりとぞ聞えし。天魔のしわざか、又めの戀しと思ひけるが故にか、いと不思議なり。

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〔三七〕 少輔入道〔寂蓮〕と聞えし歌よみ、ありまのにまうでて、の前なるものを見て、
此山のしゝいかめしく見ゆるかないかなる~の廣前ひろまへ(*御前)ぞこは
とよめりける、いと興ありてこそ聞えけれ。びんなき(*無躾な)さまにてぞ聞ゆる。すべてかやうの歌いみじく詠まれけるとかや。寄鳥述懷の歌に、
玉葉 このうち〔籠の中、此内〕も猶うらやまし山がらの身のほどかくす夕貌ゆふがほの宿
風のありて灸治しけるに、人のとぶらひて侍りける返事に、
年へたる風のかよひぢたづねずは蓬が關〔蓬は灸をいふ。〕をいかゞすゑまし
此人うせて後、宇治なる僧の夢に、ありしよりことの外にほけたるさまにて、
我身いかにするがの山のうつゝにも夢にも今はとふ人のなき
とながめてける、いとあはれなり。此歌のさまうつゝに〔生時に〕其人の好まれし姿なるこそ、まことにあはれに侍りけれ。

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〔三八〕 或人の夢に其正體もなきもの、影のやうなるが見えけるを、あれは何人〔一本「何の人」〕ぞと尋ねければ、紫式部也、そらごとをのみ多くしあつめて、人の心を惑はすゆゑに、地獄におちて苦を受くる事いと堪へがたし、源氏の物語の名を具して、なもあみだ佛といふ歌を、卷毎に人々によませて、わがくるしみを訪ひ給へといひければ、いかやうに詠むべきにかと尋ねけるに、
桐壺にまよはん闇もはる(*霧が晴る)ばかりなもあみだ佛と常にいはなん
とぞいひける。

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〔三九〕 昔の周防内侍が家の、淺ましながら建久の比まで、冷泉堀川の西と北との隅に朽ち殘りて有りけるを、行きて見ければ、
我さへ軒のしのぶ草
〔金葉雜上、「家を人にはなちてたつとて柱に書きつけ侍りける、周防内侍、
住みわびて我さへ軒の忍ぶ草しのぶかたがたしげき宿かな」〕
と柱にむかしの手にて書き付けたりしが有りける、いとあはれなりけり。是を見てある歌よみ書きつけける。
これやその昔の跡とおもふにも忍ぶあはれのたえぬ宿かな

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〔四〇〕 近ごろ和歌の道殊にもてなされしかば、内裏、仙洞、攝政家、何れもとり/〃\に底をきはめさせ給へり。臣下數多あまた聞えし中に、民部卿定家、宮内卿家驍ニて、家のかぜたゆることなく、其道に名を得たりし人々なりしかば、此二人にはいづれも及ばざりけるに、或時攝政殿〔後京極良經〕、宮内卿を召して、當時たゞしき歌よみ多く聞ゆる中に、何れかすぐれ侍る、心に思はんやう有りのまゝにと御尋ね有りければ、いづれともわきがたく候ふとばかり申して、思ふやう有りげなるを、いかに/\とあながちに問はせ給ひければ、ふところより疊紙たゝうがみをおとして、やがて出でにけり。御覽ぜられければ、
新勅撰秋上 明けば又秋の半も過ぎぬべしかたぶく月のをしきのみかは
と書きたり。此歌は民部卿の歌也。かゝる御尋ねあるべしとは、いかで知るべき。只もとより面白くおぼえて、書き付けて持たれけるなめり。其後また民部卿を召して、さきのやうに尋ねらるゝに、是も申しやりたるかたなくて、
新勅撰冬 かさゝぎの渡すやいづこ夕霜の雲井に白き峯のかけはし
と、たかやかにながめて出でぬ。是は宮内卿の歌なりけり。まめやかの上手の心は、されば一つなりけるにや。

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〔四一〕 後拾遺をえらばれける時、秦兼方といひける隨身、
金葉雜春 去年こぞみしに色もかはらず咲きにけり花こそ物は思はざりけれ
と云ふ歌をよみて、えらぶ人〔通俊をさす。〕のもとに行きて、此歌入れんと望みけるに、花こそといへるが、犬の名に似たると難じけるを聞きて、立ちざまに此殿は勅撰などうけたまはるべき人にてはおはせざりけるものを、花こそ宿のあるじなりけれといふ歌〔拾遺雜春、公任卿、「春きてぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ」〕もあるはと言ひかけてける、いとはしたなかりけり(*恥かしいことだ)

