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歌意考

賀茂真淵(1760-64頃)
窪田空穂 解説『和文和歌集』上
(〈日本名著全集〉第1期「江戸文藝之部」第24巻
 同全集刊行會 1927.11.14)

※寛政12(1800)版本に基づく。
版本内題「うたのこゝろのうち」、(* )は入力者のメモ。

 序(荒木田久老)  本文  識語(荒木田久老)
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歌意考序

高山に登りて短山みじかやまを見る時は、峯のたをり、谷の隈々も見明らむべく、短山より高山を見放みさけんには、おぼゝしく眞分明まさやかならじをや。こゝに吾師縣居の大人いつゝこゝろとて、古事學ふることまなび案内あななひ給へる文あり。其れが中なる此の歌のこゝろは草案のまにま傳へて飽かぬ心地すめれど、古の歌の直く厚きと、後の歌の狹く苦しきとの區別けぢめあげつらひ、ひたぶるに古に據るべき由を諭し置かれしは、高き昇らん山口むる栞とも成るべきを、近き年頃、此學するともがらも歌は後を善しとすと世に諂へる教に引かされて、古風いにしへぶりはいよよ廢れ行くが憂はしく可惜あたらしくて、猶あやにくにの教を世に知らせまほしくて、此の一册を板にらせる(*ママ)事には成りにたり。
寛政十二年文月ふみづき                 從四位下荒木田神主久老


