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伊勢物語


(『平安朝物語集』全 有朋堂文庫 有朋堂書店 1913.3.13
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(目次)

(*原文には目次なし。)
 一 初冠               六 芥川         九 東下り      十一   十二   十三 武蔵鐙   十四   十五   十六   十七   十八   十九   廿   廿一   廿二   廿三 筒井筒   廿四 梓弓   廿五   廿六   廿七   廿八   廿九      卅一   卅二   卅三   卅四   卅五   卅六   卅七   卅八   卅九   四十   四十一   四十二   四十三   四十四   四十五   四十六   四十七   四十八   四十九   五十   五十一   五十二   五十三   五十四   五十五   五十六   五十七   五十八   五十九   六十   六十一   六十二   六十三   六十四   六十五   六十六   六十七   六十八   六十九   七十   七十一   七十二   七十三   七十四   七十五   七十六   七十七   七十八   七十九   八十   八十一   八十二   八十三   八十四   八十五   八十六   八十七   八十八   八十九   九十   九十一   九十二   九十三   九十四   九十五   九十六   九十七   九十八   九十九      百一   百二   百三   百四   百五   百六   百七   百八   百九   百十   百十一   百十二   百十三   百十四   百十五   百十六   百十七   百十八   百十九   百二十   百二十一   百二十二   百二十三   百二十四   百二十五 


[目次]
〔初段〕 むかし、男、初冠うひかうぶりして、奈良の京、春日の里にしるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらからすみけり。この男かいまみてけり。おもほえず古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の著たりける狩衣かりぎぬの裾をきりて、歌をかきてやる。その男、信夫摺しのぶずりの狩衣をなむ著たりける。
春日野のわかむらさきの摺衣すりごろもしのぶのみだれかぎり知られず
となむ、おひつきていひやりける。ついでおもしろき事ともや思ひけむ。
陸奧みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑにみだれそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやき風流みやびをなむしける。

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〔二〕 昔、男ありけり。奈良のきやうははなれ、この京は人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり。その女世の人には勝れりけり。其人、かたちよりは心なむ勝りたりける。獨のみにもあらざりけらし。それをかのまめ男うち物がたらひて、歸り來ていかが思ひけむ、時は三月やよひのついたち、雨そぼふるにやりける。
おきもせず寐もせで夜をあかしては春のものとて眺めくらしつ

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〔三〕 昔、男ありけり。懸想けさうじける女のもとに、鹿尾菜ひじきもといふものをやるとて、
おもひあらばむぐらの宿にねもしなむひしきもの(*引敷物)には袖をしつつも
條后でうのきさきの、まだみかどにも仕うまつり給はで、ただうどにておはしける時のことなり。

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〔四〕 昔、ひんがしの五條に、大后宮おほきさいのみやおはしましける。西の對にすむ人ありけり。それを本意ほいにはあらで、志ふかかりける人(*前段「まめ男」に対応)、行きとぶらひけるを、正月むつきの十日ばかりの程に、ほかに隱れにけり。あり所は聞けど、人の行き通ふべき所にもあらざりければ、なほしと思ひつゝなむありける。又の年の正月に、梅の花盛に、去年こぞをこひて、いきて、立ちてみ居てみ見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に、月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひ出でてよめる。
月やあらぬ春や昔のはるならぬ我が身ひとつはもとの身にして
とよみて、夜のほの/〃\と明くるに、泣く/\歸りにけり。

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〔五〕 昔、男ありけり。東の五條わたりにいと忍びていきけり。みそかなる所なれば、かどよりもえ入らで、わらはべのふみあけたる築地ついひぢのくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、度重なりければ、あるじ聞きつけて、その通路かよひぢに、夜毎よごとに人をすゑて守らせければ、いけどもえ逢はで歸りけり。さてよめる。
人知れぬわがかよひ路の關守はよひよひごとにうちも寐ななむ
と詠めりければ、いといたう心やみけり。あるじ許してげり。二條后に忍びて參りけるを、世のきこえありければ、兄等せうとたちの守らせ給ひけるとぞ。