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〔四二〕 西行法師が陸奧のかたに修行しけるに、千載集えらばると聞きて、ゆかしさにわざと上りけるに、知れる人行きあひにけり。此集の事ども尋ね聞きて、我よみたる、
鴫たつ澤の秋のゆふ暮
といふ歌や入りたると尋ねけるに、さもなしと言ひければ、さては上りて何にかはせんとて、やがて歸りにけり。

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〔四三〕 或人歌よみ集めて、三位大進と聞えし人のもとに行きて見せ合せけるに、侍るといふ事をよみたりけるを、歌の言葉にあらずと言ひければ、ふるき歌にまさしく有りといひけり。よもあらじものをと言ふに、いで引き出でて見せ奉らんとて、古今を開きて、
山がつのかきほにはへるつゞら
〔古今戀四、竃、「山がつのかきほにはへるあをつゞら人はくれどもことづてもなし」〕
といふ歌を見せける、いとをかしかりけり。

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〔四四〕 下毛野武正といひける隨身の、關白殿の北の對のうしろを、誠にゆゝしげにて通りけるに、つぼねのざうし〔雜仕なるべし。〕、あなゆゝしはとふく秋とこそ思ひまゐらすれと言ひたりければ、ついふされ〔不詳〕と言ひてけり。女心うげにて隱れにけり。隨身所にて秦兼弘といふ隨身にあひて、北の對のわらはべに散々にのられ〔罵られ〕たりつると言ひければ、いかやうにのられつるぞと問はれて、鳩吹く秋とこそ思へといふに、兼弘は兼方が孫にて、兼久が子なりければ、かやうの事心得たる者にて、口得(*惜)しき事のたまひけるかな、府生殿を思ひかけて言ひけるにこそ、
み山出て鳩ふく秋の夕暮はしばしと人をいはぬばかりぞ
といふ歌の心なるべし、しばしとまり給へといひけるにこそ、無下に色なくいかにのり給ひけるぞと言ひければ、いで/\さては色直して參らんとて、ありつる局のしも口に行きて、物承らん、武正鳩ふく秋ぞ、よう/\と言ひ立てりける、いとをかしかりけり。

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〔四五〕 鳥忠@の御時、花のさかりに法勝寺へ御幸ならんとしけるに、執行しゆぎやうなりける人見て(*「に」か。)とて參りけるに、庭のうへに所もなく花散り布きたりけるを、淺ましき事なり、只今御幸のならんずるに、今まで庭を掃かせざりけると、叱り腹立て、公文(*くもん。威儀師)の從儀師(*威儀師の他に置いた官)を召して、今までいかに掃除さうぢをばせざりけるぞ、不思議なりといひければ、ついひざまづきて、
散るもうし散りしく庭もはかまうし(*掃きたくない)花に物おもふ春の殿守とのもり
と申して、こや御房がはき侍らぬになど言ひければ、はゝかつひ〔不詳〕といひて猶叱りけり。

[目次]
〔四六〕 承久の頃住吉へ然るべき人の參らせ給ひけるに、折ふし~主經國京へ出たりけるが、人を走らせて、住の江殿など掃除せさせよと言ひやりたりけるに、餘りのきらめきに〔C潔にしすぎて〕、年比然るべき人々の書きおかれたる歌ども、柱、長押なげし、妻戸にありけるを皆削り捨ててけり。~主下りて是を見て、こはいかにせんと、足ずり〔ぢだんだふむこと。〕をして悲めども甲斐なかりけり。是を見てふるき尼の書き付けける。
世の中のうつりにければ住吉の昔の跡もとまらざりけり
是は承久の亂ののち、世の中あらたまりける時のこと也。

[目次]
〔四七〕 松島の上人といふ人有りけり。修行者のあはんとて行きたりけるに、幽玄なる僧の出逢ひたりければ、いと思はずに覺えて、歸り入りたりける跡に、又ありける僧にあれは誰にておはしますにかと尋ねければ、あれこそ聖の御房よといひけるに、たふとげになんとやおはしますらんとこそ思ひつれと言ふを、ひじり物ごしに聞きてよめる歌、
紫の雲まつ嶋にすめばこそ空ひじり(*そらひじり—似而非聖)とも人のいふらめ
とよめりけり。此ひじりのもとへ肥後の右衞門入道といひけるもの行きて、かくておはします程何事か候ふと尋ねければ、させる事も侍らず、法花經などおぼえ奉りて、寢たるをり/\此嶋の松の葉毎に、金色の光の見えてかゞやく事などぞ侍ると言はれける、いとめでたかりけり。