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うたのこゝろのうち

あはれ、あはれ、上つ代には、人の心ひたぶるに直くなん有りける。心しひたぶるなれば、爲すわざも少なく、事し少なければ、云ふ言の葉もさはならざりけり。然か有りて、心に思ふ事ある時は、ことに擧げて歌ふ、こを歌と云ふめり。斯く歌ふも、ひたぶるに一つ心に歌ひ、言葉も直き常の言葉もて續くれば、續くとも思はで續き、調とゝのふとも無くて、調はりけり。斯くしつゝ、歌はたゞ一つ心を云ひ出づる物にし有りければ、古は、ことと詠むてふ人も、詠まぬてふ人さへ有らざりき。遠つ神、天皇すめらぎの、大御繼々おほみつぎ\/、限り無く、千五百代を知ろしをす餘りには、言佐敝ことさへぐ唐、日の入る國人の、心詞しも、こき交ぜに來交はりつゝ、物多にのみ成りもて行ければ、此國こゝに直かりつる人の心も、隈出くまづる風の横しまに渡り、云ふ言の葉も、巷の塵の亂れ行きて、數知らず、くさ\〃/になん成りにたる。故、いと末の世と成りにては、歌の心言葉も、常の心言葉しも、異なる物と成りて、歌とし云へば、然かるべき心を曲げ、言葉を求め取り、古りぬる跡を追ひて、我が心を心ともせず詠むなりけり。其れはた塵のわれる鏡の、影の曇らぬ無く、芥に交れる花のしべの、けがしからぬ有らざるが如、さしも曇り穢れにし後の人の心もて、覓め撰びて、云ひ續けしが、汚からじやは。然からば打泣きて止みぬべきにやと云ふに、然かは有らず。抑も石凝登邊いしこりやべの作れる鏡のかたも、五十猛いだけるの尊おふせしの花も、今しも傳はれるをば、忘らえ置き、塵芥にも馴るれば馴れて、穢しとも知らず有りつゝ、思ひ起す心の無きになん有りける。いでや天地あめつちの變らふこと無きまにまに、鳥も獸も草も木も、古のごとならぬし無きを思へば、人の限りしもぞや古今と異なるべき。人てふものは、たてさかしら心もて、かたみに爭ふ程に、おのづから横しまに習ひ來て、世の中も移ろふめり。そを一度惡ろしと思はん人、何ぞやよき方に移ろひ返らざらん。然か心を起して、古の八咫鏡やあたかゞみに朝なさな向ひ、陰高き千本ちもとの花に、ひとしく交りつゝ、其の形、其の色に似てしがもと乞ひ(思ひ)(*全集本で異本を参照した注記。)つゝ、歌をも文をも取り成して見よ。もとの身の、昔人に同じき人にし有るからは、然か習ふ程に、心はぎ出でたる鏡し、詞は藪原を過ぎて、隈無き山の花とこそ成りなめ。萬づの言の古にかへらふをば、主變り行く唐國にしも愛づるてふを、同じ天つ日嗣知ろしをす此の御國にして、御盛みさかりなりしすめ大御おや天皇すめろぎの定めましゝ、天雲の高き御世振に復らで、山川の下れる時をのみ守るべきや。歌は其の時の姿に由りて詠む事ぞなど云ふ者は、私の心の甚しきにぞ有りける。斯くしも下ちぬと云へど、畏き吾が遠つ御神の國の手振は猶もしるくて、古をしのぶる人も、はた少なからず。されども大空の高き世の文を見るに、高山のさかしく道も絶え、青海原のかしこくして奧所おくがも知らず、春の月の中空の霞に隔て、秋の風のよその木の葉も吹き交へつらんと覺ゆる事あり。下れる世人よひとは、其の霞に迷ひて有らぬ方に至り、或るは言さへぐよその國の風に誘はれて、本立もとだち(*根源)を忘るゝ類ひぞ多なる。こゝに古の歌こそ、千年のさいつ人の詠めりける心詞も、月日と共にまたく變らで、花紅葉如す、昔今同じき物はめれ。濃紫こむらさき名高く聞えたる藤原、寧樂などの宮振に心を遣りて、山賤やまがつつるばみ、怪しの色を忘れつゝ、年月に(*長年)我も詠む程こそ有れ、おのづから我が心肝に染み通りなん。る時ぞ古人いにしへびとの心直く、詞雅びかに、いさゝかなる汚らはしき塵も居ず、高くはた雄々しき心習ひも思ひ取りぬべし。斯くて後に、萬づの古き文どもをも見んに、終には深き山を越えて里に出で、遠き海を渡りて國に至らんが如く、世の中てふ物は、物無く事無く、徒らなる心をも悟らへ、設けず、作らず、誣ひず、教へず、天地に適ひて、まつりごちませし古の安國やすくにの、安らけき上つ大道おほみちの、神の御代をも知り明らめてん物は、古人の歌なるかも、己が詠む歌なるかも。