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増訂 十八史略講義 


(曾先之編次、土田淡士亮講義、林英吉増訂『増訂十八史略講義』上
 少年叢書漢文学講義 興文社 1903.2.8

  緒言   目録   漢土歴代帝王図   (地図)   (本文)   殷〜
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増訂十八史略講義緒言

曾先之の十八史略は、彼の國の開闢より宋末までの小編年史にして、僅々七卷中に史記漢書以下十有八史の要領を概括せり。然れども其の書大部の鈔録に係るを以て、往々理義の明暢を缺き、隨ひて亦多少の錯誤あることを免れず。陳殷の音釋其の幾分を補正し、本邦にも亦ゥ家の考註ありと雖へども、未だ全文を通解して、之れを完成したる者を見ず。是れ吾が講義ある所以なり。
本社一たび此の講義を發行せしに、購需年々多きを加へて、最近既に第廿七版に及びたり。以て世人の愛讀を證するに餘あり。然りと雖へども、本社は未だ之れを以て滿足せず。奎運(*文運)の進歩と共に、其の改善を圖りつる結果として、遂に今般講義を増訂し、版式を革新するに至りたり。其の條件は左の如し。
(イ)講義の要は、本文の字句を遺漏なく敷衍して、意味を明瞭ならしむるに在り。然るに舊本解を要すべき者を解せずして、無用の辯に筆を費す者なきにしもあらず。今悉く此の類を繩正(*匡正)し、本文の餘蘊を發揮すべき者は、大に之れを補足せり。
(ロ)舊本は長文を一度に講義せる處多くして、本文と對照するに便ならざるを感じたり。因りて餘義なき者の外は、成るべく之れを小段落に分解せり。而して講義の流暢雅潔なるは、前日の比にあらず。
(ハ)舊本は、本文の次に解釋あり、解釋の次に講義あり。今解釋を改めて字解と爲し、字解其の名の如く、文中の難字難句を摘解し、詳略宜しきを得て、平易簡明ならしめたり。
(ニ)傍訓は國文の法則に據り、務めて詳密なる方に從へり。
(ホ)毎項圏を置くは、本文の慣例なり。然るに往々其の圏を脱して、二三の記事を混同せる者あるを以て、今回は皆之れを補入せり。
(ヘ)古文眞寳、文章軌範、唐宋八大家文讀本等の中に於て、時事に關する著名なる文章は、其の條々に譯載し、以て事情と一致の觀を爲さしめたり。
(ト)外國の史を讀む者は、常に自國の當年と比較して、彼我の時勢を察せざるべからず。故に彼の國一代の終、其の外必用の場合には、我が暦年を講義の中に記入して、讀者の注意を喚起せり。殊に宋末元初の記事に、賜日本國王書とあるは、所謂蒙古襲來の發端なれば、僅々六字の下に於て、其の顛末を詳述せり。是等の用意枚擧に遑あらず。
(チ)舊本の版式は、本文に四號活字を用ゐしが、今改めて三號活字と爲したれば、之れを生徒の讀本に供するも、亦十分の用を爲すべし。但し字解と講義とは、舊本一行四十字なるを、大約五十六七字と爲したれど、卻りて一目瞭然たり。
(リ)校字の苑eは、書の信用に關するを以て、務めて之れを嚴重にせり。
(ヌ)卷首に載せたる歴代帝王圖は、本文通り蜀漢を以て東漢に次ぎたれど、其の實際は、東漢より魏に移り、魏より晉に移りたること、司馬氏の通鑑に論ぜるが如し。故に之れを帝王圖と題して、傳統圖とは題せざるなり。
(ル)次に載せたる沿革地圖は、書中に散見せる緊要の地名を穿鑿の届かん限り時代々々に入れ置きたれば、事柄の地理に關係ある毎に、一々之れを照合すべし。而して徹頭徹尾本邦及び朝鮮と彼の國との位置に注目し、又彼の國の疆域の古今の變化に留意せんことを要す。歴史は地圖と相須ちて、始めて實地の觀念を成す者なればなり。
増訂の趣意は、大略此の如し。茲に本書を讀む者の爲めに一言せん。抑〃歴史は社會萬般の事跡を擧ぐる者なれば、用語も廣く變化も多くして、讀書の力を養ふに最もuあり。故に從來漢文學を修むる者は、其の初歩として十八史略を講讀し、それより進みて左國史漢を窺ふなり。其の温習の方法は、素讀講義の二者にして、第一に字音字訓を正しくし、第二に字義を明にし、第三に字句の關係を詳にするに在り。此の如くにして、漸次に讀み且つ講ずれば、一卷は一卷よりも其の理會力を増進すべし。而して全部七卷卒業の後は、史記にても漢書にても、温史(*資治通鑑)にても綱目にても、左のみ困難なる者にあらず。啻に困難ならざるのみならず、鉅細大小具備せるを以て、卻りて本書を讀むよりも分り易く、興味愈〃深長なるべし。凡そ讀書に興味を感ずるは、其の困難を排除せし上に在り。所謂讀書の困難とは、字句の讀方解釋に多く力を費すこと是れなり。此の勞常に纏綿するときは、未だ興味を感ぜずして、先づ倦厭の念を生ずべし。是れ書を讀むに多きを貪りて、字句の粗略に看過するに坐するのみ。故に將來種々の史傳を渉獵せんとならば、漢文學に在りては、十八史略を熟讀せずばあるべからず。馬、班(*司馬遷、班固)のゥ史を善く讀む者は、十八史略を善く讀みし者なり。本社の講義は、飽くまで深切なりと雖へども、同義の者は重に初出に讓らざることを得ず。故に講義を讀むにも、最初より一字一句を忽にせず、務めて之れを記憶すべし。但し講義に依ョして、目を本文に注がざるときは、講義を離れて本文を講讀すること能はざること、盲者の杖に離れたらんが如くならん。故に先づ善く本文を讀みて、沈思默考せし後に、講義に就きて、其の疑を斷ずべし。漢土の文字は、國文の材料として、一日も缺くべからざる者なれば、是の書を讀みて、今より七百年前までの彼の國情を知ると共に、讀書並に作文の能力を兼ねて養成せんことを要す。
明治三十二年一月
増訂者識す


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増訂十八史略講義目録

増訂十八史略講義目録終


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漢土歴代帝王圖



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増訂十八史略講義 卷之一 

曾先之 編次
土田淡士亮 講義
林英吉 増訂

十八史略は、元の曾先之の編次にして、司馬遷の史記(一)、班固の西漢書(二)、范曄の東漢書(三)、陳壽の三國志(四)、唐の太宗の晉書(五)、沈約の宋書(六)、蕭子顯の南齊書(七)、姚思廉の梁書(八)、陳書(九)、魏收の後魏書(十)、李百藥の北齊書(十一)、崔仁師の後周書(十二)、魏徴の隋書(十三)、李延壽の南史(十四)、北史(十五)、歐陽修と宋祁との唐書(十六)、歐陽修の五代史(十七)、李Z(*りとう)と劉時擧との宋鑑(十八)(*続資治通鑑長編)より風ヘに關する者を采取して、定めて一編と爲しつる者なれば、太古より南宋までの漢土歴代の沿革を概見するに、最も簡便なる書なり。明の陳殷之れに音釋を加へて、釐めて(*おさめて)七卷と爲し、而して此の書を稱讃して曰はく、卷を開きて一覽すれば、古今の蹟粲然たり。上は一人(*いちじん)より、下は黎庶に及ぶまで、凡そ身を立て己れを行ふ所以の間に、皆以て鑒戒と爲すに足れりと。

