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かざしの姫君

▼ 御伽草子 A-15
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ 句読点を適宜改めたほか、引用符を施し、段落を分けた。
※ ルビは<ruby><rt></rt></ruby>タグで表した。IE5 等で見える。


昔、五條あたりに、源の中納言とて、萬にやさしき人おはしける。北の御方大炊殿おほいどの御女おんむすめなり。姫君一人おはします。御名をばかざしの姫君とぞ申しける。御かたちを見るに、髪のかゝり〔髪の垂れた樣子〕眉口いつくしくて、春は花のもとにて日を暮し、秋は月の前にて夜を明し、常に詩歌を詠じ、色々の草花をもて遊び給ふ。中にも、菊をばなべてならず〔世の常ならず。非常に〕愛し給ひて、九月ながつきの比は庭のほとりを離れがたく思召して、年月を送り給ふ。十四と申す秋の末つ方に、菊の花の移ろひゆくを、限り無く悲しきことに思召し續けて、微眠まどろみたまへば、年のほど二十あまりなるの、冠姿かぶりすがた仄に、薄紫の狩衣に、鉄漿かねKに、薄化粧太眉づくり〔眉を太くつくる事〕の、やごとなき〔尊い、けだかい〕風情は、古への業平光源氏源氏物語の主人公〕もかくやと思しくて、姫君によりそひ給へば、姫君は夢現ともおぼえず、起きさわがせ給へば、この人姫君の御袖をひかへ、「などか露ばかりの御情もなからまじや。」とて、泣く\/色々のことの言の葉を盡し給へば、姫君もあはれとやおぼしけむ、夜半の下紐うちとけ給へば、かの人嬉しくて、いとゞこしかた行末〔過去將來〕を語り明させ給ひけり。衣々にもなりしかば、この人姫君に打向ひて、「又の夜は必ず。」とて、なく\/、
憂きことをしのぶるもとの朝露のおきわかれなむ〔起きて別れると露の置くにかけた。〕ことぞかなしき
ときこゆれば、姫君
末までと契りおくこそはかなしけれしのぶがもとの露ときくより
と、互に言ひなかし給へば(*未詳)、まれ人〔客〕は籬のほとりへゆくと見えて、面影もなし。さてかざしの姫君はいよ\/不思議の思ひをなし給へども、人にとふべきたより〔尋ねるべき手段、便宜〕もあらねば、心ならず、それよりして互の御契り淺からず、忍び\/に通ひ給へば、いつとなく日數をすごし給ふほどに、ある時姫君仰せけるは、「今は何をか包み給ふらむ。はや\/御名をしらせ給へかし〔夜男が通ひ來て、やゝ日數經て名をつげるのが平安朝以來の風習である〕。」ときこえたまへば、この人恥かしげにて、「このあたりに少將と申しはべる者なり。後には定めて知召しらしめすべし。」とて、歸り給ひぬ。
そのころ朝廷みかどには花そろへ〔花合せ。花を持ちよりその優劣を爭ふ遊戲〕ありとて、人々を召されければ、中納言殿も參り給ふ。みかど中納言を近づけ給ひ、「尋常よのつねならぬ菊の花そろへ奉れ。」と、綸言〔天子の御言葉。禮記に、「王言如綸、其出如■(糸偏+悖の旁:ふつ::27499)。」〕あらせ給へば、ちからなくして〔せむ方なくて〕中納言、「菊を奉らむ。」とて、歸られけり。
さて少將は、その日の暮方に、西の對〔主人の居る寢殿の西方にある獨立した宮殿、こゝではかざしの姫の住んで居られる所と見える。〕に來り給ひて、いつよりも打萎れたる有樣にて、世の中のあだなる事〔世の中のはかない、たよりない事〕ども、語り續けて、うち涙ぐみ給へば、かざしの姫君、何とやらむ御物思ひ姿見えさせ給へば、「いかなる事を、思召しわづらひ候ぞや。」と、終夜よもすがらきこえさせたまへば、「今は何をか包み候べき。見えまゐらせむ事〔御目にかゝる事〕も、けふを限りとなりぬれば、如何ならむ末の世までと、思ひし事を、皆徒事いたづらごととなりなむ事の悲しさよ。」とて、さめ\〃/と泣き給へば、姫君も、「こはいかなることぞや。御身をこそ深く頼み奉りしに、自らをば何となれとて、さやうにはきこえさせ給ふらむ。野の末山の奧までも、いざなひ給へかし。」とて、聲を惜しまず悲しみ給へば、少將も、「心にまかせざれば。」とて、とかくの詞もなし。やゝありて少將涙のひまよりも、「今ははや立歸りなむ。あひ構へて\/〔決して〕思召し忘れたまふな。自らも御心ざしいつの世に忘るべきなむ。」といひて、■(髪頭+兵:びん:「鬢」の俗字:大漢和45469)の髪をきりて、下繪したる薄樣〔模樣のやうに繪を書いた薄い鳥子紙〕に押包みて、「若し思召し出でむ時は、これを御覽ぜさせたまへ。」とて、姫君にまゐらせて、「また胎内にも、緑子をのこしおけば、如何にも\/よきやうに育て給ひて、我が形見とも思召せ。」とて、泣く\/出でたまへば、姫君も御簾の外までしのび(脱文あり)(*全集本注)あづけおき、「いづくへとてかおはすらむ。今一たび見え給へ。」と悲しみ、只ならぬ御身とてはしまで思ひなげき給ひけり。
