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佳人之奇遇
東海散士
(明治大正文學全集1 春陽堂 1930.6.15) ※ 会話・引用部に鈎括弧を施した。 自叙 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 書後(金玉均) 跋(雲外道士) 自叙散士幼にして戊辰の變亂に遭逢し全家陸沈、■(之繞+屯:ちゅん::大漢和38747)■(:::大漢和)流離、其後或は東西に飄流し、或は筆を投じて軍に從ひ遑々草々、席暖なるに暇あらず。既にして笈を負て海外に遊び、專ら實用の業に志し、經濟、商法、殖産の諸課を修むるに汲々たりしより、殖産利用の心日に長じて、花月風流の情日に消し、文を練り詩を咏ずるの餘閑に乏し。然れども多年客土に在り、國を憂ひ世を慨し、千萬里の山海を跋渉し物に觸れ事に感じ、發して筆となるもの積て十餘册に及べり。是れ皆偸閑の漫録にして、和文あり漢文あり、時に或は英文ありて未だ一體の文格を爲さず。今年歸朝病を熱海の浴舍に養ひ、始て六旬の閑を得たり。乃ち、本邦今世の文に倣ひ之を集録削正し、名けて佳人之奇遇と云ふ。唯散士は詩文の專門家に非らず。故に其瑕■(玉偏+比:ひん::大漢和20879)に至ては固より免るゝ能はざるものなり。鄙諺に曰く、局に當る者は迷ひ、傍觀の者は清しと。散士此著述に於て、其諺の我を欺かざるを悟れり。益々此篇の成や、漢儒或は之を評して曰く、「文字往往戲作小説の體に傾き、且つ西洋男賤女貴の弊風を導き、婦女をして驕傲に陷らしめ女徳を壞るの恐れあり」と。稗史家は則ち之を難じて曰く、「卷中癡話情愛の章少く遊里歌舞伎の談なく、轍頭轍尾凡て是れ慷慨悲壯の談のみ、故に一見倦厭の念を生じ易し」と。鐵子が曰く、「惜乎往往對句を缺き雅言を選ぶを務めず、若し更に聯句對詞を選び、文章を鍛練せば完壁(*ママ)とならん」と。然るに隱生は即ち曰く、「徒に漢魏六朝の古文に拘泥し、對句雅言に意を用ゆ、故に文字藻麗なりと雖も、西洋大家の貴ぶ所の氣拔に乏しと謂ふ可し。且つ摸擬する所、東西稗史の尤も短處たるに過ぎず」と。華生は之に反して曰く、「稗史家中別に一機軸を出し、東洋の思搆に倣はず、西洋の體載(*ママ)を假らず、鬼神を語らず妖怪を談ぜず、時事に感じ實事を記す。故に文章流暢、精神雄邁、字字皆金玉なり」と。更に一士あり、未だ數行を讀み了らず、卷を掩て笑て曰く、是亦洋行書生自由の論のみ、見るに足らざるなりと。是に於て散士喟然として歎じて曰く、「難哉鉛槧操觚の士、作者勞して讀者逸し、難ずる者易くして辯ずる者難し。況や讀者各自己の心を以て意を迎へ、同義を異解する者あるに於てお(*ママ)や。是に由て之を觀れば、朝吏は誤て官吏を識るものとなさん。勤王家は自由を説くを以て王室に不忠となさん。民政黨は共和政を非難するを以て王室に媚るとせん。教法家は天道の是非を疑ふを以て説ばず。理學者は天道を説くを見て頑陋と嘲らん。道徳家は鄭聲淫穢の書とせん。和漢小説家は以て不粹と評せん。激烈の少壯輩は怯弱の論と詈らん。老練家は書生の空論と笑はん。蓋し皇天の仁慈なる、猶ほ且つ萬人の所望を滿たすこと能はず。何ぞ獨り散士の佳人之奇遇に疑はんや。故に讀者の評論は關する所にあらざるなり。平意虚心文字に拘泥せず、全篇を通覽して微意の存する所を誤る勿くんば幸甚。唯憾むらくは、鼇頭の論評は多く内外諸名士の筆に係ると雖も、憚る所ありて茲に其姓名を掲ぐる能はざるのみ。然れども他日必ず讀者をして之を明知せしむるの時あらん、希くは諒せよ。 明治乙酉三月
於熱海浴舍
東海散士誌 一
東海散士一日、
當時英王の昌披なる、漫に國憲を蔑如し、擅に賦斂を重くし、米人の自由は全く地に委し、哀願途絶え、愁訴術盡き、人心激昂干戈の禍殆ど將に潰裂せんとす。十三州の名士大に之を憂ひ、此小亭に相會し、其窮厄を救濟し、内亂の禍機を撲滅せんとす。時に
又遙に山河を指して曰く、那の丘を
孤客登臨す
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