太古

天皇氏、以木コタリ。歳攝提ヨリ。無爲ニシテ而化。兄弟十二人アリ。各〃一萬八千歳ナリ地皇氏、以火コタリ。兄弟十二人アリ。各〃一萬八千歳ナリ人皇氏、兄弟九人アリ。分レテタリ九州。凡一百五十世。合セテ四萬五千六百年ナリ
字解太古おほむかしなり。太は太上の太にして、大小の大にあらず。天皇氏 世界は、天地人の三つに成る者ゆゑ、始めて世に出でたる者を、天皇氏と稱し、次に出でたる者を、地皇氏と稱し、又其の次に出でたる者を、人皇氏と稱して、世の開けたるおほもとを表したるなり。皇は君なり。氏は氏族の氏にして、其の類に名くる稱なり。一説に、氏は古の美號にして、姓氏の氏とは同じからずとも云へり。木コ木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生ず。之れを五行の相生といふ。天皇氏始めて世に出でたるを以て、其のコを五行第一の木にかたどりたるなり。コは得なりとて、其の身の行によりて天より受け得たる無形の品位品格をいふ。攝提ヨリ攝提は寅なり。歳は攝提より起るとは、太歳といふ星の寅の方に宿る月を以て、歳の始とすることなり。天皇氏始めて、十干十二支を制し、甲を閼逢(あつ、ほう)と曰ひ、乙を旃蒙(せん、まう)と曰ひ、丙を柔兆と曰ひ、丁を彊圉(きょう、ぎょ)と曰ひ、戊を著雍(ちょ、よう)と曰ひ、己を屠維(と、い)と曰ひ、庚を上章と曰ひ、辛を重光と曰ひ、壬を玄黓(げん、よく)と曰ひ、癸を昭陽と曰ひ、子を困敦と曰ひ、丑を赤奮若と曰ひ、寅を攝提格と曰ひ、卯を單閼(たん、あつ)と曰ひ、辰を執徐と曰ひ、巳を大荒落と曰ひ、午を敦牂(とん、さう)と曰ひ、未を恊洽(けふ、かふ)と曰ひ、申を涒灘(とん、だん)と曰ひ、酉を作噩(さく、がく)と曰ひ、戌を閹戊(あつ、ぼう)と曰ひ、亥を大淵獻と曰ふ。無爲爲すこと無しといふことにて、法令刑罸等の設、未だあらざるをいふ。おのづからしたがふを化といふ。火コ地皇氏は天皇氏に繼ぎしを以て、木より火を生ずる義に取り、火のコの王と爲す。
講義こゝに漢土の開闢を尋ぬるに、おほむかし始めて天下を治めたる者を、天皇氏とぞ稱しける。此の人五行第一の木のコを受け得て、萬民の上に立ち、始めて十干十二支を制し、寅の月を以て一年の始と爲し、暦の基を開きたり。是の時民俗純厚(すなほ)にして、不善を為す者なかりければ、法令の設もなくて、おのづから從ひ化せり。其の兄弟は十二人ありて、各〃一萬八千歳を經たり。之れに繼ぎて出でたる者を、地皇氏と稱し、五行第二の火のコを受け得て、天下を治めたり。其の兄弟も十二人ありて、各〃一萬八千歳を經たり。又之れに繼ぎて出でたる者を、人皇氏と稱す。其の兄弟は九人ありて、冀、兗(こん)、、徐、揚、荊、豫、梁、雍の九州に分れ、各〃其の土の君長と爲りぬ。此の以前までは、土地の經界なかりしが、此の時始めて九州に大別せり。其の世を傳へしこと凡そ百五十代にして、通計四萬五千六百年を經たりとぞ。或は邵子經世書の元會運世の説に據りて、各〃一萬八千歳を、合一萬八千歳とすべしといへる説もあれど、畢竟文字といふ者の未だあらざる上代の事なれば、只〃推測の勘定に止るのみ。
人皇ヨリ以後、有フモノ有巣氏。構ヘテ、食。至リテ燧人氏、始メテリテ、ヘ火食。在ルヲモテ書契以前、年代國キ不 カラ
字解有巣氏始めて薪柴を聚めて、住居を造りたる人なれば、此の稱あり。(かま)ヘテ(つく)木の枝などを組み合せて、鳥の巣の如きものを造りたるなり。燧人氏(すゐじんし)始めてきりびを取りて、食物をあぶることをヘへたる人なれば、此の稱あり。(き)リテ、ヘ火食檜の木の如き火を發する性をそなへたる木片をすりあはせて、火を取り、人々に食物をあぶることをヘへたるなり。鑽は穿なり、もみこむことなり。火食は熟食と同じ。書契(しょけい)文字を製して、ものごとの約束を立つることなり。委しくは次に注す。(かんが)考の古字なり。
講義人皇氏より後、若干の年代を歴て、有巣氏といふ人あり。始めて大小の木を架設して、鳥の巣の如くに造り、以て住居を定め、木の實を取りて、食物と爲しけるが、其の後燧人氏といふ人に至り、きり火を取りて、食物をあぶり、始めて人に熟食といふことをヘへたり。有巣氏より以前は、人々寒暑風雨をしのぐべき工夫なく、燧人氏より以前は、只なま物を食ひて生活し、其のさまさながら禽獸の如くなりけるが、是に至りて、人類たるべき境涯の端緒を開きたり。然れどもなほ文字契約の制なき以前の事なれば、其の年代は何程なりしか、いづれの國、いづこのキに在りて、天下を治めたりしか、後世よりは考へられぬとなり。

