海人の刈藻
大田垣蓮月
(佐伯常麿 校註『明治初期諸家集』 校註國歌大系20 國民圖書株式會社 1928.3.25)
※ 歌に通し番号を施した。〔原注〕、(*入力者注)
序(近藤芳樹)
序歌
端書(渡忠秋)
春部
夏部
秋部
冬部
恋部
雑部
跋(桜戸玉緒)
跋(上田ちか子)
海人のかる藻序
ひえの峯〔京都の東北比叡山〕の緑に思ひの色をそめかへ、鴨川の流れに心の塵をそゝぎて、ある時は其の麓のかこかなる〔間靜な(*ママ)〕陰に隱れ、或時は其の水の潔き渚にのがれつゝ、はに〔埴土〕もてくさ\〃/のうつは物を作り、是れをなりはひ〔生業〕として、歌よむことをすける〔好ける〕尼あり。名を蓮月となむいふ。皆人作れる器のさとびたらぬ〔田舍くさくないこと〕、よめる歌のみやびかなるを〔雅趣あるのを〕めでて、いづこに隱れのがれても、たづね訪ふほどに、はて\/はいみじく世の中をうるさがりて、やゝ都離れたる方になむ移ろひにける。こたび此の尼の集とて、板にゑらしめたるを見るに、思ひしよりも歌の數少なかりけり。さるはかの器物こそ、世にある程の渡らひ草なれば、人のもとめをもまちつらめど、よめる歌は、只心やりの慰めなれば、折にふれてかき散らしなどこそはしもしつらめ、更に殘しもとゞめざりつれば、ここにて見、かしこにて聞きつる限りを、かく集へ物したりし故なりとかや。今は昔、おのれ都にてあひし頃は、墨染の衣〔僧尼の衣〕あらゝかなる姿ながら、猶眉のあたり打ちけぶりて、いかなればかかる樣にかへつらむとそぎすてけむ〔削り捨てたらう〕そのかみの、いぶかしきまで麗はしき顔なりしを、此のほど西賀茂のかくれが訪らひてたいめ〔對面〕したるに、やせさらぼひて〔痩せ骨ばつて〕、腰さへえのべやらぬばかりの〔腰まで延ばし得ないほどの〕朽尼となれるを、および〔指〕折り數ふれば、四十とせ餘りもへたりけり。おのが老いくづほれたる程もしられて、相生の齡いと睦ましき言の葉の友なれば、此のはし文〔序文〕ほかにはゆづりがたくてなむ。
明治の四とせといふ年のきさらぎの朔日の日、加茂川の渚の宿にて
藤原芳樹 識
(序歌)
あはれとも誰かは見らむ藻汐草
かきおくあまの子だになければ
蓮月七十九歳
(端書)
歌よみ文作りなどする女の、みづから其のざえ〔才〕を頼み、いつしか女の心ばへを失ひ、人もなげに〔傍若無人に〕うちふるまふは、大方のさまなるにや。古の女房達の上にもさる品〔そんな種類〕のあと見ゆらむかし。この歌ぬしのこよなうぬけいでられたるは〔この上なく傑出されたのは〕、早くより世の中に知らぬ人なければいふまでもあらじ。八十路近う春秋を重ねらるゝと雖も、露も誇りかなるかたのけはひなく、萬愼ましうさこそあらめ〔さうありたい〕と、人のためし〔例〕にしつべきさまに過さるゝこそいみじうゆかしかりけれ。この頃物の本やら其の家の集を、櫻木に宿さまほしう〔版本にしたく〕思ひはかりて、いかでと願へるよしなるをも、拙き言の葉どもの世に散りぼひ〔散らばひ〕なむはと、ことよく〔ていよく〕いひ逃れてとにかくにうべなはるべうも〔承知されさうも〕聞えざるは、彌心にくき樣ならむを、さる趣などは知らず顔に猶せちに〔切に〕請ひてやまざるが、さすがに默しがたうや思はれけむ、すべて佐川氏に委ねらるゝにつけて、おのれは端書すべういはるゝは、思ひよらぬ心地せらるれど、未だ田舍にありし昔より聞えかはして〔申し交して〕、今も變らぬ心の友なれば、世の常ざまに辭みなどせむは、中々におろそかならむかたにもやと、なめしきを〔無禮なのを〕忘れて、かう一言さしいでぬるは、かの萬につゝましうせらるゝ心しらひとは、うらうへ〔正反對〕なるしれわざにこそ。
明治のはじめの年しも月
たゞ秋しるす
海人の刈藻
大田垣蓮月 詠
春部
001
初春
よろづ代の 春のはじめと 歌ふなり こはしき島の〔「やまと」の枕詞〕 やまと人かも
002
新暦
めよりまづ〔眼から先づ〕 霞みそめたる 初暦 なゝそぢ〔七十歳〕近き 春ぞ知らるゝ
003
早春
流れくる 冰にそひて うぐひすの 聲もながるゝ 谷のしたみづ
004
早春月
川そひの 柳の絲に かゝりけり 殘るこほりの 片われの月
005
早春鶯
だみたり〔言葉が訛つた〕と 梅もやしたに ほゝ笑まむ まだかたなり〔發育の十分でないこと〕の 鶯の聲
006
子日〔正月初子の日に小松を引いて遊宴する行事〕
子日する 小松が原の うす霞 千代をいくらか こめてたつらむ
007
松引きて 今日は遊ばむ 人竝に 千代を數ふる 身にしあらねど
008
若葉
ことたらぬ〔不足がちな〕 住家ながらも 七草〔「七種」を云ひかけてゐる〕の かずはあまれる 春の色かな
009
若草
いつのまに わき葉さす〔脇葉の生ずる〕まで なりにけむ 昨日の野邊の 雪の下草
010
千くさ咲く 秋はあれども 一くさの 二葉みつけし 春の嬉しさ
011
霞
たつ日より 長閑になりて 世の中の 憂きをへだつる 春霞かな
012
山霞
白雲の なかばになびく 富士のねを うづむや春の 霞なるらむ
013
鶯
こきまぜし はるの錦の〔古今集卷一春上「見渡せば柳櫻をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」〕 もなかより 匂ひ出でたる うぐひすの聲
014
水邊鶯
おりたちて 朝菜あらへば 賀茂川の 岸のやなぎに 鶯の鳴く
015
閑居鶯
かくれがに 春つげがてら 鶯の そらごと〔虚言〕すなり 人も來なくに〔來ないに〕
016
梅
鶯の つまやこもると ゆかしきは〔知りたいのは〕 梅咲きかこむ 庵の八重垣
017
うぐひすの 都にいでむ 中宿に かさばやと〔貸したいと〕思ふ 梅さきにけり
018
こぞ〔昨年〕植ゑし 梅さきたりと なにがしの 鳥住む山に たよりしてしが〔便りしたいものだ〕
019
夜梅
墨染の 袖にも梅の かをりきて 心げさう〔心懸想〕の すゝむ夜半かな
020
鄰梅
となりには 梅さきにけり こにこめし〔籠にこめた〕 われ鶯を はなちやらばや
021
南北梅
いりがたの みぎり〔右〕左に かをるなり 梅やなごりの 在明の月
022
井邊梅
影うつる 水もぬるみて 山の井の〔「淺く」の序〕 淺くはあらぬ 梅が香ぞする
023
川落梅
梅津川 うきて流るゝ 瀬を見れば 末くむ里〔下流を汲む里〕ぞ うらやまれぬる
024
梅をうゑて鶯をまつ
