沙石集
無住法師
(西村七平 挍訂『説敎演説大必要書 沙石集』 法藏館 藏版 1892.6.5)
※ [左ルビ]
沙石集序
夫麁言[あらきことば]軟語[やわらかなることば]、みな第一義に歸し、治生産業[うきよのすぎはひ]、しかしながら、實相にそむかず。然ば狂言[くるへることば]綺語[かざれることば]のあだなる戯を縁として、佛乘の妙なる道に入れ、世間淺近[あさくちかき]の賤き事を譬として、勝義の深き理を知しめんと思。是故に、老の眠をさまし、徒なる手ずさみに、見し事、聞し事、思出るに隨て、難波江の、よしあしをもえらばず、藻鹽草手にまかせて、かきあつめ侍り。かゝる老法師は、無常の念々におかす事を覺り、冥途の歩々[あゆみ]に、ちかづく事を驚て、黄泉の遠き路の粮をつゝみ、苦海の深き流の船をよそふべきに、徒なる興言をあつめ、虚き世事を注す。時にあたつては、光陰をおしまず、後にをよびては、賢哲[かしこきひと]をはぢず。由なきに似れども、愚なる人の、佛法の大なる益をもさとらず、和光の深き心をもしらず、賢愚のしなことなるをもわきまへず、因果の理さだまれるをも信ぜぬために、或は經論の明なる文を引、或は先賢の殘せる誡をのす。夫レ道に入る方便一つにあらず、悟をひらく因縁これ多し。其大なる意知れば、諸敎義ことならず、修すれば萬行の旨、みな同き者をや。是故に、雜談の次に、敎門をひき、戯論の中に、解行を示す。見人、拙き語をあざむかずして法義をさとり、うかれたる事をたゞさずして、因果をわきまへ、生死の鄕をいづる媒とし、涅槃の都に、いたるしるべとせよとなり。是則愚老が志耳。彼金を求者は、沙をあつめてこれをとり、玉を翫ぶ類は、石をひろひて是を瑩く。仍沙石集と名く。卷は十にみち、事は百にあまれり。于レ時弘安第二之曆(*1279)三伏之夏之天集ムレ之ヲ。林下ノ貧士無住
沙石集卷第一上
〔一〕太神宮ノ御事
去ヌル弘長年中に、太神宮へ詣でゝ侍しに、或神官の語しは、當社に、三寳の御名を忌て、御殿近くは僧なんども詣ぬ事は、昔此國いまだ無りける時、大海の底に、大日の印文有けるによりて、太神宮御鉾を指入て、さぐり給ける、其鉾の滴り露のごとくなりける時、第六天の魔王はるかに見て、此滴、國と成て、佛法流布し、人倫生死をいづべき相ありとて、うしなはんために下りけるを、太神宮、魔王に行むかひ、あひたまひて、我三寳の名をもいはじ、我身にも近づけじ、とく〳〵歸り上り給へと、こしらへ給ければ歸にけり。其御約束をたがへじとて、僧なんど御殿近くまいらず、社壇にしては經をもあらはにはもたず、三寳の名をも、たゞしくいはず、佛をば立ずくみ、經をば染紙、僧をば髪長、堂をばこりたき、なんどいひて、外には佛法をうとき事にし、内にては三寳を守給事にて御坐ゆへに、我國の佛法、ひとへに太神宮の御守護によれり。