[INDEX]

世繼物語


續群書類從 第三二輯下 卷第九五一・雜部一〇一 
續群書類從完成會 1925.8.15、訂正三版 1957.7.15
※ 「小世継」と呼ばれる作品。
縦書表示 for IE

  (目次)
[TOP]

(目次)

(*目次は入力者が作成。)
          
          一〇
  一一  一二  一三  一四  一五
  一六  一七  一八  一九  二〇
  二一  二二  二三  二四  二五
  二六  二七  二八  二九  三〇
  三一  三二  三三  三四  三五
  三六  三七  三八  三九  四〇
  四一  四二  四三  四四  四五
  四六  四七  四八  四九


[目次]
〔一〕 今は昔、一條院(*小一条院。三条天皇皇子敦明親王。)御堂(*藤原道長)の御聟(*道長が女寛子の婿としたこと。)にならせ給にければ、もとの堀河右大臣殿(*藤原顕光。兼通男。道長の子頼宗の通称堀河右大臣に対して「もとの」と冠したものか。)女御(*堀河女御延子。顕光次女。)歎かせ給事、いへばをろか也。上陽人の春行秋くれども、年をしらずは(*「(上略)一生遂向空床宿、秋夜長、夜長無睡天不明、耿々残燈背影、蕭々暗雨打窓声、春日遅、日遅独坐天難暮、宮鶯百囀愁厭聞、梁燕双栖老休妬、鶯帰燕至情悄然、春往秋来不記年、(下略)」〔白居易「上陽白髪人」〕)といひたるやうに、明くるゝもしらず、淺ましくなげかせ給て、やすく御とのごもる(*大殿籠る)事なければ、殘(*のこん)のともし火、かべをそむけるかげも心ぼそく覺さるゝ(*同前の詩中の句を踏まえる。)に、おまへの梅の心にくく〔ナシイ〕(*「くく」の傍注。「くく」の字異本に無しの意か。)ひらき(*原文「ひらけ」)にけるも、是を今まで知ざりけるも、我身よにふる(*小町の歌を踏まえる。)と詠させ給、
いづこより春來(*きたり)けんみし人もたえにし宿に梅ぞかほれる
日比へて院からうじて堀河殿におはしまして御覽ずれば、道見えぬまであれたり。哀に御覽じていらせ給へれば、女御は御木丁(*御几帳)のうちに、御硯の箱を枕にしてふさせ給へる御まへに女房二三人さぶらひけれど、おはしませばひき入にけり。めやすき人々あまたさぶらひけれど、みな出はてゝえさらぬ人ばかりぞ殘りて侍ける。見たてまつらせ給へば、しろき御ぞ(*御衣)六七ばかり奉りて、御腰の程に御ふすま曳かけておはします。御ぐし(*御髪)いとうるはしく目出度て、たけ〔に〕(*ママ)二尺ばかりあまり給へり。只今廿ばかりにや、されどわかくさかりに、きよげに見えさせ給。なをふりがたきかたちなりしや。御覽じてやとおどろかし奉らせ給へば、なに心なく見あけさせ給へるに、院おはしませば、淺ましくて御かほを引入させ給へる御かたはらにそひふさせ給て、よろづになきみわらひみなぐさめ奉らせ給へど、それにつけても御なみだのみながれ出くれば、よろづに申させ給へどもかひもなし。一宮(*敦貞親王)いづこにかと申させ給へば、おはしましてうち恥しらひておはしませば、此宮もはぢける物をとて、御涙をしのごはせ給もいみじうあわれ也。女御おんそばの方に、たゝうがみ(*畳紙)のやうなる物のみゆるをとりて御覽ずれば、思召ける事どもをかゝせ給へり。
過にける年月何を思ひけん、今しもものゝなげかしきかな。打とけて誰も又ねぬ夢のよに、人のつらさをみるぞ悲しき。千歳へん程を知ねば、こぬ人を松は猶こそさびしかりけれ。戀しさも辛さも友に知せつる人をばいかゞうしと思はぬ。とくとだに見えずも有かな、冬の夜の片敷袖にむすぶ氷の
などかゝせ給へるも、いみじくあはれ也。此むすぶ氷とあるかたはらにかゝせ給ふゐんの御せい(*御製)
あふ事の滯りつる程ふればとくれどとくる氣色だになし
萬に命をしからぬよしをのみ、えもいはず聞えさせ給に、宮のたちさはぎ見をくらせ給に、又御涙こぼるれば、ついゐさせ給て、なぐさめ奉らせ給て、此度のだにまいてとひさしくおはしまさねば、女御今はたゞ此歎を我身のなからんおりぞたゆべきとかなし。いつにてかとおぼしみだるゝ〔ナシイ〕。はかなくて秋にも成ぬれば、風のをとをきかせ給ふにも、
松風は色やみどりに吹つらん物思ふ人の身にぞしみける
右大臣殿、いみじう思食入たるを、この世はさる物にて、後の世の有さまも心うく、我身ゆへいたづらになさせ給へる事と、いみじういとおしく心うくおぼさる。さてつゐに女御は病に成てうせ給ぬ。父おとゞは殘ゐて又歎きしに、うせ給にけり。御堂の御女(*寛子)、御物のけ(*物怪の憑依した状態)に成て、をだやかならずおはしけり。惡靈の左大臣殿とは此御事也。堀河大臣(*左大臣にまでなる。)顯光と申たり。閑院大將朝光のあにゝおはす。

[目次]
〔二〕 今は昔、和泉式部がもとに、帥の宮(*冷泉天皇皇子敦道親王)かよはせ給ける比、久しくをはさせ給はざりけるに、其宮に侍しわらはの來りけるに御文なし。歸りまいるに、
またましもか計こそはあらましか思ひも懸ぬけふの夕暮
もてまひりて參らせければ、かなしく成にけりとて心ぐるしうて、やがておはしましたり。女も月を詠めてはしにゐたりけり。せんざいの露きら/\とをきたるに、人は草葉の露なれや(*「わが思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづそほつらむ」〔拾遺集〕)との給はするさま、いふに(*優〔いう〕に)めでたし。御扇に御文を入て、御つかひのとらで(*原文「とて」)參にければとて給はす。扇を指出て取つ。こよひは歸りなん、あす物忌といふなりつなればながくもあやしかるべければとの給はすれば、
心みに雨もふらなんやどすぎて空ゆく月の影やとまると
きこえたれば、あが(*原文「ある」)きみやとてしばしのぼりて、こまやかにかたらひをきて、出させ給とて、
あぢきなく雲ゐの月にさそはれて影こそ出れ心やはゆく
ありつる文をみれば、
我故に月をながむと告つ〔たイ〕れば誠かと見にいでゝきにけり
何事につけてもおかしくおはしますに、あはあはしき物に思はれまいらせたる、心うく覺ゆ、と日記(*『和泉式部日記』)にかきたり。初つかたはか樣に心さしもなき樣に見えけれど、後にはうへ(*北の方)をもさり奉らせ給ひて、ひたぶるに此式部を妻にせさせ給ひたりとみえたり。
やすまさ(*藤原保昌。道長・頼通の家司。)にぐして丹後へ下たるに、明日狩せむとて物とりつどひたる夜、さほ鹿のいたく鳴ければ、いであはれ明日しなむずればいたく鳴にこそと心うかりければ、さおぼさば狩とゞめんにかゝらん歌をよみ給へといはれて、
ことはりやいかでか鹿の鳴ざらんこよひ計の命と思へば
さて其日の狩はとゞめてけり。
やすまさにわすられて侍ける比、貴布禰に參て、御手洗河に螢の飛けるをみて、
物思へば澤の螢も我身よりあくがれいづる玉かとぞみる
奧山にたぎりて落る瀧つせの玉ちるばかり物なおもひそ
此歌、貴布禰明~の御返し也。男の聲にてみゝに聞えけるとかや。

[目次]
〔三〕 今は昔、和泉式部がむすめ、小式部内侍うせにければ、其子どもをみて、しきぶ、
留め置て誰を哀と思ふ覽こはまさりけり〔るらんイ〕こはまさらなん〔りけりイ〕
又しよしや(*書寫)の聖の御許へ、
くらきよりくらき道にぞ入ぬべき遙にてらせ山のはの月
とよみ奉りたりければ、御返事にけさをぞつかはしたりける。病づきてうせんとしける日、其けさをぞきたりける。歌のとく(*徳)に後世もたすかりけんと目出度事也。

[目次]
〔四〕 今は昔、みあれのせんじ(*御阿礼〔御生れ〕の宣旨。ここは大和宣旨を指す。平惟仲女。)といふ人は、ゆふに(*優〔いう〕に)やさしく、かたちもめでたかりけり。皇太后宮(*枇杷殿皇太后藤原研子。道長女、三条天皇中宮。娘禎子内親王は後朱雀天皇后・後三条天皇母。)の女房なり。中納言定ョ文おこせ給、
ひるは蝉よるは螢に身をなして鳴暮してはもえあかす哉(*『定頼集』詞書「女院の中納言のきみつれなくのみありければ」)
さ樣にてかよひ給ふ程に、心すこしかはりてたえまがち也。
はる/〃\と野中にみゆる忘水たえま/\をなげく比かな(*後拾遺集)
中納言、みめより始て何事もすぐれめでたくおはするを、心ある人はみしりて、なげかしき秋の夕暮、きり/〃\すいたく鳴けるを、ながき思ひは(*「きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜の長き思ひはわれぞまされる」〔古今集〕)など詠め給けるを、忘れがたきことにいひためり。たえ給て後、賀茂に參給ときゝ、今一どもみんと思ひて、心にもあらぬかもまいりして、
よそにてもみるに心は慰さまで立こそまされかもの河浪(*『古本説話集』御形宣旨)
とても涙の〔み〕いとゞこぼれまさりて、大方うつし心もなく覺えける。せみのなくをきゝて、
戀しさを忍びもあへぬ空蝉のうつし心もなくなりにけり(*後拾遺集)
をのづから歎きやはなし(*「やみなむ」等か。)とて、中納言にはをとれども、むげならぬ人(*藤原義忠。大和守・文章博士。)にしたしき人、心あはせてぬすませてけり。其文いたくなげきて、
身を捨て心もなきに成にしをいかでとまれる思ひ成らん
世をかへて心みれども山のはに盡せぬ物は戀にぞ有ける
只中納言をのみこひ歎きて、いかにつみふかゝりけむとおもふに、たうとく目出度法師子(*藤原道雅の子観尊か。)を山にもちてをかれたりけるこそ、つみすこしかろみけんかしとおぼゆれ。
御堂のなかひめ君、三條院の御時、后皇后宮と申たるが女房也。本院の侍從(*在原棟梁女。または藤原兼通の従姉妹で『本院侍従集』作者。ここでは混同されている。)みあれのせんじ(*御形宣旨。源相職〔すけより〕女。)と申たる侍從は、はるかの昔のへいちう(*平貞文。平中〔平仲〕と呼ばれた。)が世の人。此みあれのせんじは中比の人。されば昔今の人をひとづてにてくして(*未詳。「混〔こん〕じて」「徴〔ちよう〕して」「調〔てう〕じて」等か。)申たるなめり。(*筆写時、または校合時の考注。)

