大和物語
佐伯常麿 校註
(尾上八郎 解題『竹取物語・伊勢物語・大和物語・濱松中納言物語・無名草子・とりかへばや物語・堤中納言物語』
〈校註日本文學大系〉2 國民圖書株式會社 1925.6.23)
※ 検索の便のため、和歌の読み方を書き加えた。
1 亭子院の帝、今はおり居給ひなむとするころ
2 帝おり居給うて、又の年の秋
3 故源大納言宰相におはしける時
4 野大弐、純友が騒ぎの時
5 前坊の君失せ給ひにければ
6 朝忠中將、人の妻にてありける人に
7 男女、相知りて年經けるを
8 監の命婦の許に、中務宮おはしまし通ひけるを
9 桃園の兵部卿宮うせ給うて
10 監の命婦、堤にありける家を人に売りて後
11 故源大納言君、忠房のぬしの御女、東の方を
12 同じ大臣、かの宮をえ奉りて
13 右馬允藤原千兼といふ人の妻に
14 本院の北の方の御おとうとの童名を
15 また釣殿の宮に、若狹の御と云ひける人を召したりけるが
16 陽成院のすけの御、継父の少将の許に
17 故式部卿宮の出羽の御に、継父の少将のすみけるを
18 故式部卿宮、三条の御息所に絶え給うて
19 おなじ人、同じ親王の許に久しくおはしまさざりければ
20 故式部卿宮を、桂の皇女、切によばひ給うけれど
21 良少将、兵衛佐なりける頃
22 良少将、太刀の緒にすべき革を求めければ
23 陽成院の二の皇子、俊蔭中将の女に年比すみ給うけるを
24 先帝の御時に、右大臣の女御、うへの御局にまうのぼり給ひて
25 比叡の山に、念覚といふ法師の山籠りにてありけるに
26 桂の皇女、密に逢ふまじき人に逢ひ給うたりけり
27 かいせうといふ人、法師になりて
28 同じ人、かの父の兵衛佐、失せにける年の秋
29 故式部卿宮に、三条右大臣、他上達部など類して参り給ひて
30 故右京大夫宗于君、なりいづべき程に
31 おなじ右京大夫、監の命婦に
32 亭子の帝に、右京大夫よみて奉りける
33 躬恒が、院に詠みて奉りける
34 右京大夫の許に、女
35 堤中納言、内裏の御使にて
36 伊勢国に、前斎宮おはしましける時に
37 出雲が兄弟、一人は殿上して
38 先帝の五の皇子の御女は、一条君といひて
39 伊勢守もろみちの女を、正明中将君にあはせたりける時に
40 桂の皇女に、式部卿宮すみ給うけるとき
41 源大納言君の御許に、俊子は常に参りけり
42 恵秀といふ法師の、或人の御験者仕うまつりける程に
43 同じ人に、ある人
44 堤中納言君、十三の皇子の母御息所を
45 平仲、閑院の御に絶えて後
46 陽成院の一条君
47 先帝の御時、刑部君とて候ひ給ひける更衣の
48 おなじ帝、斎院の皇女の御許に
49 戒仙、山に登りて
50 斎院より、うちに
51 陽成院にありける坂上のとほみちといふ男
52 右京大夫宗于君の三郎にあたりける人
53 男、限りなく思ひける女を置きて、他国へ往にけり
54 越前権守兼盛、兵衛君といふ人にすみけるを
55 近江介平中興の女をいといたうかしづきけるを
56 おなじ兼盛、陸奥国にて
57 世の中を倦じて、筑紫へ下りける人
58 五条の御といふ人ありけり
59 亭子院に、御息所だち数多御曹司して住み給ふ事
60 のうさんの君といひける人
61 故右京大夫、人の女を忍びて得たりけるを
62 平仲、にくからず思ふ若き女を
63 南院の五郎、三河の守にてありける
64 俊子、千兼を待ちける夜
65 又俊子、雨の降りける夜、千兼を待ちけり
66 枇杷殿より、俊子が家に柏木のありけるを
67 忠文が、陸奥の将軍になりて下りける時
68 同じ人に、監の命婦、楊梅を遣りたりければ
69 故式部卿宮失せ給ひける時は
70 同じ宮おはしましける時、亭子院に住み給うけり
71 人の国の守にて下りける餞別を