今はなやましくならせ給へば、乳母いかにと悲しみて、母上に此の由申しければ、中納言殿も騷ぎ給ひていろ\/に勞り給へども、そのしるしこそなかりけれ。乳母かんなぎ〔巫祝。神をいつき祀つて、卜占、祈祷などする人〕の方へ行きて、「御年十五にならせ給ふ姫君の、長月つごもり〔三十日〕の酉の刻〔午後六時〕よりいたはりつかせ給へる〔病にかゝられたる〕は、いかゞ候べき。考へて給はり候へ。」と聞えしかば、神主申しけるは、「なにともはかりがたく候。若したゞならぬ御身にてやおはすらむ。如何樣にもあやふき〔危き、不吉な〕御うらにて候。」とありしかば、乳母不思議の思ひをなし、急ぎかへりて母上にかくと申されければ、北の御方仰せけるは、「みづからも然樣さやうには見なしてありしかども、さやうの事はあらじと思ひはんべれば、言ひいでむ事もさすがにて、若し又いかなる事にかありけむ。よくよくすかして問ひ給へ。」ときこえければ、乳母對の屋に參りて、「御姿を見參らすに、たゞならぬ御有樣と覺えて候ぞや。自らに何をか包ませ給ふべき。御心の内しらさせたまへかし。」とこま\〃/とさゝやきければ、姫君思召しけるやうは、とても忍びはつべき〔隱しおほせる〕事ならねば、語らばやと思召し、恥かしながら、始終はじめをはりの事どもを、殘りなくきこえければ、乳母あさましく思ひけり。さるほどに乳母北の御方へ參り、ありのまゝに申しければ、中納言殿も聞召し、「たぐひなく淺ましき事かな。内參り〔參内する事、天子の後宮へ參らせる事、妃などを志したのである。〕の事をこそあけくれ思ひしに、さてのみやまむ〔そのまゝで終る〕本意なさよ。」とて、うちすさみ(*悄気る、自暴自棄になる)給ふ。さる程にやう\/月日も重なりければ、内々ない\/御産所を初めて、女房達數多介錯〔介妁が正しいと云ふ。介抱する意。〕申しければ、實に美しき姫君出でき給ふ。乳母嬉しく思ひ、やがて御産湯衣おんうぶゆぎぬまゐらせて、申されけるは、「人々も見給へ。母姫君も御覽ぜよ。これにつけても、御命ながくよ。」とて、母姫君にさしよせ給へば、姫君見やり給へば、未だあやめも見えさせ給はねども〔赤兒は眼はまだ見えないけれども〕、かゞやき美しく、御顔ばせ、父少將に少しもちがはせ給はねば、そのとき姫君かくぞ詠じ給ふ。
夢ならば夢にてさめてあさましやこはいかなりし忘れ形見〔忘れ難きと形身とをかけた語。忘れられぬ記念。〕ぞ
とて、御涙をながし給ふ。さるほどに北の御方聞召し、「あらうれしのことどもや。いそぎ中納言殿に見せ參らせむ。」とありしかば、母姫君〔母となりしかざしの姫君のこと〕思召しけるやうは、「あら恥かしのことどもや。親の身にても、さこそあさましくおぼすらめ。これにつきても少將殿命をめせとぞ悲しみ給ふ。さてあるべきにあらざれば、乳母、姫君を抱き給ひ、北の御方諸共に、中納言殿御覽じて、「あら美しの姫君や。」とて、やがて御袖に移し給ふ〔自分の袖にうつして抱かれた〕。御いとほしみ限りなし。
かくてつながぬ月日なりければ、七歳にて御袴著せ參らせ〔初めて袴著る儀式。通常五歳又は七歳で行ふ。〕給ひけり。日數を經る程に、程なく十三にぞならせ給ふ。「眉目みめ容の美しさ、唐の楊貴妃、漢の李夫人、我が朝の衣通姫小野小町なんども、これにはよも勝らじ。」とて、人々申しけり。さる程に聞召されて、女御〔中宮につぐ天子の妃〕にぞ定まりける。中納言殿も、北の御方母姫諸共に、御喜びは限りなし。さても御門御寵愛甚だしくこそきこえけれ。いよ\/淺からぬ御心にも、かなひ給へば、ほどなく若宮姫君うちつゞきいでき給ひて、まことにめでたき事にぞ人々申しけり。あまりに不思議なる例なれば、末の世までの物語に書きおきはんべるなり。
(*了)

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