三皇

太昊伏羲氏

太昊伏羲氏、風姓ナリ。代リテ燧人氏而王タリ。蛇身人首ナリ。始メテ八卦。造リテ書契結繩之政。制嫁娶、以儷皮。結ビテ網罟佃漁。養フニ犧牲テス庖厨。故庖犠。有。以。號龍師。木コタリ。キ於陳
字解三皇漢の孔安國の書經の序に、始めて伏羲、神農、黄帝を以て三皇と爲し、少昊、顓頊、帝嚳、堯、舜を以て五帝と爲せり。上代の事は、いづれの國も、邈として知るべからず。葢し文字の發明なき世には、人々只口舌を以て相傳ふるのみなれば、後に至りて分らぬことの多きも自然の道理なり。漢土の太古史の如きも、色々の説あり。司馬遷は史記を書くに筆を五帝より起し、黄帝、顓頊、帝嚳、堯、舜を五帝と稱し、司馬貞其の前を補ひて、伏羲、女媧、神農を三皇と稱したり。秦の博士には、天地人三皇の議あり。胡五峰は易の繋辭に據り、伏羲、神農、黄帝、堯、舜を五帝と爲しぬ。或は又首めに出でゝ世を御むる君を盤古氏と稱して、之れを第一に置きたる者あり。記傳各〃異なれども、皆中世以後に其の名目を加へたる者なれば、其の實は得て考ふべからず。太昊伏羲氏(たいこうふくきし)聖コありて、日月の明に象る。故に太昊と曰ふ。始めて網罟を作りて、佃漁を爲し、民用を利す。故に伏羲と曰ふ。風姓風は天地の正氣にして、萬物を鼓動するが故に、王者の聲ヘに比して、其の姓と爲す。蛇身人首體は蛇の如く、頭は人なり。(くゎく)八卦(はっくゎ)八卦は、乾(けん)、坎(かん)、艮(ごん)、巽(そん)、離(り)、震(しん)、坤(こん)、兌(だ)にして、卦に三爻あり。之れを重ねて、六十四卦と爲す。其の圖を區分して、作り出すを、畫すといふ。書契文字契約の制なり。書は六書とて、一に象形、二に假借、三に指事、四に會意、五に轉注、六に諧聲、是れなり。漢土の文字は、皆此の六種中に包含す。結繩(けつじょう)是れより先き、文字といふ者未だあらざる間は、物事を記憶すべき方便なきが故に、さまざまの形に繩を結びて、物事の心おぼえとなしたるなり。嫁娶(かしゅ)よめにゆくを嫁といひ、よめをとるを娶といふ。婚姻の禮を定めたることなり。儷皮(れいひ)二枚のかはなり。此の時未だ布帛あらず。人皆鳥獸の皮を着用したれば、之れを以て婚禮の儀物とす。網罟(まうこ)網は魚を取るあみ、罟は禽獸を取る「ひるてん」(*昼天=霞網)なり。佃漁(でんぎょ)佃はやまがり、漁はすなどりなり。犧牲(ぎせい)天地祖宗をまつる時に供する牛、羊、豕を牲(いけにへ)といふ。其の毛色まじりなきを貴ぶ。犧は色の純なる者なり。庖厨(はうちう)庖は宰殺の所、厨は烹飪(*煮る)の所なり。庖犠庖厨にて、犧牲を料理せしを以て、庖犠氏とも稱す。龍馬圖を負ひて河より出づ。伏羲氏之れに因りて、八卦を畫すといふ傳説あるを以て、龍の祥瑞ありとす。
講義太昊伏羲氏は、風といふ姓なり。燧人氏に代りて、天下を治む。其の身體はさながら龍蛇の如くなりきとぞ。始めて天地萬物を觀察して、八卦を作り、以て世道變化の理を究め、文字契約の制を定めて、人生の意思を通達し、太古繩を結びて萬般の記憶と爲しゝ舊慣を一新し、婚姻の法を制し、一對の皮を以て、納幣(ゆひなふ)の端を開き、以て男女の別を正し、夫婦の道を明にし、網を結びて、漁(すなどり)をヘへ、罟(ひるてん)を結びて、佃(やまがり)をヘへ、毛色の純粹なる牛、羊、豕を養ひ、庖に於て之れを宰殺(ほふり)し、厨に於て之れを烹飪(にやき)し、以て天地祖宗を祭る用に供す。故に又之れを庖犠氏と稱す。時に龍馬の河水に出現せし祥瑞ありとて、官職の名目に、龍の字を用ゐて、龍師と號す。師は長といふ義なり。而して龍、赤龍、白龍、K龍、黄龍等の名あり。此の君三皇の第一なるにぞ、更に五行第一の木のコを以て比せられたり。陳にキせり。
庖犠崩女媧氏。亦風姓ニシテ、木コタリ。始メテ笙簧。ゥ侯共工氏トイフモノ。與祝融、不シテ而怒。乃不周山。崩。天柱折、地維缺。女媧乃リテ五色、斷チテ四極、聚メテ滔水。於地平天成リテ、不舊物。」女媧氏沒シテ、有共工氏太庭氏柏皇氏中央氏歴陸氏驪連氏赫胥氏尊盧氏混沌氏昊英氏朱襄氏葛天氏陰康氏無懷氏。風姓相承クル者十五世ナリ
字解天子の死を崩と曰ふ。王者は尊くして、民の上に居り、其の死すること、天より地に墜つるが如し。故に崩と曰ふ。女媧氏(じょくゎし)女皇なり。一説に、女媧は、古の帝王の聖なる者なり。上古文字なく、たゞ音を以て呼び來りしを、後人其の音に因りて、女媧の二字をあてたる者にして、婦人にはあらずとも云へり。天柱折(くじ)、地維缺(か)天のはしらがをれて、地のつながきれたり。四極方隅の極を四極といふ。四極を立つとは、よすみの柱を立て直すことなり。滔水(たうすゐ)滔は水のはびこる貌。舊物もとのとほりになりたるをいふ。笙簧後世の「しゃうのふえ」なり。其の製ふくべの中に、十三の管を立て列ねて、其の吹口に、簧といふ薄き舌を挿み、之れを吹くときは鳴る。
講義伏羲氏崩じて後、女媧氏繼ぎて立ちぬ。女媧は伏羲の妹なりとも云ひ、或は然らずとも云へり。風姓の後を承けて、亦木のコの王と稱す。始めて笙簧を作りて、音樂の端を開きぬ。時にゥ侯に共工氏といふ者あり。祝融といふ者と戰ひ、敗走して憤怒に耐へず、自ら頭を不周山に打ちあてけるに、其の山忽ち崩壞して、天地も共に覆らんばかりなり。女媧氏乃ち、黄、赤、白、Kの石を錬りて、天の破損を繕ひ、鼇(おほがめ)の足を斷ち切りて、東西南北の柱を立て、蘆(あし)の灰を聚めて、堤防と爲し、以て大水を止む。是に於て、天地昔に復し、舊觀を失はざることを得たりとぞ。こは共工の世を亂し、女媧の平定せしことを形容したるまでの事なり。」女媧氏沒して後、共工氏以下のゥ氏、皆風姓を承け繼ぎて、無懷氏に至る。其の世數は十五世なりとぞ。

炎帝神農氏

炎帝神農氏、姜姓ナリ。人身牛首ナリ。繼ギテ風姓而立。火コタリ。斵リテ、揉メテ、始メテ、作。以赭鞭草木、嘗メテ百草、始メテ毉藥。ヘヲシテ日中、交易シテ而退。キ於陳、徙曲阜。傳帝承帝臨帝則帝百帝來帝襄帝楡。姜姓凡ベテ八世、五百二十年ナリ
字解炎帝神農氏木のコの伏羲氏に繼ぎて王と爲りしが故に、其のコを火に比して、炎帝と曰ひ、民に農作をヘへて、神にして之れを化せしが故に、神農氏と曰ふ。(きゃう)炎帝姜水のほとりに生長せしを以て姜を姓と爲す。人身牛首體は人にして、頭は牛の如し。(き)リテ、揉(たわ)メテ(らい)木をきりて、すきのあたまとなし、木をおしまげて、すきのえとなす。此の時未だ銕(*鉄)を冶することを知らざるが故に、柄も頭も皆木を以て作れり。(たがへし)耕の古字なり。(さ)(まつり)歳の十二月に、萬物を合せ聚めて、之れを神に饗し、五糓豐熟を祝するなり。赭鞭(しゃべん)(むちう)草木赤きむちを手に持ちて、山野の草木を打ちたゝくなり。(*草木の性質・毒性を調べるために皮の鞭を当てたという。)(な)百草多くの草を口に味ひて、其の性を察し、其の功を知る。百は成數(*「じょうすう」=百、千等、切りのよい数字。)なり。百事、百般などゝいふに同じく、必ずしも百と限りたるにはあらず。毉藥毉は醫と同じ。毉藥とは、疾をいやすくすりといふことなり。
講義炎帝神農氏は姜といふ姓なり。其の頭首は牛に似たりとぞ。伏羲の後衞に代りて立ちぬ。其の木のコに繼ぎたるを以て、五行第二の火のコの王と稱す。是れより以前は、農業も醫術も商賈の道も開けずして、人民の生活、いとゞ不自由なりけるが、神農心を農事に用ゐ、木を斵(き)りて耜(すきのあたま)となし、木を揉(たわ)めて耒(すきのえ)と爲し、始めて耕作の道をヘへ、歳の終に、萬物を神に捧げて、年糓を祝し、常に赤色の鞭を提げて、山野を徘徊し、一草一木見るに隨ひて打ちたゝき、自ら之れを味ひて、其の性質功用を詳にし、始めて人の疾病を醫療する藥物を發明し、且つ人々にヘへて、毎日白晝に集會し、各〃其の餘れる所を以て、足らざる所に換へて、家に歸らしめぬ。是に至りて、農醫商の三業、並び開けたり。初めは伏羲氏の舊キなる陳にキせしが、後に曲阜に徙れり。其の崩ぜし後、姜姓相承けて、帝楡(ゆ)に至るまで、八世五百二十年なりきとぞ。