たちならぶ 松に〔「松」に「待つ」を云ひ懸く。一本「まつと」〕つげばや 鶯の 宿にと〔拾遺集卷九雜下「勅なればいとも畏し鶯の宿はと問はばいかゞ答へむ」〕植ゑし 梅さきにけり
025
柳
山里の 柳のめにも 見ゆるまで ほのめきわたる 春のいろかな
026
岸柳
かげうつる 岸の柳の かた絲は 波によらせて 見るべかりけり
027
霞中柳
青柳の 絲こそ長く なりにけれ 野邊の霞に たなびかれつゝ
028
古郷柳
ひとむらの 煙と見しは 故里の むかしの門の 柳なりけり
029
よし水の鐘のひゞきけるに
吉水の 鐘ひゞくなり いざわれも かすみに苔の 衣くらべせむ
030
圓光大師〔僧源空、姓は漆氏、美作國の人。建暦二年正月二十五日に年八十歳で歿した。〕の六百年の御忌に
百年も む月〔正月〕の末の いつかとて 待ちしみ法に あふぞうれしき
031
春月
木のもとの 花のみ雪を 枕にて 春の夜寒き 月を見るかな
032
きえ殘る ゆきの玉みづ おとづれて〔音なひて〕 花なきさとの 春の夜の月
033
山春月
ぬえ塚の 榎のこずゑ ほの見えて〔ほのかに見えて〕 粟田の山に かすむ夜の月
034
河春月
とけわたる 冰にそひて 春の夜の 月もながるゝ 井出の玉川
035
夕春月
有明の かすみに匂ふ あさもよし きさらぎ頃の 夕月もよし
036
古郷春月
志賀山や むかしの花の 面影も おぼろにうかぶ 春の夜のつき
037
春雨
つれ\〃/と 寂しきものの 嬉しきは 花まつ宿の 春雨の頃
038
夜春雨
ふかき夜を 思ひねざめの 春雨は 音をきくにも ぬるゝ袖かな
039
朝春雨
音もせず 降るとも見えぬ 朝じめり〔朝雨〕 枝おもげなる 青柳の絲
040
軒春雨
つれ\〃/と 春のながめの 手すさびに〔手遊びに〕 結びて〔「掬びて」を云ひ懸く。〕流す 軒の絲水
041
歸鴈
かり〔「假」に「鴈」を云ひ懸く。〕の世を 思ひつらねて 詠むれば 天のはら\/〔「天の原」に「はらはら」を云ひ懸く。〕 ちる涙かな
042
夕歸鴈
いくつら〔幾列〕か 行方も見えず 夕霞 ねたくも〔恨めしくも〕かりの 聲ばかりして
043
夜歸鴈
梅が香に 枕もとらで ふくる夜の 空に鳴きゆく 春の鴈がね
044
初午詣
いなり山 杉の下枝は 昔にて けふ初午の いへづとぞこれ〔家苞ぞ是れ〕
045
二月ばかり比叡の坂本にて
ふき流す 横川のみねの 春風に かすみのみを〔水脈〕の 淀む瀬もなし
046
菫
春日野の そのはらから〔同胞〕の 小むらさき 昔すみれの〔「昔住みし」を云ひ懸く。〕 名殘なるらむ
047
蝶
うかれきて 花野の露に 眠るなり こは誰が夢の 胡蝶なるらむ〔莊子齊物論に「昔者莊周夢爲2胡蝶1。」と見える。〕
048
三月三日
この殿に けふ咲く花は いく春の もゝよろこび〔「桃喜び」に「百代」を云ひ懸く。〕の 始めなるらむ
049
待花
花をまつ 人のこゝろや 雲となりて 山の端ごとに 立ちまよふらむ
050
ひがし山 花まつ頃の 朝ぼらけ〔夜明け方〕 かすみに匂ふ 鐘のおとかな
051
二月や いまかさくら〔「今や咲くらむ」を云ひ懸く。〕の 木の本に いほりしをれば 春雨ぞふる
052
花
いちじろく〔いちじるしく〕 匂へるものを 櫻ばな 雲か雪かと 何まがふべき
053
眞盛りの 花の陰にて のむ酒は 散るとないひそ〔散ると云ふな〕 あえ〔肖かり〕(*あやかり)もこそすれ〔「ば」を補ふ。〕
054
花のころ嵐山にまかりて
身をかへし〔生まれ替つた〕 心地こそすれ うき世には あらし〔「あらじ」に「嵐」を云ひかく。〕の山の 花の曙
055
花のころ旅にありて
宿かさぬ 人のつらさを なさけにて〔却つて情にして〕 朧月夜の 花の下臥
056
山花
うかれこし 春の光の ながら山〔「光の長い」に「長良山」を云ひ懸く。〕 花にかすめる 鐘のおとかな
057
名所花
さがの山 みねにも尾にも 櫻ばな 松もにほひ〔光澤のある輝き〕に 埋みけるかな〔一本「埋もれにけり」〕
058
社頭花
野の宮〔齋宮になるべき皇女の齋戒のため籠られる宮〕の 春の手向の しらゆふ〔白木綿〕は 榊にまじる 櫻なりけり
059
曉花
あけぬるか ほの霞みつゝ 山の端の 昨日の雲は 花になりゆく
060
海邊花
春霞 たつのみや人〔「立つ」に「龍の宮人」を云ひ懸く。〕 いでて見よ 磯やまざくら いまさかりなり
061
落花
うらやまし 心のまゝに 咲きてとく〔疾く〕 すが\/しくも 散る櫻かな
062
故郷落花
志賀山や 花の白雲 はら\/と 古きみやこ〔千載集卷一春上「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山櫻かな」〕の 春ぞ暮れゆく
063
古寺落花
いまはとて 春もはつせ〔「果つ」に「長谷」を云ひ懸く。〕の 山風に のこりかねたる 花の白雲
064
たづねこし 櫻は雪と ふるさと〔「降る里」に「古里」を云ひ懸く。〕の 志賀山寺の 春のゆふ暮
065
曉落花
明けぬるか すゞろ寒しも〔何となく寒いな〕 散る花の 雪にのこれる 月もしらみて
066
風なうして花のちる
おのづから 風もなぎさ〔「渚」に「無き」を云ひ懸く。〕 (*「凪ぐ」か。)の 森の名の たのむ木陰に ちる櫻かな
067
蛙
ちる花を 手にとらむとや〔取らうとてか〕 とび入りて 水にたゞよふ 蛙なるらむ
068
春山家
うまい〔熟睡〕して 蝶の夢見む 菜の花の まくらにかをる 春の山里
069
すむやたれ〔住むや誰〕 梅が枝うたふ 聲すなり この山かげの 霞がくれに
070
春風
春風は まだ寒けれど 梅が香に 窗のさうじ〔障子〕も さされざりけり
071
春鳥
春寒み〔春が寒いので〕 榾火〔榾を焚く火〕にねぶる 山賤の 夢おどろかす うぐひすの聲
072
あけやらで〔一本「あけやらぬ」〕 まだ夜をかけの〔夜にかけてと鷄(カケ)とをかく。〕 初聲や 春知る鳥〔鶯のこと〕(*ママ)の はじめなるらむ
073
春獸
梅が香に ささぬ〔閉さぬ〕外の面を から猫の 忍びてすぐる 夕月夜かな
074
花さかぬ 山の奧まで 風なぎて〔靜まつて〕 おぼろ月夜に ましら〔猿〕なくなり
075
昔の春を慕ふ
故郷の 垣根のわらび 折々に ゆきてむかしの 春やしのばむ
076
暮春浦
浦の名の〔備後國の長井浦を長居と云ひ懸けたのであらう。〕 長居やすると 來て見れば こゝにも春は 止らざりけり
077
暮春里
奧山の 花のしら雪 ながれ來て 春のすゑくむ 川づらのさと
