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本朝遯史

林讀耕齋
(島原恭雄編『深草元政集』 第四巻 関連説話集 古典文庫 1978.2.10
※ 同書には「本朝法華伝」(絵入五巻本)、「本朝遯史」の影印を収める。
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本朝遯史目録



[目録]

民黒人たみのくろひと

【本文】

黒人者、隱士ナリ也。其幽棲、「試デヽ囂塵、追尋仙桂そう。岩谿無俗事、山路有樵童。泉石行行異ナリ、風煙處處同。欲セバント山人、松下清風。」又獨坐山中、「煙霧辭塵俗、山川壯ニス。此時能ンバスルコト、風月自ヅカラゼン。」載セテ懷風藻也。此之所、自天智之世、至孝謙之時。然ルトキハ黒人亦其之人ナラン也。
、按ズルニ姓氏録、以者、~別二支、蕃別兩流未審いぶかし黒人何自之出ナルヤ乎。蓋肥遯之高操、亭立皓然、乃カラ。其履歴之實雖ハラ、而讀兩詩、可ルノ之志、幽尋之趣。無世慮俗友、泉石風煙到處閑適シテ、而覩陶貞白〔注h陶弘景〕于今日也。况ンヤテヲヤ格律卓超、語句清新ナルニ乎。且山川壯ニス、與所謂山河壯帝居、固異代之談ナリ也。懐風藻ことシテ隱士民黒人キカナ矣。可フト一隻眼。儻ンバ黒人姓名あゝ黒人之幽棲、何レノ之山ゾヤ乎。既獨坐。其キコト對伴也、可焉。蓋ルカグルノ之孟光〔注h後漢の梁鴻の妻孟光が膳を眉の高さに挙げて進めた故事(「孟光挙案」『蒙求』)。〕乎。想フニ四時之隹興、長句短章、可風月之輕侮也。今クハルコト一レ
書き下し変換例
黒人は、隱士なり也。其の幽棲の詩に曰く、「試に囂塵の處を出でゝ、追尋す仙桂のそう。岩谿俗事無く、山路樵童有り。泉石行行異なり、風煙處處同じ。山人の樂を知んと欲せば、松下に清風有り。」又獨坐山中の詩に曰く、「煙霧塵俗を辭し、山川我が居を壯にす。此の時能く賦すること莫んば、風月自づから余を輕ぜん。」載せて懷風藻に在り也。此の書の之録す所、天智の之世より、孝謙の之時に至る。然るときは則ち黒人も亦其の際の之人ならん也。
賛に曰く、按ずるに姓氏録に、民を以て氏と爲す者、~別に二支有り、蕃別に兩流有り。未審いぶかし黒人は何自之出なるや乎。蓋し其の肥遯の之高操、亭立皓然、乃ち掩ふべからず。其の履歴の之實傳はらずと雖も、彼の兩詩を讀て、其の塵を出るの之志、幽尋の之趣を知ぬべし。世慮無く俗友無く、泉石風煙到處閑適して、陶貞白を于今日に覩る也。况んや格律卓超、語句清新なるに於てをや乎。且つ山川我が居を壯にす、帝居を所謂山河壯者與と、固に異代の之談なり也。懐風藻ことに書して隱士民の黒人と曰ふ、きかな。一隻眼を具ふと謂ふべし。儻し然らずんば則ち黒人が姓名も亦た以て失すべし。あゝ黒人が之幽棲、何れの處の之山ぞや乎。既に是に獨坐す。其の對伴無きこと也、知ぬべし。蓋し或は案を擧ぐるの之孟光有るか乎。想ふに夫れ四時の之隹興、長句短章、風月の之輕侮を受けざるべし也。今ま恨くは其の多く之を見ざること。
白文