黄帝軒轅氏

黄帝、公孫姓ナリ。又曰ハク姫姓ナリト。名軒轅トイフ。有熊國君、少典子也。母見大電ルヲ北斗樞星、感ジテ而生メリ。」炎帝世衰。ゥ侯相侵。軒轅乃ハシヰルコトヲ干戈、以不享。ゥ侯咸レニ。與炎帝ヒテ于阪泉之野、克レニ。」蚩尤作。其人銅鐵ニシテ、能大霧。軒轅作指南車、與蚩尤ヒテ於涿鹿之野、禽ニスレヲ。」
字解黄帝此の君土のコの王たり。土の色は黄なるが故に、黄帝といふ。少典君の妃、附寳といふ者、帝を軒轅(けん、ゑん)の丘に生めり。因りて軒轅と名づけ、公孫を姓とす。而して姫水に成長せしが故に、又姫を以て姓とす。少典史記の索隱に、少典はゥ侯の國號にして、人名にはあらずといへり。不享(ふきゃう)上の下を伐つを征といふ。不享とは、參覲して君命をうけざる者をいふ。指南車南の方を指し示す車なり。今の磁石の如くなる物を車の中に備へたるなるべし。
講義黄帝は、公孫又は姫といふ姓にして、名を軒轅といふ。有熊國の君、少典の子なり。其の母嘗て北斗第一の樞星のまはりを、大なる電光のめぐるを見て、其の氣に感じて、帝を生めり。」時に炎帝の後裔楡罔(ゆ、まう)コを失ひて、ゥ侯爭ひ起り、強は弱を侵し、大は小を伐ち、天下紛々として、統一すべからず。軒轅乃ち身をまもる干(たて)と敵をつく戈(ほこ)とをつかふことを習はして、王命に叛ける者を征伐せしかば、ゥ侯悉く其の威コに服從せり。是に於て、楡罔と阪泉の野に戰ひて、之れに勝ちぬ。」時にゥ矦の中に蚩尤(し、いう)といふ者あり。又亂を作す。其の人額(ひたひ)の堅きこと銅鐵の如く、且つ能く大霧をおこして、軍士を惑はしめたれば、軒轅一つの機器を製し、今の子午盤針の如く、常に南の方を指し示すものを、車の中に備へて、方角を辨じ、蚩尤と涿鹿(たく、ろく)の野に戰ひて、之れを生け捕りたり。
リテ炎帝天子。土コタリ。以。爲雲師。作リテ舟車、以ルヲ。得風后、力牧。受河圖。見日月星辰之象、始メテ星官之書。師大撓占ヒテスヲ甲子。容成造、隷首作算數。伶倫取リテ嶰谷之竹、制十二律、以鳳鳴。雄鳴六、雌鳴六。以黄鐘之宮、生六律六呂、以。鑄十二鐘、以五音。」
字解天子王者は、天を父とし、地を母とす。故に天子と曰ふ。河圖(かと)大魚河水より出でゝ、白圖をうかべたるを云ふ。河水は漢土北方の長流なり。日月星辰之象天文なり。日月交會の處を辰といふ。星官之書星官は、天文を觀る役人なり。其の書は即ち天文書なり。(をざ)スヲ北斗のけんさきの向ふ(*建す=尾指す)所を推し測るをいふ。伶倫始めて音樂を作りたる人なり。後世樂人を伶人といふは、是れに由る。十二律の筩(とう)陽の調子六を律といひ、陰の調子六を呂と曰ふ。之れを總稱して十二律と曰ふ。筩は竹筒なり。黄鐘之宮(*わうしきのきゅう)六律第一の調子を黄鐘といひ、五音の中聲を宮といふ。
講義黄帝蚩尤に勝ちし後、遂に炎帝に代りて天子と爲りぬ。其の火のコに繼ぎたるを以て、五行第三の土のコの王と稱す。此の時景雲(よきくも)の祥瑞ありければ、官職の名目に雲の字を用ゐて、雲師と號す。師は龍師の師と同じく、長といふ義なり。而して雲、縉雲、白雲、K雲、黄雲等の名あり。是れより以前は、水陸共に運輸の方法なかりけるを、黄帝始めて舟と車とを製造して、交通往來の便利を開きたり。風后といふ賢人を得て、宰相と爲し、力牧といふ勇者を得て、將軍と爲し、以て文武の兩政を張りぬ。嘗て大魚あり。白圖を河水の上にうかべて、黄帝に授けたりとぞ。帝の時日や月や星の位置運轉を觀察して、始めて、天文方の書物を作りたり。又師の職に在る大撓(たい、だう)といふ者、北斗のけんさきの向ふ所を推し測りて、十干十二支の配當を定め、六十甲子を作りたり。又容成といふ者、暦を造りて歳時を明にし、隷首といふ者、算數を作りて、物事の勘定をたしかにせり。又伶倫といふ者、嶰谷といふ所のよき竹を取り、十二の調子を備へたる筒を製して、鳳凰の鳴聲を聽く。雄の聲六、雌の聲六、以て陰陽を分つ。其の第一の調子黄鐘の中にて、五音の中聲なる宮の音を以て、六律六呂を生じ、之れを十二月に配當して、天氣の相應をうかゞひ、又十二の鐘を鑄て、毎鐘其の音を分ち、以て十二律に配當し、角、徴、宮、商、羽の五音を和合せしめたり。
晝寢、夢華胥之國、怡然トシテ自得セリ。其後天下大ルコト、幾華胥。世黄帝采リテ。鼎成。有龍垂レテ胡髯。帝騎リテ。群臣後宮從者七十餘人ナリ。小臣ルコトヲ。悉。髯拔。墮。抱キテ而號。後世名ケテ鼎湖、其フト烏號。黄帝二十五子アリ。其者十四ナリ
字解華胥(くゎしょ)之國固より夢想の説なれば、此の如き國あるにあらず。怡然(いぜん)こゝろうれしき貌。(と)えらびとるなり。三足兩耳あり。食を熟する器なり。胡髯(こぜん)胡は夷なり。夷狄人のひげの如く、けぶかきをいふ。頥(おとがひ)に在るを鬚と曰ひ、頬(ほゝ)に在るを髯と曰ふ。烏號(うがう)烏は歎ずる詞なり。號はなきさけぶことなり。其の弓を抱きて、哀歎號泣せしを以て、此の名あり。
講義黄帝或る時晝寢をして、夢に一つの樂土に遊べり。其の國の名を華胥と曰ふ。政治風俗の美なる、帝の心を甚だ悦ばしめたり。其の後奄勵まして、ヘ化を施しければ、天下寧靜にして、恰も夢に遊びたる華胥國の如くなりきとぞ。世の傳説に、黄帝天下の善銅を擇び取りて、一つの鼎を鑄る。其の鼎成るに及びて、龍あり。もや/\としたる髯(ほゝひげ)を垂れて、地に下り迎ふ。黄帝之れに騎りて、天に上る。朝廷の群臣及び奧向の人々七十餘人附き從ひしが、身分の輕き者どもは、上ることを得ず、一同に龍の髯を引きて、從はんとせしに、其の髯拔けて、帝の持ちたる弓がおちたれば、殘る人〃其の弓を抱きて、泣き號びたり。因りて、後世其の上天せし處を鼎湖と曰ひ、其の弓を烏號と曰ふとぞ。」黄帝には二十五人の子ありて、其の姓を得し者は十四人なりき。

五帝

少昊金天氏

少昊金天氏、名玄囂トイフ。黄帝之子也。亦曰。其ツトキ也、鳳鳥適〃至。以
字解少昊金天氏能く太昊の法を修む。故に少昊と曰ふ。土のコある黄帝に繼ぎ、五行第四の金のコを以て、天下に王たり。故に金天氏と曰ふ。(たま/\)「まさに」とも訓じて、「ちゃうど」といふ義なり。
講義少昊金天氏は、名を玄囂(げん、がう)と曰ふ。黄帝の子なり。陽に國す。故にまたの名を陽とも曰へり。立ちて天子と爲りし時、鳳凰が世に出でたりとて、官職に鳥の名を用ゐたり。鳳鳥、玄鳥、鳥、丹鳥等の稱あり。

顓頊高陽氏

顓頊高陽氏、昌意之子ニシテ、黄帝孫也。代リテ少昊而立。少昊之衰ヘシトキ、九黎亂、民神雜糅シテ、不カラ方物。顓頊受ケテレヲ、乃ジテ南正ラシメ、以、火正ラシメ、以、使カラ相侵スコト。始メテ、以孟春
字解顓頊(せんぎょく)高陽氏初め高陽に國す。故に高陽氏と號す。顓頊は名なり。方物物に依り事に從ひて區別するをいふ。孟春太歳の寅にをざす(*建す。前出)月をいふ。孟は始なり。
講義顓頊高陽氏は、昌意の子にして、黄帝の孫なり。少昊に代りて、天子と爲りぬ。少昊の政衰ふるに及び、當時のゥ侯黎氏九人並に其のコを失ひ、上下紊亂して、民と神との區分なく、紛雜混糅して、其の事物に從ひ、類別すべからざるに至りたり。顓頊其の弊政を受けて、之れを革新せんと欲し、乃ち南正の官に在る重といふ者に、天を司らしめて、上天鬼神の事を其の手に屬し、火正の職に在る黎といふ者に地を司らしめて、邦土人民の事を其の手に屬し、以て神は民を侵すことなく、民は神を涜(けが)すことなからしめ、暦を改正して、建寅の月を年の始と爲しぬ。但し黄帝既に容成をして暦を作らしめたれば、此の本文に始作暦とあるは、記傳の誤なるべし。