72 おなじ中納言、かの殿の寝殿の前に
73 同じ中納言、蔵人にてありてける人の、加賀の守にて下りけるに
74 桂の皇女の御許に、喜種が来たりけるを
75 監の命婦、朝拝の威儀の命婦にて出でたりけるを
76 宇多院の花おもしろかりける比
77 季縄少将の女右近、故后宮に候ひけるころ
78 同じ女の許に、更に音もせで、雉子をなむ遣せ給へりける
79 同じ女、内裏の曹司にすみける時、忍びて通ひ給ふ人ありけり
80 同じ女、男の忘れじと、万の事をかけて誓ひけれど
81 おなじ右近、桃園宰相君なむすみ給ふなど云ひのゝしりけれど
82 正月の朔日ごろ、大納言殿に兼盛参りたりけるに
83 但馬国に通ひける兵庫頭なりける男の、かの国なりける女をおきて京へ上りければ
84 同じ男、紀伊国に下るに
85 修理の君に、右馬頭すみける時
86 又おなじ女に通ひける時
87 同じ女に、故兵部卿宮御消息などし給ひけり
88 三条右大臣、中将にいますかりける時
89 故権中納言、左大臣の君をよばひ給ふ年の十二月の晦日に
90 これも同じ中納言、斎宮の皇女を年ごろよばひ奉り給うて
91 故中務宮の北の方亡せ給うて後
92 おなじ右大臣の御息所、帝おはしまさずなりて後
93 太政大臣の北の方うせ給うて
94 同じ太政大臣、左大臣の御母、菅原の君かくれたまひにける
95 亭子の帝の御供に、太政大臣、大井に仕うまつり給へるに
96 大井に季縄少将すみける比、帝宣ひける
97 おなじ少将、病にいといたう煩ひて
98 土佐守にありける酒井人真といひける人
99 平仲が色好みけるさかりに市に行きけり
100 滋幹少将に、女
101 中興の近江介が女、物の怪に煩ひて
102 故兵部卿宮、この女のかゝること
103 南院の今君といふは、右京大夫宗于君の女なり
104 同じ女、巨城が牛を借りて
105 同じ女、人に
106 大膳大夫公平の女ども、県井戸といふ所に住みけり
107 おなじ女、後に兵衛尉庶忠に逢ひて、詠みて遣せたりける
108 兵衛尉離れて後、臨時の祭の舞人にさされて行きけり
109 桂の皇女、七夕の比、忍びて逢ひ給へりけり
110 右大臣、頭におはしける時に
111 公平の女、死ぬとて
112 桂の皇女、よしたねに
113 閑院のおほい君
114 同じ女に、陸奥国の守にて死にし藤原真樹が詠みて遣せたりける
115 太政大臣は、大臣になり給ひて年比おはするに
116 実任少弐といひける人のむすめの男
117 俊子が志賀にまうでたりけるに
118 同じ増基君、遣れる人の許は知らず、かう詠めりけり
119 本院の北の方、まだ帥大納言の妻にていますかりける折に
120 泉大将、故左大臣に参で給へりけり
121 この忠岑が女ありと聞きて、或人なむ得むといひけるを
122 筑紫にありける檜垣の御といひけるは
123 又同じ人、大弐の館にて
124 筑紫なりける女、京に男を遣りてよみける
125 これも筑紫なりける女
126 先帝の御時、四月の朔日の日
127 同じ帝の御時、躬恒を召して
128 同じ帝、月のおもしろき夜
129 先帝の御時に、ある御曹司にきたなげなき童ありけり
130 三条右大臣の女、堤中納言に逢ひはじめ給うける間は
131 又男、日比さわがしくてなむえ参らぬ
132 志賀の山越の道に、岩江といふ所に
133 小薬師久曾といひける人
134 先帝の御時に、承香殿の御息所の御曹司に
135 故兵部卿宮、昇大納言の女にすみ給うけるを
136 良殖といひける宰相の兄弟
137 故御息所の御姉、おほい子に當り給ひけるなむ
138 昔在中将の御息子、在次君といふが妻なる人なむありける
139 この在次君、在中将の東に往きたるけにやあらむ
140 亭子の帝、河尻におはしましにけり