黒人者、隱士也。其幽棲詩曰、「試出囂塵處、追尋仙桂。岩谿無俗事、山路有樵童。泉石行行異、風煙處處同。欲知山人樂、松下有清風。」又獨坐山中詩曰、「煙霧辭塵俗、山川壯我居。此時能莫賦、風月自輕余。」載在懷風藻也。此書之所録、自天智之世、至孝謙之時。然則黒人亦其際之人也。
賛曰、按姓氏録、以民爲氏者、~別有二支、蕃別有兩流。未審黒人何自之出乎。蓋其肥遯之高操、亭立皓然、乃不可掩。其履歴之實雖不傳、而讀彼兩詩、可知其出塵之志、幽尋之趣。無世慮無俗友、泉石風煙到處閑適、而覩陶貞白于今日也。况於格律卓超、語句清新乎。且山川壯我居、與所謂山河壯帝居者、固異代之談也。懐風藻特書曰隱士民黒人、批瘁B可謂具一隻眼。儻不然則黒人姓名亦可以失。吁黒人之幽棲、何處之山乎。既是獨坐。其無對伴也、可知焉。蓋或有擧案之孟光乎。想夫四時之隹興、長句短章、可不受風月之輕侮也。今恨其不多見之。
漢文エディタ本文
黒人ハ者、隱士ナリ也。其ノ幽棲ノ詩ニ曰ク、「試ニ出デヽ 2( 囂塵ノ處ヲ )1 、追尋ス仙桂ノ|(そう)。岩谿無ク 2( 俗事 )1 、山路有リ 2( 樵童 )1 。泉石行行異ナリ、風煙處處同ジ。欲セバ^知ント 2( 山人ノ樂ヲ )1 、松下ニ有リ 2( 清風 )1 。」又獨坐山中ノ詩ニ曰ク、「煙霧辭シ 2( 塵俗ヲ )1 、山川壯ニス 2( 我ガ居ヲ )1 。此ノ時能ク莫ンバ^賦スルコト、風月自ヅカラ輕セン^余ヲ。」載セテ在リ 2( 懷風藻ニ )1 也。此ノ書ノ之所^録ス、自リ 2( 天智ノ之世 )1 、至ル 2( 孝謙ノ之時ニ )1 。然ルトキハ則チ黒人モ亦其ノ際ノ之人ナラン也。
賛ニ曰ク、按ズルニ姓氏録ニ、以テ^民ヲ爲ス^氏ト者、~別ニ有リ 2( 二支 )1 、蕃別ニ有リ 2( 兩流 )1 。|未審(いぶかし)黒人ハ何自之出ナルヤ乎。蓋シ其ノ肥遯ノ之高操、亭立皓然、乃チ不^可カラ^掩フ。其ノ履歴ノ之實雖モ^不ト^傳ハラ、而讀テ 2( 彼ノ兩詩ヲ )1 、可シ^知ヌ 2( 其ノ出ルノ^塵ヲ之志、幽尋ノ之趣ヲ )1 。無ク 2( 世慮 )1 無ク 2( 俗友 )1 、泉石風煙到處閑適シテ、而覩ル 2( 陶貞白〈NOTE 陶弘景 〉ヲ于今日ニ )1 也。况ンヤ於テヲヤ 2( 格律卓超、語句清新ナルニ )1 乎。且ツ山川壯ニス 2( 我ガ居ヲ )1 、與ト 2{ 所謂山河壯 2( 帝居ヲ )1 者 }1 、固ニ異代ノ之談ナリ也。懐風藻|特(こと)ニ書シテ曰フ 2( 隱士民ノ黒人ト )1 、|煤iよ)キカナ矣。可シ^謂フ^具フト 2( 一隻眼ヲ )1 。儻シ不ンバ^然ラ則チ黒人ガ姓名モ亦タ可シ 2( 以テ失ス )1 。|吁(あゝ)黒人ガ之幽棲、何レノ處ノ之山ゾヤ乎。既ニ是ニ獨坐ス。其ノ無キコト 2( 對伴 )1 也、可シ^知ヌ焉。蓋シ或ハ有ルカ 2( 擧グルノ^案ヲ之孟光〈NOTE 後漢の梁鴻の妻孟光が膳を眉の高さに挙げて進めた故事(「孟光挙案」『蒙求』)。 〉 )1 乎。想フニ夫レ四時ノ之隹興、長句短章、可シ^不ル^受ケ 2( 風月ノ之輕侮ヲ )1 也。今マ恨クハ其ノ不ルコト 2( 多ク見 )1^之ヲ。