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〔六〕 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を經てよばひわたりけるを、からうじて盜み出でて、いとくらきにてゆきけり。芥川あくたがはといふ河をいきければ、草の上におきたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。ゆくさきおほく夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、~かんさへいといみじう鳴り、雨もいたうふりければ、あばらなる藏に、女をば奧におし入れて、男は弓やなぐひを負ひて、戸口にり、はや夜も明けなむ、と思ひつゝ居たりけるに、鬼、はや一口にくひてげり。「あなや」といひけれど、~かみ鳴るさわぎにえ聞かざりけり。やう/\夜も明けゆくに、見れば、ゐてし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉かなにぞと人のとひしとき露と答へてきえなましものを
これは、二條后の、いとこの女御の御許おほんもとに仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、ぬすみて負ひて出でたりけるを、御兄おんせうと堀河大臣おとど、太郎國經くにつねの大納言、まだ下臈げらふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、留めてとり返し給うてげり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后の、ただにおはしける時とや。

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〔七〕 昔、男ありけり。みやこにありわびて、あづまにいきけるに、伊勢、尾張のあはひの海づらを行くに、浪のいと白くたつを見て、
いとどしく過ぎ行く〔過ぎこし、過ぎにし、とも。〕かたの戀しきにうらやましくもかへる浪かな
となむ詠めりける。

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〔八〕 昔、男ありけり。京や住み憂かりけむ、東の方にきて、すみ所もとむとて、友とする人、一人二人してきけり。信濃國、淺間のたけに、けぶりのたつを見て、
信濃なる淺間のたけに立つけぶりをちこちびとの見やはとがめぬ

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〔九〕 昔、男ありけり。その男、身をuやうなきものに思ひなして、きやうにはあらじ、東の方にすむべき國もとめにとて、きけり。もとより友とする人、一人二人していきけり。道しれる人もなくて惑ひきけり。三河國八橋やつはしといふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蛛手くもでなれば、橋をつ渡せるによりてなむ八橋とはいへる。その澤のほとりの木の蔭におり居て、かれいひくひけり。その澤に燕子花かきつばたいと面白く咲きたり。それを見てある人の曰く、「かきつばたといふ五文字いつもじを句のかみにすゑて、旅の心を詠め」といひければ、よめる。
唐衣からころもきつつ馴れにしつましあればはるばる來ぬる旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、餉の上に涙落してほとびにけり。行き/\て駿河國にいたりぬ。宇津の山に至りて、我が入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦楓つたかへではしげり、物心ぼそく、すゞろなるめを見る事と思ふに、修行者すぎやうじやあひたり。「かゝる道は、いかでかいまする」といふに、見れば、みし人なりけり。みやこにその人の御許おんもとにとて、文かきてつく。
駿河なるうつの山邊のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
富士山ふじのやまを見れば、五月さつきのつごもりに、雪いと白う降れり。
時しらぬ山はふじのいつとてかかのこまだらに雪の降るらむ
その山は、こゝにたとへば、比叡山ひえのやま二十はたちばかり重ねあげたらむ程して、なりは鹽尻しほじりのやうになむありける。猶行き/\て、武藏國と下總國しもつふさのくにとのなかに、いとおほきなる河あり、それを角田河すみだがはといふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、かぎりなく遠くも來にけるかな、とわびあへるに、渡守わたしもり、「はや舟に乘れ、日も暮れなむ(*教科書だと「日も暮れぬ」)」といふに、乘りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、きやうに思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥のはしと脚とあかき、しぎの大さなる、水の上にあそびつゝいををくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人えしらず(*教科書だと「見知らず」)。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥。」といふを聞きて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