[目次]
〔五〕 今は昔、紫式部上東門院に歌よみゆふの(*「優の」「尤の」)物にて侍しに、齋院(*大斎院選子内親王)よりさりぬべき物語やさぶらふと尋申させ給ければ、御雙紙ども取出させ給て、何れをか參らすべきとさたせさせ給程に、紫式部、みなめなれてさぶらふに、あたらしく作て參らせさせ給へと申ければ、さらばつくれとおほせられければ、げんじは作て參らせたりける、いよ/\心ばせすぐれてめでたき物にて侍る。
去程に、伊勢大輔〔祭主輔親女也。〕(*大中臣輔親)參りぬ。それも歌よみのすぢなれば、殿いみじうもてなさせ給。ならより年に一ど八重櫻をおりてもてまいるを、紫式部とりつぎてまいらせなど歌よみけるに、式部、今年は大輔に讓りさぶらはんとてゆづりければ、取次てまいらするに、殿をそし/\と仰らるゝ御聲につきて、
いにしへのならのキの八重櫻けふ九重ににほひぬるかな
取つぎつる程、殿の仰られつる程もなかりつるに、いつの間に思ひつゞけゝむと人も思ふ、殿も思食たる、目出度てさぶらふ程に、ちゞ(*致仕)の大納言といふ人の子(*高階成順の父明順は東宮学士・播磨守・左中弁。母方は不明。)の筑前守(*原文「越前守」)〔高階成順〕とていみじ〔く〕(*ママ)やさしき人の妻に成にけり。あひはじめたりける比、石山にこもりて、をとせざりければつかはしける、
みるめ(*こそ)あふみの海にかたからめ吹だに通へしが(*志賀)の浦風(*後拾遺集)
とよみてやりたりけるより、いとゞ歌おぼえまさりにけり。殊子孫さかへて(*子に康資王母など)、六條大貳・堀河大貳(*未詳)など申ける人々は、此伊勢大輔が孫成けり。白河院は、ひこ(*曽孫。白河天皇の傅育に当たったというが、血縁は不明。『伊勢大輔集』に白河院乳母藤原親子〔源親国女〕の母を大中臣輔親女〔伊勢大輔の姉妹〕とするという。六条家の祖顕季は親子の子。)におはしましけり。一宮(*貞仁親王)と申けるおりにまいりて、見まいらせけるに、鏡を見よとてたびたりければ、給はりて、
君みればちりもくもらで萬代のよはひをのみもます鏡哉(*後拾遺集)
御返大夫殿(*藤原公成。応徳三年〔一〇八六〕成立の後拾遺集詞書には「閑院贈太政大臣」とする。寛弘八年〔一〇一一〕侍従。典拠はその頃の作品か)、宮のおほぢ(*祖父)におはします。
曇りなき鏡の光ます/\もてらさむ影にかはらざらめや(*後拾遺集)
(*以上、『古本説話集』)

[目次]
〔六〕 今は昔、太~宮たくせんして(*長元四年〔一〇三一〕、齋宮子女王が詫宣を下した)、すけちか(*大中臣輔親。前出。)をめして、大やけの御事などおほせられけるついでに、御みきめしてかはらけ給はすとてよませ給へる、
盃のさやけき影の見えぬればちりのおそりはあらじとをしれ(*後拾遺集)
御ぞたてまつりける、さいしゆ(*祭主)すけちか、
父父孫(*おほぢ・ちゝ・むまご。祖父は頼基、父は能宣。)祐親が御代までにいたゞきまつるすべら御~(*後拾遺集)
かゝるめづらしくいみじきことの有ければ、伊勢大輔が御祝事也(*殊なり)

[目次]
〔七〕 今は昔、亭子院(*宇多上皇)御ぐしおろして、所々の山住し給ておこなひ給けり。びぜんのぜう(*備前掾。肥前掾とも。)橘のよしとし(*良利)といひける人は、殿上人にて有ける、御ともにかしらおろして、をくれ奉らず侍ひける。内の御使尋つゝ奉らせ給へど、たがひつゝありかせ給。(*「うちより『少将・中将、これかれ候へ。』とてたてまつれ給ひけれど、たがひつつありき給ふ。」〔大和物語〕)和泉國ひね(*日根)といふ所におはしますとて、ひねといふ心よめと仰られければ、此義敏(*ママ)大コ、
古クの旅寢の夢に見えつるは思ひやすらん(*「うらみやすらん」〔古今集・大和物語〕)又ととはねば
みな人なきて、よまず(*「えよまず」〔大和物語〕)成にけるとぞ。

[目次]
〔八〕 今は昔、すみとも(*藤原純友)がさはぎの時、歌つかひ(*小野好古が主語。歌の使者ではなく征討使である。)にさゝれて、少將にて下たりけり。大やけにもつかうまつる。四位に成べき年にも有ければ、む月のかうぶり給ひ(*県召除目または臨時の除目か。)のいとゆかしうおぼゆれど、京よりくる人もおさ/\聞えず。或人にとへば、四位に成給へるといふ、さもあらずともいふ。さだか成事いかでかきかんと思ふ程に、京のたよりに、近江守きんたゞ(*源公忠。天慶四年〔九四一〕近江守。三十六歌仙の一。)の文あり。いと嬉しくて見れば、萬の事かき/\て、
玉匣二年あはぬ君が身をあけながら(*四位は深緋だが、のち黒色。五位は浅緋ないし緋色の束帯。小野好古は天慶四年、従四位下に任官している。『後撰集』当時の四位の当色はすでに黒だったのか。)やはあはんと思ひし(*後撰集)
かぎりなくかなしくてなきける。(*大和物語)

[目次]
〔九〕 今は昔、土御門中納言(*「堤中納言」〔大和物語〕)御使にて、大内山(*仁和寺の北にある山。宇多天皇の離宮があった。大内山陵は宇多天皇の御陵。)に御門(*「院の帝」〔大和物語〕。宇多天皇)おはしましけるにまいり給へる。物心ぼそげにておはします。いとあはれ也。高所なれば、雲はしもより立のぼるやうに見えければ、
白雲の九重にたつみねなれば大内山といふにぞありける

[目次]
〔一〇〕 今は昔、かつらの御こ(*宇多天皇皇女孚子。桂内親王・桂宮。)に、式部卿の宮(*宇多天皇皇子敦慶親王。孚子内親王の異母兄。)給ひ(*「すみ給ひ」〔大和物語〕)けるとき、其女君に候けるはゝ(*「うなゐ」〔大和物語〕)は、此男宮をいと目出度と思ひかけ奉りけるを知給はざりける。螢の飛ありくを、かれとらへてこと、此わらはにの給はせければ、とらへてかざみの袖に螢をつゝみて御覽ぜさせ聞えける、
つゝめ共かくれぬ物は夏虫の身よりあまれる思ひ成けり(*後撰集・大和物語)

[目次]
〔一一〕 今は昔、亭子院に宮司所(*御息所)達あまた御ざうし(*御曹司)して住給ふに、年比有て(*「河原院のいと」〔大和物語〕)面白く作らせ給て、京極の宮す所(*京極御息所。藤原時平女褒子。)のかたをのみしてぐしてわたらせ給ひにけり。春の事也けり。こと宮す所たちいと思ひのほかに、口惜くさう/〃\しく覺しけり。殿上人をよび給て、藤花のいと面白を、是が盛をだに御覽ぜよなどいひてありくに、(*「殿上人など通ひまゐりて、藤の花いとおもしろきを、これかれ、さかりをだに御覧ぜでなどいひて見歩くに」〔大和物語〕)文をなん結ひ付たりけるをあけて見れば、
世中のあさきせにしも(*「のみ」〔大和物語〕)なり行ば昨日の藤の花とこそみれ
とありければ、人々見て哀がりめでけれども、たが御しわざといふ事もしらざりけり。是は御門出家して、いみじうおこなはせ給ひければ、てんぐ(*天狗)のつきまいらせて、京極の宮す所におとし(*見下げる意か、「さとし」「おどし」等か。)まいらせたりけるとぞ。(*最後の付記は『大和物語』になし。)

[目次]
〔一二〕 今は昔、四條のご(*「五条の御」〔大和物語〕。藤原山蔭の姪。在原滋春妻。)といふ人有けり。男の許に我形を繪に書て、女のもえたるかたをかゝせて、煙おほくくゆらせて、かくなむ、
君を思ひなま/\し身を燒時は煙おほかる物にぞ有ける

[目次]
〔一三〕 今は昔、近江介平のなかき(*「平中興」〔大和物語〕)がむすめをいたくかしづきけるが、おやなく成てとかくはぶれて(*放るh零落する)、人の國にはかなき所に住けるが、親あはれと思ひて、兼盛がいひやりける、
遠近の人めまれなる山里に家ゐせんとはおもひきやきみ(*後撰集)
といひやりたりければ、かへしもせでよゝとなきける。女もいとりやう(*「らう(臈)」〔大和物語〕)ある人になん有ける。