[目録]

藤原麻呂

【本文】

麻呂者淡海公不比等第四ナリ也。元正帝養老元年十一月、自正六位下、進從五位下。五年正月叙セラル從四位下。六月爲左京大夫。聖武帝神龜三年正月、叙セラル正四位上。九月爲裝束。爲メナリルガ セント播磨國印南野也。天平元年三月、叙セラル從三位。六月左京職獻。長五寸三分、濶四寸五分、其文。麻呂上-。三年八月、爲參議。十一月爲山陰道鎭撫使。爲惠辨、能。常ジテ、上聖主、下賢臣。如ヲカサンヤ乎。こひねがハクハトセン琴酒。曽園池置酒スルノ。其、僕聖代之狂生ナリたゞ風月、魚鳥。貪フハ冲襟〔注h衷心〕。對シテ 。是ヒニ。盡クシ歡情於此、縱ニス逸氣於高天。千歳之間、ニシテ、一斛之飲、伯倫ナリ。不カラ軒冕之榮スルコトヲ、徒ラニルト泉石之樂シマシムルヲ一レ。云云。其、城市元、林園賞シテ、彈中散地、下伯英書、天霽レテ雲衣落、池明ニシテ桃錦舒、寄禮法士、知ルヲ塵踈。又遊吉野川、友非ムルナリ、洪歌シテムハ智、長嘯シテシムハ仁。曽ギテ中納言大~みは高市たかいち麻呂、賦五言律詩、以感〓莫/水。又有仲秋釋奠。天平九年正月、先レヨリ陸奧按察使大野東人言、從陸奧國出注、道經男勝。行程迂遠ナリ。請シテ男勝村、以ゼント直路。於シテ麻呂持節大使、發-陸奧。二月、到陸奧多賀、與大野東人平章〔注h等しく明らかに治める〕。且ハシテ騎兵一千人、開山海兩道。夷狄疑。仍ハシテ于海道于山道、並ビニ-。乃シテ勇健百九十六人于東人、分-シテ四百五十九人于玉造等、而麻呂率ヰテ三百四十五人、鎮多賀。又遣ハシテセントス諸柵。四月、麻呂録事状、聽勅裁。七月、卒シヌ。年四十四。朋友泣-麻呂。一萬里。是藤原氏京家之祖ナリ也。
、麻呂リト、亦是藤氏之一祖、固朝廷之臣ナリ也。既。又督東奧之軍事。可ケンヤ文有リト一レ武乎。然レドモ琴酒之欣賞、泉石玩樂、風月魚鳥俯仰自得、以軒冕之榮、胸中之丘壑、是ナリ〔注h積み蓄える。〕也。少シクストキハ、則キテ、逍-山水、可素情。其シテ 滿半百而没、惜シイカナ哉。余よみチテ而懐フヲ江湖、憐レム之不ルコトヲブルコトヲ。故-所云いはユル何爲ルモノゾヤ乎。聖代之狂生、此メテ行樂于官間、得ルナリ清閑于公退也。所云ユル友、伯倫師。知ルヲ塵踈。此幽靜、事トス琴酒。故竹林七賢、自スルノミ而已。大~みは高市たかいち者、免ジテ持統帝之獵也。麻呂高シトシテ忠直、而慕フカ乎。惟書法學張芝。惜シイカナ哉、片墨之不ルコトヲハラ也。
書き下し変換例
麻呂は淡海公不比等の第四の子なり也。元正帝養老元年十一月、正六位下より、從五位下に進む。五年正月從四位下に叙せらる。六月左京の大夫と爲る。聖武帝神龜三年正月、正四位上に叙せらる。九月裝束の可と爲る。將に播磨の國印南野に幸せんとするが爲めなり也。天平元年三月、從三位に叙せらる。六月左京職亀を獻ず。長さ五寸三分、濶さ四寸五分、其の背に文有り。麻呂之を上進す。三年八月、參議と爲る。十一月山陰道の鎭撫使と爲る。人と爲り惠辨、能く文を屬す。常に談じて云く、上に聖主有り、下に賢臣有り。僕が如き何をか爲さんや乎。こひねがはくは琴酒を事とせん耳と。