141 亭子の帝、鳥飼の院におはしましにけり
142 昔津の国に住む女ありけり
143 津の国の難波の辺に、家して住む人ありけり
144 昔、大和国葛城郡に住む男女ありけり
145 昔、平城帝に仕うまつる采女ありけり
146 同じ帝、立田川の紅葉いとおもしろきを御覧じける日
147 同じ帝、狩いとかしこく好み給うけり
148 平城帝、位におはしましける時
149 大和国なりける人の女、いと清らにてありけるを
150 昔、大納言の女、いと美しうて持ち給ひたりけるを
151 信濃国更科といふ所に男住みけり
152 下野国に男女住みわたりけり
153 大和国に男女ありけり
154 染殿の内侍といふ、いますかりけり
155 同じ内侍に、在中将すみける時
156 在中将、二条后宮、まだ帝にも仕うまつり給はで、平人におはしましけるよに
157 また在中将内裏にさぶらふに、御息所の御かたより
158 在中将に、后宮より菊召しければ
159 在中将の許に、人の飾粽をおこせたるかへしに
160 水尾帝の御時、左大弁の女、弁御息所とていますかりけるを
161 在中将物見に出でて
162 男、女の衣を借り著て
163 深草帝と申しける御時、良少将といふ人
164 小野小町といふ人、正月に清水に詣でにけり
165 昔内舎人なりける人、大三輪の御幣使に大和国に下りけり
166 伊衡宰相、中将に物し給ひける時
167 今の左大臣、少将にものし給ひける時に
168 亭子の帝、石山につねに詣でたまひけり
169 良岑宗貞少将、ものへ行く道に
《補遺》
170 今は昔、二人して一人の女をよばひけり
171 同じ男、知れる人の許に常に通ふに
172 西の京六条わたりに
〔1〕
亭子院の帝、今はおり居給ひなむとするころ、弘徽殿の壁に、伊勢の御の書きつけける、
別るれどあひもをしまぬ百敷を見ざらむことのなにか悲しき
わかるれど あひもをしまぬ ももしきを みざらむことの なにかかなしき
とありければ、帝御覽じて、その傍に書きつけさせ給うける。
身一つにあらぬばかりをおしなべて行き廻りても何か見ざらむ
みひとつに あらぬばかりを おしなべて ゆきめぐりても なにかみざらむ
となむありける。
〔2〕
帝おり居給うて、又の年の秋、御髪おろし給ひて、所々山踏し給うて、行ひ給うけり。備前の掾にて、橘良利といひける人、内裏におはしましける時、殿上に候うて、御髪おろし給うければ、やがて御供に頭おろしてけり。人にも知られ給はで、歩き給ひける御供に、これなむ後れ奉らで候ひける。かゝる御ありきしたまふ、「いと惡しきことなり。」とて、内裏より少將、中將など、「此彼(*ママ)候へ。」とて、奉らせ給ひけれど、違ひつゝ歩きたまふ。
和泉國に至り給うて、日根といふ所におはします夜あり。いと心細うかすかにておはします事を思うて悲しかりけり。さて、「日根といふことを、歌に詠め。」と仰せ事ありければ、この良利大徳、
故郷のたびねの夢にみえつるは怨みやすらむまたと問はねば
ふるさとの たびねのゆめに みえつるは うらみやすらむ またととはねば
とありけるに、皆人泣きてえ詠まずなりにけり。その名をなむ、寛蓮大徳といひて、後までもさぶらひける。
〔3〕
故源大納言(*源清蔭)宰相におはしける時、京極御息所より、亭子院の御賀仕うまつり給ふとて、「かゝる事をなむせむと思ふ。捧物、一枝二枝せさせて賜へ。」と聞え給うければ、鬚籠を數多せさせたまうて、俊子(*大江玉淵女。藤原千兼妻。)に色々に染めさせ給うけり。敷物の織物ども、色々に染め、よりくみ何かと皆預けてせさせ給うけり。そのものどもを、九月晦日に、皆いそぎはててけり。さて、その十月朔日の日、この物、いそぎ給ひける人の許におこせたりける、(*俊子)
千々の色にいそぎし秋は過ぎにけり今は時雨に何を染めまし