[目次]
〔一四〕 今は昔、よしちかの中納言(*藤原義懐。伊尹男。)とは、花山院の御おぢ(*花山天皇は義懐の同母姉懐子の所生。)におはす。御門出家せさせ給て、いひ室(*比叡山飯室の安楽律院)といふ所にぞおはします。坊の前の櫻いと面白かりければ、ひとりごち給ける、
みし人の忘のみゆく山里にこゝろながくもきたる春かな(*後拾遺集、宝物集、十訓抄)
ひさしくありてぞ、もりきこえたりける。

[目次]
〔一五〕 今は昔、圓融院かくれおはしまして、墨染櫻面白かりける、折て人(*藤原道信)のがりやるとて、實方の中將、
墨染の衣うき世の花ざかりおり(*折)忘れてもおりてけるかな(*栄花物語、新古今集)

[目次]
〔一六〕 今は昔、世中哀にはかなき事を、攝津守爲ョ(*藤原兼輔孫、雅正〔まさただ〕男、為時兄。紫式部の伯父。)といひける人、
世中にあらましかばと思ふ人なきがおほくも成にける哉(*拾遺集)
これをきゝ、小大君(*居貞〔おきさだ〕親王〔三条天皇〕女蔵人。三十六歌仙の一)
あるはなくなきは數そふ世中に哀いづれの日まで歎かん(*「あはれいつまであらむとすらむ」〔栄花物語〕。新古今集〔小野小町〕。)

[目次]
〔一七〕 今は昔、一條院位につかせ給年の賀茂の臨時の祭の歸りあそび(*還り立ちの饗〔あるじ〕・還り饗)御前にて有に、有べき殿上人・上達部殘なく侍ひ給。源のかねずみ(*源兼澄)、舞人なるに、かはらけとりたるに、攝政殿御覽じて、いはひの心にわか(*倭歌・和歌)一つつかうまつれと仰らるゝまゝに、よひのまにとうちあげたれば、殿いみじうけうぜさせ給て、をそしとこと殿ばらも申給に、君をしいのり(*原文「君をしはのり」)をきつればと申たり。殿いみじうめでさせ給ひて、をそし/\と仰らるれば、又まだ夜ぶかくもおもほゆる(*原文「おほゆる」)かなと申ければ、ほめさせ給て、御ぞぬぎてかづけさせけり。(*栄花物語)

[目次]
〔一八〕 今は昔、村上の先帝の御時、雪のいとたかう降たりけるを、やうき(*様器・楊器。お盆様の器。)にもらせ給て、梅の花をかざゝせたまひて、月のいとあかきに是に歌よめ、いかゞはいふべきと、兵衞の藏人に給はせ給ひければ、雪の花(*「雪月花の時」〔枕草子〕)と奏たりければ、いみじうめでさせ給ひけり。歌などよむは世のつね也、折にあひたる事いひがたけれ(*「いひがたき」〔枕草子〕)とぞおほせられ、同人(*同じ人)殿上人のさぶらはざりけるほど、すびつ(*炭櫃)に煙たちければ、何とぞ見てことおほせられければ、
渡つ海の興(*沖。燠を掛ける。)にこがるゝ物みればあまの釣して歸る(*蛙を掛ける。「かへる」を詠んだ例。)也けり
(*枕草子)此兵衞のぜう(*兵衛尉)、たそ(*誰そ)とよ、名をしらず。(*末文は筆記者の感想か。「蛙の飛び入りてこがるるなりけり。」〔枕草子〕)

[目次]
〔一九〕 今は昔、時の殿(*「をはら〔小原〕の殿」〔枕草子〕。小原殿・小野殿の名称の由来は不明の由。一本「小野殿」「傅の殿」)のはゝ上(*藤原道綱母)、に門寺(*「普門寺」〔枕草子〕)といふてらにおはしけるを聞て、又の日をの殿(*小野殿)に人いとおほくあつまりてあそびしに侍りける、
薪こる事は昨日につきにしをけふ斧のゑをこゝに朽(*くた)さん(*拾遺集。「薪樵る事」は法華経供養〔八講〕などの仏道修行を指すという〔法華経提婆品〕。「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」〔拾遺集・行基〕。それと「小野」に「斧」を掛け、『述異記』王質の故事を本説として囲碁に興じる様に展開する。)
とよみ給ひたるこそいとめでたけれ。(*枕草子)

[目次]
〔二〇〕 今は昔、すゑつな(*「季縄」〔大和物語〕。「季直」〔宇治拾遺物語〕。藤原季縄〔すゑなは・すゑただ〕。右近衛少将。河内国楠葉に別荘があり、交野の少将のモデルとなった。女房三十六歌仙の一人右近の父。)の少將と云人有たり。大井に住ける比、御門の仰られける、花面白く成なば御覽ぜんとの給ひけれど、おぼし忘ておはしまさゞりければ、少將、
散ぬればくやしき物を大井河きしの山吹いま(*「今日」〔大和物語〕)さかりなり
此すゑつなは病づきて、少おこたりて内に參りたりけり。公の〔マヽ〕(*「近江守公忠の君」〔大和物語〕。源公忠。前出。)かもりのすけ(*掃部助)にて藏人成ける比の事なり。みだり心ちまだよくもおこたり侍らねども、心許なくてまいり侍つる、後はしらねどもかくまで侍る事、あさてばかり又參侍らん、よきに申給へとてまかでぬ。三日ばかり有て、少將のもと(*「五条にぞ少将の家あるに」〔大和物語〕)より、
くやしくぞ後に逢んと契けるけふを限りといはまし物を(*新古今集)
さて其日うせにけり。あわれなる事のさま也。(*大和物語、宇治拾遺物語)

[目次]
〔二一〕 今は昔、一條院の御時まさひろ(*方弘)とて、いみじく人にわらはるゝ藏人有けり。おやなども有ける。物の上手にて、下がさね・上のきぬ(*下襲と袍)など、人よりはきよげにてありける。これをこと人に(*「着せばやなどいふに」〔枕草子〕)としけり。里人(*「里に」〔枕草子〕)宿直物とりにやる。おと〔のイ〕こ二人まかれといへば、ひとりしてとりてまかりなんといへば、(*方弘は)あやしのおのこや、ひとりしてふたりの物をばもつべきぞ、ひとますがめ(*一升瓶)に、二ますはいるやといふ。なにはしらねども、いみじう人わらひけり。人の使のうせ(*歌か)とく/\といへば、(*方弘は)などかうはまどふか、まことにまめ(*豆)やくべたる、此殿上のすみにて(*「墨・筆は」〔枕草子〕)は、物の(*「何の」〔枕草子〕)ぬすみかくしたるぞ、酒ならばこそ人のほしうせめといへば、又笑事かぎりなし。(*枕草子)

[目次]
〔二二〕 今は昔、うせたる人とかくする煙を御覽じて、大齋院、
立のぼる煙につけて思ふかないつ又われを人のかくみん(*後拾遺集・和泉式部)

[目次]
〔二三〕 今は昔、一條院御時、后宮にC少納言とてゆふに(*優に)いみじき物侍ひけり。殿上より梅の花散たる枝を、是をいかゞといひたるに、たゞはやうた〔おイ〕ちにけり(*「大嶺之梅早落、誰問粉粧。匡廬山之杏未開、豈趁紅艶。」〔和漢朗詠集・紀長谷雄或大江音人「内宴序停盃看柳色」〕を踏まえる。)といらへたりければ、その志をずんじて(*詩を誦じて)、K戸(*黒戸の御所)に殿上人おほくゐたりけるを、御門も聞召て、歌などよみたらむにまさりたる、よくいらへたりとおほせられけり。(*枕草子)

[目次]
〔二四〕 今は昔、二月晦日がたに、風うち吹雪うちふる程、公任(*「公任の」〔古本説話集〕)宰相中將ときこえける也(*「時」〔同上〕)、C少納言がいみじうみそかに人をかへつゝ、中宮の女房達きかせ奉りけるに、かしこくいひあて給けり。(*古本説話集。公任から清少の許へ「少し春ある心地こそすれ」と書いてよこしたのに対して、清少が「空冴えて(「寒み」〔枕草子〕)花にまがひて散る雪に」と付けたこと。これを中宮がほめ、俊賢宰相が「内侍になさばや。(なほ内侍に奏してなさむ。〔枕草子〕)」と絶賛したことを指す。)
また大藏卿まさみつ(*藤原正光)といひける人は、みゝとき人、まことにか(*蚊)のまつげのおちんもきゝつけつべうぞ有ける。宮の御方にて、ときの大いどのゝ新中納言(*「大殿の新中将」〔枕草子〕)ゆきのこと(*「扇の絵のこと」〔枕草子〕)いつかと女房達にさゝやけば、あの君のたち給なんか(*「なんに」〔枕草子〕)と、耳にさしあてゝいふをば〔えイ〕きゝつけで、なにか/\とおぼめく。まさみつとをくいてにくし、さのたまはゞ(*原文「さのたまはす」)けふはたゝじとの給けんこそ、淺ましうもおかしうもおぼされけり。(*古本説話集・枕草子)

[目次]
〔二五〕 今は昔、一條院の御時皇后宮と申たるは、帥の内の大との(*帥殿藤原伊周)ゝ御いもうと、あけくれいりゐさせ給て、物をのみ思ひてうせさせ給にき。うせ給て後、木丁(*几帳)のひもに結び付られたりけり。歌内(*一条天皇)にも聞召せとおほせける(*「おぼしける」か。)にや。
よもすがら契しことを忘れずはこひん泪のいろぞ床しき