曽て園池に置酒するの詩有り。其の序に云く、僕は聖代の之狂生なり。たゞに風月を以て情と爲し、魚鳥を翫と爲す。名を貪り利に徇ふは冲襟に適はず。酒に對して當に歌ふべし。是れ私の願ひに諧ふ。歡情を於此の地に盡くし、逸氣を於高天に縱にす。千歳の之間、康は我が友にして、一斛の之飲、伯倫は吾が師なり。慮からず軒冕の之身を榮することを、徒らに泉石の之性を樂しましむるを知ると。云云。其の詩に曰く、城市元と好む無し、林園賞して餘り有り、琴を彈ず中散が地、筆を下す伯英が書、天霽れて雲衣落ち、池明にして桃錦舒ぶ、言を寄す禮法の士、我が塵踈有るを知る。又吉野川に遊ぶ吟に曰く、友禄を干むる友に非ず、は是れ霞をなり、洪歌して水に臨むは智、長嘯して山を樂しむは仁。曽て中納言大~みは高市たかいち麻呂がを過ぎて、五言律詩を賦し、以て感〓を述ぶ。又仲秋釋奠の詩有り。天平九年正月、是れより先き陸奧按察使大野東人言く、陸奧國より出注に達し、男勝を道經。行程迂遠なり。請ふ男勝村を征して、以て直路を通ぜんと。是に於て詔して麻呂を以て持節大使と爲し、陸奧に發遣す。二月、陸奧多賀の柵に到り、大野東人と共に平章す。且つ騎兵一千人を遣はして、山海兩道を開く。夷狄疑ひ懼づ。仍て人を于海道に于山道に遣はして、並びに之を慰喩す。乃ち勇健百九十六人を于東人に委して、四百五十九人を于玉造等の柵に分配して、而麻呂三百四十五人を率ゐて、多賀の柵を鎮す。又兵を遣はして諸柵を鎮せんとす。四月、麻呂事状を録し、勅裁を聽く。七月、卒しぬ。年四十四。朋友麻呂を泣血す。一に萬里に作る。是れ藤原氏京家の之祖なり也。
賛に曰く、麻呂は庶爲りと雖も、亦是れ藤氏の之一祖、固に朝廷の之臣なり也。既に文を属す。又東奧の之軍事を督す。之が文有り武有りと謂はざるべけんや乎。然れども其の琴酒の之欣賞、泉石の玩樂、風月魚鳥俯仰自得、軒冕の之榮を慮らざる者を以て、胸中の之丘壑、是れ其のむ所なり也。少しく之に年を假すときは、則ち冠を掛け笏を解きて、山水に逍遙し、素情を暢ぶべし。其の未だ滿たずして半百に没す、惜しいかな哉。余其の朝に立ちて江湖を懐ふをよみし、其の志の之ぶることを得ざることを憐れむ伸ぶることを。故に之を表章す。所云いはゆる僕が如き何たるものぞや乎。聖代の之狂生、此れ乃ち行樂を于官間に求めて、清閑を于公退に得るなり也。所云ゆる康は我が友、伯倫は吾が師。我が塵踈有るを知る。此れ乃ち幽靜を愛し、琴酒を事とす。故に竹林の七賢を以て、自ら期するのみ。大~みは高市たかいちは、冠を免じて持統帝の之獵を諌む也。麻呂其の忠直を高しとして、而之を慕ふか乎。惟れ其の書法張芝を學ぶ。惜しいかな哉、片墨の之傳はらざることを也。
白文