ちぢのいろに いそぎしあきは すぎにけり いまはしぐれに なにをそめまし
その物急ぎ給うける時は、まもなく、此よりも彼よりも云ひかはし給うけるを、それより後は、その事とやなかりけむ、消息もいはで、十二月の晦日になりにければ、
かたかげの船にや乘りし白浪の騷ぐ時のみ思ひ出づる君
かたかげの ふねにやのりし しらなみの さはぐときのみ おもひいづるきみ
となむいへりけるを、そのかへしをもせで、年越えにけり。さて、二月ばかりに、柳のしなひ、物よりけに長きなむ、この家にありけるを折りて、(*源宰相)
青柳の絲うちはへて長閑なる春日しもこそ思ひ出でけれ
あをやぎの いとうちはへて のどかなる はるびしもこそ おもひいでけれ
とてなむ、遣り給へりければ、いと二なく愛でて、後までなむ語りける。
〔4〕
野大貳、純友が騷ぎの時、討手の使にさされて、少將にて下りけり。公にも仕うまつり、四位にもなりぬべき年に當りければ、正月の加階賜りの事、いと床しう覺えけれど、京より下る人もをさ\/聞えず。或人に問へど、「四位になりたり。」ともいふ。或人は「さもあらず。」といふ。「定かなる事いかで聞かむ。」と思ふ程に、京の便りあるに、近江守公忠君(*源公忠)の文をなむ持て來たりける。いとゆかしう嬉しうて、あけて見れば、萬の事ども書きもていきて、月日などかきて、奧に、
玉櫛笥ふたとせ逢はぬ君が身をあけながらやはあらむと思ひし
たまくしげ ふたとせあはぬ きみがみを あけながらやは あらむともひし
これを見て、限りなく悲しくてなむ泣きける。四位にならぬよし、文の詞にはなくて、只かくなむありける。(*位袍は一位が紫、二・三位が薄紫、四位は深緋、五位は緋、六位は緑。)
〔5〕
前坊の君(*醍醐天皇皇子保明親王。923年没。)失せ給ひにければ、大輔(*源弼(たすく)女。親王の乳母の子)、限りなく悲しくのみ覺ゆるに、后の宮(*藤原基経女穏子。親王生母。)、后に立ち給ふ日になりにければ、「ゆゝし。」とて隱しけり。さりければ、詠みて出しける、
わびぬれば今はと物を思へども心に似ぬは涙なりけり
わびぬれば いまはとものを おもへども こころににぬは なみだなりけり
〔6〕
朝忠中將、人の妻にてありける人に、忍びて逢ひ渡りけるを、女も思ひ交して住みける程に、かの男、他國の守になりて下りければ、此も彼も、いとあはれと思ひけり。さて、詠みて遣しける、
たぐへやる我が魂をいかにしてはかなき空にもて離るらむ
たぐへやる わがたましひを いかにして はかなきそらに もてはなるらむ
となむ、下りける日いひやりける。
〔7〕
男女、相知りて年經けるを、聊かなる事によりて離れにけり。飽くとし(*原文「年」)もなくて、止みにしかばにやあらむ、男も哀れと思ひけり。かくなむ云ひ遣りける、
逢ふことは今は限りと思へども涙は絶えぬものにぞありける
あふことは いまはかぎりと おもへども なみだはたえぬ ものにぞありける
女、いとあはれと思ひけり。
〔8〕
監の命婦の許に、中務宮(*醍醐天皇皇子式明親王。中務卿。原本頭注は元良親王とする。)おはしまし通ひけるを、「方の塞がれば、今宵はえなむ參でぬ。」と宣へりければ、その御返り事に、
逢ふ事のかたはさのみぞふたがらむ一夜めぐり(*太白神)の君と思へば
あふことの かたはさのみぞ ふたがらむ ひとよめぐりの きみとおもへば
とありければ、方塞りたりけれど、おはしましてなむ、大殿隱りにける。かくて又、久しく音もし給はざりけるに、「嵯峨の院に狩すとてなむ、久しく消息なども物せざりける。いかに覺束なく思ひつらむ。」など宣へりける御かへりごとに、
大澤の池の水ぐき絶えぬともなにか恨みむさがのつらさは
おおさはの いけのみづぐき たえぬとも なにかうらみむ さがのつらさは
御返しはこれにや劣りけむ、人忘れにけり。