[目次]
〔二六〕 今は昔、菩提院と云所に結縁八講しけるに、C少納言參たりけり。とくかへれと人のいひたりければ、
求めてもかゝる蓮の露をゝきてうき世に又は返る物かは
小一條大將(*藤原済時。師尹男)、けちえんのはつかうし給ふに、いと〔みイ〕じう目出度事にて、世の中の人あつまり行けり。參りたる車のながえ(*轅)の上に、さしかさねつゝよつばかりにては(*「三ばかりまでは」〔枕草子〕)、すこし物聞ゆべし。六月十日なれば(*「六月十余日にて」〔枕草子〕)、あつき事よにしらぬ程也。上達部をくに(*「奥に向かひて」〔枕草子〕)なが/\とゐ給へり。殿上人わかき君達なをしかり。さうぞくいとおかしくて、兵衞佐さねかた(*藤原実方。師尹孫。)・丁めいじじう(*長明侍従。済時男かという。)などけいめい(*経営h饗応・接待)し、いゑのこ(*小一条家の人)にて出入す。よしちか中納言(*藤原義懐。済時とは従兄弟)、つねよりもまさりておはするぞかぎりなきや。すこし聞て歸りなどしけるに、車どものおくに成て、いづべきかたもなし。せめてせいたかり(*「狭〔せば〕がり」〔枕草子〕)いづれば、權中納言(*中納言義懐という。)のやゝまかでぬるもよしとて、打わらひ給へるぞ目出度や。五千人(*原文「五十人」。法華経・方便品に、釈迦の説法を聴かずに帰ろうと立ち上がった者が五千人いたという故事。)のうちにはいらせ給はぬやうあらじとて歸にけり。(*枕草子)

[目次]
〔二七〕 今は昔、衞門尉成ける物の、ゑせなるおや(*取るに足りない身分の親)をもちて人のみるおもてぶせ也とて、伊與の國よりのぼりけるが、海に親をおとし入てけるを、人心うがりてあさましがりけり。七月十五日にぼん(*盆h盂蘭盆の供養・供物。)を奉るとていそぐを見給て、道命あざり、
渡つ海に親をおし入て此ぬしのぼんするみるぞ哀成ける(*枕草子)

[目次]
〔二八〕 いまは昔、御だうつくらせ給けるおりに、いけほるおきなの、あやしきかほのうつるをみて、
くもりなく鏡とみゆる(*「曇りなき鏡と磨く」〔栄花物語〕)池の面にうつれる影の恥かしき哉
又かしらしろき法し(*「老法師」〔栄花物語〕)
かく計さやけくてれる夏の日に我いたゞきの雪ぞ消(*きえ)せぬ
などいふ物のおぼゆるにや(*「物を思ひ知るにや」〔栄花物語〕)とあはれ也。(*栄花物語)

[目次]
〔二九〕 いまは昔、四條大納言出家し給ぬときかせ給て、御だうより御さうぞくつかはすとて、
いにしへは思ひかけきや取かはしかくきん物と法の衣を
御かへり、ながたに(*山城国北山の長谷)より、
何事も契りかはらできるべきを君が衣にたちをくれける〔りイ〕
定ョ公、さとより聞えたまひけり。
古郷の板間の風に夢さめて谷のあらしをおもひこそやれ(*千載集)
三井寺より、權中將の君、
まだなれぬみ山がくれに住そむる谷の嵐はいかに吹らん
御返し、
谷風になれずといかに思ふらし(*「思ふらむ」〔後拾遺集〕)心ははやく住にしものを(*後拾遺集)
まことや。辨の君(*定頼の歌)の御かへり、
山里の谷の嵐の寒きには木のもとを(*「木の本」「子の許」を掛ける。)こそおもひやりつれ(*千載集)

[目次]
〔三〇〕 今は昔、相坂(*逢坂)のあなたに關寺と云所に、牛佛あらはれ給て、よろづの人參り見たてまつりけり。大なる堂を立て、みろくを作(*作り)すへ奉りける。それえもいはぬ大木ども、たゞ此牛一してはこぶわざをなんしける。つながねどいきたる事もせず、さやかにみめもおかしげにて、れいの牛の心ざまにもにざりけり。入道殿をはじめまいらせて、世の中におはしある人のまいらぬはなかりけり。御門・東宮ぞおはしまさざりける。此牛なやましげにおはしければ、うせ給べきかとていよ/\參りこん。ひじりは御ゑいざうをかゝせ〔げカ〕むといそぎけり。西の京にいとたうとくおこなうひじりの夢に見えける、ぜう佛・たうにねはん(*「成佛・當入涅槃」か。)のう〔こイ〕くなり、ぢざう(*地藏)とくけちえん(*結縁)せよとこそ見えたりければ、いとゞ人參りける。歌よむ人もありけり。和泉式部、
聞しより聲ぞ(*「牛に」〔栄花物語〕)心をかけながら又こそこえねあふ坂のせき(*古本説話集)

[目次]
〔三一〕 一條院の御時、御佛名の又の日、雨いみじうふりてつれ/〃\也とて、宮の方にて御あそびありけり。みちかた(*道方)の少納言、琵琶いとめでたし。まさたゞ(*済政〔なりまさ〕〔枕草子〕)の琴、ゆきよし(*行成〔ゆきなり〕〔枕草子〕)笛、つねふさ(*経房)の中將笙の笛、一わたりあそびて、びわ引やみたる程に、大納言殿琵琶こゑやむで物語せん(*こ)とをそし/\とすくし(*「ずんじ」〔枕草子〕)給へり。いみじうおりにあひたるに、みちかたの辨ふとかきあはせたる、いみじう目出度。大納言とは、帥の内の大いどの(*藤原伊周)ゝ事なり。(*枕草子。「みちかたの」以降未詳。)

[目次]
〔三二〕 今は昔、ざいご中將(*在五中将。後文からは宰相中将)、二條后宮たゞ人にておはしける、よばひ奉りける時、ひじき物(*鹿尾菜〔ヒジキ〕)といふものを奉りて、かくなん、
思ひあらば葎の宿にねもしなんひしき物(*引敷物を掛ける。)には袖をしつゝも
かへしは人わすれにけり。(*伊勢物語)
さて後きさきにて大原野にまで(*詣で)給けり。上達部・殿上人つかうまつれり。業平宰相中將(*「在中将」〔大和物語〕)なまくらき折、御車のあたりにたてりけり。(*「御社にて」〔大和物語〕)人々ろく給て後成けり。御車のしりよりたてまつれる。御ぞ(*「御単衣の御衣」〔大和物語〕)をかづけ給へり。給はるまゝに中將、
大原やをしほの山もけふこそは~代の事も(*をイ)思ひいづらむ〔めイ〕
昔思ひ出ておかしと覺えけり。(*大和物語)
又内にて忘草を、是はなにとかいふとて給へりけり。
忘草おふる野べとはみゆらめどこは忍ぶ(*忘草には忍草の解もあった。)也後もたえ〔のイ〕まん(*大和物語)

[目次]
〔三三〕 今は昔、圓融院うせさせ給ひて、紫野の方にて御さうそうありけり。一とせ子日のおりなどおもひ出給て、閑院の大將(*「左大將朝光」〔後拾遺集〕)
紫の雲のかけてもおもひきや春の霞になしてみむとは
ゆきなりの少將(*「大納言行成」〔後拾遺集〕)
をか〔くイ〕れしとつねの御幸(*みゆき)は急しを煙にそはぬたびぞ〔のイ〕悲しき〔さイ〕(*後拾遺集)

[目次]
〔三四〕 今は昔、一條院御時、中宮五節いださせ給を見に、小兵衞といふが、あるひも(*「赤紐」〔枕草子〕)のとけたりければ、實方中將よりて結ぶにたゞならず。
足引の山藍(*「やまゐ」。青色の染料。「山井」を掛ける。)の水はこほれるをいかなる紐のとくる成らん
むかしは后の五節に出させ給けるとぞ。此后C少納言御しう(*主)におはします。まこと歌返、C少納言、
うは氷あはにむすべる紐なればかざす日影にゆるぶ計ぞ(*枕草子、千載集)

[目次]
〔三五〕 今は昔、御堂出家せさせ給て、衣がへの物とりに上東門院へまいらせ給ふとて、
から衣花の袂に立かへよわれこそはるの色はたちつれ(*新古今集、和泉式部続集)
御返し、
から衣立かはりぬる世の中はいかでか花の色もきるべき(*新古今集)
これを聞て和泉式部がまひらせたる、
ぬぎかへん事ぞ悲しき春の色を君が立ける衣とおもへば(*和泉式部続集)

[目次]
〔三六〕 いまは昔、宇治殿の御夢に、大かう子(*柑子)を三御覽じたりけるを、夢ときにとはせ給たりければ、あめ牛三いできなんと申たりけるに、實に人まいらせたりければ、御前につなぎて〔興じ〕御覽じけるに、其比りうさ〔宰相有國〕の三位とて、いみじき人有けり。まいりて此牛共をみて、なでう牛にかさぶらふと申。かう/\夢に見えてある也と仰られければ、目出度御夢をわろくあはせたり。此御夢あはせんとて、よき日をとりて、日がくしのまにうるはしう裝束(*さうぞき)て、此〔御〕夢をかたらせ給てあはす。三代の御門の關白をせさせ給はんとあはせ申たりける。實に三代の御門の御うしろみせさせ給て、四代といふ後三條院の御時、うちにこもらせ給にけり。夢は合せがら也。(*今昔物語集)

[目次]
〔三七〕 今は昔、殿の御まへ(*藤原道長)御堂にて人々しばし出給へ、心のどかに念佛せんとの給はせければ、殿ばらもまとへわたらせ(*「殿ばらみな御方々へ歸らせ」〔栄花物語・玉の台〕)給ぬ。念佛せさせ給。その程らいばん(*礼盤)に僧一人侍て經よみ奉る。かかる程に入あひのかねおどろ/\しければ、かた野の尼公(*「交野の尼君」〔栄花物語〕。)
今日暮てあすもありとなたのみそとつき驚す鐘の聲哉
此御堂初より(*無量寿院創建の年〔寛仁四年〕から)花をもちてまいるあま有けり。あはれがらせ給て、殿の御まへゝよろづをしらせ給けり。みやびかなるさましたりけり。れいの花もちてまいりたれば、御まへなるあざり、花こ(*花籠)ながらぞうじ〔承仕〕(*じょうじ・しょうじ)めしてとらするおりに、このあま、
あさまだき急ぎをきつる花なれど我より先に露ぞ置ける
返しせよとおほせらるれば、あざり、
君が爲つとめて(*「勤めて」「早朝」を掛ける。)花をおれとてやおなじ心に露をきつらん(*「露もおきけん」〔栄花物語〕)