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〔十〕 昔、男、武藏國までまどひありきけり。さて、その國なる女をよばひけり。父は「ことびとにあはせむ」といひけるを、母なむ、あてなる人に、と心づけたりける。父はなほ人にて、母なむ藤原なりける。さてなむ、あてなる人にと思ひける。このむこがねに詠みておこせたりける。住む處なむ、入間郡いるまのこほりみよし野の里なりける。
みよし野のたのむのかりもひたぶるに君がかたにぞよると鳴くなる
むこがね、かへし、
我が方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ
となむ。人の國にても、なほかゝることなむ止まざりける。

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〔十一〕 昔、男、あづまきけるに、友だちどもに道よりいひおこせける。
忘るなよほどはくもになりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで

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〔十二〕 昔、男ありけり。人のむすめをぬすみて、武藏野へゐて行くほどに、盜人なりければ、國守くにのかみにからめられにけり。をんなをばくさむらの中に隱しおきて逃げにけり。道くる人、「この野は盜人あなり」とて、火つけむとす。女わびて、
武藏野は今日はな燒きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
と詠みけるを聞きて、女をば取りて、ともにていにけり。

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〔十三〕 昔、武藏なる男、みやこなる女の許に、「聞ゆれば恥かし、聞えねば苦し」と書きて、表書うはがき武藏鐙むさしあぶみと書きて、おこせて後、音もせずなりにければ、京より、女、
武藏鐙さすがにかけてたのむにははぬもつらし訪ふもうるさし
とあるを見てなむ、堪へがたき心地しける。
訪へばいふ訪はねばうらむ武藏あぶみかかる折にや人は死ぬらむ

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〔十四〕 むかし、男、陸奧國みちのくににすゞろに行き至りにけり。そこなる女、みやこの人はめづらかにや覺えけむ、せちに思へる心なむありける。さて、かの女、
なかなかに戀に死なずはくはこにぞなるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞ、ひなびたりける。さすがに哀とや思ひけむ、いきて寐にけり。夜ふかく(*夜ぶかく)出でにければ、女、
夜も明けばきつにはめなで〔はめなむとも。〕くだかけのまだきに鳴きてせなをやりつる
といへるに、男、みやこへなむまかるとて、
栗原のあねはの松の〔古今集「をぐろ崎みつの小島の」〕人ならばみやこのつとにいざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、「思ひけらし」とぞいひ居りける。

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〔十五〕 昔、みちの國にて、なでふ事なき人のに通ひけるに、怪しうさやうにて〔人に通はせて〕あるべき女ともあらず見えければ、
信夫山しのびてかよふ道もがな人のこころのおくもみるべく
かぎりなくめでたし、と思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかゞはせんは。

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〔十六〕 むかし紀有常きのありつねといふ人ありけり。三の帝に仕うまつりて、時に遇ひけれど、のちは世かはり時うつりにければ、世の常の人のごともあらず。人がらは心美くしうあてはかなることを好みて、こと人にも似ず貧しく經ても、なほ昔よかりし時の心ながら、世の常のことも知らず。年比としごろあひなれたるやう/\とこはなれて、遂に尼になりて、あねの先だちてなりたるところへ行くを、男、まことにむつまじき事こそなかりけれ、今はとてくを、いとあはれとは思ひけれど、貧しければするわざもなかりけり。思ひわびて、ねんごろ相語あひかたらひける友だちの許に、「かう/\今はとてまかるを、何事もいさゝかなる事もえせで遣はすこと」と書きて、奧に、
手を折りてあひみしことをかぞふればとをといひつつよつは經にけり
かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜のものまで送りて詠める。
としだにも十とてよつは經にけるをいくたび君をたのみきぬらむ
かくいひ遣りければ、
これやこのあまの窒イろもむべしこそ君がみけしとたてまつりけれ
よろこびに堪へで、又、
秋やくる露やまがふと思ふまであるはなみだの降るにぞありける

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〔十七〕 年比おとづれざりける人の、櫻のさかりに見に來たりければ、あるじ、
あだなりと名にこそ立てれさくらばな年にまれなる人も待ちけり
かへし、
今日こずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや

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〔十八〕 昔、なま心ある女ありけり。男ちかうありけり。女、歌よむ人なりければ、心みむとて、菊の花のうつろへるを折りて、男の許へやる。
くれなゐに匂ふはいづらしら雪の枝もとををに降るかとも見ゆ
男、知らずよしに(*ママ)詠みける。
くれなゐににほふがうへの白菊は折りける人のそでかとも見ゆ

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〔十九〕 昔、男、宮づかへしける女の方に、御達ごだちなりける人をあひ知りて、程もなくかれにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男はあるものかとも思ひたらず。女、
天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから
と詠めりければ、男、かへし、
天雲のよそにのみしてふることはわが居る山のかぜはやみなり
と詠めりけるは、また男ある人となむいひける。

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〔二十〕 昔、男、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さて程經て、宮づかへする人なりければ、歸りくる道に、三月やよひばかりに、かへでの紅葉のいとおもしろきを折りて、女のもとに道よりいひやる、
きみがため手折れる枝は春ながらかくこそ秋のもみぢしにけれ
とてやりたりければ、返事かへりごとは、みやこにつきてなむもて來たりける。
いつの間にうつろふ色のつきぬらむ君がさとには春なかるらし

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〔廿一〕 昔、男女をとこをんな、いとかしこく思ひかはして、ことごころなかりけり。さるを、いかなる事かありけむ、いさゝかなる事につけて、世の中をうしと思ひて、出でていなむと思ひて、かゝる歌をなむよみて、ものに書きつけける。
いでていなば心かろしといひやせむ世のありさまを人は知らねば
とよみ置きて出でていにけり。この女かく書きおきたるを見て、けしう心おくべきことも覺えぬを、何によりてかかゝらむ、といといたう泣きて、いづ方に求め行かむ、とかどに出でて、とみかうみ見けれど、何處いづこをはかり〔何處をそれとあてどにする。〕とも覺えざりければ、歸り入りて、
思ふかひなき世なりけりとし月をあだにちぎりて我やすまひし
といひてながめり。
人はいさ思ひやすらむ玉かづらおもかげにのみいとど見えつつ
この女いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、いひおこせたる、
今はとてわするる草のたねをだに人のこころにまかせずもがな
かへし、
忘草わすれぐさううとだに聞くものならばおもひけりとは知りもしなまし
又々ありしよりけにいひかはして、男、
忘るらむとおもふ心のうたがひにありしよりけにものぞ悲しき
かへし、
中空なかぞらに立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれど、おのが世々よゝになりにければ、うとくなりにけり。

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〔廿二〕 昔、はかなくて絶えにけるなか、なほや忘れざりけむ、女のもとより、
うきながら人をばえしも忘れねばかつうらみつつなほぞ戀しき
といへりければ、「さればよ」といひて、男、
あひ見ては〔あひは見で(新釋)〕心ひとつをかはしまの水の流れて絶えじとぞおもふ
とはいひけれど、その夜いにけり。いにしへゆくさきの事どもなどいひて、
秋の夜のちよを一夜ひとよになずらへて八千夜やちよしねばや飽く時のあらむ
かへし、
秋の夜の千夜ちよをひと夜になせりともことば殘りて鳥や鳴きなむ
いにしへよりも、あはれにてなむ通ひける。

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〔廿三〕 昔、田舍ゐなかわたらひしける人の子ども、のもとに出でて遊びけるを、成人おとなになりにければ、男も女も、はぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ、女は、この男をと思ひつゝ、親のあはすれども聞かでなむありける。さてこの隣の男の許よりかくなむ。
筒井筒つゝゐづつゐづつにかけしまろがたけすぎにけらしないも見ざるまに
女、かへし、
くらべこしふりわけがみも肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき
などいひ/\て、遂に本意ほいの如くあひにけり。さて年比としごろふる程に、女、親なく、たよりなくなるまゝに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内國かうちのくに高安郡たかやすのこほりにいきかよふ所いで來にけり。さりけれど、このもとの女、しと思へる氣色けしきもなくて、いだしやりければ、男、こと心ありて、かゝるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽せんざいの中にかくれて、河内かうちへいぬるがほにて見れば、この女いとようけさうじて、うち眺めて、
かぜ吹けばおきつしら波〔盜賊の意を懸く。〕たつた山よはにや君がひとり越ゆらむ
とよみけるを聞きて、かぎりなく悲し、と思ひて、河内へもいかずなりにけり。まれまれかの高安に來て見れば、はじめこそ心にくゝもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひをとりて、けこうつはものにもりけるを見て、心うがりてかずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
君があたり見つつをらむ生駒山いこまやまくもなかくしそ雨は降るとも
といひて見いだすに、「からうじて大和人來む」といへり。よろこびて待つに、たび/\過ぎぬれば、
君こむといひし夜毎に過ぎぬればョまぬものの戀ひつつぞふる
といひけれど、男すまずなりにけり。