〔9〕
桃園の兵部卿宮(*醍醐天皇皇子克明親王。原本頭注は『続後撰集』によって宇多天皇皇子敦固親王とする。)うせ給うて、御はて(*一周忌)九月晦日にし給ひけるに、俊子、かの宮の北の方(*藤原時平女。原本頭注は醍醐天皇皇女慶子内親王とする。)に奉りける、
大かたの秋の終てだに悲しきに今日はいかでか君暮すらむ
おほかたの あきのはてだに かなしきに けふはいかでか きみくらすらむ
限りなく悲しと思ひて、泣き居給へりけるに、かくいへりければ、
あらばこそ(*秋の)初めも終ても思ほえめ今日にも逢はで消えにしものを
あらばこそ はじめもはても おもほえめ けふにもあはで きえにしものを
となむかへし給ひける。
〔10〕
監の命婦、堤にありける家を人に賣りて後、粟田といふ所に往きけるに、その家の前を渡りければ、詠みたりける、
ふる里をかは(*「彼は」に「川」を通わせる。)と見つゝも渡るかな淵瀬ありとは宜もいひけり
ふるさとを かはとみつつも わたるかな ふちせありとは うべもいひけり
〔11〕
故源大納言君(*源清蔭)、忠房のぬしの御女、東の方を、年比思ひて住み渡り給うけるを、亭子院の若宮(*醍醐天皇皇女韶子内親王)につき奉り給うて程經にけり。(*東の方との間には)子どもなどありければ、事も絶えず、同じ所になむ住み給うける。さて、詠みてやり給うける、
住の江の松ならなくに久しくも君と寢ぬ夜のなりにけるかな
すみのえの まつならなくに ひさしくも きみとねぬよの なりにけるかな
とありければ、かへし、
久しくはおもほえねども住の江の松やふたたび生ひ代るらむ
ひさしくは おもほえねども すみのえの まつやふたたび おひかはるらむ
となむありける。
〔12〕
同じ大臣、かの宮をえ奉りて、帝(*宇多法皇)のあはせ奉り給へりけれど、はじめ頃忍びて、夜々通ひ給うける比、かへりて、(*清蔭)
あくといへばしづ心なき春の夜の夢とや君をよるのみは見む
あくといへば しづごころなき はるのよの ゆめとやきみを よるのみはみむ
〔13〕
右馬允藤原千兼といふ人の妻に、俊子といふ人なむありける。子ども數多出で來て、思ひて棲みけるほどに、なくなりにければ、限りなく悲しくのみ思ひ歩く程に、内の藏人(*女蔵人)にてありける一條君(*清和天皇皇子貞平親王女。京極御息所女房。)といひける人は、俊子をいとよく知れりける人なりけり。かくなりにける程にしも、訪はざりければ、怪しと思ひ歩く程に、訪はぬ人(*一条君)の從者の女なむ逢ひたりけるを見て、かくなむ、
「思ひきや過ぎにし人の悲しきに君さへつらくならむものとは
おもひきや すぎにしひとの かなしきに きみさへつらく ならむものとは
と聞えよ。」といひければ、かへし、
なき人を君がきかく(*聞くこと。ク語法。)にかけじとて泣く\/忍ぶほどな恨みそ
なきひとを きみがきかくに かけじとて なくなくしのぶ ほどなうらみそ
〔14〕
本院の北の方(*在原棟梁女。もと藤原国経妻。)の御おとうとの童名を、おほつぼねといふいまそかりけり。陽成院の帝に奉りけるに、おはしまさざりければ、詠みて奉りける、
あらたまの年は經ねども猿澤の池の玉藻は見つべかりけり
あらたまの としはへねども さるさはの いけのたまもは みつべかりけり
(*原文頭注:拾遺集に「わぎも子がねくたれ髪を猿澤の池の藻屑と見るぞ悲しき」)
〔15〕
また釣殿の宮(*光孝天皇皇女綏子内親王。陽成天皇に配する。)に、若狹の御と云ひける人を(*陽成院は)召したりけるが、又も召しなかりければ、詠みて奉りける、
數ならぬ身に置くよひの白玉は光見えさすものにぞありける
かずならぬ みにおくよひの しらたまは ひかりみえさす ものにぞありける
と詠みて奉りければ、見給うて、「あなおもしろの玉の歌よみや。」となむ宣ひける。