[目次]
〔三八〕 今は昔、御だううせおはしまして、御さうそうの夜、たゞあきら内供(*「忠命〔ちうみやう〕内供」〔栄花物語・鶴の林〕)といひける人、
煙たえ雪降つもる(*「雪降りしける」〔栄花物語〕)鳥べ野は鶴のはやし(*涅槃経鶴林の故事)の心ちこそすれ(*後拾遺集・法橋忠命)
かの上人のほどをよみたる成べし。長谷(*ながたに)の入道(*藤原公任)きゝ給ひて、たきゞつきこ(*「こ」衍字)といはでや(*「いはまほしき」〔栄花物語〕。法華経・涅槃経一本を踏まえる。)とぞの給ける。中宮大夫(*藤原斉信。公任と共に四納言の一人。「宇治大納言物語」にこの贈答が見えるという。)に長谷よりきこえ給ふ。
みし人のなく成行を聞まゝにいとゞみ山ぞ淋しかりける
御返し、
きえ殘るかしらの雪をはらひつゝ淋しき山を思ひやる哉
長谷の入道とは四條大納言〔公任〕事也。中宮大夫は齊のぶ大納言也。(*前段と本段の話は、栄花物語の摘要。又は宇治大納言物語等によるか。)

[目次]
〔三九〕 今は昔、あべの仲麿をもろこしへ物ならはしにつかはしたりける。年へてえ歸りまうでこざりけり。はかなき事につけても、此國の事戀しくぞおぼえける。めいしう(*明州)といふ海づらにて、月をみて、
あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出し月かも
となんよみてなきける。(*古今集、今昔物語集等)

[目次]
〔四〇〕 いまは昔、さがの御門の御時に、内裏に札をたてたりけるに、無ぜんあく〔あくぜん歟〕(*「無悪善」〔宇治拾遺物語〕)とかきたりけるを、御門たかむら(*小野篁)によめと仰られければ、よみにはよみさぶらひなむ、されどおそりさぶらふうへは、え申さぶらはじと申けれど、唯申せとたび/\仰られければ、さがなくはよけんとよみたるは、是はをのれはなちてはたれかかかんとて、とがにおこなはるべきに成にけり。たかむらさればこそと申。其時に御門、なにもかきたらん物はよみてんやとおほせられければ、よみさぶらひなんと申ければ、かたかんな(*片仮名。「子」は異体字。)のねもじを十二かきてよめと仰られければ、ねこのこのこねこ、しゝのこのこじゝと、よみてまいらせたりければ、御門ほうゑませ給て、ことにもあたらでやみにけりとぞ。(*宇治拾遺物語)
又何事にてやらん、隱岐國へながされて、まかりけるに、
わたの原やそ嶋かけて漕出ぬと人にはつげよあまの釣舟(*古今集、他)

[目次]
〔四一〕 今は昔、紀中納言(*紀長谷雄)と云はかせ、大がくの西の門より月のあかゝりける夜いでゝ、らいせい門(*羅城門〔らせいもん〕)の橋の上にたちて、北樣をみれば、すざく門のうへのこし(*上層)に、なをしすがたなる人、上のたるきちかくたけはあるが、うそぶきずんじて、めぐるなん有ける。むかし人はかゝる物を見あらはかしける。(*今昔物語集)

[目次]
〔四二〕 今は昔、まことの右大臣と申人おはしけり。萬の事やむ事なく、めでたくおはしける中にも、さうのこと(*箏の琴)なんならびなく引給ける。いみじく心をすまして、曉方にやむごとなき手を取出でゝ引給ひけるに、かうしのあげたる上に、物のひかるやうにするを、やをらみれば、たけ一尺ばかりなる天人どものきて、二三人ばかり聞給けり。

[目次]
〔四三〕 今は昔、はくがの三位といひける人は、えもいはぬびわの上手也。まだわらはにておさなくおはしけるに、木幡とかやに目つぶれたる法師の世にあやしげなるに、びわは習給ひけり。ひてう(*秘調)のえもいはぬ三ありけり。それをかくして、えしらずとてをしへざりければ、心うくおぼして、うらみてキへ歸て、夜なよなみそかにおはしつゝ、せんざいの中にゐたり。かくしつゝ百夜に成にけり。若此(*かくのごときを)しらずとて、かくしたるてをやひくとおぼしけるに、大方ひかざりけり。すでに百夜に成曉に、心をすまして此法師おき出て、九月ばかりの月のいみじうあかきに、打ながめつゝ、此かくしつる手共を、三ながらこそ引たりけれ。引はてさせて、前栽の中より出たり。法師いと淺ましと思ふ。此月此(*この月ごろ)かうしつゝ、百夜に成ぬるよしをいふに、心ざしのふかきを哀がりて、おしむて(*惜しむ手)みなをしへつ。さて後、此さういづちともなくきえうせにけり。天人の變じて、かゝるあやしき物と成て有けるとぞ。さて此三位は、びわは引給ければ、空にえもいはずがくをしあはせつゝ、たいこうちなどするをとしけりとぞ申傳たる。(*江談抄、今昔物語集)

[目次]
〔四四〕 今は昔、柏原の御門の御時に、平の宮(*平安宮か。「宮」は「宮こ」か。)作らせ給けるあひだ、ながをかの宮より時々行幸して、あたらしくつくらるゝキを御覽ずるに、とばかりおはしますに、らいせい門(*羅城門〔らせいもん〕)のへんにて、御輿をとめてたくみをめして仰られけるやう、いとよく門はたてたり、但たけなん今一尺きるべき、風はやき所に、ひとつ屋にてたてたれば、風のためにあやうき也、ふせがるゝ事なれば、所の地のていにしたがひて、たけの程はたつるを、此比のたくみはそれをえしらで屋をたつれば、この門いま一尺きれ、さらばよかりなんとめして仰られて、うちに入せ給て長岡の宮にかへらせ給ぬ。さてつくり果てキうつりちかく成て行幸して御覽ず。はじめのごとくらいせい門のまへに御輿をとめて御覽ずるに、かはらぶきにしらつちみなぬりはてたり。こと/〃\くにみなしはてゝ、金物ばかりうたざりける。たくみめしておほせらるゝやう、我ははじめあしく見て一尺きれと仰てけり、一尺五寸ぞきらすべかりける、いま五寸きるべし、猶たかくみゆると仰られければ、たくみにはかにふしまろび、をぢかんじて(*怖ぢ感じて)さまあしくふるうやうにすれば、あやしと思食ていかにするぞと問せ給へば、たくみの申やう、此門のたけは本の門の樣にたてあはせさぶらふを、一尺きれと仰られしが、仰のまゝにきりてはむげにひきくまかり成なん、とをく見あぐるに、たかやかにてさぶらふこそきらきら敷さぶらへ、かゝるはなれ屋のひらに見えばみぐるしくさぶらひぬべしと思ひさぶらひて、五寸をきりてさぶらふ也、それに今五寸と仰さぶらへば、はじめ御覽じそこなひたるにはさぶらはず、五寸かたみて(*みてh詐って)きりさぶらはずと申。御門、かしこく見てけり、こぼちきらば、宮こうつりの日近く成てえあはせじ、さらばせであるばかり、たゞし風にやともすれば吹たうされんと仰事ありければ、たくみの申やう、いみじくつよく作てさぶらふ物也、たけ五寸きりさぶらひぬれば、更にあやうき事さぶらはじとなん申けり。
さてキうつりの後、末の世に至るまで、三度ばかり吹たをされたりければ、御門の御覽じたる事かなひにたり。いみじうおはしましけり。物の上手となん申傳たる。さて/\圓融院の御時、大風に又吹たうされにけり。その後はつくりたる事なし。

[目次]
〔四五〕 今は昔、小松の御門(*光孝天皇)、御をひC和天皇のみこ位につかせ給ひて(*原文「給はて」)、小松の宮とて、誠に久しく人まいるよもなくてすぎさせ給。ざえもおはしまし、御心もちかしこくおはしませどもかひもなし。御子三人おはしましける。つれ/〃\のまゝに、あらまし事には、位につきたらば、我等いかゞ思ふべき、所望ども有なんと仰られければ、太カの宮、さる事さぶらはゞ、大貳に成て、やがてにしの國を十給はらんと申給。二カは、東國十五給らむと申給ける。たよりなく佗しきに、心ぎえして申給。ていじの院(*宇多天皇)三カにして、我は位につかせ給はゞ春宮にたちて、御つぎをこそはしさぶらはめと申給へば、よく申給ふと思召ける。されどたゞ人にて、わうじゞう(*王侍従)と申たるぞかし。
去程に陽成院位につかせ給ひて、物にくるわせ給やうにて、けう(*未詳。「げに」等か。)ふしぎのまつり事をせさせ給へば、すべきかたなくて、關白殿を初て、世はうせなんと歎きあひ給へどかなはず。いきたる物どもをとりあつめて、くちなはに蛙をいくらともなくのませ、猫に鼠をとらせ、犬猿などをたゝかはしつゝ、ころさせ給だにあるに、はてには人を木にのぼせさせ給て、うちころさせ給つゝ、いくらともなく人しぬるに、關白にて昭宣公なげきて、いまはずちなし、位をおろし參らせんとおぼして、さりぬべき宮たち、又ちかき御門の御ぞう(*御族)の源氏に成給へるなどをみありき給に、宮達は心えて、よく見えんとつくろひきらめきあひ給へり。つき/〃\敷いみじきを、これもわろし、是もよくも見えずとおぼして、小松の宮へ參上のよし申させ給へば、さきかせ給ぬとて、しばしありていれ奉りて、とみに出させ給はず、けだかく物か(*「か」は衍字か。)し給ふとおぼす程にぞいで給へる。ふるめき~さびて、御なをしもき給はず、したりがほなるさまにて、何事にたちよらせ給ひたるぞとて、物の給ひたるさまも、よくおはします。位につかせ給たらんに、かしこくおはしましなむと見奉り給て、かうかうと申給へば、いつばかりと問せ給へば、程へばあしくさぶらひぬべければ、あさて日もよく侍ふ、其日とてまかで給ひぬ。
さてうちにまいり給へれば、木に人をのぼせてうちころしたるを、けうじて人々笑、われもわらひ入ておはします、いとあさまし。おとゞ申給、つれ/〃\に侍らへば、くらべむまのせんとし侍ふに、行かう(*行幸)して御覽ずべきよし申給に、いみじうよろこばせ給て、いつばかりと仰らるれば、あさてと申給へば、よろこびていつしかとまたせ給ふ。其日に成ぬれば、かんだちめ・殿上人、せう/\まいりて、よき人々をばえりとどめて、年老すゑあるまじき人々つかうまつりて陽成院といふ所に御輿よせておろし奉りつ。さて後にぞ、物ぐるはしく、人をさへころさせ給て、世のうせ侍ひぬべければ、おろしまいらせつるぞと申かけけるを聞せ給てぞ、かなしき事かなとて、をう/\とおめかせ給ひたりける。さてやがて昭宣公をはじめ奉りて、百官引つれて、御輿ぐして小松の宮へまいらせ給ぬる、めでたくいみじ。御輿よせたるに、行幸には是にはのらぬ物を、今一に(*「一人」か。)こそのれと仰られければ、おりさせ給ぬるをのせ奉りてさぶらへば、此御輿をもてまいりて侍ふと申させ給へば、さきかせ給ひてぞ奉りける。さ仰られけるを、うへ(*班子皇后)のきかせ給て、年比わびしくならひたる心に、所せくや人の思はんとあやうくおぼして、なにの輿成ともたゞのらせ給へかしとぞ、はせつきて申給ける。
さて位につかせ給て、宮たちの申給まゝに、西國・東國奉らせ給へば、わろく申てけりとおぼして、いとも給はり給はざりけり。うだの院位につかせ給て、けふまでその御だうにおはします。母上はきさきにならせ給ても、御丁のめぐりを日に一ど、ものかはんとみそかにいひて、めぐりありかせ給ひけると申傳たり。誠にや、それは小松の宮よりいちに出て、物をうりかはせ給て、かくせねば心ちのむつかしきとて、しつれば心ちのよくならせ給ひけると申傳へたり。