己れいと若かりける時、母刀自の前に古き人の書ける物どもの有るが中に(かぐ山を)「古の事は知らぬを我れ見ても久しく成りぬあめの香具山」、(子のもろこしへ行くを其の母)「旅人の宿りせん野に霜降らば吾子はぐくめあまの鶴群つるむら」、(つまの伊勢のみゆきの大御供なるを)「長らふるつま吹く風の寒き夜に我が背の君は獨りか寢らん」、(筑紫より上る時女に別るとて)「丈夫ますらをと思へる我れや水ぐきの水城みづきのうへに涙のごはん」、(題知らず)「下にのみ戀ふれば苦し紅の末摘花の色に出でぬべし」、(ものがたり)「在る時は有りのすさみに語らはで戀しきものと別れてぞ知る」、(たび)「名ぐはしきいなみの海の沖つ波千重に隱りぬやまと島根は」、「あはぢのぬしまが崎の濱風に妹が結びし紐吹き返す」など(猶アリ)いと多かり。こを打詠むに、刀自の給へらく、近頃其許そこたちの手習ふとて云ひ合へる歌どもは、我がえ詠まぬ愚かさには、何ぞの心なるらんも分かぬに、此の古なるは、こそとは知られて、心にも沁み、唱ふるにも安らけく、雅びかに聞ゆるは、如何なるべき事とか聞きつやと。己れも此の問はするに付けては、げにと思はずしも有らねど、下れる世ながら、名高き人達のひねり出だし給へるなるからは、然る由こそ有らめと思ひて、もだし居る程に、父の差し覗きて、誰もこそ思へ、いで物習ふ人は、古に復りつゝまねぶぞと、賢き人達も教へ置かれつれなどぞ有りし。俄かに心行くとしも有らねど、承りぬとて去りにき。とても斯くても、其の道に入り給はざりけるけにや有らんなど覺えて過ぎにたれど、さすがに親の言なれば、況して身まかり給ひては、文見歌詠む毎に思ひ出でられて、古き萬づのふみの心を、人にも問ひ、おぢなき心にも心を遣りて見るに、おのづから古こそと眞に思ひ成りつゝ、年月に然る方になん入り立ちたれ。然か有りて思へば、先に立ちたる賢しら人にあともはれて(*導かれて)、遠く惡ろき道に惑ひつるかな、知らぬどちも、心靜かに覓め行かば、なか\/に善き道にも行きなまし。歌詠まぬ人こそ、直き古歌いにしへうたと、苦しげなる後のをしも、區別わいだめぬるものなれ(*区別したのだ)と、今ぞ迷はし神の離れたらん心地しける。
物の始め惡ろく入り立ちにしこそ苦しけれ。萬づ横しまにも習へば、心と成るものにて、本の大和魂を失へりければ、偶善き筋の事は聞けども、直く清き千代の古道ふるみちには、行き立ちてになん有る。こを譬へば、高き山に登るが如し。本繁き山口を押分けて、木の根いはが根い行きさぐゝみ(*間を縫って進む)、汗もしとゞに、息も喘ぎつゝ、辛くして峰に到りぬ。斯く到りてば、仰ぎて向ひてし山々をも見下みくだし行きて、見ぬ國の奧所おくがも見明らめられつゝ、今こそ心の雲霧もはるけく、世に廣く暗からざめりと覺ゆ。さてしも有らぬは人の心にて、いでや雲風にもなどか乘らざらんと思ひ進まるれば躍りり、飛び(*ママ)習はすに、あやしきわざしも習はゞ、習ひつと覺えて、二無く誇らしく、獨笑まひをしつゝ經るなりけり。然か有る程に、ある時、ゆくりなく雲に飛ばんも、下らずやは有らん。風に乘らんも、行方こそ極みなれ。怪しのわざやてふ心の出で來ぬれば、いつと無く其の高嶺をも下りまがりて、本の麓に歸りぬめり。て靜心に成りては、怪しき心ずさみ(*気まぐれ)にも有りつるかなと思ひ成れゝば、萬づ夢の覺めたらん曉の如ぞ覺えける。此の時に至りて、また古き書を見、歌をも唱へ試みれば、彼の怪しくすゝめる(*逸った・勢いづいた)亂りわざは無くて、唯此の麓へ歸り下りたる心にぞ有りける。然かしてこそ古人の心は、善く貴かりける物と思ひ知らえぬれ。斯くて掛けまくも畏き吾が皇神すめがみの道の、一つの筋をたふとむに付けて、千五百代ちいほよも安らに治れる、古の心をも、心に深く得つべし。次いでには、言噪ことさへぐ國々の、上つ代のさまを善く知れる人に向ふにも、直き筋の違はぬも多かりけり。然かは有れど、斯くする程に、殘りの齡無く成り行くこそあやなけれ。如何で(*どうなりとして)若き時より、みづか心肝こゝろぎもを定めて、唯古き書、古き歌を唱へて、我も然る方に詠みも書きもせよ。身もいたづかで習ひ得つべし、思ひ得つべし。萬葉集は今二十卷はたまき有めれど、彼の橘の諸兄のおほまうちぎみの撰び給ひけんは、たゞ一つの卷、二つの卷こそさだかにそれと見ゆれ。それはた字の違ひ、訓みの誤れるなん多き。