〔16〕
陽成院のすけの御、繼父の少將の許に、
春の野ははるけながらも忘れ草生ふるは見ゆるものにぞありける
はるののは はるけながらも わすれぐさ おふるはみゆる ものにぞありける
少將、かへし、
春の野に生ひじとぞ思ふ忘れ草つらき心の種しなければ
はるののに おひじとぞおもふ わすれぐさ つらきこころの たねしなければ
〔17〕
故式部卿宮(*宇多天皇皇子敦慶親王)の出羽の御に、繼父の少將のすみけるを、離れて後、女、薄に文をつけて遣りたりければ、少將、
秋風に靡く尾花は昔見し袂に似てぞ戀しかりける
あきかぜに なびくをばなは むかしみし たもとににてぞ こひしかりける
出羽の御、かへし、
袂ともしのばざらまし秋風に靡く尾花の驚かさずば
たもととも しのばざらまし あきかぜに なびくをばなの おどろかさずば
〔18〕
故式部卿宮、三條の御息所(*「二條の御息所」とも。三条右大臣藤原定方女か。原文頭注に「醍醐天皇の女御藤原善子」とある。)に絶え給うて、又の年の正月の七日の日、若菜奉り給うけるに、(*御息所)
ふるさとと荒れにし宿の草の葉も君が爲とぞまづは摘みける
ふるさとと あれにしやどの くさのはも きみがためとぞ まづはつみける
とありけり。
〔19〕
おなじ人(*三条御息所)、同じ親王の許に、(*親王が)久しくおはしまさざりければ、秋のことなりけり。
世に經れど戀もせぬ身の夕さればすゞろに物の戀しきやなぞ
よにふれど こひもせぬみの ゆふされば すずろにものの こひしきやなぞ
とありければ、かへし、
夕ぐれに物思ふ時は神無月われも時雨におとらざりけり(*袖が赤く染まる意か。)
ゆふぐれに ものおもふときは かむなづき われもしぐれに おとらざりけり
となむありける。心に入らで惡しく詠み給うけるとぞ。
〔20〕
故式部卿宮を、桂の皇女(*宇多天皇皇女孚子内親王。敦慶親王の異母妹。)、切によばひ給うけれど、おはしまさざりける時、月のいとおもしろかりける夜、(*皇女は)御文奉り給へりけるに、
久方の空なる月の身なりせば行くとも見えで君は(*「君をば」の意。)見てまし
ひさかたの そらなるつきの みなりせば ゆくともみえで きみはみてまし
となむありける。
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1 亭子院の帝、今はおり居給ひなむとするころ
2 帝おり居給うて、又の年の秋
3 故源大納言宰相におはしける時
4 野大弐、純友が騒ぎの時
5 前坊の君失せ給ひにければ
6 朝忠中將、人の妻にてありける人に
7 男女、相知りて年經けるを
8 監の命婦の許に、中務宮おはしまし通ひけるを
9 桃園の兵部卿宮うせ給うて
10 監の命婦、堤にありける家を人に売りて後
11 故源大納言君、忠房のぬしの御女、東の方を
12 同じ大臣、かの宮をえ奉りて
13 右馬允藤原千兼といふ人の妻に
14 本院の北の方の御おとうとの童名を
15 また釣殿の宮に、若狹の御と云ひける人を召したりけるが
16 陽成院のすけの御、継父の少将の許に
17 故式部卿宮の出羽の御に、継父の少将のすみけるを
18 故式部卿宮、三条の御息所に絶え給うて
19 おなじ人、同じ親王の許に久しくおはしまさざりければ
20 故式部卿宮を、桂の皇女、切によばひ給うけれど
21 良少将、兵衛佐なりける頃
22 良少将、太刀の緒にすべき革を求めければ
23 陽成院の二の皇子、俊蔭中将の女に年比すみ給うけるを
24 先帝の御時に、右大臣の女御、うへの御局にまうのぼり給ひて
25 比叡の山に、念覚といふ法師の山籠りにてありけるに
26 桂の皇女、密に逢ふまじき人に逢ひ給うたりけり
27 かいせうといふ人、法師になりて
