『こころ』の「寂しさ」について

『こころ』が現代文の小説教材として教科書に取り上げられてから久しい。作者夏目漱石の作家研究・作品論研究においても、修善寺大患後の後期三部作の掉尾を飾る作品として『こころ』が今日まで絶えず研究対象とされている重要な作品であることは改めて言うまでもない。しかし、読解上の難題を抱えたまま、そして肝腎な部分の解釈を保留にしたまま、「人間について考えさせる作品」としての暗黙の了解(実際に効果のあることも確かだが)に基づき、教科書への採録を続けてきた面があるのではないか。実際、指導書の記述も読解上のポイントに差し掛かると、「中立」性を保つという、これも暗黙の了解のもとで、諸説を列挙しつつ、自らの解釈は棚上げにしているということがないかと思う。教授者にとってもこの作品は今日依然として難解であり、微妙な点においては解釈を保留にせざるを得ない。要するに、読解の方法論は今日なお確立していないとも言えるのである。
このような断定はあるいは一方的に過ぎ、独善的であるかもしれない。しかし今回、ある教科書を通してこの作品を読み進めてきて、面白い問題に逢着し、あらためてこの作品の解釈の難しさについて考えさせられた。もちろん、そのことだけですべてをどうこう言う資格が専門的研究者でもない自分にあるはずもないが、「作品に即した読み」とはどういうことなのかと考えさせられたというのも事実である。そのことを含めて、今回はこの難解な作品を読むための視点をどのように置いたらよいのかを、教科書採録部分である「下」の断章を中心に考えてみたい。(時間があれば、従来の諸説を多少なりとも踏まえるべきである。しかし、具体的に跡づけるだけの余裕はまったく無い。教授者として、作品本文を頼りに当面問題となりうる論点を挙げるに止まる。しかし、重要な論点はこの中にも含まれていることと思う。)
K書店の『現代文』は、進学校でも恐らく多く採用しているものだろう。高校2年生対象の「こころ」と3年生対象の森鷗外「舞姫」とは、いずれも今日「定番」の作品であり、この教科書においても当然盛り込まれている。しかし、K書店版の「こころ」採録に当たって、担当者は思い切ったやり方をしたようだ。それは、他社の教科書や従来のものでは、多少のばらつきはあっても登場人物「K」の自殺の前後で終らせてきたのに対して、作品末尾まで採録したのである(従来のものにも最後まで採録したものはあったように思うが調べていない)。また、「上 先生と私」の一部を採録し、語り手の「私」の位置づけを読解の中に盛り込もうとしたことが大きな特徴と言えた。前後にわたって採録範囲を拡張したのである。これは面白い試みであり、分量的にも教科書会社の英断を思わせるものだった。しかし、実際に章ごとに読み進めていくと、大変奇妙なことに、末尾近くの新聞連載1回分を、明確な理由の説明もなく抜いてしまっていたのである。指導書にはもちろん省略の断り書きはあったが、そのはっきりとした理由は載っていなかった。
それは「先生」が酒に溺れることで己を忘れようと試み、そのためかえって妻や義母の顰蹙を買うことになって、最愛の妻にさえ己の秘密を理解させる方法がないことに絶望した挙句、友人Kの自殺した理由を再考し、それは現在の自分と重ね合わせた「寂しさ」のゆえではなかったかと直覚する、という章であった。本文から読解上問題となる字句を抜き出していくだけでもすぐに気がつくことだが、この章はこの作品の基本構造のうえで「下」篇と「上」篇とをつなぐ重要な位置にある章である。何といっても、「上」の教科書引用部の読みを総括するキー・ワードがほかならぬ「寂しさ」だからであり、このキー・ワードをたどることのできる重要な結節点にある章なのだ。先生は「上」篇においてまず謎の影を帯びた人物として語り手の「私」の目に映じ、先生みずから「私は寂しい人間です。」と語る。その「寂しさ」という代償を払うことにより、先生は自己一身においてかろうじてバランスを保って生活を続けていくことができた。そこに、「上」篇の初めから新時代の学生(であるはずだが)の「私」が若さの特権に任せて無遠慮に介入してくることによって、身動きのとれない位置に自らを追い込み、生ける屍としての「寂しい」生活を己に課したはずの先生の血が再び動き出すことで作品がダイナミックな展開を始めることにのである。学生の「私」は若さの表徴において、恐らく大正の新時代の学生ともまったく等価ではなさそうな面があるのだが、何にしても寒巖枯木としてのあり方においてかろうじて生への道を歩もうとした「先生」の血が彼の大胆な肉薄によって動き出してくるという仕組みである。