麻呂者淡海公不比等第四子也。元正帝養老元年十一月、自正六位下、進從五位下。五年正月叙從四位下。六月爲左京大夫。聖武帝神龜三年正月、叙正四位上。九月爲裝束可。爲將幸播磨國印南野也。天平元年三月、叙從三位。六月左京職獻亀。長五寸三分、濶四寸五分、其背有文。麻呂上進之。三年八月、爲參議。十一月爲山陰道鎭撫使。爲人惠辨、能屬文。常談云、上有聖主、下有賢臣。如僕何爲乎。尚事琴酒耳。曽有園池置酒詩。其序云、僕聖代之狂生。直以風月爲情、魚鳥爲翫。貪名徇利不適冲襟。對酒當歌。是諧私願。盡歡情於此地、縱逸氣於高天。千歳之間、康我友、一斛之飲、伯倫吾師。不慮軒冕之榮身、徒知泉石之樂性。云云。其詩曰、城市元無好、林園賞有餘、彈琴中散地、下筆伯英書、天霽雲衣落、池明桃錦舒、寄言禮法士、知我有塵踈。又遊吉野川吟曰、友非干禄友、、洪歌臨水智、長嘯樂山仁。曽過中納言大~高市麻呂、賦五言律詩、以述感〓莫/水=B又有仲秋釋奠詩。天平九年正月、先是陸奧按察使大野東人言、從陸奧國達出注、道經男勝。行程迂遠。請征男勝村、以通直路。於是詔以麻呂爲持節大使、發遣陸奧。二月、到陸奧多賀柵、與大野東人共平章。且遣騎兵一千人、開山海兩道。夷狄疑懼。仍遣人于海道于山道、並慰喩之。乃委勇健百九十六人于東人、分配四百五十九人于玉造等柵、而麻呂率三百四十五人、鎮多賀柵。又遣兵鎮諸柵。四月、麻呂録事状、聽勅裁。七月、卒。年四十四。朋友泣血麻呂。一作萬里。是藤原氏京家之祖也。
賛曰、麻呂雖爲庶、亦是藤氏之一祖、固朝廷之臣也。既属文。又督東奧之軍事。可不謂之有文有武乎。然其琴酒之欣賞、泉石玩樂、風月魚鳥俯仰自得、以不慮軒冕之榮者、胸中之丘壑、是其所蘊也。少假之年、則掛冠解笏、逍遙山水、可暢素情。其未滿半百而没、惜哉。余嘉其立朝而懐江湖、憐其志之不得伸。故表章之。所云如僕何爲乎。聖代之狂生、此乃求行樂于官間、得清閑于公退也。所云康我友、伯倫吾師。知我有塵踈。此乃愛幽靜、事琴酒。故以竹林七賢、自期而已。大~高市者、免冠諌持統帝之獵也。麻呂高其忠直、而慕之乎。惟其書法學張芝。惜哉、片墨之不傳也。
漢文エディタ本文
麻呂ハ者淡海公不比等ノ第四ノ子ナリ也。元正帝養老元年十一月、自リ 2( 正六位下 )1 、進ム 2( 從五位下ニ )1 。五年正月叙セラル 2( 從四位下ニ )1 。六月爲ル 2( 左京ノ大夫ト )1 。聖武帝神龜三年正月、叙セラル 2( 正四位上ニ )1 。九月爲ル 2( 裝束ノ可ト )1 。爲メナリ^將ニ _ルガ_ ^幸セント 2( 播磨ノ國印南野ニ )1 也。天平元年三月、叙セラル 2( 從三位ニ )1 。六月左京職獻ズ^亀ヲ。長サ五寸三分、濶サ四寸五分、其ノ背ニ有リ^文。麻呂上- 2( 進ス之ヲ )1 。三年八月、爲ル 2( 參議ト )1 。十一月爲ル 2( 山陰道ノ鎭撫使ト )1 。爲リ^人ト惠辨、能ク屬ス^文ヲ。常ニ談ジテ云ク、上ニ有リ 2( 聖主 )1 、下ニ有リ 2( 賢臣 )1 。如キ^僕ガ何ヲカ爲サンヤ乎。|尚(こひねが)ハクハ事トセン 2( 琴酒ヲ )1 耳ト。曽テ有リ 2( 園池ニ置酒スルノ詩 )1 。其ノ序ニ云ク、僕ハ聖代ノ之狂生ナリ。|直(たゞ)ニ以テ 2( 風月ヲ )1 爲シ^情ト、魚鳥ヲ爲ス^翫ト。貪リ^名ヲ徇フハ^利ニ不^適ハ 2( 冲襟〈NOTE 衷心 〉ニ )1 。對シテ^酒ニ當ニ _シ_ ^歌フ。是レ諧フ 2( 私ノ願ヒニ )1 。