[目次]
〔四六〕 今は昔、閑院のおとゞ冬つぎ(*冬嗣)と申人の御子、内舍人よしかど(*良門)ゝ申けり。昔はやむ事なき人も、うどねりにぞ成給ひける。其御子たかふぢ(*高藤)と申おはしけり。わかくより鷹をなんこのみ給ひける。父のうどねり殿も好給ければ、此すゑ(*高藤の子定方から勧修寺流を名乗る。)もつたへて好給ふ成べし。
廿ばかりにおはしける程に、九月ばかりに、小鷹狩に出給ぬ。山しなのないしやの岡をつかひ給ふ(*「渚の山の程を仕ひ行き給ける」〔今昔物語集〕。鷹を使いながら。)に、申時ばかりにかきくらがりて大なる雨降、風吹、~なりければ、人々やどりせむとて、むきたる方にみなはせちらしていぬ。この君にしの方に人の家のみ(*「み」は衍字か。)見ゆるに、馬を走らせておはしぬ。御供に馬かひ男(*「舍人の男」〔今昔物語集〕)一人なん侍ける。ちいさき門のうちに入給ぬ。馬も引入て、とねりおとこいたり。君は板敷にしりうちかけておはしけり。雨風まさり~なりておそろしければ、歸給ふべきやうもなし。日も暮ぬ。いかにせんと心ぼそくおぼしてゐ給へるに、あをにぶ(*青鈍)の狩衣・袴きたるおとこの、歳四十計なるがいできて、こはなに人のかくてはおはしますぞといへば、鷹仕に出たりつるに、かゝる雨にあひて、行べきかたもなくて、馬のむきたるにまかせてはしらせつるに家の見えつれば、よろこびてきたる也、いかゞせんずるとの給へば、翁、雨いたくふらん時は、かくておはしませかしといひて、馬飼のおとこの許によりて、たがおはしますぞととひければ、しか/〃\の人のおはします也といひければ、其時にけいめいして、とりしつらひ、火ともしなどすめり。とばかり有て、あやしのやうにさぶらへど、うちへこそおはしまさめ、御ぞもいたくぬれさせ給てさぶらふめり、ほしてこそ奉らめ、御馬に草かはではいかで侍らはん、あのうしろの方へ引入てなど申。あやしの家なれども、ゆへびておかしくすみたれば、むげの物にはあらざりけりとおぼして、又かくてあるべきにもあらねば入給ぬ。
あじろをてん上にはしたり。莚(*今昔では天井材と同じ。)屏風をたてたり。きよげなるかうらひべり(*高麗縁)のたゝみ三帖ばかり敷たり。入てくるしければよりふし給ぬ。御かりぎぬ・御指貫などとりておきな入ぬ。しばしばかりふして見給へば、ひさしの方のやりどをあけて、十三四ばかりなる女の、うらこきすわうのきぬ一かさね、こきはかまきたる、扇さしかくして、かたてにたかつきをもちて、はぢしらひて、とをくそばみてゐたるを見給へば、頭つきほそやかに、かみのかゝり・ひたいつき、かやうの物のごともおぼえずいとおかしげ也。たかつきにおしき(*折敷)すへて、かはらけにはしをゝきてもてきたりけり。まへにをきてかへりぬ。行うしろでかみのふさやかに、よをろ(*「膕〔よほろ〕」〔今昔物語集〕。膝裏。)には過たりと見えたり。又則折敷に物をすへてもてきぬ。おさなけれど(*「幼き者なれば」〔今昔物語集〕)さかしくもすへず、ゐざりのきてゐたれば、ひめ(*「〔やきごめ〕」〔今昔物語集〕)をしてこをほね・あはび・ほしどり・うるか(*「小大根・鮑・干鳥・〔二字欠字〕」〔今昔物語集〕。「鱁鮧〔うるか〕」は鮎の腸の塩漬。)などしてまいらせたる也けり。日井とねこう/\給たるに(*「日一日困じ給ひたるに」等か。「終日鷹仕ひ行き給て極し給ひにけるに」〔今昔物語集〕)、かくまいらせたれば、げすの物なれど、いかゞせんとおぼしてまいりぬ。夜もふけぬればふし給ぬ。此ありつる人の心につきておぼえ給ければ、ひとりふしたるがおそろしきに、ありつる人こゝにきてあれとの給へば、まいらせたり。と(*「此」〔今昔物語集〕)よれとてひきよせてふし給ひぬ。ちかきけはひ、よそにみつるよりはこよなう〔くイ〕けだかうなつかしうらうたし。あはれにおぼす。かやうのほどの物の娘にてはいかでかかくはあらむと、あさましくおぼえ給ければ、まめ/\敷行末までの事を契り給けり。なが月なれば夜もながきに、露まどろまれず、あはれにおぼえ給まゝに返々契り給。夜も明ぬれば出給とて、はき給へる太刀をかたみにをき、たれとてゆめ/\おや心あさく人あはすとも人みる事すなといひつゝいでもやらず。返々契りをきていで給ぬ。
馬に乘て四五十町ばかりおはする程になん、御ともの人々、ここかしこより尋奉りてきあひて、淺ましがりよろこびける。さて殿に歸り給ひぬ。ちゝ殿、昨日出させ給ひしまゝに見え給はず成ぬれば、いかにしつる事にかとおぼしあかして、あくるをそきと人いだしたてゝ尋給ふ程に、おはしたればうれしとおぼして、わかき程にかかるありきする事あしき事也、我心にまかせて鷹仕ありきしをこ殿(*故殿。冬嗣か。)のつゆせいし給はざりしかば、是もまかせてありかするに、かゝる事のあればいとうしろめたし、いまよりかゝるありきなせ今日〔そカ〕とて(*「此る行き速に可止と有ければ」〔今昔物語集〕)鷹仕給はず成ぬ。御ともの人々もこの家をみず成にしかば(*「彼の家を不見ざりしかば」〔今昔物語集〕)、尋ぬべきやうもなし。とねりおとこは、いとま申てゐ中へいぬ。わりなく戀しく思はせ給へど、人やるべきやうもなし。月日はすぐれど、こひしさはいやまさりにて、心にかゝらせ給はぬ時もなし。
四五年にも成ぬ。ちゝ殿はかなくうせ給ぬれば、をぢの殿ばらの御もとにかよひてぞすごし給へる。おやもうせて心ぼそくおぼえ給まゝには、此みし人の戀しくおぼえ給へば、めもまうけですごし給ふ程に、六年ばかりに成ぬ。此御ともに有しとねり男、ゐ中よりのぼりて參たりときかせ給ひて、御馬めしいでゝ、かはせはだけさせ(*飼はせ刷〔はだ〕けさせ。今昔には「疥〔はたけ〕」の字を宛てる。餌を与えさせたり撫でさせたり。)などせさせ給。さておまへ近く參たるに、此男に、一とせ雨やどりしたりし家は覺ゆやととひ給へば、いかゞ(*「いかが覚えざらん」の意)、おぼえさぶらふと申ければ、嬉しとおぼして、けふいかんとなん思ふ、鷹つかうやうにてあれとおほせられて、御ともにはたちわき(*帯刀)なるものゝ、むつましく召仕けるをぐして、あみだの嶺ごえに(*「阿彌陀の峯越に」〔今昔物語集〕)おはしぬ。
日入程になんかしこにおはしつきたりける。きさらぎの中の十日の程なれば、まへなる梅ところ/〃\散て鶯木ずゑに鳴、やり水に花散てながるゝをみる、いみじうあはれ也。ありしがごとうちいりて、家主のおとこ召出せば、思はずにおはしましたるがうれしさにてまどひ(*手惑ひ)をしてまいりたり。有し人はありやととはせ給へば、さぶらふよし申。よろこびながら、おはせし所に入給へれば、木丁のうちにはたかくれてゐたり。見給へば、見しよりはこよなくねびまさりて、あらぬ物にめでたく見ゆ。かたはらにゐつゝ六ばかりのをんな子の、えもいはずめでたきいたり。これはたそとの給へば、うちうつぶして、なくにやあらんとみゆれば、はか/〃\しういらふる事もなければ、心えずおぼえて、此家なる人やあるとめせば、ちゝをのこまいりゐてひざかりゐたり(*「前に平かり居たり」〔今昔物語集〕。跪く意か)。このちごのあるはたれぞと問給へば、一とせおはしましたりし後、人のあたりにまかりよる事もさぶらはず、おさなく候物なれば、おはしまして後よりたゞならず成て生れてさぶらふ也といふまゝに、いみじくいよ/\哀に成ぬ。まくらがみを見れば、置し太刀あり。さはかくふかき契り也けりとおもふも、いよ/\哀におぼす事かぎりなし。
かくて其夜とどまりて、又の日歸り給。此家あるじなに人にかあらんとおぼして尋とひ給へば、此郡(*宇治郡)の大りやう(*大領〔だいりやう・こほりのみやつこ〕)、みやぢのいやます(*宮道弥益)といひ侍る。かゝるあやしき物の娘(*宮道列子)なれど、さるべきさきの世の契りこそあらめとおぼして、又の日むしろばかり(*「筵張」〔今昔物語集〕)の車に、下すだれかけて(*少納言以上と女房の車に用いた。)さぶらひ二三人ばかりぐしておはしぬ。車よせてこの女のせ給。むげに人なからんもあしければ、母をめしいでゝのせらる。四十ばかりの女のさすがにかはらか成さま(*「乾〔かたや〕かなる形」〔今昔物語集〕。「かはらかなり」は清楚な様子。)して、さやうの物のめ(*妻)と見えたり。わかり色(*「練色」〔今昔物語集〕。「ねり色」の誤写か。)のきぬにかみきこめて乘ぬ。殿におはして西の對にしつらひおろし給。又人の方にめも見やられ給はずみ給ふ程に、うちつゞきおのこゞ二人(*藤原定国〔泉大将〕・定方〔三条右大臣〕)うみつ。
やむ事なくおはする人なれば、たゞ成になりあがり給ふ。大納言に成給ひぬ。此姫君(*藤原胤子)はうだのゐん(*宇多天皇)位におはしますに、女御にまいらせ給。さていくばくもなくて、醍醐の御門をばうみ奉り給へる也けり。おとこ二人はいづみの大將と申、其弟三條右大臣となん申ける。此おほぢの大りやういやますは、四位に成て刑部大輔にぞ成たりける。だいごの御門位につかせ給ければ、大納言は内大臣に成給にけり。いやますが家は今の勸修寺也。むかひの東の山づらに、むは(*姥か。「妻」〔今昔物語集〕)のいへにはだう(*堂)を立たり。其寺をば大やけでら(*大宅寺)となんいふ。此いやますが家のあたりを、あはれとおぼすにやありけん、だいごの御門の御さざきは、ちかくせられたりとなむ。(*今昔物語集)