078
春祝
青柳の なびくを見れば 末ながき 御代のはじめの 春の初風
夏部
079
首夏水
散る花に かけし心の しがらみ〔水流を堰くために木や竹を杙にからみつけたもの。〕も 夏になるせ〔「夏になる」に「鳴る瀬」を云ひ懸く。〕の 音のすゞしさ
080
新樹露
夏に今朝 ならしの岡〔「なるらし」に「ならしの岡」を云ひ懸く。〕の ならがしは くぼて〔柏の葉を十枚重ねて綴ぢて作つた盤で中の凹んだもの。〕にあまる 露の涼しさ
081
新樹月
日をさへし〔障へし〕 葉がくれ庵の うれしきは 少しもりくる 夕月のかげ
082
卯花
わが宿の 垣根ばかりに ありあけの 月と見るまで〔月だと見える程まで〕(*古今集冬「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」) さける卯の花
083
夕卯花
卯の花の さける垣根の 夕しめり 山ほとゝぎす 一こゑもがな〔一聲でも聞きたいな〕
084
垣卯花
世のうさを 隔つる垣の 卯の花〔「世を憂い」といふことを「卯の花」の「う」に云ひ懸けることは古來常例であつた。〕は 嬉しきかたの〔嬉しい方の〕 う文字ならまし
085
古宅卯花
ゆひ捨てし 垣ねながらの〔垣根のまゝの〕 卯の花は たが隱れがの 名殘なるらむ
086
牡丹
草の名の はつかに〔僅かに〕咲きし 其の日より 二十日ふれば〔詞花集卷一春「咲きしより散り果つるまで見し程に花の本にて二十日經にけり」とある。牡丹のことを二十日草とも云ふ。〕や はつか殘れり
087
尋時鳥
尋ねきて 見し花よりも つれなきは 春のしをり〔しるべ〕の 山時鳥
088
杜宇一聲
朝風に 露とちりくる 一聲は かをる端山の やまほとゝぎす
089
山時鳥
日は暮れぬ 宿かせ山〔「宿貸せ」に山城國の鹿背山を云ひ懸く。〕の ほとゝぎす 明日はみやこへ つれていでまし
090
森杜鵑
夜をのこす けしきの森〔大隅國〕の 時鳥 青葉がくれの 露に鳴くなり
091
時鳥 なきて過ぎゆく かた岡の 杜〔近江國か。〕の梢ぞ ながめられける
092
里時鳥
岡ざきの さと〔山城國〕の寐覺に きこゆなり 北白川の やまほとゝぎす
093
いつとなき ときはの里〔山城國〕は 時鳥 しのぶ初音に 卯月〔四月の異稱〕をや知る
094
月前杜宇(*時鳥)
一聲は 忍びかねてや もらすらむ 月もかたぶく 山ほとゝぎす〔千載集卷三夏「時鳥鳴きつる方を眺むればたゞ有明の月ぞ殘れる」〕
095
雨後郭公
雨はるゝ あを葉の露を うち羽ぶき〔羽を打ち振り〕 やま時鳥 なくゆふべかな
096
杜鵑數聲
まちわびし うらみも今日は なつ木立〔「夏」に「無」を云ひ懸く。〕 しげくも名のる〔鳴くことを云ふ。〕 山時鳥
097
山王祭〔比叡山の日枝神社の祭〕のかへさ志賀の山越にて
朝風に うばら〔茨・薔薇〕かをりて 時鳥 なくや卯月の 志賀の山ごえ
098
五月祝
菖蒲ふく 五月の玉の をのこ子〔男の兒〕や ながき根ざしの 始めならまし
099
五月五日賀茂のくらべ馬〔競馬〕を見て
おくれそね〔遲れるな。一本では「遲るなよ」とある。〕 かけよ\/と 神山〔賀茂神社のある所を云ふ。〕の ほとゝぎすさへ 鳴き渡るなり
100
野外螢
草の名〔思ひ草を云ふ。〕の 思ひのはては 朽ちてだに〔朽ちてでも。禮記には季夏の月に腐草が化して螢となると見える。〕 野邊の螢と もえわたるらむ
101
罌麥(*瞿麥=ナデシコ。〔比〕罌粟=ケシ)露
衣手〔袖〕に みだれてかゝる 朝寢髪 かきなでしこ〔「掻き撫で」に「撫子」を云ひかく。〕の 花のしら露
102
月前水鷄
ゆふ月夜 ほのかに見ゆる 小板橋 したゆく水に くひな鳴くなり
103
月下水鷄
門ごとに 叩く〔水鷄の鳴き聲は叩くやうに聞える所から水鷄の鳴くこと。〕水鷄は たのまれず うはの空なる 夕月のかげ
104
月にかはほり〔蝙蝠〕とぶかた
軒近き 柳になびく かはほりの 影なつかしき 薄月夜かな
105
湖邊納涼
すゞみ舟 よするかた田〔「寄する方」に「片田」を云ひ懸く。〕の うら風に 月もゆらるゝ 波のうへかな
106
茶摘のかたに
このめ〔木の芽、茶〕つむ 野邊におちくる 一聲は 世をうぢやまの〔世を憂く思ふ意味を云ひ懸く。〕 時鳥かな
107
卯月ばかり愛宕山〔山城國愛宕郡〕にまうでて
法の師の おこなふ〔勤行する〕袖に 薫るなり しきみが原の つゆの朝風
108
茄子のかたに
よの中に みのなりいでて 思ふこと なす〔「茄子」に「成す」を云ひ懸く。〕はめでたき 例なりけり
109
蓮
露ならで〔露でなくては〕 月のやどりも なかりけり 蓮にうづむ 庭の池水
110
夏野
たちよらむ 陰もなつ野〔「夏野」に「無」が云ひ懸けられてある。〕の 草むらに 露を求めて とぶ胡蝶かな
111
夏山家
いはつたふ(*いはづたふ、か。) 清水すゞしき 山陰の はがくれ庵に すむ人やたれ
112
夏旅
里の子が 機おる音も と絶えして 晝寢のころの 暑き旅かな
113
水無月晦日に
ひとの世も 上中下と 川の瀬に〔古事記によると、伊弉諾尊は橘小門の檍ヶ原(*アワキが原)で上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱しと語りて先づ中つ瀬に降りて身を滌がれたといふ。〕 こゝろ\〃/の 御祓すらしも
114
こひせじの それにはあらで 涼しきは 神のうけひく 鴨の川風〔伊勢物語に「戀ひせじと御手洗河にせし身そぎ神は受けずもなりにけるかな」〕
115
夏祝
日にそへて めでたきふし〔竹の節を云ひ懸く。〕や 數ふらむ 千代〔「代」に「竹のよ」を云ひ懸く。〕をこめたる 宿の若竹
秋部
116
初秋
朝風に 川ぞひ柳 散りそめて 水のしらべ〔水の流れる調べ〕ぞ 秋になりゆく
117
初秋月
散りそむる 桐の一葉(*『淮南子』の表現から「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という着想が生まれた。)の 露の上に 寐ざめ夜深き 月を見るかな
118
七夕琴
琴の音の 嬉しきすぢに きこゆなり 棚機つめ〔織女星。七月七日夕は天の川を渡つて牽牛星に逢ふと云はれる。〕に あえ〔肖かり〕やしつらむ
119
七月七日の夕さり〔夕方〕
年を經し 苔の衣〔僧侶の衣〕は 朽ちはてて 星〔織女星〕にかす〔貸す〕べき 片袖もなし
120