盡クシ 2( 歡情ヲ於此ノ地ニ )1 、縱ニス 2( 逸氣ヲ於高天ニ )1 。千歳ノ之間、康ハ我ガ友ニシテ、一斛ノ之飲、伯倫ハ吾ガ師ナリ。不^慮カラ軒冕ノ之榮スルコトヲ^身ヲ、徒ラニ知ルト 2( 泉石ノ之樂シマシムルヲ )1^性ヲ。云云。其ノ詩ニ曰ク、城市元ト無シ^好ム、林園賞シテ有リ^餘リ、彈ズ^琴ヲ中散ガ地、下ス^筆ヲ伯英ガ書、天霽レテ雲衣落チ、池明ニシテ桃錦舒ブ、寄ス^言ヲ禮法ノ士、知ル 3( 我ガ有ルヲ 2( 塵踈 )1 。又遊ブ 2( 吉野川ニ )1 吟ニ曰ク、友非ズ 2( 干ムル^禄ヲ友ニ )1 、ハ是レフ^霞ヲナリ、洪歌シテ臨ムハ^水ニ智、長嘯シテ樂シムハ^山ヲ仁。曽テ過ギテ 2( 中納言|大~(みは)ノ|高市(たかいち)麻呂ガヲ )1 、賦シ 2( 五言律詩ヲ )1 、以テ述ブ 2( 感〓莫/水< )1 。又有リ 2( 仲秋釋奠ノ詩 )1 。天平九年正月、先キ^是レヨリ陸奧按察使大野東人言ク、從リ 2( 陸奧國 )1 達シ 2( 出注ニ )1 、道經 2( 男勝ヲ )1 。行程迂遠ナリ。請フ征シテ 2( 男勝村ヲ )1 、以テ通ゼント 2( 直路ヲ )1 。於テ^是ニ詔シテ以テ 2( 麻呂ヲ )1 爲シ 2( 持節大使ト )1 、發- 2( 遣ス陸奧ニ )1 。二月、到リ 2( 陸奧多賀ノ柵ニ )1 、與 2( 大野東人 )1 共ニ平章ス〈NOTE 等しく明らかに治める 〉。且ツ遣ハシテ 2( 騎兵一千人ヲ )1 、開ク 2( 山海兩道ヲ )1 。夷狄疑ヒ懼ヅ。仍テ遣ハシテ 2( 人ヲ于海道ニ于山道ニ )1 、並ビニ慰- 2( 喩ス之ヲ )1 。乃チ委シテ 2( 勇健百九十六人ヲ于東人ニ )1 、分- 2( 配シテ四百五十九人ヲ于玉造等ノ柵ニ )1 、而麻呂率ヰテ 2( 三百四十五人ヲ )1 、鎮ス 2( 多賀ノ柵ヲ )1 。又遣ハシテ^兵ヲ鎮セントス 2( 諸柵ヲ )1 。四月、麻呂録シ 2( 事状ヲ )1 、聽ク 2( 勅裁ヲ )1 。七月、卒シヌ。年四十四。朋友泣- 2( 血ス麻呂ヲ )1 。一ニ作ル 2( 萬里ニ )1 。是レ藤原氏京家ノ之祖ナリ也。
賛ニ曰ク、麻呂ハ雖モ^爲リト 2( 庶 )1 、亦是レ藤氏ノ之一祖、固ニ朝廷ノ之臣ナリ也。既ニ属ス^文ヲ。又督ス 2( 東奧ノ之軍事ヲ )1 。可ケンヤ^不ル^謂ハ 2( 之ガ有リ^文有リト )1^武乎。然レドモ其ノ琴酒ノ之欣賞、泉石ノ玩樂、風月魚鳥俯仰自得、以テ 2{ 不ル^慮ラ 2( 軒冕ノ之榮ヲ )1 者ヲ }1 、胸中ノ之丘壑、是レ其ノ所ナリ^|蘊(つ)ム〈NOTE 積み蓄える。 〉也。少シク假ストキハ 2( 之ニ年ヲ )1 、則チ掛ケ^冠ヲ解キテ^笏ヲ、逍- 2( 遙シ山水ニ )1 、可シ^暢ブ 2( 素情ヲ )1 。其ノ未ダ _シテ_ ^滿タ 2( 半百ニ )1 而没ス、惜シイカナ哉。余|嘉(よみ)シ 2( 其ノ立チテ^朝ニ而懐フヲ 2( 江湖ヲ )1 、憐レム 2( 其ノ志ノ之不ルコトヲ^得^伸ブルコトヲ。故ニ表- 2( 章ス之ヲ )1 。|所云(いは)ユル如キ^僕ガ何爲ルモノゾヤ乎。