[目次]
〔廿四〕 昔、男女、片田舍にすみけり。男、宮づかへしにとて、わかれ惜みて行きけるまゝに、三年みとせ來ざりければ、待ちわびたりけるに、又いとねんごろにいひける人に、「今宵こよひはあはむ」とちぎりたりけるに、この男きたりけり。「この戸あけ給へ」とたゝきけれど、あけで、歌をなむよみていだしたりける。
あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそにひまくらすれ
といひいだしたりければ、
あづさ弓ま弓つき弓としを經てわがせしがごとうるはしみせよ
といひて、いなむとしければ、をうな
あづさ弓ひけどひかねど昔よりこころは君によりにしものを
といひけれど、男かへりにけり。女いと悲しくて、しりに立ちて追ひゆけど、え追ひつかで、C水しみづのある所にふしにけり。そこなるいはに、およびの血して書きつけゝる。
あひおもはでかれぬる人をとどめかね我が身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。

[目次]
〔廿五〕 昔、男ありけり。逢はじともいはざりける女の、さすがなりけるが許にいひやりける。
秋の野に笹わけしあさの袖よりも逢はでぬる夜ぞひぢまさりける
色ごのみなる女、かへし、
みるめなき我が身を浦と知らねばやかれなであまの足たゆく來る(*小野小町〔古今集・恋・六二三〕)

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〔廿六〕 昔、男、五條わたりなりける女をえ得ずなりにける事、とわびたりける人の返事かへりごとに、
おもほえず袖にみなとのさわぐかなもろこしぶねの寄りしばかりに

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〔廿七〕 昔、男、女の許に一夜ひとよいきて、又もいかずなりにければ、女の手洗ふ所に、貫簀ぬきすをうちやりて、たらひの影に見えけるを、みづから、
我ばかり物思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり
と詠むを、かの來ざりける男たち聞きて、
水口みなくちにわれや見ゆらむかはづさへ水のしたにてもろごゑになく

[目次]
〔廿八〕 むかし、色ごのみなりける女、出でていにければ、
などてかくあふごかたみ(*あふご筐と逢ふ期難み)になりにけむ水漏らさじと結びしものを

[目次]
〔廿九〕 昔、春宮とうぐうの女御の御方おほんかたの花の賀に、召しあげられたりけるに、
花にあかぬなげきはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし

[目次]
〔三十〕 むかし、男、はつかなりける女のもとに、
逢ふことは玉の緒ばかりおもほえてつらき心のながく見ゆらむ

[目次]
〔卅一〕 昔、男、宮のうちにて、ある御達の局の前をわたりけるに、なにあたにか思ひけむ、「よしや草葉よならむさがみむ」といふ。男、
罪もなき人をうけへばわすれ草おのがうへにぞ生ふといふなる
といふを、ねたむ女もありけり。

[目次]
〔卅二〕 むかし、物いひける女に、年比ありて、
いにしへのしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな
といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。

[目次]
〔卅三〕 むかし、男、津國つのくに兎原郡うばらのこほりに通ひける女、このたびいきては又は來じ、と思へる氣色なれば、男、
蘆邊あしべよりみち來るしほのいやましにきみに心をおもひますかな
かへし、
こもり江に思ふこころをいかでかは舟さす棹のさして知るべき
田舍人のことばにては、よしやあしや。