朝顔
雲まには まだあり明の(*実景であると共に、「月くさ」〔露草〕の序。) 月くさに さきまじりたる 朝顔の花
121
野草花
敷くも惜し まく〔捲く〕も惜しきを 秋草の 花の筵は のべ〔「延べ」に「野邊」を云ひ懸く。〕ながら見む
122
十六日の夜かも川にまかりて
おくり火〔死者の靈を送る爲に焚く火〕の ほ影しらみて 鴨川の ぼに〔盆、盂蘭盆〕の月夜ぞ あはれなりける
123
古郷薄
いにしへの 秋にかへれと 招くらむ 荒れたる宿の 篠の小薄
124
尾花
むれたちて 人くと見しは〔羣れ立つて人が來ると見えたのは〕 秋風に 尾花が袖の なびくなりけり
125
霧
たちそめて 外山〔外側の山〕になびく 薄霧や まだいりたたぬ 秋しのの里
126
川霧
さしのぼる 朝日の山も 麓には なほ夜を殘す 宇治の川霧(*「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」の類想歌。)
127
田霧
小山田の 霧の中道 ふみわけて 人くと見しは 案山子なりけり
128
山家霧
くずかづら〔葛蔓。「繰る」を云ひ起す序。〕 くる人もなき 垣根より 霧立ちのぼる〔新古今集卷五秋下「村雨の露もまだ干ぬ槇の葉に霧立ち上る秋の夕暮」〕 秋の山里
129
山路霧
法の師の 山わけ衣〔山路を分け行く時に著る衣〕 そぼ濡れて〔潤ひ濡れて〕 霧に聲ある 峯の松風
130
鈴蟲
みをよする 尾花がすゑの 秋風に ゆられてなくか〔鳴くかな〕 鈴蟲のこゑ
131
月前蟲
山里の 壁の破間の きり\〃/す 月もこゝより させよとぞ鳴く
132
羇中蟲
月しろき 薄のほや〔薄の穗で葺いた家〕に 蟲なきて たび寐うからぬ〔憂くあらぬ〕 片しきの袖〔獨寢の袖〕
133
社頭蟲
松風は あきをしらべて 野の宮の しめのうちなる 鈴蟲のこゑ
134
秋月
いにしへを 月にとはるゝ 心地して ふしめがちにも なる今宵かな
135
八月十五夜
もち潮〔滿潮〕の さし出の磯(*「さし出の磯」は岬)に さし出でて 月の光も 滿ちてけるかな
136
をかざきの 月見にきませ〔いらつしやい〕 都人 かどの畑いも 煮てまつらなむ〔さし上げたい〕
137
海上月
ものゝふの(*「八十」「矢」等を導く枕詞) 八島の浦の 夕波〔一本「夕汐」〕に ながれもあへぬ 弓〔源義經が平家を屋島に討つた時に弓をとり落して流したが、弱い弓なのを恥ぢて拾ひ上げたといふ話が平家物語に見える。〕はりの月
138
海邊月
言のはの 玉ひろはばや 秋の夜の 月にあかし〔「明し」に「明石」を云ひ懸く。〕の 浦づたひして
139
野月
野に山に うかれ\/て 歸るさ〔歸途〕を 閨までおくる 秋の夜の月
140
名所月
むさし野の 尾花が末に かゝれるは 誰がひきすてし 弓張の月
141
閑居月
身一つの 外にくまなす〔隈をつくる〕 ものもなし 月さしいるゝ〔一本「月のさし入る」〕 淺茅生の宿
142
月の笠きたる夜すゞろあるきして
月のきる 笠〔月の暈〕の雫や おちつらむ よるゆく袖に かゝるしら露
143
月のあかき夜
山里に ひとりも月を 見つるかな 夜よしとまたむ 人〔古今集卷十四戀四「月夜よし夜よしと人に告げやらば來てふに似たり待たずしもあらず」〕もなければ
144
山中の里にて夕さり鎌とぐ男あり
山賤が あすのいそぎに とぐ鎌の ひかりに似たる 夕月の影
145
越〔北陸地方の總稱〕の人の秋はこむといひて音もせざりける頃月のあかき夜思ひいでて
月見むと 契りしものを 遠つ人 かりはくれども 言づてもなし
146
擣衣
から衣 うつ音きけば 袖の露 くだけて〔「心が碎けて」を云ひ懸く。〕ものの 思はるゝかな
147
里擣衣
川浪の よる\/〔「寄る\/」に「夜々」を云ひ懸く。〕ごとに 衣うつ 音羽のさと〔山城國〕の 秋ぞさびしき
148
名所擣衣
夜な\/に うちこそまされ〔打ち勝る〕 から衣 ころも(*「衣」に「頃も」を通わせる。「うち」とは縁語。)ふけゆく 秋篠の里
149
月前擣衣
こぬ人を した待つ〔心の中に待つ〕里や 宵すぎて 月も夜よしと 衣うつらむ(*月の模様を詠むか。)
150
隔夜擣衣
唐衣 うつ夜うたぬ夜 隔つるや せこがなきまの〔夫のゐない間〕 すさびなるらむ
151
菊
しら菊の 枕にちかく かをる夜は 夢もいくよの 秋かへぬらむ
152
九月九日ひとりごとに
つむごとに 若ゆ〔若復る〕ときくの 花〔「聞く」に「菊」を云ひ懸く。菊花を支那では延壽客と云つた。〕の數 かさねていとゞ〔一層〕 みの老いぬらむ〔一本「老いにけむ」〕(*「らむ」は原因推量か。疑問語を補う。)
153
紅葉
大空に たが手むけつる 幣ならむ 風も紅葉の 色になるまで〔千載集卷五秋下「もみち葉を關守る神に手向け置きて逢坂山を過ぐる木枯」〕
154
名所紅葉
一枝も 手をらばうけむ とがの尾〔「栂の尾」に「咎」を云ひ懸く。〕の 落葉はゆるせ 秋の山もり
155
紅葉透霧
もみぢ葉の 錦の上に かけてけり 遠山ひめの 霧のうすぎぬ
156
古戰場紅葉
たゝかひし 太刀の血潮は 秋深き 紅葉にみする み吉野の山
157
秋夕
たゞならず〔普通でなく〕 聞きなされけり 尾花ちる 秋の野寺の 入相のかね
158
秋山
はら\/と 落つる木の葉に まじりきて 栗のみひとり 土に聲あり
159
秋田
雨そゝぐ 秋の山田の 夕暮は 案山子のほかに 立つ人もなし
160
秋山里
栗ひろふ うなゐはなり〔髫髪放りに髪をした子供〕(*おかっぱ頭〈の少女〉)に ことづけて〔云ひつけて〕 酒かはせまし 秋の山里
161
軒ちかき 萩が花妻 したひきて 男鹿なくなり 秋のやまざと
162
秋風
露にふく まくずが原の 秋の風 うらがなしくも〔心悲しくも。「うら」に「葛の葉の裏」を云ひ懸く。〕 おもほゆる〔思はれる〕かな
163
故郷秋風
つら杖〔頬杖〕を つく\〃/〔「衝く\/」に「熟々」を云ひ懸く。〕ひとり ふる里の(*「経る」と「古里」を掛ける。) よもぎが末に なるゝ秋風
164
水郷秋雨
夕づく日〔夕日〕 入江の松に かげろひて 名殘さびしき 秋の村雨
165
秋涙
空は鴈 くさには蟲の なく聲に なみだの露の 結ぼほれつゝ
166
暮秋
身にしみて 秋の別れを をしほ山〔「惜し」に「小鹽山」を云ひ懸く。〕 もみぢかつ散る 木がらしの風
167
暮秋蘭
うらがるゝ〔枝葉の枯れる〕 秋の末野の 藤ばかま 匂ひばかりは やつれざりけり