[目次]
〔四七〕 いまは昔、伊せのみやす所、七條のきさいの宮(*藤原温子)にさぶらひ給ひける比、びわの大納言(*藤原仲平。枇杷左大臣。)忍びてかよひ給けり。女いみじう忍とすれど、みな人知ぬ。さる程にわすれ給ひぬれば、
人しれずやみなましかば佗つゝもなき名ぞとだにいはまし物を(*古今集・伊勢)
とよみてやりたりければ、哀とや覺えけん、歸りていみじう覺して住給ひけり。ほに出て人を(*「花すゝき我こそしたに思ひしかほにいでて人にむすばれにけり」〔古今集・藤原仲平〕)とよみたるも、このおとゞにおはす。

[目次]
〔四八〕 今は昔、本院侍從の君を、兵衞佐さだふん(*平貞文)、あざなへいちう(*平中・平仲)、御こ(*桓武天皇の孫茂世王)のまごにて、しないやしからず、みめかたちえもいはず、けはひ有さま人にすぐれたり。世すき物といはれける人なれば、是に物いひかけられぬ人はなかりけり。されども此侍從の君、其比の宮仕人の中に、みあれの宣旨・本院侍從の君を、へいちう年比えもいはず、しぬ/\とけしやう(*懸想)しけれど、すべて返り事をだにせざりければ、猶々ふみを書て、たゞみつと計の二もじをだにみせ給へとてやりたりける。たひ(*二字衍字か。)つかひ返事をもてきければ、物のあたりて(*「物に當て出會て」〔今昔物語集〕)急ぎとりてあけて見れば、我みつとだにといひやりつるふたもじをやりとりて、うすやうにをしつけてをこせたる也けり。ねたさ悲しき事限なし。きさらぎの晦日がたの事也。
かくてやみなんと、をともせですぐすに、五月廿日の程、五月雨の比なれば、雨のかきたれ降て、いみじうくらき夜、こよひ行たらばいみじき物のふ(*武士)成とも、哀は知なんかしとおもひて、かちよりわりなくして、にいきて、夜中にやう/\成程に、おもひわびてわらはをよびて、かくなんまいりたるといはせたれば、唯今おまへにも人々ねさぶらはん、參らむといひいだしたりければ、胸うちさわぎ、さればこそかゝる夜きたらん人をおもはざらんやとおもひて、くらとのはさま(*「暗き戸の迫に」〔今昔物語集〕)にかひそひて立たる程に、おほくの年月をすぐさん心ちす。一時ばかり有て人みなぬるをとするを、うちより人きて、やりどのかけがねをはづす音す也。うれしさによりてひけば、やすらかにあきぬ。夢のやうにおぼえて、こはいかにしたるぞとおもふに、見もわなゝかるゝ物也けり。されどをししづめて、やをらいれば、そら燒物(*薫物)にほひみちたり。あゆみ入て、ふし所とおぼしき所をさぐれば、なよらかなるきぬ一かさねきてそひふしたり。かしらのやう體ほそやかに、かみのかゝり、こほりをのしかけたるやうにひやゝかにて、手にあたるもおぼえずわなゝかれて、いひいでんずる事もおぼえぬに、をんないふやう、いみじき物わすれをこそしにけれ、へだてのしやうじのかけがねをかけできにける、あはれ行てかけてこんといへば、げにとおもひて、さはとくおはせといへ(*ば)をきてうへにきたる衣をぬぎて、ひとへぎぬ・はかまばかりをきていぬ。そのまにいれば、きぬをきてまちふとり(*「裝束を解て待臥たるに」〔今昔物語集〕)、さうじ(*「障子の懸金」〔今昔物語集〕)かくるをとす也。今はくらんとおもふに、あしをとのおくざまにきこえてくる音もせず。ひさしう成ぬれば、あやしさにおきて、此しやうじの方をさぐれば、あなたをかけていにける也けり。いはんかたなくおぼえて、さうじにそひてたてり。何ともなくて涙のみこぼるゝ事、五月雨にをとらず。こはかうり(*「此ばかり」か。)に入てかくはかなこと(*「謀る事」〔今昔物語集〕)はいかでか有べきぞ、いでこそぐして行て、かけさすべかりけれ、我心みんとおもひてかくはしつる也、いかに我をはかなき物とおもふらん(*と)、あはぬよりねたき事かぎりなし。おもひあまりておもふやう、さはれ夜あくるともかくてあらむ、さりとも人しき〔れイ〕かしと、あやなくおもへども、あけて人くる音すれば、かくてあらんもそゞろかれて(*気恥ずかしく思われて)いそぎ出ぬ。
扨後よりは此人をいかでうき事などきゝて、うらみなばやとおもへども、露さ樣の事きかすべくもなし。おもひわびておもふやう、此人かくおかしくとも、はこにしたらんこと(*用便)は誰もおなじやうにこそあらめ、これをさがしてみ、かぎなどして、おもひとまりなんとおもひて、これがひすまし(*樋洗)のいも(*「筥洗ひに行かむを伺」〔今昔物語集〕)、いかでうかゞひてとりてみん、うとましかりなんとおもひて、をさりげなくてうかゞふ程に、年十四五ばかり成ひすましの、すがた・やう體おかしげにて、もてなしなどたゞならぬめの童の、かみあこめにたらぬ程にて、なでしこがさねのあこめに、こきはかましどけなげにひきあげて、かう染のうす物のつゝみに、はこをつゝみて、あかきしきしのゑりにたる扇(*「赤き色紙に繪書たる扇」〔今昔物語集〕)さしかくしていくを、いみじううれしくおもひて、見つき/\(*「見繼々々に」〔今昔物語集〕)行つゝ、人もみぬ所にてはしりよりて、はこをばいづ(*奪ひ出づ)。わらはなく/\おしめども、なさけなくひきはいではしりて、人なき屋のうちに入て、うしさしにさしたれば(*「内差つれば」〔今昔物語集〕。「内より鎖しつれば」等の誤写か)、わらはゝとに(*外に)なきたてる也けり。さてはこをおくの方にあかき所に行てみれば、うす物をふたへにて、かうにそめかへしたり。かうばしき事限なし。はこを見れば、きんうるしのやうにぬりたり。此はこのていをみるに、あけん事もいとをしくおぼえて、うちはしらず、つゝみのやう・はこのていみるに、なべて人にも似ず。さればれうぜんこそ(*「こそ」は衍字か。)こともいとおしければ、しばしあけずまぼりゐたるに、さてのみあらんやはとて、おづ/\あけてみれば、ちやうじのか(*丁字の香)のいみじうはやうかくゆ(*「聞え」〔今昔物語集〕)心えず、あやしうてうつぶしてのぞけば、うすかう(*「薄香」〔今昔物語集〕)の色したる水なからばかり入たる、をよびのふときばかりのものゝくちきはみたる(*「黄Kばみたる」〔今昔物語集〕)、二三すんばかりにてふたきれ三きれうちまかりて(*「打丸がして」〔今昔物語集〕)いりたり。さにこそはあんめれとおもひて見るに、かのえもいはずかうばしければ、きのはしめありすなからむ(*「木の端の有るを取て」〔今昔物語集〕)中をついさしてはなにあててかげば、えもいはずうつくしうめでたきくろぼう(*黒方)の香がす。すべて心もえず。この世の人にはあらぬ物也けり。是を見るにつけて、いかでもとおもふ心いよ/\くるうやうにつきて、おもひくるはるれば、はこを引よせて、すこしひきすゝるににがくからし。ちやうじらし見かへりたり(*「丁字の香に染返たり」〔今昔物語集〕)。この木のはしにさしてとりあげたる物を、すこしさきをくひきりてなめければにがくあまし。ちやうじくろぼうにしみかへりて、かうばしき事限なし。ちやうじをせんじて入たるなりけり。いま一の物は、ところ(*野老)をたき物・あまづらなどひちくりて(*混ぜ合わせて)、かきあはせて大きなるふでのつか(*「」〔今昔物語集〕)に入て、それよりまりいださせたる也。かうはたれもする人は有もしなん、いかで是をさがして(*「凉して」〔今昔物語集〕。今昔原文に「凌カ」と注する。「凌じて」「領じて」等か。)みん物もとおもふ心ぞつかん、さま/〃\いみじかりける物の心かな、よの人にはあらざりけり、此人にはいかでか物いはではやむべきぞとおもひけるに、病に成にけるとぞ。(*今昔物語集、宇治拾遺物語)