それは、作品末尾において先生の形骸を死に至らしめ、その生きた「血」のしぶきを若者に容赦なく振り掛けるという儀礼を経て、若者の一種の理念型のごとき「私」の中に「新しい命」として蘇生しようとする精神的供儀を行うに至る。「明治の精神」への「殉死」という、一読突拍子もない感じを与える先生の自殺のモチーフも、この精神の法燈ないし衣鉢を最良の弟子に引き継ぐという作品の内在的モチーフの激湍の飛沫にほかならない。作者がこの作品の出版に当たって、装丁の端にまでこだわり、赤い地色に金石文を並べていったのも、また宣伝文やエピグラフに凝っていったのも、この精神の奔流を厚い地層の下に想像してみなければ了解できない。私は漱石全集の赤い地の色は、大患後の漱石にとっても否応無しに親しくなった血の色ではないかと感じている。そして、その「人間の血の勢いと云ふものの激しさ」をKの自殺に当たっても繰り返した作者が、この作品においても描き出そうとした夢の画幅は必ずや処女作以来、小説という詩形式(小説は「何をどう書いてもいい」が、当時にあっては「詩の一体」という位置にあった。〔このあたりは森鷗外の言い回しを藉りている。〕)において追求し続けてきたものであると断言してもよいとさえ思う。この作品において、末尾の歴史的アポリアである「明治の精神」の解釈は、その「夢」との関連において作品論的系譜の中で検証していくべきものであろう。そして、作品内部においてもその文脈の中で「先生」と夢を分かち合う存在を検証するか、あるいは各個の人物が先生の夢のどの部分をどの程度に担うものであるかを検証していかなければ、作品論としてまとまってくることはないと思う。
しかし、教授者としての読みはともあれ、『こころ』を授業として取り上げて生徒にどういうことを考えさせるか、という読みの視点を研究することは、これとはまた重なり得ない部分がある。にもかかわらず、作品末尾の「明治の精神」にまで至れば、これを既成の歴史常識に還元するのでは《ない》読み取りが求められるはずである。私は、「明治の精神」を理解する鍵は先生の「寂しさ」にある、と見ているのである。そして、これを読みこむ過程において、今回ゆえなく教科書採録を省略されたといってもいい小説「下」の連載第53章は断じて省略できるはずのものではないと考える。
もう一度、問題の章を見てみる。先生は奥さんにもKの自殺に関する本当の事情を話すことができないでいる。酒に浸ることは周囲の顰蹙を招き、理解の溝を広げるにすぎない。勉強する。しかし、そのことで立身するわけでも世間に向かって発言するわけでもない。宛然、隠者の自給自足生活である。「私は妻から何の爲に勉強するのかといふ質問を度々受けました。私はたゞ苦笑してゐました。(略)私は寂寞でした。」この文は、Kの自殺を下敷きにしなくとも、実は読めるのである。なぜなら、先生は学問を志してきた人であるからだ。お嬢さんは、その人のために先生がKと争った恋愛の偶像ではあるが、先生とこの点で世界を共有することはありえない。明治人の先生にとって、女性は恋愛の対象ではあっても学問の同伴者・理解者ではない。先生の「寂寞」はKの秘密を介しなくとも、この点では致し方ない。そもそも「何の爲」の学問なのだろう。Kの精進が「道」のためであった、とは先生の説明である。先生は友人の精進努力の理解者であり、Kが自己を批判することへの不満は表明しても、Kの努力して積み重ねてきた「尊い過去」に敬意を払うことを忘れなかった。唯一、その敬意を忘れた瞬間、己の行手を塞ぎさえしなければ「それが道に達しようが、天に届こうが一向に構いません。」と吐き捨てた瞬間が、すなわち先生が「罪悪」に趨った瞬間だったのである。先生は、Kの同伴者たろうとした。そしてまた、先生は先生の「道」に向かって先生なりの精進を重ねていたに違いないのであり、決して女にうつつを抜かしていたわけではなかったのである。この作品に描かれたかぎり、先生の過去においてやや不明瞭なところであるが、Kとの一体感それ自体は、それぞれの思わくをもって房州のぐるりを巡っていた敵対的な瞬間にあっても、むしろ男同士の共有感情を色濃く感じさせるものになっている。(因みに、この「男の二人旅」のモチーフは、他の漱石作品にあっても変奏されている。これは、それ自体として取り上げるに値する主題ではないかと思われる。)先生の「精進」の内容は不明なのだが、最愛の妻にまで「何の爲」の勉強?と追及されて感じた「寂寞」の中において、先生は「Kの死因」を初めて再考するようになる。「現實と理想の衝突、—それでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋(さむ)しくつて仕方がなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑がひ出しました。」これは、例の先生の狐疑逡巡の言い回しの中でではあるが、先生がその以前、Kの「要塞の地図」について解読した件を承けた一節である。「現實と理想の衝突」というのがその際の分析だった。Kの自殺について生徒に意見を尋ねたなら、この理解を挙げることが多いのではなかろうか。それを「孤独」のテーマにまでもっていくことは、教科書の編纂者ないし担当者にとって危険と考えられたのだろうか。