168
大原にすまひしける頃
谷川の 水の音すみて 更くる夜の 月のあはれは おほはらの里〔「大原の里」に「多い」を云ひ懸く。〕
169
秋のころ西賀茂にものして
旅ならぬ 枕のくさに 蟲なきて 秋あはれなる わがいほりかな
170
大佛のほとりに住みける頃
秋さむみ 小雨そぼ\/ ふる寺〔「降る」に「古寺」を云ひ懸く。〕の 火かげさびしき 夜のけしきかな
171
秋のころ旅にありて
月清み 垣ねにすだく〔集まる〕 蟲の名の すゞろ〔何となく〕寒しも〔「も」は感動の助詞〕 夜や更けぬらむ
172
うづまさ〔京都の地名〕の牛祭見にまかりて
夜はふけぬ 歸さは遠し よしやこの 鬼の住家に 宿やからまし
173
秋の末つかた山寺にこもりて
山ぶし〔山に臥すこと〕の 夜霧にぬれし 苔衣〔僧侶の衣〕 そでかわくまで 嵐ふくなり
174
風荒きあした
夜もすがら さやぎ〔騷ぎ〕\/て のら萩〔野萩〕の 露も結ばぬ 朝ぼらけかな
175
秋祝
小山田の ひた〔引板、鳴子板〕のかけ繩(*「うちはへて」〈引き延ばして・あたり一面〉を導く序詞。実景の描写も兼ねる。) うちはへて〔延ばし張つて〕 煙にぎはふ〔炊事の煙の饒はふ〕 御代の秋かな
冬部
176
初冬
山里の かけひの水に ながれきて 昨日の秋を 見するもみぢ葉
177
みついつゝ〔三つ五つ〕 おち殘り〔一本「とまり」〕たる 山柿の 梢にあきの 色を見るかな
178
初冬霜
おきていにし〔殘して去つた〕 秋のかたみの 露もけさ 霜になりゆく 淺茅生の宿
179
初時雨
そめあへぬ〔時雨が紅葉を染めきれない〕 紅葉のかげに まちつけて けふは嬉しき 初時雨かな
180
時雨
うらがるゝ 淺茅の末に ひろ〔尋、一尋〕ばかり 日影〔日光〕のこりて ふる時雨かな
181
浦時雨
沖つ波 たちゐにつれて 幾たびか 阿漕が浦〔伊勢國。新千載集卷十一戀二「いかにせむ阿漕が浦に袖濡れて積むや鹽木のからき思ひを」〕に 降るしぐれかな
182
落葉
山風に この葉みだれて 古寺の 垣根にうすき 夕づく日かな
183
閑居落葉
散りつもる 木の葉の山を 隔てにて いとゞうき世に 遠ざかり行く
184
海邊落葉
あづさゆみ(*枕詞。「射る」の連想から「い」を導く。) 磯山もみぢ 散りにけり たつの都〔龍宮〕も 錦ほすらむ(*ほすらし)
185
神無月のころ嵐山にまかりて
もみぢ葉を 川のこなたに 吹きよせて 山は嵐の 音のみぞする
186
もみぢ葉おほくかきあつめたるかたに
塵塚と いひなくたしそ〔云ひくさすな〕 もみぢ葉の 錦をたゝむ から櫃〔脚と蓋のある櫃〕ぞこれ
187
紅葉のころ宇治にまかりて
橋姫の もみぢがさねや かりてまし 旅寢はさむし 宇治の川風〔古今卷十四戀四「さ筵に衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」橋姫とは宇治橋附近の遊女。〕
188
嵐
かげたのむ 一木の松(*「ひときの松」は一本の松の木)の 梢より あまりて閨に 吹く嵐かな
189
枯野
霜がれて Kみし果てぞ あはれなる いづら〔いづれ〕ねよげに〔「根よげに」に「寢よげに」を云ひ懸く。〕 見えし若草
190
冰
厚冰 くだきしあとの 見ゆるなり 山した清水 くむ人やたれ
191
湖冰
函根山 あけなば富士の かげ見むと 思ひしうみは 冰ゐにけり〔冰が張つたことだ〕
192
風わたる 堅田の浦の 捨小舟 ながれもあへず こほりゐにけり
193
初霜
まねきつる 尾花が袖も うらがれて 拂ひかねたる けさの初霜
194
朝霜
道のべの ゆざゝ〔多數の笹の意味と云ふ。萬葉集卷十に「甚だも夜更けてな行き道の邊のゆ笹が上に霜の降る夜を」〕はだれに〔はだらに降つた雪。萬葉集卷十に「笹の葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむと云へばまして思ほゆ」〕 おく霜を 朝蹈みわけて 行くは誰が子ぞ
195
名所霜
千鳥なく 加茂川づゝみ 月更けて 袖におぼゆる〔感ずる〕 夜半の初霜
196
冬のあした岡崎の里にて
冬畑の 大根のくきに 霜さえて 朝戸出〔朝戸を出ること〕さむし 岡崎の里
197
冬月
夜もすがら 吹きさらしたる 河風に しらけて寒き 有明の月
198
窗前冬月
霜かとて はらへど白き さむしろ〔さ筵、敷物。「さ」は接頭語。さ夜の「さ」に同じ。〕は 窗もる月の 影にざりける〔影にぞありける〕
199
名所寒月
加茂川の 霜夜の月は 夜もなほ 布さらすかと 見わたされけり
200
海邊寒月
沖とほく 弓はり月の かげ更けて ひき汐〔干潮〕さむき 浦の松風
201
千鳥
もしほぐさ〔藻鹽をとる爲の海草〕 敷津の浦〔攝津國〕(*「敷津の浦」に「敷く」の意を掛ける。)の あさ霜に あとを殘して たつ千鳥かな
202
霰
木枯の ふきかたまけし〔傾けし〕 柴の戸を さしもひまなく〔「鎖しも」に「然しも」を云ひ懸く。〕 うつ霰かな
203
水上霰
舟ばたに 風の礫と〔礫となつて〕 うちつけて 水にはかろき たま霰かな
204
山家霰
やま里の あやしのまど〔粗末な窗〕の 紙さうじ〔紙障子〕 かぜの礫と 打つ霰かな
205
旅中霰
旅びとの かづく〔被る〕一重の ひのき笠〔檜製の笠〕 うちぬくばかり ふる霰かな
206
水上雪
川風に 散るかと見れば かつ消えて めにもたまらぬ〔目にも留らぬ〕 水の沫雪
207
海邊雪
たちかへり 難波菅笠(*「なにはすががさ」は難波で産する菅で編んだ笠) きて〔「著て」に「來て」を云ひ懸く。〕も見む 雪おもしろき 淡路島山
208
名所雪
夜嵐も (*松の嵐も雪に)うづもれはてて 白鳥の〔「とば」の枕詞。萬葉集卷四に「白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が戀ひ渡る此の月ごろを」〕(*「白鳥の」が「飛ぶ」に係るところから。) とばやま松に つもる雪かな
209
雪の降りける日
かれ殘る 畑のわた木に つむ雪の 消えずば〔消えずあるものならば〕とりて 絲にひかまし
210
寒夜
北窗の 風にやれたる〔破れた〕 古すだれ め(*破れ簾の目と「目も合はず」を掛ける。)もあはぬまで 寒き夜半かな
211
冬風
かげうすき 冬の日かげの 干菜寺(*干菜は軒先で大根や蕪を干したものをいう。) さやぐ〔騷ぐ〕も寒し 野べの夕風