また十まり一つ(*十一)、二つ、三つ、四つの卷も、右に次ぎて、撰び給へるにやと思しき事あり。何ぞと云はゞ一の卷、二の卷は、凡そ詠み人知られて、且つ宮ぶりなり。十一、十二、十三は、皆詠める人知らえぬ古き歌の、はた都の人なり。是れを古歌集とも云へる事あれば、他人ことびとの集めつらんとも思へど、猶一つ二つの卷の、詠み人知らえしのみを撰むべくも有らずと思ふ事あり。さらば十三と有るこそ、いと古き歌にて、古の雅びごとしるく、はた長き歌多ければ、此れを三の卷とし、十一、十二を四五とし、さて十四は東歌にて、多くの國ぶりなり。唐國の古の歌にも國ぶり(*国風)を集めしにも由り、固よりも歌は人の心を述ぶるものにて、其れに付けて、いとやんごとなき邊りに、食國人をすくにびと(*治下の人民)の心をも知らする物なれば、ぞや大宮風おほみやぶりのみを云はん。斯かるからに、東歌をも、末に付けて撰びつべし。今の二十の卷なる東歌は、大伴の家持ぬしの取り集めし物、この十四の卷なるは、それより古き東歌にて、必ず上に續きて撰び添へられし物と見ゆ。また三の卷よりは、多くは家持ぬし歌集うたつめなり。五は山上憶良の集、七と十とは、事のさま等しくて、また誰その人の家に書きめし物、斯くさま\〃/なれば、善く撰び調へたる卷は少なし。由りてたはれたるも、はたよく本末の調ほらぬも、また本は宜ろしくて末の詞の惡ろきも有り。然かれば今かた(*範型)として取らんには、更に撰びて取るべし。其の撰びはた難ければ、誰かは是れに當らん。唯詞の滯らず、理明らけく、雅びて優しと覺ゆる心言葉なるを取るべし。少しも聞きにくゝ苦しげなるをば、先づは惡しと思ひたれ。四千よちゝまり三百みもゝばかりの歌なるが中に、其のなだらかなるをのみ取らんも少なからぬなり。此の事を善く心得ずて、二十卷共に皆同じと思ひ、萬葉風まんえふぶりとて、後にかなはずなど云ふなり。右の如く心得て、然かも調ひたる姿心をよく取りたるは、鎌倉の大まうち君なり。其の中にも、始と中と末と見ゆ。末によく取り得られたるをもて思ひ合すべし。されど女の歌には心すべし。古今歌集の中に、詠み人知らずてふ歌こそ、萬葉に續きたる奈良人より、今の京の始までの有り。此れを彼の延喜の頃の歌と、善く唱へ比べ見るに、彼れは事廣く、心雅びかに豐けくして、萬葉に繼げる物の、然かもなだらかに匂ひやかなれば、眞に女の歌とすべし。古は丈夫は、猛く雄々しきを旨とすれば、歌も然かり。さるを古今歌集の頃となりては、男も女ぶりに詠みしかば、男女をとこをみなの分ち無くなりぬ。然らば女は、たゞ古今歌集にて足りなんと云ふべけれど、は今少し下ち行きたる世にて、人の心に巧み多く、言に誠は失せて、歌を作爲わざとしたれば、おのづから宜しからず、心にむつかしき事あり、古人の直くして心高く雅びたるを、萬葉に得て、後に古今歌集へ下りてまねぶべし。此の理を忘れて、代々の人、古今歌集を事の本として學ぶからに、一人として古今歌集に似たる歌詠み得し人も聞えず。はた其の古今歌集の心をも、深く悟れる人無し。物は末よりかみを見れば、雲霞隔たりて明らかならず。其の上へ昇らんはしをだに得ば、いち早く(*一気に)高く昇りて、上を明らめて後に末を見よ。既に云ひし如く、高山たかやまより世間よのなかを見わたさん如く一目に見ゆべし。物の心も、下なる人、上なる人の心は計り難く、上なる人、下の人の心は計り易きが如し。由りて學びは、上より下すをよしとする事、唐國人も然か云へりき。

明和の初めつかた賀茂の眞淵が老の筆に任せて書けるなり。


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(識語)

此一册は、の自らの手して書かれしを寫し置きつるなり。或る人のたるは、初めは是れに同じくて末に事多く添はりて、紙のひらも多く、いと異なり。今つら\/考へ見るに、其の異なる條々は新學にひまなびに云はれし趣に如何ばかりも違はねば、後に除かれしものなるべし。故、その異本は捨てゝ茲に擧げず。
五十槻園いつきぞの(*荒木田久老)藏板

(*了)

 序(荒木田久老)  本文  識語(荒木田久老)
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