帝嚳高辛氏

帝嚳高辛氏、玄囂之子ニシテ、黄帝曾孫也。生レナガラニシテ而神靈ナリ。自ヘリ。代リテ顓頊而立、居於亳
字解帝嚳(こく)高辛氏顓頊の時、封を辛に受け、高陽氏に代りて、天子と爲る。故に高辛氏と號す。嚳は名なり。
講義帝嚳高辛氏は、玄囂の子にして、黄帝の曾孫なり。但し帝嚳の父を蟜極といひ、蟜極の父を玄囂といふ。玄囂は即ち少昊金天氏にして、黄帝の子なれば、帝嚳は玄囂の孫とすべし。帝嚳は生れながらに利發なる人にして、自ら其の名を嚳と呼びたりきとぞ。顓頊に代りて天子と爲り、亳(はく)にキしぬ。

帝堯陶唐氏

帝堯陶唐氏、伊祁姓ナリ。或ハク、名。帝嚳子也。其、其。就クハレニ、望ムハレヲ。キ平陽。茆茨不。土階三等ナルノミ。有草生。十五日以前、日一葉、以後一葉。月小ニシテクレバ、則一葉厭シテ而不。名ケテ蓂莢。觀レヲリヌ旬朔。」
字解帝堯陶唐氏司馬遷は、放、重華、文命を以て名とし、孔安國は、堯、舜、禹を以て名とす。蔡氏の書傳(*宋の蔡沈の著した書経の注釈書)には、放、重華、文命は、功コを稱述する詞なりと云へり。是なるに近し。馬融ゥ儒が堯、舜、禹を以て諡とするに至りては謬れり。葢し諡といふ者は、周に肇(はじま)る。前古未だ有らざる所なりと、張南軒いへり。堯初め封を陶に受け、後に唐に封ぜらる。故に陶唐氏と曰ふ。茆茨(ばうし)茆は茅と通じて、チガヤなり。茨は次なり。草を列次して、屋をふくをいふ。堂階の前なり。(あつ)かはくなり。
講義帝堯陶唐氏は、伊祁(い、き)といふ姓なり。或は其の名を放(はう、くん)と曰ふといへり。帝嚳の子なり。其の仁心の深きことは、天の萬物を生育するが如く、其の知識の秀でたることは、神の測るべからざるが如し。萬民其のコを慕ふこと、葵心(ひまはり)の太陽に向ふが如く、百姓其の澤を仰ぐこと、大旱の雲霓を望むが如し。平陽にキす。宮室は茆茨(かやぶき)にして、其の端を翦らず。殿階は土を積むこと三段に過ぎず。敢て帝王の貴きを以て、臣民に驕ることなし。時に一つの瑞草あり。前庭に生ず。毎月上の十五日間は、日に一葉を生じ、下の十五日間は、日に一葉を落す。其の月小にして、二十九日なるときは、殘る一葉、ひからびて落ちず。名けて蓂莢(めい、けふ)と曰ふ。之れを觀て、月の十日と一日とを知りぬ。
ムルコト天下五十年、不天下治歟不歟、億兆願クヲレヲ歟、不クヲレヲ。問ヘドモ左右、問ヘドモ外朝、問ヘドモ在野。乃微服シテ於康衢。聞クニ童謠ハク、立ツルハ烝民、莫ザルコト、不、順フト帝之則。有老人、含チテ而歌ヒテハク、日出デヽ而作、日入リテ而息。鑿リテ而飮、畊シテ而食。帝力何ラン於我レニ。」
字解億兆萬民といひ、百姓といひ、億兆といふは、皆數の多きをいへるにて、必ずしも何萬人と限りたるにはあらず。故に億兆は、直ちに人民と譯して可なり。頭の上に、物をのするを、いたゞくといふ。故にありがたくおもふ義となる。在野官に在る者を、在朝の人といひ、仕へざる者を、在野の人といふ。康衢(かうく)四辻を康といひ、五辻を衢といふ。童謠(だうえう)わらべうたなり。今のはやりうたの類にて、誰れいふとなく、いひはやす小歌なり。烝民(じょうみん)おほくのたみなり。爾は堯を指す。極は標準なり。(ほ)食物の口中に在るを哺といふ。
講義堯帝位に在ること、五十年の久しきに及び、其の澤天下に普しと雖ども、自身に天下泰平なりや否や、萬民己れを感戴するや否やを知らず。試みに左右の近臣に尋ね問へども、亦之れを知らず。外朝の群臣に尋ね問へども亦之れを知らず。廣く民間に向ひて尋ね問へども、一人として之れを知る者なし。是に於て、身に微賤の服を穿ち、四通五達公衆往來の康衢に出遊して、民情如何を視察せしに、數多の童子相聚りて謠を歌へり。其の詞を聞くに曰はく、我が衆民の生計を立つるは、爾ぢ堯帝の授けられたる標凖に基かずといふことなし。されば、何事も、識らず知らずに、吾が君上のヘ令を奉ずるのみと。又一人の老翁ありて、物を食ひつゝ、腹鼓をうち、地びたをたゝきて拍子を取り、いと元氣よく歌ひて曰はく、日の出づる頃より勞作し、日の入る頃に休息す。渇せんとすれば、井を鑿(ほ)りて飮み、飢ゑんとすれば、田を耕して食ふ。我が一身の力にョりて、何事もなく今日を過すなり。天子の力何ぞ我等のうへにあらんと。此の童謠といひ老歌といひ、いづれも世の中の太平無事を證するものにして、畢竟君コの充溢し、化育の普及せるに因るなり。
于華。華封人曰ハクあゝ、請セン聖人。使メント聖人ヲシテ壽富ニシテカラ男子。堯ハク、辭。多ケレバ男子懼。富メバ事。壽ケレバシト辱。封人ハク、天生ズレバ萬民、必レニ。多シトモ男子而授ケバレニ、何ラン。富メリトモ而使メバヲシテ一レレヲ、何ラン。天下有ラバ道、與物皆昌、天下無クバ道、修メテ、千歳厭ハヾ、去リテ而上僊、乘ジテ白雲、至ランニハ于帝郷、何ラント。堯立チテ七十年、有九年之水。使ヲシテ一レレヲ。九載弗アラ。堯老イテ于勤。四嶽擧、攝-セシム天下。堯子丹朱不肖ナリ。乃於天。堯崩。舜即
字解封人國境を守る役人なり。(あゝ)感心したる時に發する聲なり。將來の事をいはふを祝といふ。聖人事に通ぜざることなきを聖といふ。此の處は直ちに堯を指していへるなり。千歳厭ハヾ年老いて世の中に飽き果てたらばといふ意にて、猶ほ百年の後といはんがごとし。歳を載といふ。載は始なり。物終りて、更に始る義に取る。又一歳の中覆ひ載せざるなきに取ると云ふ。攝行攝は總なり、兼なり、代なり。代りて兼ね總ぶるを、攝行といふ。不肖おろかなることなり。不肖は、似ぬといふ義にて、父の明聖に似ず、暗愚なるをいふ。とりもちて引き立つる意なり。
講義堯帝華の地に遊觀せし時、其の封境の守臣帝に謂ひて曰はく、あゝ、請ふ聖コある君上の前途を祝し奉らん。聖コある君上をして、命長く財豐にして、男子多からしめたきものなりと。堯の曰はく、それは望ましからぬ事なり。男子多ければ、心配多く、財豐なれば、世事多く、命長ければ、恥辱多し。さてもうるさきことならずやと。守臣の曰はく、天萬民を生ずれば、必ず之れに職業を授けらるゝ者なり。男子多しと雖ふとも、各〃職業を授けたまはゞ、何の御心配か候ふべき。財豐なりと雖ふとも、上御一人の專有と爲したまはず、人〃に分ちたまはゞ、何の御煩か候ふべき。天下道ありて、倫理明なるときは、萬物と與に、繁榮を受けたまひ、天下道なくして、恒常滅ぶるときは、ひとり御身の御コを修めて、閑散の地に世を送りたまふべし。千百年の後、もはや此の世に飽き果てたまはゞ、去りて天上に上りて、不死の仙人と爲り、彼の縹々たる白雲に打ち乘りて、天帝のおはすといへる別世界に至りたまはんには、何の御恥辱か候ふべきと、」堯立ちて七十年の間に、九年の洪水あり。鯀(こん)に命じて、之れを治めしめしに、成功せず。堯晩年に至りて、稍〃政務に倦みしかば、四嶽の祭を主る某、舜を推擧せり。堯之れを用ゐて、國政を代理せしむ。而して我が子の丹朱暗愚なるにぞ、遂に舜をば天に薦めたり。天子の職は、皇天の意を奉體して、萬民を主宰するものなれば、敢て國家を私せず、謹みて天地神明に告げて、己れの任に代らしめたるなり。堯崩じて後、舜天子の位に即きぬ。