212
冬河
大井川〔山城國。大堰河とも記す。〕 きしのゐぐひ〔堰杙〕に むせぶなり 山の嵐の 末の白なみ
213
冬夢
埋火に 寒さ忘れて ねたる夜は すみれ摘む野ぞ 夢にみえける
214
冬獸
毛衣の ぬるゝにたへぬ 子狐や 霙ふる夜を なき明かすらむ
215
身をよせし 尾花は枯れて 廣き野の 霜夜の月に 狐なくなり
216
里神樂
時守〔時を司り報ずる者〕の 鼓の外に きこゆるは 月もよし田(*「月も良し」と「吉田」を掛ける。吉田は京都市左京区。吉田神社がある。)の さと神樂かも
217
鈴の音の 身にしみわたる さ夜神樂 衞士〔仕丁〕のすさびぞ 羨まれける
218
信樂の里〔近江國〕に冬ごもりして
夜嵐の つらさの果ては 雪となりて おきて〔起きて〕榾〔木片〕たく しがらきの里
219
さむき夜ひとりふして
寒き夜の 月のみとふの 菅ごも〔「問ふ」(*訪ふ)に「十布」を云ひ懸く。袖中抄(*顕昭)に「陸奧の十ふの菅菰七ふには君を寢させて我三ふに寢む」〕の 三布に七布に 一人かも寢む
220
冬の夜嵯峨にやどりて
大井川 ゐせきの浪の 音ふけて 冬のさが野の 月のますごさ〔「ま」は接頭語。一本には「さむけさ」とある。〕
221
煤を拂ひて
うつばり〔梁〕の 煤も心の ちりひぢ〔塵と泥〕も はらひて清き 年の暮かな
222
初めて田舍にすみける年の暮に
柴の戸に おちとまりたる 樫の實の〔ひとりの枕詞〕(*実景を兼ねる。) ひとりもの思ふ 年の暮かな
223
歳暮
春秋は いめ野〔夢野。攝津國〕の小ざゝ 霜をへて 一夜二夜と(*「夜」に「節」を掛ける。) なりにけるかな
224
歳暮月
ひきかへす(*弓を「引く」と「引き返す」〈もとに戻す〉の意を掛ける。) ものにもがもな〔ものであればいいがな〕 老いくれし(*「老いくる」〈年寄りじみる〉と年が「暮る」の意を掛ける。) 師走〔十二月の異稱〕の末の 弓張の月〔上弦・下弦の月。それに腰の曲つたことをも云ふ。〕
225
歳暮雪
めせ\/と(*炭を召せと) 炭うる翁 こゑ涸れて 袖に雪ちる 年のくれかた(*暮れ方)
226
老後歳暮
幾つ寢て 春ぞとまちし〔一本「折りし」〕 および〔指〕より 身のかゞまれる 年の暮かな
戀部
227
春戀
つみすてし 人の心の からなづな〔唐菘。「辛き」の序〕(*「唐薺」の「唐」は美称という。) からき思ひに 燃ゆる頃かな
228
夏戀
夏木立 しげきおもひの 筑波山 わけまよふ身の はてを知らばや〔知りたい〕
229
秋戀
うちとけて いつかは人を みわの山〔「見む」に「三輪山」を云ひ懸く。〕 しるしの杉〔大和國の三輪山は杉の木で昔から名高い。〕も 秋風ぞ吹く
230
冬戀
來ぬ人を まつ夜の胸の あつ衾〔「熱い」に「厚衾」を云ひ懸く。衾は布團。〕 ひきかづけども〔引被れども〕 寐られざりけり(*「來ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」の類想歌。)
231
戀は道心を妨ぐといふを
いつの間に 袖の雫と なりにけむ わけこし〔分けて來た〕法の みちしばの露
232
後朝戀
かりそめに みしや夢野の〔「見た夢」を云ひ懸く。〕 草枕 つゆのみ〔涙の露ばかり〕袖に なほのこりつゝ
233
寄關戀
人しれず ゆき逢坂は〔「行き逢ふことは」を云ひ懸く。清少納言の歌に「夜を籠めて鳥のそら音は謀るとも世に逢坂の關は許さじ」〕 ゆるされて たつ名ばかりの 關守もがな〔立つ浮名だけ堰き止める關守があればいいがな。〕
234
寄風戀
こぬ人を まつ〔「待つ」に「松」をかく。〕の梢に 月はいりて 戀をせめくる 風の音かな
235
寄瓜戀
なる瓜の〔「なりも」の序〕 なりもならずも しらま弓〔「知らず」に「白檀弓」を云ひ懸く。〕 ひきこゝろ見む 人の心を
236
寄衣戀
われしらじ〔一本に「わが知らぬ」〕 せこ〔夫〕の袂の 綻びは ひきけむ人ぞ〔引いた人が〕 縫ふべかりける
237
寄紅葉戀
木の間より ほの見し〔ほのかに見た〕つゆの〔ちよつとの〕 薄紅葉 思ひこがるゝ 始めなるらむ〔一本「なりけり」〕
雜部
238
山
いちじるき 神のみいつ〔稜威〕の 雄徳山〔男山。石清水八幡宮〕 しらべもたかき 峯の松風
239
川
世の中の ちりも濁りも ながれては 清きにかへる かもの川波
240
峯上雲
かぐ山〔大和國の香具山〕や 峯の榊に なびくなり 風のかけたる 雲のしらゆふ〔白木綿。榊にかけるもの。〕
241
松風入簾
つまごと〔爪琴〕の りち〔律。音楽の調子に律と呂とあるので斯う云ふ。〕のしらべに 通ひきて 聲おもしろき 軒の松風
242
山家
山里は 松の聲のみ ききなれて 風ふかぬ日は 寂しかりけり
243
瀧の音 みねの嵐も 聞きなれて 朝い〔朝寢〕するまで なりにけるかな
244
山家月
山里の 老が寐覺を とふものは 二十日あまりの 有明の月
245
山家嵐
山がらす ねぐらしめたる〔占めた〕 我が宿の 軒端のまつに 嵐ふくなり
246
古寺水
古寺の 岩もる〔岩を洩れる〕清水 たえ\〃/に のこるみ法〔佛法〕の 聲かとぞ聞く
247
幽居
山水も すめばすまるゝ ものならし〔物なるらし〕 垣根の大根 軒のいけ栗(*枝栗か。)
248
夜旅
松ともし〔焚松を燃やし〕 越えゆくかたや 旅びとの おひたる太刀の さやの中山〔「太刀の鞘」に「小夜の中山」を云ひ懸く。〕
249
夕旅
山路ゆく 旅のゆふべの 友がらす こよひも雲に 宿やからまし〔借りるだろう(*か)〕
250
酒
味酒の〔(*「神酒」の意から)「三輪」の枕詞〕 みわの過ぎずば〔酒が過度でないならば。これに「三輪の杉」を云ひ懸く。〕 これぞこの 不老不死の くすりならまし
251
心
うつりゆく はじめも果ても しら雲〔「知らぬ」を云ひ懸く。〕の あやしきものは 心なりけり
252
K
年を經し くりや〔臺所〕の棚に くろめるは〔Kくなつてあるのは〕 煤になれたる 佛なりけり
253
市
しかま人〔播磨國飾磨の人。この地方から染め出す紺色は飾磨褐(かち)とか飾磨紺とか云つて昔から名高いもの。〕 おのが手染を あながちに〔強ひて〕 聲ふり立てて 賣らむとすらむ(*原因推量の用法か。)
254
古戰場
戰の むかしの場〔古戰場〕に 緒〔兜の締め緒〕をしめて かぶとは艸の 名にのこりけり〔これは兜菊のことを云ふのであらう。〕(*トリカブト)