先生は、あえて一己の「事業」(精神的事業)への願望についての理解は誰にも求めず、「妻」(お嬢さん)への、また人間への愛と至誠を貫くことで、自らは枯木寒巖の生活に耐え抜こうと考えた。それは細々と辿る孤独な寂しい自覚の道だった。しかし、その先まで進んでいったなら自分もKと同じ所決を思い立たないとも限らなかった。それは予覚にとどまっていたが、「妻」の側から「男の心」がどうしても分からないと訴えられ、理解を諦めた「溜息」を聞かされたとき以来、「恐しい影」として復活してくることになる。そして、人間が「生れた時から潜んでゐる」かのような「人間の罪」の自覚に至るのである。この「不可思議な力」に抗い、「この牢屋」の中にじっとしていることができない、あるいは牢屋を突き破ろうとする先生の姿は覚えておかなくてはならない。この「運命」に抗うという精神、ないし行為こそ、「明治の精神」に通ずるものではなかろうか。作品は本来、その内的形象の連鎖から読み取るべきものであり、よそから突然歴史的、哲学的、心理学的、その他別箇の物差しをあてがって気焔を上げるものであってはならない。これは作品論が志向してきたことである。そうであれば、この先生の抗いの姿勢を抜きにして唐突な読みを展開してはなるまい。また、同じ明治人として、K・お嬢さん・学生の「私」の親兄弟等を挙げることは可能であるが、これらを先生とそのまま重ね合わせることは無理である。もっとも微妙なのがKとの関係であることはいうまでもない。Kもあるいは己の運命に抗したのであったかもしれない。にもかかわらず、Kと先生とは同心円状には重ならないように思う。二人を結び付けるものは「夢」の共有なのであろう。なおかつ、Kは夢を定かに見るにはあまりにも想像力が乏しかったとはいえないだろうか。Kは実行力において強すぎたのである。古人を景仰するKは、多くの範型に押し潰されたきらいがなくもない。Kに寂しさを読み込んだのは先生の想像力であった。先生には仰ぐべき範型はない。ではどうして殉死が可能なのだろうか。Kの死は殉死であっただろうか。二人を結び合わせる「明治の精神」があるとすれば、学問をした同士が自覚的に分かち合う「精神的事業」に対する情熱、不定形な「我を以て古と成さん。」とする夢のごとき気組みなのであろう。時代を共有するということの非常に抽象的で純粋な部分を、先生はKとは分かち合うことができたのであろうかとも想像する。なおかつ、Kとの性格・境遇の違いは歴然としており、先生の固有性は「夢」を十分に思い描き、追求するだけの豊かな想像力があった。意気投合した間柄でさえ、「夢」というものはこういうものではなかろうか。まして、単に同じ時代に生きたという共通点だけでは、つまり「明治人」という括りだけでは、先生の固有性を読み取ることは困難であろう。敢えていえば、先生はその「夢」において孤独であり、「寂寞」であった。その孤独の求心的性格が若い学生の「私」を惹き付けたのである。惹き付けられうるだけ、語り手の「私」は愛に渇き、一途に夢を求めていた。若者も、年齢的に若いだけでは「私」のような固有性を持ちうるとは限らない。やはり、ここには一つの希少な出合いがあったのである。羨しいような稀な出合いなのである。作家はその理想化に当たって、文体に情熱を傾けた。『こころ』の一見大時代的な語りの文体は、このような情熱に支えられて脇目もふらず訥々と語っていくのである。旧制高校・大学の学生の、極く限られた一部には或いはこのような語り口を許された〈選ばれし人々〉の一群がいたのでもあろうか、と想像してみるとどうも羨しい気がする。毎日、溝板の上をとぼとぼと足を引きずっている私などにはまことに羨しい世界である。しかし、恐らくいかな「明治」であっても、それはやはり群れではなかったことだろう。
予想通り、まとめにもならない駄文に終わったが、『こころ』を教材として扱うことは大変難しい。これを〈読み取る〉ことは、実際に困難を極めるだろう。しかし、この爽やかさを若い世代が多少なりとも分かち持つことは不可能ではない。とにかく、〈読む〉ことの目標をどこに置くかを、我々教授者はもう少し自分で整理していかなくてはならないだろう。
(2006.1)