28 同じ人、かの父の兵衛佐、失せにける年の秋
29 故式部卿宮に、三条右大臣、他上達部など類して参り給ひて
30 故右京大夫宗于君、なりいづべき程に
31 おなじ右京大夫、監の命婦に
32 亭子の帝に、右京大夫よみて奉りける
33 躬恒が、院に詠みて奉りける
34 右京大夫の許に、女
35 堤中納言、内裏の御使にて
36 伊勢国に、前斎宮おはしましける時に
37 出雲が兄弟、一人は殿上して
38 先帝の五の皇子の御女は、一条君といひて
39 伊勢守もろみちの女を、正明中将君にあはせたりける時に
40 桂の皇女に、式部卿宮すみ給うけるとき
41 源大納言君の御許に、俊子は常に参りけり
42 恵秀といふ法師の、或人の御験者仕うまつりける程に
43 同じ人に、ある人
44 堤中納言君、十三の皇子の母御息所を
45 平仲、閑院の御に絶えて後
46 陽成院の一条君
47 先帝の御時、刑部君とて候ひ給ひける更衣の
48 おなじ帝、斎院の皇女の御許に
49 戒仙、山に登りて
50 斎院より、うちに
51 陽成院にありける坂上のとほみちといふ男
52 右京大夫宗于君の三郎にあたりける人
53 男、限りなく思ひける女を置きて、他国へ往にけり
54 越前権守兼盛、兵衛君といふ人にすみけるを
55 近江介平中興の女をいといたうかしづきけるを
56 おなじ兼盛、陸奥国にて
57 世の中を倦じて、筑紫へ下りける人
58 五条の御といふ人ありけり
59 亭子院に、御息所だち数多御曹司して住み給ふ事
60 のうさんの君といひける人
61 故右京大夫、人の女を忍びて得たりけるを
62 平仲、にくからず思ふ若き女を
63 南院の五郎、三河の守にてありける
64 俊子、千兼を待ちける夜
65 又俊子、雨の降りける夜、千兼を待ちけり
66 枇杷殿より、俊子が家に柏木のありけるを
67 忠文が、陸奥の将軍になりて下りける時
68 同じ人に、監の命婦、楊梅を遣りたりければ
69 故式部卿宮失せ給ひける時は
70 同じ宮おはしましける時、亭子院に住み給うけり
71 人の国の守にて下りける餞別を
72 おなじ中納言、かの殿の寝殿の前に
73 同じ中納言、蔵人にてありてける人の、加賀の守にて下りけるに
74 桂の皇女の御許に、喜種が来たりけるを
75 監の命婦、朝拝の威儀の命婦にて出でたりけるを
76 宇多院の花おもしろかりける比
77 季縄少将の女右近、故后宮に候ひけるころ
78 同じ女の許に、更に音もせで、雉子をなむ遣せ給へりける
79 同じ女、内裏の曹司にすみける時、忍びて通ひ給ふ人ありけり
80 同じ女、男の忘れじと、万の事をかけて誓ひけれど
81 おなじ右近、桃園宰相君なむすみ給ふなど云ひのゝしりけれど
82 正月の朔日ごろ、大納言殿に兼盛参りたりけるに
83 但馬国に通ひける兵庫頭なりける男の、かの国なりける女をおきて京へ上りければ
84 同じ男、紀伊国に下るに
85 修理の君に、右馬頭すみける時
86 又おなじ女に通ひける時
87 同じ女に、故兵部卿宮御消息などし給ひけり
88 三条右大臣、中将にいますかりける時
89 故権中納言、左大臣の君をよばひ給ふ年の十二月の晦日に
90 これも同じ中納言、斎宮の皇女を年ごろよばひ奉り給うて
91 故中務宮の北の方亡せ給うて後
92 おなじ右大臣の御息所、帝おはしまさずなりて後
93 太政大臣の北の方うせ給うて
94 同じ太政大臣、左大臣の御母、菅原の君かくれたまひにける
95 亭子の帝の御供に、太政大臣、大井に仕うまつり給へるに
96 大井に季縄少将すみける比、帝宣ひける
97 おなじ少将、病にいといたう煩ひて
98 土佐守にありける酒井人真といひける人
99 平仲が色好みけるさかりに市に行きけり
100 滋幹少将に、女
101 中興の近江介が女、物の怪に煩ひて