[目次]
〔四九〕 今は昔、國綱(*藤原国経)の大納言と申人おはしけり。其妻にて在原の中納言といふ人のむすめ(*在原棟梁女)なん、えもいはずかたちきよげにうつくしうて、大納言は歳六十(*「歳八十」〔今昔物語集〕)よ、北の方はわづかに廿ばかりにてぞおはしける。いみじう色めきたる人にて、おひたる人にぐしたるを、心ゆかぬ事にぞおもひたりける。
大納言の御をいにて左大臣(*藤原時平)おはしける、本院(*中御門・堀河辺の時平邸)にぞ住給ける。歳廿七ばかりにて、形ち有さま目出度いみじき人にてぞおはしける。このおぢの大納言の北方のめでたきよしを聞給て、ゆかしとおぼしわたりけるに、其比すき物の兵衞佐、みこのまご、名はいやしうもあらざりけり。あざなへいちう(*平中・平仲)とぞいひける。其比の人のむすめ、宮仕人みぬなんなかりけり。此大納言の妻をも、此兵衞佐忍びて見るといふ事を聞給て、誠やいかできかむとおぼしけるに、冬の月あかゝりける夜、此兵衞佐まいりたりけるに、なにとなき世の物語し給程に夜も更にけり。おかしきさまの物がたりのついでに、おとゞをくゐよりてとひ給やう、こゝに申さん事かくさずの給へ、こゝろ見給ふ女の中に、めでたきはたれかあると問給へば、へいちう申けるは、おまへにて申はいみじうかたはらいたき事なれど、我まことにおもはゞ、ありのまゝにいへとおほせらるれば申也、藤大納言の北のかたこそ、よににず誠目出度人におはすれと申に、實成けりとおぼして、それをばいかにして見給しと問給へば、そこにさぶらひし人をしりたりしが申しなり、老たる人にそひたるをいみじう侘しき事になんおもひたるときゝ侍しかば、わりなくかまへていはせて侍しに、にくからずなんおもひたると侍て、いみじく忍びてふべんに見初てなん侍し。うち解てもえあひ侍らずときこゆれば、あしきわざをもし給けるかなとて、わらひての給ひける。
さて心のうちに、いかでこの人をみむとおぼす心ふかく成まさりにければ、其後よりは、この大納言をぢにおはしければ、事にふれてかしこまりきこえ給。大納言有がたくうれしくかたじけなき物にぞおもひ給ける。女とらんとするをばしらでと、心の中におかしく覺しける。かくてむ月に成程に、三日が間まいらんとの給けるよしを、大納言きゝ給ひて、家を作みがき、御まうけをなんし給ける。正月三日に成て、さるべき殿上人・上達部ひきぐして、この大納言の家におはしたれば、よろこび物にあたり給ふ事(*「物に當て喜び給ふ事」〔今昔物語集〕)かぎりなし。あるじなどまうけたるほど、げにことはりとみゆる。さるうちくだる程に(*「渡給へれば、御坏など度々參る程に」〔今昔物語集〕)日暮ぬ。うたひあそび給事おもしろく、そゞろ寒きまでめでたし。此おほい殿の御かたちよりはじめ、すぐれ給へる御ありさま、よの常ならずめでたうおはすれば、萬の人々目を付奉り見奉る事いみじ。北の方はおとこ〔どカ〕のおはするそばの方よりのぞき給に、おとゞの形けはひ、吹いるゝ匂ひより初、人にすぐれ給へるを見給ひて、我身のすくせ心うくおぼゆ。いかなる人、かゝる人にそひてあらん、歳おひふるくさき人にぐしたる、事にふれて侘しくおぼゆ。身のをき所なく心うく案じゐ給へるに、此おとゞかくうたひあそび給ひて、このすだれの方をしりめに見をこせ給。まみはづかしげにいはんかたなく、すだれのうちさへわりなくほうゑみて見をこせ給ふも、いかにおぼすやらんといとゞはづかし。
かかる程に夜やう/\更行に、みな人えいにたり。ひもときかたぬぎて、舞たはぶれ給ふ事かぎりなし。歸り給なむとする程に、大納言申給〔は〕、御車をこゝにさしよせて奉れ、いたくえはせ給にたりと申給へば、いみじくびんなき事、いかでさる事侍らん、いたくえひなばこの殿にこそ侍らめ、さてえひさめてまかり出なんとの給ふ。ことかんだちめもきはめてよき事也とて、たゞよせに御車ひがくし(*「橋隱」〔今昔物語集〕)の許によせさする程に、引出物にいみじきむまふたつ、目出度御琴(*「箏」〔今昔物語集〕)など取出たるに、おとゞ大納言に申給ふ、かゝるえひのつゐでにしれ事申はびんなき事にさぶらへど、かくけうゑんのためにまいりたるを誠にうれしとおぼさば、かぎりなくやむ事なからん引出をこそ給らめ物(*「心殊ならむ曳出物を給へ」〔今昔物語集〕)との給へば、大納言いみじうえひたる心もめいぼくあり、うれしく覺ゆるに、かくの給へる我身は此そひたる人をこそいみじくおぼゆれ、おとゞにおはすとも、かばかりの人はえやもち給はざらん、しりめにかけて、みすの中を常にみやり給ふる(*ママ)も、わづらはしくはおぼえつ(*ゝ)、おなじくはかゝる物もちたりけるとも見せ奉らんかしと、醉くるいたる心なれとおぼえて、おきなもとにはかゝる物こそさぶらへ、是を引出物にまいらすとて、屏風をしたゝみて、すだれよりをしいれて、北の方の袖を取て引よせて、これにさぶらふと申給へば、誠にまいりたるかひありて、いまこそうれしく侍とて、おとゞよりてひかへて(*「居」〔今昔物語集〕)給ぬれば、大納言たちのきて、こと殿原を、いまはいで給ね、おとゞはよもと見に(*頓に)いで給はじとの給へば、上達部めをくはせひぢつきて、あるひはいで給ぬ、あるひはたちかくれて、いかなる事ぞ見はてんとおぼす人もあり。おとゞ今は誠にいみじく醉たり。車よせよ、ずちなしとの給時に、御車庭に引出したるを、人々さとりてさしよせつ。大納言よりて御車のすだれもたげ給ふ。おとゞ北の方をかきいだきて車に打のせて、やがてつゞきて乘給ぬ。大納言ずちなくてや、をんなども我なわすれそとなんいひかけ給ひける。さて車やり出させて出給ぬ。
大納言うちに入て裝束ときてふし給ぬ。いみじくえひにければ、めくるめき心ちあしくて、曉がたにややう/\醒て、夢のやうにみしことどもおぼゆれば、ひが事にやあらんとまでおぼえて、女房にうへはとゝひ給へば、ありしやうをかたるに、いみじうあさましう、うれしといひながら物にくるひにけるにこそ、醉の心といひながら、かゝるわざする人やあるとおこにたえがたく、かた/〃\おもへどもとり返すべきやうもなし、女のさいわゐのするなめりとおもふにも、我を老たりとおもひたりしきそくの見えしもねたくくやしく悲しく戀しく、人めには心う(*「心と」)したる事とおもはせて、心のうちにはわりなく戀〔悲イ〕しくなんおぼしける。(*今昔物語集)
左のおとゞは我もとにゐておはして、對にしつらひすへてすみ給に、こゝはとみゝ(*衍字)ゆる所なく、いみじくなんおぼしける。たゞすこし色めきたる心の有をうしろめたくおぼしける。北の方の心には、年比の人をむつかしとおもひつるに、かゝるめでたき人にそひてあるを、我身のすくせかしこくおもひける。もとの人は我をわりなく心ざしおもひたりしをぞ哀とおもひ出られける。
へいちうも老のむつかしさにこそなぐさめに、わりなくしてあひしりつれ、かゝる人にそひにたれば、おもひ出べきにもあらぬに、又我をば色めきと見給やらん、ひまもなくもてなし給へれば、何事にもかくしも身もてなすべきにもあらず。
かくてある程にうつくしげなるおのこゞう〔み〕つ。その子中納言に成て本院の中納言あつたゞ(*藤原敦忠)と云は此人成けり。誠わすれにけり。
おとゞ、北の方車にのせ給し程に、下がさねのしりとりて、御車にいるゝやうにて、へいちうよりてかきつけて、をしつけてさりにけり。おとゞは見給はず成にけり。北の方又見けるに、袖の下に、みちのくに紙をひきやりてをしつけたるを、あやしとおもひて見れば、忍ぶる人の手にて、
物をいはねの松の岩躑躅いはねばこそあれ戀しき物を(*古今集・よみ人しらず)
となん有ける。車に乘し程、下がさねのしり入しは、これにこそ有けれとおぼしける。又ある人の語しは、若君のかいな(*腕)に書て、母にみせ奉れとて、やりたりけるとも申す。
昔せし我かねことの悲しきはいかに契りし名殘なりけん(*後撰集・平貞文)
此歌こそちゝ〔ごイ〕のかいなにかきて、母にみせ奉れといふに、わか君みせけり。女いみじく泣て、又かいなにかきて、返し、
現にてたれ契りけん定めなき夢路にたどるわれは我かは(*後撰集・よみ人しらず)

〔以東京帝國大學史料編纂掛本謄寫校合畢。〕
(世継物語<了>)

  (目次)
[INDEX]