帝舜有虞氏

帝舜有虞氏、姚姓ナリ。或ハク、名重華。瞽瞍之子ニシテ、顓頊ヨリ六世孫也。父惑ヒテ於後妻、愛少子、常サント。舜盡シテ孝悌之道、烝烝トシテメテラシメ。畊セバ歴山、民皆讓、漁スレバ雷澤、人皆讓、陶スレバ河M、器不苦窳。所、二年ニシテ、三年ニシテシヌ。」
字解瞽瞍(こそう)目のみえぬを、瞽といひ、目なきを瞍といふ。舜の父昏迷にして、善惡を辨ぜざること、盲者の物を見分け難きが如し。故に瞽瞍といふ。一説に、瞍は叟と通じて、長老の稱なりとも云へり。孝悌父母に順なるを孝といひ、兄弟に善きを悌といふ。烝烝(じょう/\)いつとなくといふ意なり。(をさむ)心を改むるをいふ。苦窳(くゆ)苦は粗なり。窳は缺壞なり。粗惡のやきものを造り出さぬをいふ。
講義帝舜有虞氏は、姚(えう)といふ姓なり。或は其の名を重華と曰へりとぞ。顓頊より第六世の孫なり。其の父頑愚にして、盲目の美惡を見分くる能はざるが如くなりければ、時の人、瞽瞍と呼びて、其の名を謂はざりき。瞽瞍後妻に惑溺して、末子の象を愛し、長子の舜を憎みて、常に之を殺さんと欲したれど、舜善く父母に孝を盡し、其の異母弟(はらがはりのおとうと)を憐みて、少しも他念なく、次第々々に父の心を改良して、甚しき惡事を爲すに至らしめざりき。之れを見聞する者、舜のコを景慕し、舜のコに感化せざるはなし。故に舜歴山に在りて、耕作を爲れば、農民互に田畠の界を讓り合ひて、毫も侵奪することなく、雷澤に在りて、魚を捕れば、來りて共に捕る者も、互に塲處を讓り合ひて、敢て占領することなく、河Mに在りて、燒物を爲れば、同じく業を執る者も、皆厚正の器を製し、粗惡の品を出さず。暫く居れば、聚を爲し(*ママ)、二年に及べば、邑を爲し、三年に至れば、キを爲しぬ。邑は聚よりも人員多く、キは邑よりも多人數なり。以て民の舜に歸すること歳月を經るに隨ひて、いよ/\増加するを見るべし。
堯聞キテレガ聰明ナルヲ、擧於畎畝ヨリ、妻スニテス二女。曰娥黄・女英。釐-于嬀汭。遂トシテ。放驩兜、流共工、殛、竄三苗、擧才子八元八ト、命九官、咨十二牧。四海之内、咸ケリ。」
字解聰明耳目の鋭敏なるを聰明といふ。耳目の鋭敏なるは、即ち艶_の頴悟なるなり。畎畝(けんぽ)六尺を歩と爲し、百歩を畝と爲す。畎は一畝の間、廣さ一尺深さ一尺なるをいふ。畎畝より擧ぐとは、猶ほ民間より擧ぐといはんがごとし。(をさ)(くだ)婚禮の儀式を整へて、下し嫁するなり。天子の女を臣下に嫁するを以て、降すといふ。嬀汭(ぎぜい)嬀は水の名なり。汭は水の北なり。攝は前に見えたる攝行の義にして、天子に代りて政事を執ることなり。定處に留め置きて、他行を許さぬをいふ。遠方に逐ひ拂ふをいふ。とりしまりに入れ置くをいふ。(ざん)遠方に逐ひやりて、とりしまりに入れ置くをいふ。書の孔傳には、殛、竄、放、流は皆誅なり。其の文を異にせるは、述作の體なりといへり。八元元は、善なり、長なり。八ト(がい)トは和なり。(はか)相談するをいふ。民を養ふ官なり。今の府縣知事の如し。四海之内陸地の周圍は、海水を以て繞らさるるが故に、内國を稱して、四海之内又海内といふ。
講義堯帝舜の聰明なるを聞きて、之れを民間より登庸し、娥黄、女英といへる二人の女子を妻し、嫁入の支度を爲して、舜の住める嬀といふ川の北に下し嫁せしめたり。舜はそれより遂に堯を輔佐して、政務を代理し、驩兜(くゎん、とう)を放ち、共工を流し、鯀を殛し、三苗國の君を竄しぬ。此の四人は、當時四凶と號して、國を害せし巨魁なり。さて伯奮、仲堪、叔獻、季仲、伯虎、仲熊、叔豹、季貍といふ八人の善き者と、蒼舒、隤敳(たい、がい)、檮戭(たう、えん)、大臨、龐降(ほう、かう)、庭堅、仲容、叔達といふ、八人の和ぎたる者と、合せて十六人の才子を登庸し、禹、稷、契(せつ)、皐陶(かう、えう)、垂、u、伯夷、夔(き)、龍の九人に命じて各〃授くるに重任を以てし、冀、兗、、徐、揚、荊、豫、梁、雍、幽、并、營、十二州の守牧に相談して、政事向を執り行ひければ、全國盡く舜の功コを奉戴するに至りたり。
ジテ五絃之琴、歌南風之詩。而シテ天下治レリ。詩ハク、南風之薫ズルハ兮、可民之慍兮、南風之時ナルハ兮、可シトニス民之財兮。時景星出、卿雲興。百工相和シテ而歌ヒテハク、卿雲爛タリ兮、禮縵縵タリ兮。日月光華アリ、旦復兮。」舜商均不肖ナリ。乃於天。舜南巡狩、崩於蒼梧之野。禹即
字解(くん)又熏に作る。和らぎ暢ぶる義なり。(いかり)怒を含む意なり。景星コ星なり。卿雲卿は慶と通じて、めでたき雲といふことなり。百工ゥ役人をいふ。其の詩に對して、應答(*原文「荅」)の詩を作ることなり。(らん)文彩ある貌。縵縵(まん/\)うるはしき貌。巡狩天子ゥ侯の領分を見廻るをいふ。
講義舜帝政事の改革を行ひし後、至りて無事になりければ、五本の絲を張りたる琴をひきて、南風の詩を歌ひて樂めり。而して天下大に治りぬ。其の詩に曰はく、南風のそよ/\として、心地よく吹き來るは、吾が人民の不平を解くに足りぬべく、南風の時節に應じて、萬物を長養するは、吾が人民の財産を阜(ゆたか)にするに足りぬべしと。時に景星(たふときほし)天にあらはれ、卿雲(めでたきくも)空にたなびきければ、ゥ役人ども其の詩に和して歌ひて曰はく、卿雲爛乎として、祥瑞を呈し、朝廷の禮式粲然として張り、日も月もいと美しき光を放ちて、天色日々に暢和せりと。」舜の子の商均は、堯の子の丹朱の如く、父に肖(に)ずして、暗愚なりければ、舜之れに天下を讓りて、萬民を病ましめんことを欲せず、乃ち當時朝廷に於て最も有コの聞えある、禹を天帝に薦めて、己れに代らしめ、南の方に巡幸して、蒼梧の野に崩じたり。是に於て、禹天子の位に即きぬ。