102 故兵部卿宮、この女のかゝること
103 南院の今君といふは、右京大夫宗于君の女なり
104 同じ女、巨城が牛を借りて
105 同じ女、人に
106 大膳大夫公平の女ども、県井戸といふ所に住みけり
107 おなじ女、後に兵衛尉庶忠に逢ひて、詠みて遣せたりける
108 兵衛尉離れて後、臨時の祭の舞人にさされて行きけり
109 桂の皇女、七夕の比、忍びて逢ひ給へりけり
110 右大臣、頭におはしける時に
111 公平の女、死ぬとて
112 桂の皇女、よしたねに
113 閑院のおほい君
114 同じ女に、陸奥国の守にて死にし藤原真樹が詠みて遣せたりける
115 太政大臣は、大臣になり給ひて年比おはするに
116 実任少弐といひける人のむすめの男
117 俊子が志賀にまうでたりけるに
118 同じ増基君、遣れる人の許は知らず、かう詠めりけり
119 本院の北の方、まだ帥大納言の妻にていますかりける折に
120 泉大将、故左大臣に参で給へりけり
121 この忠岑が女ありと聞きて、或人なむ得むといひけるを
122 筑紫にありける檜垣の御といひけるは
123 又同じ人、大弐の館にて
124 筑紫なりける女、京に男を遣りてよみける
125 これも筑紫なりける女
126 先帝の御時、四月の朔日の日
127 同じ帝の御時、躬恒を召して
128 同じ帝、月のおもしろき夜
129 先帝の御時に、ある御曹司にきたなげなき童ありけり
130 三条右大臣の女、堤中納言に逢ひはじめ給うける間は
131 又男、日比さわがしくてなむえ参らぬ
132 志賀の山越の道に、岩江といふ所に
133 小薬師久曾といひける人
134 先帝の御時に、承香殿の御息所の御曹司に
135 故兵部卿宮、昇大納言の女にすみ給うけるを
136 良殖といひける宰相の兄弟
137 故御息所の御姉、おほい子に當り給ひけるなむ
138 昔在中将の御息子、在次君といふが妻なる人なむありける
139 この在次君、在中将の東に往きたるけにやあらむ
140 亭子の帝、河尻におはしましにけり
141 亭子の帝、鳥飼の院におはしましにけり
142 昔津の国に住む女ありけり
143 津の国の難波の辺に、家して住む人ありけり
144 昔、大和国葛城郡に住む男女ありけり
145 昔、平城帝に仕うまつる采女ありけり
146 同じ帝、立田川の紅葉いとおもしろきを御覧じける日
147 同じ帝、狩いとかしこく好み給うけり
148 平城帝、位におはしましける時
149 大和国なりける人の女、いと清らにてありけるを
150 昔、大納言の女、いと美しうて持ち給ひたりけるを
151 信濃国更科といふ所に男住みけり
152 下野国に男女住みわたりけり
153 大和国に男女ありけり
154 染殿の内侍といふ、いますかりけり
155 同じ内侍に、在中将すみける時
156 在中将、二条后宮、まだ帝にも仕うまつり給はで、平人におはしましけるよに
157 また在中将内裏にさぶらふに、御息所の御かたより
158 在中将に、后宮より菊召しければ
159 在中将の許に、人の飾粽をおこせたるかへしに
160 水尾帝の御時、左大弁の女、弁御息所とていますかりけるを
161 在中将物見に出でて
162 男、女の衣を借り著て
163 深草帝と申しける御時、良少将といふ人
164 小野小町といふ人、正月に清水に詣でにけり
165 昔内舎人なりける人、大三輪の御幣使に大和国に下りけり
166 伊衡宰相、中将に物し給ひける時
167 今の左大臣、少将にものし給ひける時に
168 亭子の帝、石山につねに詣でたまひけり
169 良岑宗貞少将、ものへ行く道に
《補遺》
170 今は昔、二人して一人の女をよばひけり
171 同じ男、知れる人の許に常に通ふに
172 西の京六条わたりに