255
幽靈
おき暗き うき世の外が 濱〔陸奧國〕風に きえぬ鬼火や 夜たゞ燃ゆらむ
256
旅にありて
かへり見る 遠山眉に〔遠い山が眉のやうにだん\/細く見えて行くことを云ふ。〕 ひきそひて ほそくなりゆく 旅ごゝろかな
257
天保山〔攝津國大阪〕に旅寐して
蜑の屋に 焚きほだれたる(*未詳。「火垂れたる」か。) 芥火の かたはら臥しぞ 旅はわびしき
258
瀬田のほとりにて
潮ならで〔鹽でなくして〕 やくか蜆の からき(*「塩辛い」に「つらい」の意を掛ける。)世を わたるおもひ〔「ひ」に「火」を云ひ懸く。〕の 煙ならまし
259
宇治橋のほとりにて
しる知らぬ 昔をかけて(*昔と比べる意に、橋を「架ける」意味を含む。) あはれなり 世をうぢ橋の(*世を「憂し」と「宇治橋」との掛詞。) 夕月のかげ
260
守山〔近江國野洲郡〕の驛に旅人多くあつまりてくひたるゑに〔繪に題する歌〕
大御代は にぎひ〔饒はひ〕たらひて 旅ながら けにもり山〔笥(け)に盛りを守山に云ひ懸く。〕の すが〔「菅」に「清(すが)」を云ひ懸く。〕(*山菅の縁で繋がるか。)のしら
261
夜舟といへるにのりて難波に下りける時
川舟の さす手ひく手〔舞の手の名〕(*棹の動きを舞の手に見立てた。)を 見流して 月にかち行く〔徒行く〕 ひらかた(*枚方)の里
262
旅人夕にいそぐ
暮近み〔暮が近いので〕 はたご〔旅行用の雜物を入れる行李のやうなもの〕おもげに 足引の(*枕詞に「足を引きずる」意を通わせたもの) 山しな(*山科)過ぐる をちの旅人
263
山しなの袖くらべ(*地名か。)にて
我ばかり〔私ほど〕 やつれし(*みすぼらしい形をした)人は なかりけり 誰にくらべむ 墨染のそで
264
宇治にまかりてよめる歌の中に
かをりよき 宇治の新茶に めで初めし 人の昔ぞ くみて(*「汲む」に「茶を汲む」と「人の心を推し量る」意を掛ける。)知らるゝ
265
くみあげて 世にこそめづれ〔世に愛づる〕 山吹の 花の香ふかき 宇治の川水
266
海人月に歌ふ
さす棹も なげやりぶしに(*棹を「投ぐ」を「投げやり」の意を掛ける。) 歌ふなり 月にうかるゝ 海人の釣舟
267
松のもとに庵むすびて
いまはとて 出でたたむ日〔あの世に旅立つ日〕を まつ陰〔「松」に「待つ」を云ひ懸く。〕に しばしうき世の 旅宿りして
268
山陰に庵して
かばかりの 艸の庵も むすばじを あはれ雨露 いとはざりせば
269
佐々木・梶原〔佐々木高綱と梶原景季とが宇治川で先登を競つた話は平家物語に見える。〕うまにて宇治川を渡る所
こゝを瀬(*好機の意味を含む。)と きそひ渡りし 武士の 名に流れたる(*名で有名になったという意味を掛ける。) 宇治の川水
270
軍にうちたつ人の扇に
治まれる 御代にあふぎ〔「逢ふ」に「扇」を云ひかく。〕を かのめ〔要(かなめ)〕(*扇の縁語)にて 仇うち散らし とく歸りませ
271
世のなか騷がしかりける頃
夢の世と 思ひすつれど 胸に手を おきてねし夜〔胸に手を置いて眠るとうなされるので斯う云ふ。〕の 心地こそすれ
272
伏見よりあなた〔彼方〕にて人あまたうたれたりと人の語るをききて
きくまゝに 袖こそぬるれ 道のべに さらす屍は 誰が子なるらむ
273
いぶきます〔吹きつのる〕 風に霰の はら\/と うち散らされて 消えやしつらむ
274
山がらといふ鳥をはなちて
こはあけつ〔籠は開けた〕 歸れ明日より おのが名の 山からこゝに(*物名) 遊びにはこよ
275
遊女の繪に
逢ふ事の つきぬ例に ひきしかど まつを〔「松を」に「待つを」を云ひ懸く。〕千代とは 契らざりしを
276
出口の柳(*島原遊廓の出口の柳)の畫に
なつかしき 柳の眉〔美人の形容に用ゐる言葉。それに柳の繭を云ひ懸く。〕の はる風〔「繭の張る」に「春風」を云ひ懸く。〕に なびく火かげや 里の夕ぐれ
277
砂持をどりのかた(*絵)に
我が腰に ひた〔引板・鳴子板〕結ひつけて をどりなば 昔わすれぬ 雀とやいはむ(*「雀百まで踊り忘れず」)
278
狸の酒もとむるかたに
古狸 さけもとむるや 雨の夜の そのつれ\〃/の すさび〔徒然の手遊び〕なるらむ
279
狐の化けたるかたに
人はかる さが野〔人を謀る性に嵯峨野を云ひ懸く。〕の原の 夕まぐれ おのが尾花(*狐の「尾」に「尾花」を掛ける。)や 花と〔一本「袖と」〕みすらむ
280
盜人の入りたる時
山賤が かきあつめたる 樫の葉を(*「貸し」の意を掛けるか。歌意未詳。) きゞ〔木々〕(*金銀か。)の玉とや 取りに來つらむ
281
大津畫のふぢ娘のかたに
古の 手ぶり〔風俗〕ゆかしき うつし畫の よにながれたる 藤浪の花
282
同じく奴のかたに
ふりたてし まめやか心〔忠實心〕 ひと筋に こゆるか妹に あふさか〔「逢ふ」に「逢坂」を云ひ懸く。〕の關
283
同じく鬼の念佛のかたに
なか\/に〔却つて〕 胸のはちす〔胸の蓮。佛心を云ふ。〕や 開くらむ 心のおに(*良心の苛責、妄念などをいう。)の うらうへ〔反對〕にして
284
老女の鏡みるところ
花と見し 春は昔の かゞみ山(*近江国の歌枕か。) かげはづかしき 雪のしら髪
285
大原女のかた
をりそへし 眞柴の末も かをるなり おほはら山の 花の春風
286
高しひきし(*低し)といふ事を
いかばかり 思ひあがりて しめつらむ〔占めたらう〕 雲の底なる 谷の下いほ
287
土もて花瓶を造りて
手すさびの 儚きものを 持ち出でて うるまの市〔「賣る」を云ひ懸く。〕(*宇留間〈美濃国〉に掛ける。)に たつぞわびしき〔一本「やさしき」〕
288
思ふことを
心には わかの浦(*和歌の浦に「和歌」を云ひ懸く。)波 かけながら かけたる玉も えこそひろはね〔拾ひ得ぬ。つまりいい歌が作れない意味。〕
289
名のみにて 月も宿らぬ 濁り江の 蓮の古根と〔「と」は「として」〕 みぞふりにける
290
述懷
日かげ〔日光〕まつ 艸葉の露の〔露のやうに〕 きえやらで 危く世をも すごしつるかな
291
山の井の そこはかとなき〔何といふことなき。「そこ」に「底」を云ひ懸く。〕 怠りを うちおどろかす 入相の鐘
292
うきもせず 沈みもやらず ながらへて 年浪高く なりにけるかな
293
世の中は たゞうたゝねの しばらくを 覺めぬ夢路に まどふわりなさ〔わけもなさ〕(*理不尽さ)
294
老後述懷