夏后氏

夏后氏禹、姒姓ナリ。或ハク、名文命。鯀之子ニシテ、顓頊孫也。鯀湮洪水。舜擧ゲテラシム。勞ラシテ、居ルコト十三年、過レドモ家門、不。陸行ニハ、水行ニハ、泥行ニハ、山行ニハ、開九州、通九道、陂九澤、度九山、告成功。舜嘉シテレヲ、使ヰテ百官天下。舜崩。乃。」
字解夏后氏禹禹夏の地より起る。故に夏を以て國號とす。后は君なり。禹は名なり。(ふさ)水の患をとゞむるをいふ。(こが)ラス焦は猶ほ盡すといはんがごとし。(けう)其の形箕(み)の如くにして、泥深き處をわたる具なり。我が國にて用ゐる「そり」の類なり。(きだ)錐頭(きりのさき)の如く、長さ五分ほどの鐵を、履の下に施して、險阻を歩むとき、すべりこけぬやうにしたるものなり。我が國にて用ゐる「かんじき」の類なり。(はか)測量するなり。
講義夏后氏禹は姒(じ)といふ姓なり。或は其の名を文命と曰へりとぞ。鯀の子にして、顓頊の孫なり。堯の時、洪水天下にはびこりければ、堯鯀をして之をせきとめさせたれど、九年立ち(*ママ)ても、成績なし。舜大政を攝行するに及びて、鯀を羽山に殛し、禹をして父の業を續がしむ。禹父の功なくして、誅せられしを傷み、身を勞し心をくだきて、一日も安んぜず、十三年間力を溝淢(みづみち)に盡し、我が門前を通り過ぎても、内に入りて休息せず、陸には車、水には船、泥には橇、山には檋を用ゐ、東西南北到らざるなく、高低淺深究めざるなく、以て漢土全國を巡廻し、國土を開き、道路を通じ、水澤に陂障し、丘山を測量せり。堯より以前は、全土の方域、冀、兗、、徐、揚、荊、豫、梁、雍の九州なりけるが、舜の時、冀、の二州廣きに過ぐるを以て、冀の東を割きて、并州と爲し、其の東北を幽州と爲し、の北を營州と爲し、共に十有二州と定めたり。然るに、禹又之れを舊に復し、并、營の二州を廢して、九州と爲しぬ。故に九道と曰ひ、九澤と曰ひ、九山と曰へるは、全國の道路山澤を総稱せるなり。其の功既に成り、謹みて之れを奏上す。舜其の偉勳を嘉し、滿朝百執事の人を指揮して、天下の政務を攝行せしむ。舜崩ずるに及びて、禹王位を踐みぬ。
律、身度。左ニシ準繩、右ニス規矩。一タビスルニタビ、以天下之民。出デヽレバ罪人、下リテヨリヒテ而泣キテハク、堯舜之たみ、以堯舜之心シケルガ、寡人リテヨリ、百姓各〃自シヌ。寡人痛ムトレヲ。」古醴酩。至リテ、儀狄作。禹飮ミテ而甘シトシテレヲ、曰ハク、後世必ラント。遂ミヌ儀狄。」
字解律、身律は十二律にして、音樂の調子なり。度は尺度にして、長短を測る器なり。聲は律たりとは、一言一語、音律の整然たるが如く、正理に合ふをいふ。身は度たりとは、一擧一動、尺度の規程あるが如く、常經に當るをいふ。準繩(じゅんじょう)規矩(きく)準は「みづもり」の類にて、平をはかるもの、繩は「すみなは」の類にて、直をはかるもの、規は「ぶんまはし」の類にて、圓をはかるもの、矩は「さしがね」の類にて、方をはかるものなり。是れ皆工匠の要具なり。タビ(き)スルニタビ饋は餉(かれひ)にて、食事なり。但し一に必ず十たび起つと限りたるにはあらず。飮食の間に屡〃身を起して、事を聽くをいふなり。百姓姓は祖先の自りて出づる所を統ぶるものにして、我が國の源、平、藤、橘の類の如し。天下の民、一人あれば、必ず一姓あり。故に人民を稱して、百姓といふ。寡人コの寡き人といふことにて、君主の謙稱なり。常人の拙者といふに同じ。
講義禹の神聖なる、言動一々正理常經にかなひて、音律の節ある、尺度の法あるが如く、事を理するは、規矩準繩を兩手に持ちて、物の方圓平直をはかるが如し。故に少しも措置を失ふことなけれども、尚ほ孜々として、政務を親らし、食に當りて、事を奏する者あれば、箸を投じて、直ちに起ちて、天下の民を慰勞せり。其の外に出づるに當り、途上に於て罪人を見るときは、車より下りて、犯罪の次第を尋ね、潜然として落涙して曰はく、堯舜二代の人民は、皆堯舜の善心を體認して、聊も道理に背くことなかりしが、朕が君主と爲るに及びて、朕が心の存する所を知らず、各〃一己の私意を逞しくして、法網に罹れり。是れ實に朕が寡コの致す所にして、痛嘆に耐へずと。」是れより以前は、世に酒なく、只〃醴酪(あまざけ)の類を飮料に供せしかば、身を破り家を失ふ者なかりしが、是に至りて、儀狄といふ者、始めて酒を釀したり。禹之れを飮みて、其の味を賞美して曰はく、後の世に至りて、必ず此の酒の爲めに、國を亡す者あらん。善からぬ物を造り出でぬと。遂に儀狄を遠ざけたり。
メテ九牧之金、鑄九鼎。三足三コ、以上帝鬼神。」會ゥ侯於塗山。執玉帛者萬國。」禹濟。黄龍負。舟中人懼。禹仰ギテジテハク、吾於天、竭シテ而勞萬民。生寄也、死歸也。視ルコトク二蝘蜓、顔色不。龍俛レテ而逝。南巡シテリテ會稽山而崩。」
字解九牧九州の長官なり。三コ一に正直、二に剛克、三に柔克。之れを三コと曰ふ。書の洪範に見えたり。上に奉ずるを享と曰ふ。上帝鬼神陽魂を神と爲し、陰魄を鬼と爲す。氣の伸ぶる者を神と爲し、屈する者を鬼と爲すといひて、天地の間に充塞する、無形の芽ヒをいふ。上帝は天帝なり。鬼神は上帝の外、一切の靈物をいふ。玉帛玉は五等の圭にして、其の形上圜に下方なり。帛は玄、纁(*そひ〔蘇比〕。淡茜色)、黄の三色の幣帛なり。漢土に於て、ゥ侯の列に在る者、天子に見ゆる時は、手に玉を執り、附庸(*属国。宗主国の対)の列に在る者、天子に見ゆる時は、手に帛を執るを以て禮とす。附庸とは、大藩に屬する小國の主をいふ。漢土南方の長流なり。
講義九州の守牧に命じ、各地の金を採り收めて、九個の大鼎を鑄さしめ、一鼎ごとに、三足を造りて、正直、剛、柔の三コにかたどり、天地祖宗を祭るとき、神饌を調和する用に供しぬ。傳に云はく、禹洪水を平げし後、天下の美銅を收めて、九鼎を鑄さしめ、上に九州の山川戸籍及び産する所の異物を列ねて、久遠に垂れぬと。されば其の質は銅にして、黄金にあらず。之れを金といへるは、鑛物の総稱に從ふなり。其の後禹王塗山に幸して、天下のゥ侯を會合せしに、遠近皆盛コを仰ぎて、ゥ侯は玉を執り、附庸は帛を執り、來會する者、萬を以て數ふるに至れり。後又南方に巡幸して、江水を渡りしとき、中流にして、黄色の龍蛇、王の御船を背に負ひて、あはや覆さんと爲しければ、船中の人々驚き怖れて、色を失ひけるに、禹王天を仰ぎて、長嘆して曰はく、吾れ上天の命を受けて、天下に君臨し、於ヘを竭盡して、萬民を慰勞せり。抑〃人の此の世に生けるは、猶ほ一時の寄寓のごとし。畢竟死して後にこそ其の本源に立ち歸る者なれと。龍を視ること、蠢爾たる蝘蜓(ゐもり)の如く、物の數とも思はざりければ、彼の怪物も、其の威コにや恐れけん、忽ち首を俛(ふ)し尾を低(た)れて、いづこともなく去りにけり。かくて江水を渡りて、遂に會稽山に至りて崩じぬ。