[目次]
〔卅四〕 むかし、男、つれなかりける人の許に、
いえばえにいはねば胸の騷がれてこころひとつに歎くころかな
おもなくていへるなるべし。

[目次]
〔卅五〕 むかし、心にもあらで、絶えたる人の許に、
玉の緒を沫緒あわをによりてむすべれば絶えての後も逢はむとぞ思ふ

[目次]
〔卅六〕 むかし、男、忘れぬなめりと問言とひごとしける女の許に、
谷せばみ峯まではへるたまかづら絶えむと人にわが思はなくに

[目次]
〔卅七〕 むかし、男、色好なりける女に逢へりけり。うしろめたくや思ひけむ、
われならで下紐とくなあさがほの夕かげ待たぬ花にはありとも
かへし、
ふたりして結びし紐をひとりしてあひ見るまでは解かじとぞ思ふ

[目次]
〔卅八〕 むかし、紀有常がりきたるに、ありきておそく來けるに、詠みてやりける。
君により思ひならひぬ世のなかのひとはこれをや戀といふらむ
かへし、
ならはねば世の人ごとに何をかも戀とはいふと問ひしわれしも

[目次]
〔卅九〕 昔、西院さいゐんみかど(*淳和天皇)と申すみかどおはしましけり。その帝のみこ、崇子たかいこと申すいまそかりけり。その皇子みこうせ給ひて、御葬おほんはふり、その宮の隣なりける男、御葬見むとて、女車をうなぐるまにあひ乘りて出でたりけり。いと久しうゐていで奉らず、うちなきて止みぬべかりける間に、あめの下の色好いろごのみ源至みなもとのいたる(*嵯峨天皇の孫。源順の祖父)といふ人、これも物見るに、この車を女車と見て、寄り來てとかくなまめく間に、かの至、螢をとりて車に入れたりけるを、車なりける人、この螢のともす火にや見ゆらむ、ともしちなむずるとて、乘れる男のよめる、
出でていなばかぎりなるべみともしけち年經ぬるかとなく聲を聞け
かの至、かへし、
いとあはれなくぞきこゆる燈けち消ゆるものとも我は知らずな
天の下の色好の歌にては、なほぞありける。至はしたがふがおほぢなり。親王みこ本意ほいなし。

[目次]
〔四十〕 昔、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかひやらむとす。さこそいへ、まだ逐ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければとゞむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さる間に思はいやまさりにまさる。にはかに親この女を逐ひうつ。男、血の涙を流せども、止むるよしなし。ゐて出でていぬ。〔古本には此の次に女の歌として「いづこまで送りはしつと人問はばあかぬ別の涙川まで」の一首あり。〕男泣く泣くよめる。
いでていなば誰かわかれのかたからむありしにまさる今日は悲しも
とよみて絶え入りにけり。親あわてにけり。なほざりに思ひてこそいひしか、いとかくしもあらじと思ふに、眞實しんじちに絶え入りにければ、惑ひてぐわんなど立てけり。今日の入相いりあひばかりに絶え入りて、又の日のいぬの時ばかりになむ、からうじて息出でたりける。昔の若人わかうどは、さるすける物思ものおもひをなむしける。今のおきなまさに死なむや。

[目次]
〔四十一〕 昔、女はらから二人ありけり。一人は賤しき男の貧しき、一人はあてなる男たりけり。賤しき男もたる、十二月しはす晦日つごもりに、うへのきぬを洗ひて、手づから張りけり。志はいたしけれど、さる賤しきわざも習はざりければ、袍の肩を張りやりてげり。せむ方もなくてたゞ泣きに泣きけり。これを、かのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、いとCらなる緑衫ろうさうの袍を、見いでてやるとて、
むらさきの色濃きときはめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
武藏野の心〔古今集に「紫の一本ゆゑに武藏野の草は皆がらあはれとぞ見る」とある歌の意。〕なるべし。


        
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