何事も まなばで年を ふる衣〔「經る」に「古衣」を云ひ懸く。「ふり」の序。〕 ふりはてし身ぞ かひなかりける
295
寄瓢述懷
あり\/て 六十ぢ餘りに なり瓢〔「成り」に「生り」を云ひ懸く。〕(*生瓢(なりひさご)は瓢箪の異名。) みの(*「実の」と「身の」を掛ける。)つゝましく(*恥ずかしい意。) 老いにけるかな
296
寄鐘述懷
夢の間に あかつきつぐる 聲すなり 暮を惜しみし 入相のかね
297
岡崎に住ひける
うば玉の〔「K」の枕詞〕 K谷やま(*新黒谷。法然が浄土宗を布教した地。)の 麓にて はれせぬものは 心なりけり
298
題しらず
夜嵐の おとたか山(*嵐の「音」と「音高山」の掛詞。音高山は未詳。)に いりてまし〔入つて見よう。〕 世の常ならぬ 夢も覺むやと
299
盆のころ身まかりける人を思ひいでて
死出の山〔佛説で死後人の通り行く山〕 ぼに〔盆〕の月夜に こえつらむ 尾花秋萩 かつ枝折りつゝ
300
七十七の春
春ごとに 緑そひつゝ 幾千代か 世にすみの江〔住吉。こゝは松で名高い。〕の 松ぞひさしき
301
寄松祝
千代とし〔「し」は助詞。〕も 君が齡の 限らねば 松やなか\/ あえむ〔君の齡に肖からう〕とすらむ
302
世の塵を よそに拂ひて 行末の 千代をしめたる 宿の松風
303
契松千歳
行末の さちとよはひ〔幸福と年齡〕を 二葉にて〔二葉として〕 千年をまつ〔「待つ」に「松」を。〕や ひさしかるらむ
304
寄竹祝
この君は めでたきふし〔竹の縁語〕を 重ねつゝ 末の世(*「節」も竹の縁語)ながき 例なりけり
305
千代〔「よ」も竹の縁語〕こもる 窗のくれ竹 日にそへて 嬉しきふしの 數やかぞへむ
306
寄菊祝
たなそこ〔掌・手のひら〕を うけてまつ間も 千代や經む のめば若ゆ〔若復る〕と きく〔「聞く」に「菊」を。〕の下露
307
寄鶴祝
ひなづるの 行末遠き こゑきけば 御世を千年と 歌ふ〔新後撰和歌集卷二十賀「草香江の入江の田鶴も諸聲に千代に八千代と空に鳴くなり」鶴は千年の信仰による。〕なりけり
308
寄龜祝
萬代も〔龜は萬年の信仰によつて詠んだ歌〕 たえぬ流れと しめつらむ その龜の尾の 山(*亀山。大覚寺がある。)のした水
309
龜あまたかけるかた
むれ龜の 一つ\/の 萬代を とりつどへ〔集め〕つゝ 君を〔一本「きみや」〕かぞへむ
310
龜のかたちしたる香合の箱に
萬代の ためしにもれし 龜なれば 手ならす〔手馴らす〕人も 幾世へぬらむ
(跋)
其のさま清くして其の音の濁れるはなく、其の状濁りて其の聲の清きもなきは、萬の物の勢ひなるを、空蝉の〔現身の〕人の上のみ此のならひにもるゝが多かるは、小濱蜆の〔「あかず」の序〕あかず口をしきわざになむ。さるは世の丈夫にしてめゝしく少女さびたる〔少女じみた〕と、手弱女にして雄々しく愼ましからぬとは、何れか拙からざらむ。故はやく本つ學〔國學〕に秀でられたる大人達は、中昔より此の方大方の歌の状色好みの家にのみ流れて、女々しき手ぶりなるが、武きみやびを〔風流人〕の道にあらずとて、指彈せられけむも、げにさる事〔さうある事〕なるを、まして其のうらうへなる女の道をや。そも\/玉ちはふ〔「神」の枕詞〕神の世に、女をことさきだちしによりて、ふさはず〔古事記に、伊弉諾・伊弉册二神が國を生むために先づ作法として天之御柱を巡る時に、先づ女神の方が先に聲をかけたのでいい子が生まれず、巡り直したといふ話が見える。〕てふ事の穢れ出で來て、やがて其の御母の命〔伊弉册尊〕はよもつ國〔黄泉國〕に罷り給ひ、其の御子蛭子の命〔足が立たないので流された神といふ。〕は御足たたざりしめゝしさに、神建びなるこの御國にはふさはしからず〔相應しない〕とて、外つ國へさすらへ給へるを思へば、上古の大道としてみおきて〔御定めなさつて〕給へる跡ばかり、くすしく〔靈妙で〕畏きはあらじかし。こゝに此の書の名を海士の刈藻としもおふせ〔負はせ〕たりけむは、かの忠秋ぬしの早くことわりそへられたるにしられて、なか\/に底の玉藻の玉なす言の葉は、みくり繩〔御繰繩〕の隱るべくもあらねば、千里の浦に網引〔網引き〕する海士の子らが、あごとゝのふる聲ならで、人毎にかづきあげ、おのも\/かゝげ出でて、世に又なき得物よともてはやすめるも、又おのづからの勢ひにして、かの才を頼める羣などには、つゆ似るべくもあらずなむ。かくてぞ早く世の濁れを遁れ、はた其の心の塵をさへに拂ひて、蓮の露に宿かる月の名をしもいよゝ磨かれなむは、こも〔これも〕又おのづからの勢ひなるべければ、今はかの佐川氏がいたづき〔骨折り〕、はた書屋らがいそしみ拾へるかひ〔「貝」に「效」を云ひ懸く。〕もそはり(*「添はる」=加わる)て、千尋の海のあまねく世に弘くなりなむことをと、藻にすむ蟲〔「われから」のことで、われをいひ起すための序詞。〕のわれながらえ忍びあへずして、またさし出の磯のさし出言をかくなむ。
櫻戸玉緒
(跋)
この尼君は、歌まなびのかたにて、親しう昵びたりしのみならず、故ありて暫しにしごり(*錦織)の里に假に栖みたりし時、鄰にゐ給ひければ、いとゞ深くあひ語らふ中らひとなりにけるを、こたび近藤芳樹翁、都に上り給ひて、尼君の許に、西賀茂の庵に訪らひ給ひしに、空蝉の世の塵にもまじらひ給はで、朝夕御佛のみ名となへ給へる外は、窗の下の文机によりて、移りかはる時々の霞よ霧よと、ながめもて遊びおはする樣の尊げなるを感じおはして、其の詠艸をいかにと問ひ給へれば、皆たゞ折につけたるすさびにて、とゞめもおき侍らぬ由、いらへ〔答へ〕聞え給ひければ、せむすべもなき〔仕方のない〕わざかな、さりとてさばかり〔さほどに〕世にもてはやす言の葉どもの多かるを、傳へもたる〔持てる〕人もなどかなからむと、こなたかなた尋ねて、建仁寺の悟庵大徳、東寺の何がしなどの打聽しおけるほうご〔反故〕どもの中より、かく數多ぬきいでて、摺卷〔印刷本〕となさしめ給ひけるは、翁の何事をもすて給はぬ、いみじきみうつくしみ〔いつくしみ〕になむありける。おのれも常にかうあらばや〔斯うありたい〕と思ひたりし本意かなひて、うれしさたとへむ方なければ、さきにもかつ\〃/〔僅かに〕もらしつるやうに、ゆかりなきにしもあらぬ身なれば、それにかこちて〔かこつけて〕かくなむ〔かくなむあるの省筆〕。
ちか女
海人のかる藻 歌の部 終(*原本のママ)
序(近藤芳樹)
序歌
端書(渡忠秋)
春部
夏部
秋部
冬部
恋部
雑部
跋(桜戸玉緒)
跋(上田ちか子)