聖代ノ之狂生、此レ乃チ求メテ 2( 行樂ヲ于官間ニ )1 、得ルナリ 2( 清閑ヲ于公退ニ )1 也。所云ユル康ハ我ガ友、伯倫ハ吾ガ師。知ル 3( 我ガ有ルヲ 2( 塵踈 )1 。此レ乃チ愛シ 2( 幽靜ヲ )1 、事トス 2( 琴酒ヲ )1 。故ニ以テ 2( 竹林ノ七賢ヲ )1 、自ラ期スルノミ而已。|大~(みは)ノ|高市(たかいち)ハ者、免ジテ^冠ヲ諌ム 2( 持統帝ノ之獵ヲ )1 也。麻呂高シトシテ 2( 其ノ忠直ヲ )1 、而慕フカ^之ヲ乎。惟レ其ノ書法學ブ 2( 張芝ヲ )1 。惜シイカナ哉、片墨ノ之不ルコトヲ^傳ハラ也。

[目録]

猿丸大夫

【本文】

猿丸大夫トイフコトヲ。蓋上世之隱逸ナリ也。近江國田上リト舊跡。或、猿丸厩戸むまやど太子之孫弓削王ゆげのおほきみナリ也。未リヤ。或、道鏡法師之別號ニシテ、而奥山紅葉之倭歌、乃リテ下野國藥師寺、而所ナリトズル也。非ナリ也。鴨長明曽ツテ田上川-猿丸之墳墓
、猿丸族胤不ナラ。故倭歌之家虚談不カラ。如キハルガ道鏡者、甚也。宇都宮・二荒山皆下毛野しもつけの而有猿王之稱。道鏡之貶セラルモ、亦野州之藥師寺ナリ也。猿王・猿丸誤ヰテ假托スラク而已。田上之遺塚、猶蕪滅。長明豈。猿丸詠歌多矣。聊奥山紅葉一篇、言ヘバ、深山固焉、紅葉固焉、秋景固焉、鹿鳴固焉。夫秋景古今相同。紅葉之。然シテ而不ルトキハ深山、則ルニ分外之幽致。况呦呦之悦バシムルニ一レ。境既ナリ矣、景殊ナリ矣。四美具ハル。猿丸坐-於斯-於斯。其至樂可也。宋玉之九辨、潘岳之二毛、其餘悲シミシムノ之作最。托スル愁情于秋心ナリ也。猿丸山居、無憂慮スル。唯時景之感于秋鹿
書き下し変換例
猿丸大夫は何の代の人といふことを知らず。蓋し上世の之隱逸なり也。近江國田上に其の舊跡有りと云ふ。或は曰く、猿丸は即ち是れ厩戸むまやどの太子の之孫弓削王ゆげのおほきみなり也。未だ知らず然りや否や。或は曰く、道鏡法師が之別號にして、奥山の紅葉の之倭歌、乃ち下野の國藥師寺に在りて、而詠ずる所なりと也。非なり也。鴨の長明曽て田上川を渉つて猿丸が之墳墓を訪ひ認む。
賛に曰く、猿丸が族胤明ならず。故に倭歌の之家虚談少からず。以て道鏡とるが如きは、甚だ然らず也。宇都の宮・二荒山皆な下毛野しもつけの州に在り而猿王の之稱有り。道鏡が之貶せらるも、亦野州の之藥師寺なり也。猿王・猿丸誤り用ゐて假托すらく而已。田上の之遺塚、猶を蕪滅せず。長明豈に言を食ん。猿丸が詠歌多し。聊か奥山の紅葉の一篇に就て、之を言へば、深山固に居るべし、紅葉固に愛すべし、秋景固に感ずべし、鹿鳴固に聽くべし。夫れ秋景は古今相同じ。紅葉は處に隨て之有り。然して深山に入らざるときは、則ち登るに分外の之幽致を得ん。况や呦呦の之耳を悦ばしむるに於て。境既に佳なり、景殊に靜なり。四美具はる者。猿丸於斯に坐臥し於斯に嘯詠す。其の至樂以て想ふべし也。宋玉が之九辨、潘岳が之二毛、其の餘秋を悲しみ哀しむの之作最も多し。愁情を于秋心に托する者なり也。猿丸が山居、憂慮する所無し。唯だ時景の之感を于秋鹿に起す者
白文