啓賢ニシテ、能。禹嘗メシカドu於天、謳歌朝覲スル者、不シテu而之キテ、曰ハク、吾君之子也。啓遂。有扈氏無道ナリ。啓與于甘。」啓崩。子太康立。盤遊シテ。有窮羿立テヽ仲康、而專ニス。羲リテ。羿假リテ王命ジテ胤侯セシムレヲ。」仲康崩。子相立。羿逐ヒテ自立。嬖臣寒浞、又殺シテ羿自立。」相之后、有仍國女也。方メリ。奔リテ有仍、而生少康。其後少康、有田一成、有衆一旅。因リテ舊臣、擧ゲテシテ、而復禹之績。」
字解才多くして、善行あるを、賢といふ。(おう)謳は吟なり。歌は詠なり。朝覲(きん)臣下の君上に見ゆるを、朝覲といふ。無道道とは、人の踐み行ふべき正當の道理なり。其の道理を破壞して人類の秩序を紊亂するを無道といふ。盤遊盤は般と通じて、樂むなり。書の五子之歌には、盤遊無度とあり。孟子には、般樂怠傲とあり。同じきことなり。遊興に耽るをいふ。
講義禹の子の啓は才多くして善行あり。能く禹の仁政を繼體して、民心の歸向する所となりぬ。禹の在世に當り、舜の朝に九官の一人たりしuを上天に薦めて、王位を讓らんと欲せしが、其の崩ずるに及びて、萬民皆啓を慕ひ、時の吟詠謳歌にも、啓の事をば稱讃し、參内朝覲する者も、皆uの方に往かずして、啓の方に往き、異口同音に謂へるやう、啓君こそ、吾が先君の太子なれ。當さに王統を承け繼がるべしと。遂に衆望に從ひて、位に即きぬ。既にして有扈氏(いう、こ、し)といふ者、王室の同姓を恃みて、道ならぬ事を行ひ、敢て朝命を奉ぜざりければ、啓之れと甘の地に戰ひて、之れを滅しぬ。啓崩じて、其の子の太康立ちけるが、遊びに耽りて、王京に返らず。有窮國の后(きみ)の羿(げい)其の虚に乘じ、太康の弟の仲康を立てゝ、政柄を掌握せしかば、羲と和との二氏固く君臣の義を守りて、號令に從はず。羿大に怒りて、仲康の命なりと詐稱し、胤侯に命じて、之れを征討せしめたり。」仲康崩じて、子の相立ちぬ。時に大權羿の手に在り。君を視ること家奴の如く、遂に相を逐ひ出して、自ら天子と爲り、佞人寒浞(さく)を嬖幸せり。然るに寒浞又羿を殺して、自ら天子と爲りぬ。」相の后妃は、有仍國(いう、じゃう、こく)の君の女なり。相の逐はるゝに當りて、ちやうど娠みたりければ、其の本國に奔りて、少康を生みぬ。少康有仍に成長して、方十里の土地と、五百人の兵卒とを有し、夏の舊臣なる靡(び)といふ者に結托して、義兵を起し、遂に寒浞を誅戮して、禹の功業を恢復せり。
少康以來、歴王杼王槐王芒王泄王不降王扄王厪、至王孔甲。好鬼神、事トス淫亂。夏コ衰。天降二龍。有雌雄。陶唐氏之後、有劉累トイフ。學スコトヲ、以孔甲。賜ヒテレニ、曰御龍氏。龍一雌死。潛ニシテハシム孔甲。復レヲ。累懼レテ而逃レタリ。」
字解(なら)馴し養ふをいふ。御龍御は圉なり。龍は馬なり。御龍は圉馬なり。一説に眞龍を擾狎すと爲るは非なり。馬の高さ八尺なるを龍といふ。(ひしほ)肉汁にして、今の「しほから」の類なり。(また)またの字に數種あり。其の一二を説かんに、又は「そのうへまた」といひて、一つある上に、今一つ添ふるときに用ゐる。例へば、書を讀み、又文を作る、といはんが如し。亦は「もまた」といひて、雙方を兼ね合するときに用ゐる。例へば、彼の人は書を讀み、此の人も亦書を讀む、といはんが如し。復は「ふたゝびまた」といひて、同じき事を再び重ぬるときに用ゐる。例へば、昨日文を作り、今日復た文を作る、といはんが如し。本條の復求之は、さきに食ひし肉を、再び懇望せしなり。
講義少康より、以來、王杼(じょ)、王槐(くゎい)、王芒(ばう)、王泄(えい)、王不降、王扄(けい)、王厪(きん)、の七代を歴て、王孔甲に至る。孔甲鬼神を妄信し、淫亂放肆なりければ、夏后氏の威コ衰微せり。時に雌雄二頭の龍馬を得たり。能く之れを牧する者なし。獨り堯の後裔なる劉累といふ者、圉馬の術を學び得て、孔甲に事へければ、新たに姓を御龍氏と賜ひて、之れを馴養せしめたり。其の後一雌死しければ、劉累ひそかに其の肉を鹽づけにして、醢(ひしほ)と爲して、王に獻ぜしに、王其の美味を喜びて、再び之れを得させよと望みしが、多くもあらぬ肉なれば、再び之れを獻ずべき道なく、誅を懼れて出奔せり。
孔甲之後、歴王皐王發王履癸トナル。號シテ。貪虐ナリ。力能鐵鈎索。伐有施氏。有施以末喜めあはレニ。有寵。所皆從。爲リテ傾宮瑤臺、殫。肉山脯林、酒池可一レ、糟堤可十里。一鼓シテ而牛飮スル者三千人、末喜以。國人大。湯伐。桀走リテ鳴條而死。夏爲ルコト天子一十有七世、凡ベテ四百三十二年ナリ
字解桀は磔(*原文の扁不明)なり。人を裂き殺すをいふ。(の)鐵鈎索(てつこうさく)手を以て、鐵のくさりを引きのばすなり。一説に、鐵鉤を伸ぶとすべし、鐵鉤は鐵のまがりがねなり、而して索の字は下の句に屬し、索(あなぐ)りて有施氏を伐つとすべしといへど、穩ならず。(けい)宮瑤(えう)傾は當さに璚(けい)に作るべし。璚は瓊と同じ、赤玉なり。瑤は玉の美なる者なり。璚宮瑤臺とは、玉を鏤めたる宮殿樓臺といふことなり。肉山脯(ほ)乾したる肉を脯といふ。肉は山の如く、脯は林の如しとは、其の甚だ多きをいへるなり。(さう)酒のかすなり。一十有七世有は又なり。十のうへに又七世といふことなり。
講義孔甲の後、王皐(かう)王發の二代を歴て、王履癸に至る。履癸凶惡にして、殺を嗜むを以て、時人之れを桀と呼びたり。桀貪婪暴虐至らざる所なく、腕力強大にして能く鐵鈎索(かなぐさり)を引きのばしたり。嘗て有施氏を伐ちけるに、有施誅を懼れて、美人末喜を獻じたり。桀其の色に溺れて、立てゝ后妃と爲し、深く之れを寵愛して、何事も言ふがまゝに聽從し、宮殿樓臺には、寶玉を鏤めて、人民の財産を奪ひ殫(つく)し、生肉は山の如く、乾肉は林の如く、酒を貯ふることは、さながら池の如くにて、船を運らすべき程の廣さあり、酒滓は陳堆して、堤防の如く、其の長さ幾ど十里を望むべし。一たび大鼓を打つときは、三千の宮人悉く酒池のほとりに聚り、匍匐して長飮すること、恰も牛の水を飮むが如し。末喜之れを觀て、無上の快樂と爲しぬ。是に於て、滿天下の人心、山の崩るゝ如く解散せり。殷の成湯其の救ふべからざるを見て、大擧して夏を伐つ。桀敗軍して、鳴條に走りて自殺せり。禹より桀に至るまで、天子と爲る者十七世、四百三十二年にして亡びたり。


  緒言   目録   漢土歴代帝王図   (地図)   (本文)   殷〜
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