[目次]
〔四八〕 文學〔文覺に同じ。〕上人佐渡國に流されたりけるが、召し還されたりけるに、あるやんごとなき歌よみのもとより、
わかれしを悲しと聞きし老の身の今までありし嬉しきはいかに
と有りければ、かへし、
嬉しさも宮こに出し(*出じ)そはいかに今はかへりてかゝるおひせを(*「老い波」などか。)
此上人の歌に、
世の中に地頭ぬす人なかりせば人の心はのどけからまし
とよみて、我身は業平にはまさりたり、春の心はのどけからましといへる、何條(*どうして)春に心のあるべきぞといひけり。

[目次]
〔四九〕 小侍從(*前出待宵小侍従)が子に法橋實賢と云ふもの有りけり。いかなりける事にか、世の人是をひきがへるといふ名をつけたりける。法眼ほふげんを望み申して、
法の橋のしたに年ふるひきがへる今ひとあがり飛びあがらばや
と申したりければ、やがて(*法眼に)なされにけり。

[目次]
〔五〇〕 弘誓房といふ説經師、人の物をかりて多く成りてのち、還しやるとて其文のうちに書き付けける。
夜やさむき衣やうすきかるぜにの日比を經てはあと(*後と阿堵物)つかひつゝ

[目次]
〔五一〕 然るべき所に佛供養しけるに、堂のかざりより初めて、えもいはぬ聽聞ちやうもんの局の几帳きちやうの中にそらだきの香みちていみじかりけるに、聽聞の人の多くあつまりて、耳を澄ましたるに、内よりおびたゞしく大きなる屁の音出できにけり。皆人興さめて侍るに、導師とりもあへず、放逸邪見の里にはついぐわ(*墜瓦、追賁〔ついひ〕)をもをしむ、聽聞隨喜の局よりおほへ(*大家、大屁)をこそうち出されたれと言ひたりける、淺ましくもをかしくも有りけり。

[目次]
〔五二〕 或説經師の請用して殊にめでたくたふとく説法せんとしけるに、はこ〔大便〕のしたかりければ、事いそがしくなりて、よろづ急ぎて布施も取らず歸りて、物ぬぎちらして急ぎ樋殿ひどの〔便所〕へ行きたりけるに、屁ばかりひりて、又物もなかりけり。かゝるべしと知りたらば、高座の上にてもしばしこらへて、説經をもすべかりけるものをと、悔しく思ひてける程に、其次の日又人に呼ばれて説經しける程に、又はこのしたかりけるを、すかしてんと思ひて少し居なほるやうにしければ、まことの物おほく出にけり。此僧すべき方なくて、昨日ははこにすかされて屁をつかまつる、今日は屁にすかされてはこをつかまつると言ひて、走りおりて逃げ出にければ、うへの袴より垂り落ちて、堂の中きたなく成りにけり。聽聞の人鼻をおさへて興さめてけり。いとをかしかりけり。

[目次]
〔五三〕 念佛者の中につちゆいふけつ〔一本「いふふつ」〕と云ふ僧有りけり。或所に板風呂〔蒸風呂の事をいふなるべし。〕と云ふ物をして、人々入りけるに、此僧目をやむ由いひければ、目をひさぎて入るは苦しかるまじき由を人々いひければ、さらばとて、目をゆひて〔目を布にてくゝりて〕板風呂の有樣も知らぬものの、目は見えざりければ、風呂の前にわき戸のうちのありけるに、風呂と心得て、裸にてかゝへたる所〔包みかくしたる所〕もうちとけてゐにけり。人々女房など見おこせたるに、裸なる法師のかくし所も打出して、あなぬるの風呂や、たけ/\と言ひてゐたりける、いとをかしかりけり。人々笑ひける聲を聞きて、あやしく思ひて目をあけて見れば、風呂にてもなき所にゐて、人々笑ひける時に、淺ましく覺えて走り逃げにけり。人々をかしく思ひあへりけり。


[目次]
右今物語一帖者右京權大夫信實朝臣之抄也。信實者爲經入道寂超之孫、右京大夫髏M朝臣之子、少將内侍・辨内侍等之父。於歌並畫而堪能也。此書借洛東岡崎隱士村井古巖之藏書寫、且以横田茂悟・屋代詮賢本再三遂校合、聊注愚案。今爲鏤梓請詮賢C書畢。
天明六年丙午(*一七八六年)二月廿五日
檢校 保己一

右今物語一帖は右京權大夫信實朝臣の抄なり。信實は爲經入道寂超の孫、右京大夫髏M朝臣の子、少將内侍・辨内侍等の父なり。歌並びに畫に於て堪能なり。此の書、洛東岡崎の隱士村井古巖の藏書を借りて寫し、且つ横田茂悟・屋代詮賢(*輪池屋代弘賢)の本を以て再三校合を遂へ、聊か愚案を注す。今梓に鏤むる爲めに詮賢に請ひてC書きせしめ畢ぬ。

(今物語<了>)


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