猿丸大夫不知何代人。蓋上世之隱逸也。近江國田上有其舊跡云。或曰、猿丸即是厩戸太子之孫弓削王也。未知然否。或曰、道鏡法師之別號、而奥山紅葉之倭歌、乃在下野國藥師寺、而所詠也。非也。鴨長明曽渉田上川訪認猿丸之墳墓。
賛曰、猿丸族胤不明。故倭歌之家虚談不少。如以爲道鏡者、甚不然也。宇都宮・二荒山皆在下毛野州而有猿王之稱。道鏡之貶、亦野州之藥師寺也。猿王・猿丸誤用假托而已。田上之遺塚、猶不蕪滅。長明豈食言乎。猿丸詠歌多矣。聊就奥山紅葉一篇、言之、深山固可居焉、紅葉固可愛焉、秋景固可感焉、鹿鳴固可聽焉。夫秋景古今相同。紅葉隨處有之。然而不入深山、則登得分外之幽致乎。况於呦呦之悦耳乎。境既佳矣、景殊靜矣。四美具者耶。猿丸坐臥於斯嘯詠於斯。其至樂可以想也。宋玉之九辨、潘岳之二毛、其餘悲秋哀之作最多。托愁情于秋心者也。猿丸山居、無所憂慮。唯起時景之感于秋鹿者耶。
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猿丸大夫ハ不^知ラ 2( 何ノ代ノ人トイフコトヲ )1 。蓋シ上世ノ之隱逸ナリ也。近江國田上ニ有リト 2( 其ノ舊跡 )1 云フ。或ハ曰ク、猿丸ハ即チ是レ|厩戸(むまやど)ノ太子ノ之孫|弓削王(ゆげのおほきみ)ナリ也。未ダ^知ラ然リヤ否ヤ。或ハ曰ク、道鏡法師ガ之別號ニシテ、而奥山ノ紅葉ノ之倭歌、乃チ在リテ 2( 下野ノ國藥師寺ニ )1 、而所ナリト^詠ズル也。非ナリ也。鴨ノ長明曽テ渉ツテ 2( 田上川ヲ )1 訪ヒ- 2( 認ム猿丸ガ之墳墓ヲ )1 。
賛ニ曰ク、猿丸ガ族胤不^明ナラ。故ニ倭歌ノ之家虚談不^少カラ。如キハ 3( 以テ|爲(す)ルガ 2( 道鏡ト )1 者、甚ダ不^然ラ也。宇都ノ宮・二荒山皆ナ在リ 2( |下毛野(しもつけの)州ニ )1 而有リ 2( 猿王ノ之稱 )1 。道鏡ガ之貶セラルモ、亦野州ノ之藥師寺ナリ也。猿王・猿丸誤リ用ヰテ假托スラク而已。田上ノ之遺塚、猶ヲ不 2( 蕪滅セ )1 。長明豈ニ食ン^言ヲ|乎(や)。猿丸ガ詠歌多シ矣。聊カ就テ 2( 奥山ノ紅葉ノ一篇ニ )1 、言ヘバ^之ヲ、深山固ニ可シ^居ル焉、紅葉固ニ可シ^愛ス焉、秋景固ニ可シ^感ズ焉、鹿鳴固ニ可シ^聽ク焉。夫レ秋景ハ古今相同ジ。紅葉ハ隨テ^處ニ有リ^之。然シテ而不ルトキハ^入ラ 2( 深山ニ )1 、則チ登ルニ得ン 2( 分外ノ之幽致ヲ )1 |乎(や)。况ヤ於テ 2( 呦呦ノ之悦バシムルニ )1^耳ヲ|乎(や)。境既ニ佳ナリ矣、景殊ニ靜ナリ矣。四美具ハル者|耶(か)。猿丸坐- 2( 臥シ於斯ニ )1 嘯- 2( 詠ス於斯ニ )1 。其ノ至樂可シ 2( 以テ想フ )1 也。宋玉ガ之九辨、潘岳ガ之二毛、其ノ餘悲シミ^秋ヲ哀シムノ之作最モ多シ。托スル 2( 愁情ヲ于秋心ニ )1 者ナリ也。猿丸ガ山居、無シ^所 2( 憂慮スル )1 。唯ダ起ス 2( 時景ノ之感ヲ于秋鹿ニ )1 者|耶(か)。


        
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